たにんのし、ょうがいをはんだんするときわたしはつねに、さいごがどうであったかを見る。また、私の生涯の努力の主たる目的も最後がよくあること、つまり、平和で静かであるということだ。
キケロは、哲学を極めるとは死の準備をすることにほかならない、と言った。
自分のおめでたさに満足し、さいごまでそれにきづかないようでいられるなら、狂人といわれ、さげすまれても、賢いためにイライラしているよりはましだ。
行為においては無気力で、言葉だけ哲学者めいた人を私は憎む。
判断力を伴わない学問が何になるか。
合体させなければならない。知識で魂を濡らすのではいけない。染み込ませなければならない。そのままにほおっておくほうがずっとましだ。知識は真剣な剣である。力の弱い、使い方を知らないひとにもたせると、そのひとを妨げ、その人を助け、傷つける。だからなにもまなばないほうがよかった。
思い切って賢くなれ。すぐにとりかかれ。行いを改めることに時を延ばす者は、急流の水が枯れるのを待って渡ろうとする田舎者と同じだ。河は相変わらず流れ、そして永久に流れ続けるだろうから。
よし。とりま、一日のノルマ達成!この調子この調子。
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