2011年10月27日木曜日

今もまだ奈良っす。

ブログ全く更新していない。そんなよゆうはないというか、ブログですらエネルギーを使うわけで、Twitterですらエネルギーを使ってしまうわけで、


ジョブズがいうように

やっぱりエネルギーを一転集中して使わなきゃダメだなと思ったわけです。

本を読もう。字を書こう。絵を書こう。インプットだけの毎日はくずだw。アウトプットしたそのひの充実度は半端ない。


それを続けれる奴はやっぱりすごいし、おれもそうなりたいと思ってる。


さいきん、急に眠くなる病にかかっている。ー突然の睡魔、眠気との戦い。立っていても襲われる。うつらうつら。


人生の転機かはたまた疲れていつのか、寝不足か、、、謎だ。




突然睡魔症候群、

2011年10月21日金曜日

僕のブログは誰も見ていない。

evernoteで公開しないメモ帳とかなんかもいいと思うがそれはそれであって、やっぱ世の中に行ってもいいことはここに書いて広く世の中に公開しておくのも悪くはないだろう。

自分違和感が広く世の中に共有されそれが多く賛同されることを希う為である。

今はびーこけんの最中である。

びーこけんとは古美術研究旅行のことである。藝大の名物である。いうなれば、ある種の修学旅行といっても差し支えないであろう。

奈良の施設で二週間程寝食を共にし、遍く京都、奈良の神社、仏閣を基本にして巡る美の巡礼ツアーである。

施設は素晴らしい。ずっといても飽きなく思う。

今年の部屋分けが男子が少ないのもあって、うちの学科、藝術学科は男子にとっては天国である。風呂も洗濯機も取り合う必要もなく、和室の畳の部屋をさも王侯貴族のように広く使い振る舞うことができる。自転車もある。飯もなかなかうまい。量もかなりある。

一日一食の私にとっては実に素晴らしい毎日である。

ただ服装のコードには少し納得がいっていないが、最終的には人に対するリスペクトである。先生や助手さんに対する、神社や仏閣に対する敬意である。ただ禅の真髄を考慮に入れるとやや迷う。迷ってはいけないのであるが、迷う。


心の迷い、袴を着るかいなか、袴は着るなと言われている、しかし、ジーンズを履いている者もいる。ジーンズはダメだと、ジーンズをはく者には見学させないといっていたのではないのか。ふむ。そんなことを個別に呼ばれた時に言われていたのに、なぜ私だけ厳しいのであろうか、、、修行か、これも、、、時代時代のルールがある。明治の学生の格好は今の時代にふさわしくないらしい。袴はジーンズよりも柔らかい。柔らかいし日本文化を尊んでいる。この研修旅行は見る為のもである。パフォーマンスの場ではない。ふむ、ー確かに、一理。地震とかきた時にとっさに素早く動ける格好は確かにズボンである。スワットはやはり西洋の格好である。軍隊は西洋服である。納得。ふむ、それgと相手に無駄な気を遣わせないのが思いやりであるともいう。確かに。だが、利休でもいいではないか。相手をギョッと言わせていいではないか。好き者で良いではないか!京都でうつけで何が悪い!?すていはんぐりー、すていふーりっしゅ!よ。なんせうぞ、くすんでイチゴは夢よ、ただ狂へ。閑吟集よ。あぁ、レミゼラブル!ただ海原雄山みたいに古美術を見て回るのもいいかなとも思う。皆がみな学芸員になるわけでなし。小林秀雄になるものもいる。己を美しくして初めて美に近づく権利を有するのである。ゆめ、忘れるなかれ。袴、私はぴったりだと思う。古の都を古の美しい格好で闊歩して一体何がいけないのであろうか?わからん。何をそんなに怯えているのであろうか、まぁ、いいのである。まことには飲むべくなけれともこの世の習いということであろう。生臭坊主はいつの世にもいるもよ。美しき女淫の汁は吸うべきものである。啜るものである。そんなことを気にしている時点で前ではないのかもしれない。我を馬といわばこれを馬と言わん。老子である。

心穏やかに毎日を過ごしたい。

2011年10月17日月曜日

夢日記

久しぶりに夢をみた。最近、ここ最近、全く、夢を見ていなかった、というか覚えていなかった。

今日見たものは、大きな彫刻。それも超巨大な彫刻。卒制かなんか、ボディチコ的な、彫刻に光とかあてて、カラフルな、アニメのキャラとか、ものすごくリアルな彫刻。

そんだけ。


ブログはおそらく誰も見ていないだろうから、公開可能な私的メモとして使うことにしよう。それと炎上するようなこともかけるような場にしてしまおうか。

とりわけものすごくリアルなくだらないことを書く場にしてしまおう。


夢日記とかなんとか。

2011年10月14日金曜日

ブログはメモか?

Ulay abramobicchi

Dead in the headcf

Twitterはメモか?フェースブックはメモか?公開するメモ。

ブログはリア充の為の装置であった。ただ誰も見ないし、反応がないからリア充ツールにはかけたわけだ。

今のリア充ツールは明らかにフェースブックである。写真や動画をあげれば、たちまちリア充となるわけである。

簡単にいって、リア充とは他社からの羨望の眼差し獲得である。そうした状態を本人と他社が相互に共有している状態のことをいう。そんな状態である。

ただし、リア充は当人と他社で差異が生じる。他社からの羨望は勝ち得たとしても、家はボロボロといった、ハリウッドドラマのてんけいてきな、お家壊滅状態といったことでは真のリア充ではない。

ただし、他社からの羨望はなくとも、当人が幸せであるのならば、それはそでリア充といってよろしいと個人的には思う。ただ一般的なリア充の定義からは若干ずれる感は否めないにしても。

後者のリア充が遍く社会に共有され得ることを切に願う。

2011年10月12日水曜日

10月12日

美学

ニーチェ、ジンメル、ディルタイ、シューラ、シュペングラー 生の哲学
ヴィンデンバルト、リッケルト、新カント派

表現主義ってなんじゃらほい?

うーん、ーよおわからん、だが面白そうだ。これからしばらくドイツ表現主義について学んでみよう。

いやぁ、わからないことがありるって、しあわせだね。だってこれから知ることのできる喜びを味わえるんだから!\(^o^)/

2011年10月11日火曜日

今宵の月

今宵の月の前でダンスを踊りましょう。

誰も気づかぬこの夜に

ひとりしずかに舞いましょう

明日の月日はないものを

今夜は憂のすすき盛り

だれもが聴かぬ虫の声

誰もが見上げぬ月影に

あぁ、きみしらぬたまうことなかれ

親は、姉は、きみを獣にそだてしや

もののけの姫ならば察してくれるであろう

彼はいかれるや、獣のほがやさしきと

人間はきたなきたなききたななな


明日もまた電車に乗る君、

やさしきこころをうしなって、

臭気を放ち、風薫り

あぁあぁ、やさしき心はいずこへ、いずこへ



月よ、月よ、悲しき月よ。

あなたとともに眠りませう。




ーーーーーだから何度でもいうよ。ぼくの友だちは獣と月と、虫と風だって。

2011年10月7日金曜日

10月6日

蟻のような真社会性生物にコロニーにおける怠け者の存在意義を教えてくれる。仕事量に関する反応閾値に違いがある理由は、仕事の量そのものが変動し、そしてその変化についていく為だという。真社会性生物のコロニーの遺伝的多様性は低い。だが仕事に対する腰の軽さが多様である方が労働がうまく配分されてコロニーが生き延びやすい。なぜなら生物は働き続ける訳にはいかないからだ。つまりみんなが一斉に働くと一斉に疲れてしまう。だが卵の世話のように決して休めない仕事がある。そのため働かない個体を常に含む集団のほうが長い目で見ると存続できる可能性が高いというのだ。「働かないアリに意義がある」

 

セックスの起源、マテルピスキス、3億7500万年前 

NP困難、ミツバチの経路の最短距離測定とか、実現が難しい対象実験 

2011年10月5日水曜日

10月5日

美学特攻 石田

藝術と政治の関わり

1・権力の誇示、修飾 肖像画、ルイ14世

2・修辞的、直喩 フランソワ一世とマニエリスム、カール五世と争う、謎かけ合戦、ブロンズィーノ、フォンテンブロー宮殿


3・暗喩、隠喩 シュレーダー首相の執務室、バゼリッツの絵画

@2思想イデオロギー、神話の浸透

プロパガンダ的、ファシズム、社会的リアリズム

非意図的 ホフマンスタール、ゴットフリートベン、ユンガー、ゲオルゲ
共同体の記憶形成

ヴォディチコ、凱旋門に兵器の映像を映し出す。

コミュニティの形成、活性化、、、クレア・ビショップ,相互主観的な出会いを打ち立てようとこころみている。敵対と関係性の美学、

コラボラトゥール、対独協力者

ドリュ・ラ・ロシェル自殺・ロベール・ブラジヤック処刑銃・リュシアン・リュバテ死刑から無期懲役から出所。
、デスピオ、、福田和也、奇妙な廃墟

アルノ・ブレーカー、ヒトラーの彫刻家。ダイナミックな構図、大胆、力強さ、男性的、パリとヒトラーと私

自分の美の哲学に従ったことが罪なのでしょうか?、、、、、ーそのとおりです!
教会建設の話、私に頼むと被害が、、、みな罪人です。私たちも少なからず協力しました。

藝術と政治の関係性とはなんぞや???それを顕在化させていきませう。

2011年10月4日火曜日

大石膏室占拠占拠 2

続きです。



9月3日藝祭 (~最後分まで)大麻担当
作成者: Shikine Watanabeさん · 最終更新: 約1週間前 · ドキュメントを編集
01:20:00~
内海先生:ま今も同じじゃねぇかみたいなこと言いたくなるんですよ
八谷先生:それを感じられたってことですね
内海先生:それをね、僕は課題とか、進級とかね、卒業とかそのなに、経歴とかっていうシステムの中でね、同じそのシステムが存在して。で内容は徹底的に、戦争画っていうのは無価値なんですよ。で無価値なほうがいいし、無価値でなきゃいけないしね。ただし、結果的に言い訳かもしれないけど、藤田嗣治のような人は、そのサイパン島の最後であったりアッツ島の最後であったりね、でそれはもうもちろん悲惨を描いてますよ。ただ、藤田嗣治については色んな見方があるけどね。やはりこの東京芸大を中心とした日本のその美術界の中でね、戦争画っていう構造が、温存されていたり、あるいは拡大、再生産されていたりっていうね。で多分その現代の戦争画っていう名前が、現代美術じゃないかっていうね。まぁあえてその、毒づいてるっていうか極論言ってるわけですけど、そのぐらいに考えてみないと、現代美術のどこが戦争画なんだみたいな人はね、中々目が覚めないから。少しは考えてみろよっていう。
八谷先生:いつの間にかそういうのが入り込んでしまいがちだっていうことですよね。
内海先生:まつまりその、戦争にあたるものが今で言えば原発であったりね。つまりその状況に対して批判したり、問題意識を持ったり、あるいはそれに代案を持ったりすること自体が、美術の世界で一切許されなくなるわけですよ。でそうするとそれはもう美術じゃなくて、工芸であったり、技術であったりね、まあるいは形だけを技術で教える、そういうなんていうかな、内容はもう入れちゃいけないみたいな言い方ってね、ま今でもあると思うんですけど。だからついでに、あえて言っちゃうと、やっぱりその東京芸大のことだけ批判してればいいわけじゃなくて、僕も一応多摩美ですし、武蔵美とか造形とかね、そういうその日本のいわゆる自称美術大学みたいなとこ。それから音楽大学もそうですよ。それはもう本当に無内容、徹底的な無内容ですよ。形式と、技術だけをとにかくやってればいいっていうね。なんでそういうものが強制されてくるかっていう構図が、まぁ戦争画の大きなシステムが、確実に今、生きてると。だから演劇の世界でも放送の世界でも。特にその放送の世界で言えば、誰もが3月11日以降、よく分かってきたわけでしょ。つまり見えないものが見えてきたわけだからね。だからそこに、電通とか白鷗堂とかね、あ名前出してますけど、隠然とっていうより公然とね、その放送っていうものを完全に統制して、管理してるね、そういった広告産業っていうものが、介在するわけだけど。ま美術の世界で言えば、えー美術界、だから美術館とか、学芸員とかね。要するに公務員ですよ。官僚ですよ。役人ですよ。でこれが今御厨先生のお話と同じようにね、官僚が美術を統制するわけですよ。で1つ1つの作品について、これはイカンとか水飲むなとか写真撮るなっていうのはこないけど、学生のときから育てちゃうわけ。こんなの描いたら落ちるだろうとか、こんなの描いたら芸大受かんないだろうっていうことで、つくっちゃうわけですよ。だから芸大の人がほとんどOBでやってる、いわゆる予備校ね、美術予備校、美術研究所ってものに、大罪がありますよ。こうすれば受かるっていうことで、こんなことやってたら受かんないってことで、芸大の人だったら心あたりのない人いないでしょ。お前こんなの描いてたら受かんないぞと。こういうの描かないと受かんないぞって、「こういうの」っていうのが何かって言えばさ、それが僕はあえて戦争画のことをね、持ち出してる理由ですよ。だから意外に美術評論家の人とか美術ジャーナリズムの人は、門外漢の人が多いんですね。そういうこと、ま戦争画の研究をしてる人は沢山いるけど、今の美術界についてそういうことを言うと多分仕事が来なくなったり、描けなくなったりするからじゃない。大学の先生がそういうことを言うと、ま美術のことね、美術の先生がそういうこと言うと、自分のその仕事とか昇進とかっていうことにやっぱり影響があるんじゃないですか。だから僕はそういうとこにほとんど、直接はね、結びつきはないからこういうことが言えるのかもしれないけど。で色んなとこでこういうこと言ってると、本当に選ばれなくなりますよ。それ自信持って言えるし、それが僕の、誇りっていうと変だけど、自由であるっていうことね。だから僕は芸術を選ぶか自由を選ぶかって、なんか極端なね、問題の立て方だけど、それぐらいに考えてないと、思ったことが自由に言えなくなるところでのね、芸術っていうのは戦争画の問題を考えざるを得ないんですよね。だからこういうもの(ただの石膏)描いてるぶんにはいいわけじゃない。でもこれが例えばさ、なんでしょうね、東京電力の社長がこの馬に乗ってたら、誰だって、やっぱり考えるようになるでしょ。バカじゃないかとかね、なんでこんなもの描かなきゃいけないんだとかね、だからそう思って描いてみたらうまくなるかもしれないですね。だってこいつらは、その時代の東京電力の社長みたいなもんですよ、まちょっと違うけどね。-01:25:10 今風に分かりやすく言えば。ちょっと違うか。。これ、滝先生、ガッタメラ? 解説してもらうとおもしろいね。だから古代ギリシャと古代ローマとルネッサンスが入ってるんですよ。でそこのなんだか男の人だか女の人だかわかんない立派そうな方はですね、菩薩だと思うんだけど。でそっち側のは中国だと思うしね、実におもしろい、西洋東洋日本っていうものが、うまくこういうとこにアレンジされててね、でこれが1つの教養とか文化っていうもので、お前らこういうもの描けみたいなとこで基礎的にやるっていうんだけど、その基礎っていうものを刷り込まれるときに一番勉強しなきゃいけないことが、どうなんでしょうね。今、戦争画の問題から今の美術の問題へね、その技術っていう問題と関係してくると思うんですけど、先端なんかだとわりとそこは自由にやっておられるんでしょ?
八谷先生:先端は、逆になさすぎてちょっと教えたほうがいいんじゃないかって言われることがありますね。
内海先生:いつでも行きますから。ボランティアで行きますんで。
八谷先生:あぁ是非、お願いします。ただ、外部からたくさん先生を呼んで、例えばこの期間内にとにかく100個つくれみたいな、そういうふうな方向での基礎の訓練は多いみたいですね。
内海先生:いやぁ、行ったことあるっていう話さっきしたんですけど、なんかやっぱりそのセンター試験が8割5分とってるとかね、偏差値の秀才みたいのばっかり集めちゃうと、美術の人ってやっぱりその、油(油絵)の人とかにはっきり言っちゃうと悪いけど、全然勉強できなくても絵がうまけりゃいいっていうのは、それもどうかと思うんだけど、今度センターの足切りとかね、8割3分はとれみたいなことで、そこで選択肢をいきなり切っちゃうと、さっき言ったように石膏叩き割って入ったようなモノ派みたいなね、斉藤義重先生みたいな人が、やっぱり誰かそういうことやってないと、偏差値秀才の先端芸術っていうのもちょっと、どうかと
八谷先生:意外と先端、そんな頭いい子いないです。ま1人か2人はいれるようにしてるんですけど。
内海先生:あそうですか。だって、とか言って。
八谷先生:いや、一之瀬君は、割といい子なんですよ。
内海先生:いい子。
八谷先生:割と、あの、なんていうのかな、僕芸大に来て、実はもっと結構色々野蛮な子がいるかと思ったら、意外とマジメで。
内海先生:こういうのなんてどうですかね。(フレッシュな石膏像を指して)
八谷先生:いいんじゃないですかねすごく。いや僕、芸大の子が来て、やってんのかなと思って。
内海先生:いやぁ・・・
八谷先生:違うって聞いてそれにショックみたいなものがありますね。
内海先生:うん、芸大の人はこういうことしないですよ。なぜかっていうと。
一之瀬さん:聞き取り不可
内海先生:おいちょっと、こっちこっち
一之瀬さんフンドシで登場
拍手
一之瀬さん:なんかまぁ、あの、昨日木幡先生に怒られたのは事実なんですけど、あれあんまり凹んじゃうのもね、と思ってちょっと
内海先生:あのー一之瀬くんは昔僕の駿台の論文のとこにいたんですけど、6浪して芸大入ったんですよ。でもうずっと東大受けてたんですけど、その間働いてたりしてたんだけど、で木幡さんのこと紹介して、ちょっとその話して。木幡さんのとこに初めて君が行ったときに
八谷先生:学生から色々聞きましょうよ。昨日それが全然無かったのがちょっと、申し訳なかった
 
一之瀬さん:大学に入ったときに、おもしろい先生全然いないなーと思って、聞き取り不可、それでおもしろい先生いないかなーと思って、そしたら先端に木幡先生っていう先生がいらっしゃって、その先生にこのシンポジウムやりたいんで是非来てくださいって話をして、「あんた芸術なにやりたいの」「あんたの夢はなに?」とか、全て自分の、聞き取り不可、「あんた先端分かってんの」「分かってから芸大つまんないって言いなさい」「知らないのに、そんな知ったふりして言うんじゃない」ってすごい怒られて、聞き取り不可、で「私の教え子はニワトリをファックする」、聞き取り不可、っていう芸術をやってたんだけど、そんなことはもう古いと、聞き取り不可、「だからあたし言ってやったんだよ、ニワトリをファックするんじゃなくて、それよりも、そのあんたが手術されてる映像を、撮って流せばよかったんだよ。」って、聞き取り不可、あーおもしろい先生いるなぁってことで、今回、このシンポジウム、全部
内海先生:チンポジウム。あのー一之瀬呼ぶとこの話をして僕は喜んでいるというね。でもね木幡さんは、そういう、そういう方ですよって言うのはあれですけど、僕らの先輩で、木幡さんに最初に会ったのは、僕らの親友のエイコ&コマっていうね、まぁアメリカで踊ってる人の、公演で、まぁ僕が話持ってって大阪のキリンプラザってとこでやって、でそこで木幡さんに初めてお会いして、でお名前はもちろんよく存じ上げてて、怒りを歌えっていう全共闘の記録映画っていうのを、あの御厨先生とね、対談を、最初の頃やらしていただいた時に、でその怒りを歌えの中に、文徒のなんか出撃拠点かなんか明大だか中央だかの中央って御茶ノ水にあったんですよ、でそこでアンジェラデイビスっていうね、まぁアメリカの革命運動やってる黒人の女性解放の活動家の、通訳をされてたのが多分木幡さんじゃないかなぁと思うんですね。でそれ以来あの、工作舎というところで松岡正剛さんと一緒にライアル・ワトソンの翻訳を始めたりね。それから去年、いや去年じゃない、えーそうですね、スーザン・ソンタグのね、翻訳をされたり、ずっと翻訳や同時通訳の世界でもね、たいへんな方なんですけど、やっぱり田中みんさんとね、白州の芸術祭をずっと続けておられたり、もうあの本当に、僕なんかの先輩として素晴らしい方なんですけど、以前先端で講演やったときには、あんたなんかと話したって考え方ほとんど変わんないんだからおもしろくないじゃないみたいなこと最初に言われちゃってね、まぁ私としては立場がないんですけれども。まぁ木幡さんはすごい先生なんですよ。でその木幡さんを怒らせたっていうのは何やってんだよお前らみたいなね。でもまぁ今日はね、まぁ八谷さんにもお出でいただいて、今日初めてで、お話することができたんですが、どうなんでしょうね今後。まぁ僕先端恐怖症なんで先端って言葉がどうも苦手なんですけども。何が先端なんでしょうね。僕は末端っていうことで、末端肥大症みたいな、そういう感じでも全然アレなんですけど。
八谷先生:実際なんか、カッティングエッジっていうか、そういうまぁこういう意味での先端じゃなくて、英語だとインターメディアって言ってるんで、幅広くなんでも使えみたいな、割と教育としてはそっちのほうですけどね。だからまぁ何か1個で上手になるよりは、とにかく学生の興味とかを広げるほうで、やっていこうっていうスタイルを、まぁ僕まだきて半年なんで、ようやくあぁここはこういう科なんだってわかってきたとこなんですね。
内海先生:僕はあの川俣さんがおられる頃とか、発表とかって見てた時期あるんだけど、もうある時期からもう見なくなっちゃって、はっきり言ってあんまりおもしろくないんですよね。本当のこと言っちゃってごめんなさいね。だけど、んーなんでおもしろくないかっていうと、要するに電気使った作品ばっかりが、電気っていうとあれだけど、コンピューター使った作品ばっかりで、電気がなきゃ何もできねぇじゃんかみたいなね、でその、まぁ電気使ったっていいっていうのはあるけど、あのー映像ばっかりなんですよ。それでどうしてここまでコンピューター使って映像だけやるのかなっていうのがね、だから僕はあのー自説なんだけど、色んなデザイナーなんかとよく話すのはあのーiPhone使ってるやつはだめだっていう話で、要するにね、それはじゃあ携帯使ってるやつはだめだとかパソコン使ってるやつはだめだっていう話は常にあるわけだけど、確実に、大きく変わってきてるのが、僕はもう最後の画家だって自称してるんですけどね、知人(詩人?)はもうとっくに滅びちゃったし、音楽家って呼ばれる人ももうほとんど滅びかけてて、僕さっき初音ミクっていうの見てて、最初アダルト女優だと思ってたんですけどね、あのー誰でもできる作曲っていうことになってくると、音楽のほうでも深刻な変化っていうのがやっぱりあってね、それが先端のほうで映像、、でもそうとも言えないんですか?最近。
八谷先生:最近は、藤幡正樹さんっていうまぁ僕らのメディアアートの世界で大家の方がいらした時は、そういう作品多かったみたいですけど。逆に今少なくなりすぎたから僕が入ってきたみたいのはあるみたい。でも僕自身はああいうガイガーカウンターみたいのも作りますけど作品としてはもうちょっと、やっぱり電気ないとダメっていうのはいやなんで、ジェットエンジンとか、そういうのが使いたくて、飛行機作ってたりとか
内海先生:八谷さん飛行機作ってるんだね、おもしろいですよねぇ。
八谷先生:やっぱりあのーなんていうんですかね、アートの世界でないとできないことを、やっぱりやったほうがいいじゃないですか。っていうのと、あとはやっぱりジェットエンジンみたいのを扱うのに、こうなんていうんですかね、工学的なところだけで作っててもおもしろいもんにはならないんですけど、そういう技術とかが普及してたときに、普及の初期に必ず変なモノができるんですね。まぁ飛行機もそうですけど、飛行機って今普通の形になっちゃってますけど、えっとー1900年のライト兄弟が飛んだあとの10年間ぐらいは色んな形の飛行機が作られて、まぁさっきちょっと図で見せてたんですけど、手作りの飛行機が本当にいっぱい飛んでまぁいっぱい墜落してたんですけど、そういう世界の豊かさみたいのがあって、そこを今もう一回つくるってことができるんじゃないかな、と思って、やって
内海先生:じゃあ映像から、だんだんこう飛行機からロケットっていうのはなれるですかね。
八谷先生:そうですね、行けないところに行くとか。あとはやっぱり、なんて言うんですかね、国家に全部握られてるのが嫌なんですよね。技術はもともともうちょっとニュートラルなものだと思ってるんで、飛行機にしたってロケットにしたって、夜空を眺めてあそこまで行ってみたいとかあそこに宇宙人がいるんだったら会いたいっていうところから本当はスタートしなきゃいけないんじゃないかと思って。それで国家プロジェクトになっていくとなんでもそうですけど、まぁさっきの水飲むなって話もそうですけど、何かを守ろうとどんどんしてきちゃうんですよね。でそうするうちに、本来の趣旨を忘れちゃうっていうか。例えばここでゲストが水飲めないのも明らかにヘンだし、水飲めなくて倒れちゃうみたいのはもう明らかにおかしいんだけど、どうしてもなんか、何かをどんどんどんどん守ろうとしてしまって、保守化してしまう。でそれに対抗できるのって実は、アートしか、ひょっとしたらないんじゃないかと思っていて。ですから生徒もできればそういうのにやってほしいんだけど、さっき、だから僕さきほど現代美術と戦争画の関連聞いたときにやっぱり確かに、現代美術としてこう、教育の結果としてできちゃった現代美術っていうのができつつあると思うんですね。でそれが、そう見えるのがあったとしたらそれはやっぱりそれは教員の責任っていうか、教育方法を、なんか考えたほうがいいのかもしれないと思って。ですんで今日のお話は僕にとってすごい、なんていうんですかね、こう、参考になりましたし、実になる話ばっかりでした。
内海先生:僕なんかあのー、どこ行っても警戒されてね、学祭行くと、大体、今日はこれでも割と自由なほうなんですよ、いつもね尾行がつくんですよ。で一応ね、
八谷先生:公安とかのですか。
内海先生:なんかね、いやぁ後ろから学生がついてくんのね。で一回慶応の三田祭行ったときにね、僕の後ろをトランシーバー持った学生が、「今、内海は焼きソバ食ってます」とかなんか、でずーっとね、慶応出るまでずーっと後ろついてきてなんか言ってるんですよ。文句あんのか、みたいなね。一応、俺は中退だけど、先輩に失礼じゃないかみたいな、「いや、厳重に監視しろと言われてますんで」って。何を監視してんだかよく分かんないけどね。それがね、学祭っていうのは、部外者がこれだけ入ってくることはないから、色々その守りになるのもわかんないではないけど、まぁやっぱりそのーお客さん呼んだ家ってその家の本性が出ちゃうみたいなね。んーつまり、ボロ隠しみたいなね。絨毯の下がホコリいれてみたいな。多分見られたくないもんがあるわけでしょ。でその見られたくないもんっていうのは、まぁ職員の人の話はもう、バカバカしいからもういいけどさ、やっぱり学生もそうだし大学の先生も多分そのね、惰性で動いてるもんに対してね、学祭っていうのは唯一それを変える1つのきっかけでもあって、そういうのをうまく生かしたようなね、学祭って結構昔はね、こまほさい(?)とかって、五月祭とかって、結構ありましたよね。
御厨先生:ありましたね昔はね。
内海先生:先生の頃とかってやっぱり
御厨先生:いやぁもう僕らの頃は、とめてくれるのはおっかさんよりすぐ後ですからね、より管理が厳しかった時代だと思いますね。それであのー今もう1つ思い出したんで、その水飲めない、写真写さない、っていう問題ね。これね、1つおもしろいのは写真を、到底こんなところでは許されないであろうというところが、実は許してるところが観光コースであるのね。これはね、皇居の中です。
八谷先生:えっ、どこですか。
御厨先生:皇居の中です。皇居の中に、要するにあの皇居の一般観光コースっていうのがあるんですよ。これはあの申し込んどいて行くと、最初に入るときはもう厳重にですね、身体検査されて、それで入るわけですね。それで、みんなね、並んで、ちゃんとね、あのー4列か5列に並ばされるんですよ。並んで、間隔を均等に置いて、歩いて行くというわけ。すさまじいやり方をやってたんです。で、もちろん写真なんか撮っちゃいけない。ところが、僕がしばらく経って行ってみたら、みんな並ばない。いや並べって言ってるんですよ、並ばない。それからみんな勝手に写真を撮っている。で、どうしてそうなったのか、わかったんです。つまり外国人が主たる勢力になったんです。そうすると外国人は、観光コースと言って見せておいて、写真をね、その撮るなっていうのはね、どういうことっていうことを、多分言ったし、それからおそらく無視してどんどん写しだした。そしたら、その管理をしている人、これが、実は英語がしゃべれない。英語がわからない。だから、その人が唯一そこで叫んでいたのがなにかっていうと、sorry sorry って言うんですよ。Sorry っていうのはてめぇが謝ってるんだろうと。そうじゃなくて、お前たちが変なことしてるからsorryだと言ってるわけね。これがねぇ、本当にもう、ブラックユーモアみたいな話ですけども、結局外国人が、入り込むことによって、日本のそういう古い慣習が破られちゃった。事実上だから今は、カメラで、全部写せるんです。それから、彼らにさ、大体外国人は、並べって言ったって並びませんからね。なんだそれはっていう話ですから。それでみんな、それでどんどん入っていってね、入っちゃいけないとこまで多少入るんですよ。ところが、それをとめる言葉を彼らは知らないから、彼らに対しては何も言わず、で日本人がついでにそこ行くと、「だめだお前!そこは入れない。」とか日本語では言うんですけども、あのー僕ら無視してましたけどね、あのーそういうことがあって。多分だから、どういうその、因習されたところであってもね、これを解くカギは、また外圧かって話になりますけどね、外国人っていうのはね、やっぱりその今、グローバルスタンダードの時代ですからね、自分達のスタンダードに合わないことを行うっていうのは変だと思うから、そこでね、壊れていく。多分あのー、で僕はその時に言ったんです。だったら外国人の衛視をつければいいじゃないかと。そしたら、「それをやったら、自分達はクビになる」と。だから英語が出来る人なんかきてもらったら困るんだと。で英語が出来る人が勝手にそのしゃべってると、自分達は疎外感を味わう、泣きいれてましたよ。自分達は要するにもうね、60越えてね、こんなことをやってるんだから、これで職を奪われたらお終いだと、いう話になって、あぁそうかと思ったんですが。あのー変な話ですけどそういうことで、規則が破られていくとか。びっくりですよ今、皇居行って。みんななんでも 聞き取り不可
八谷先生:報道についても、例えば、日本で報道されてないことがアメリカとかドイツで報道されて、それがyoutubeに流れてきて日本人が知るみたいなことはよくありますよね。そこは僕すごく、インターネットとかが果たしたいい役割だとは思うんですけど。
御厨先生:だと思います。だからそれで言うと、今回だって3.11のあの津波の画像というのは、3.11の、まさに現場で写した写真があの夜だけは、本当に、こんな場面もっていうぐらいに全部出たのが、翌日からもう規制ですから。つまり津波の映像っていうのも、全部テレビの規制を通って、あんまりすごいやつは絶対出さないようにした。でところがそれはその、外国のほうは全然平気ですから、おっしゃるように。向こうを回って向こうからそういう映像が入ってくるんですね。だから、今我々がおそらく、内海さん的な言葉の中で言うと、テレビで繰り返し繰り返し出てる、その3.11後の映像っていうのは、かなりメディアっていうかテレビ局が自分達でこさえて、その見せたいものだけを見せてるっていう映像になってることは間違いないですね。-01:43:37
内海先生:あのー、2週ぐらい前にね、学生と一緒にアテネにいたんですよ。でアテネって、日本じゃギリシャって言いますけど、ギリシャ。ギリシャに行くっていっただけで、「危ない」とかね「危険」だとかって、結構言われたんですよ。で自分も、そうなのかなって思わないこともないけど、日本のほうがはるかに危ねぇだろと。それからギリシャ、アテネは今学生がね、石投げたり火炎瓶投げたりしてるから。まぁ芸大じゃ哺乳瓶も飛ばないというね。アテネ危ないって言われるわけですよね。で危ないって言われるとちょっと行ってみたくなるし、なにが危ないのかと思って
八谷先生:さすが・・・
内海先生:いや、本当そうなんですよ。僕は常にそうやって動いてるから。人が危ないって言ってるのが何が危ないのかっていうね。日本のほうがはるかに危ないっていうのを、置いておいてもね、で行ってみたんですよ。どうだった?遠野くんおとなしいけど、どうだった? 聞き取り不可
高木さん:いやぁ、スラム街みたいなとこでしたね。まぁでも人は活気があって、すごいおもしろかったですね。
内海先生:しゃべるんだよね。アテネがね、何が危ないんだって、彼高校生ですけど、どうだった?
田中さん:いや、危ないっていうか、日本のほうが危ない。
内海先生:彼は高校生なんですけど、あのータクシーの助手席に乗って、ちゃんと、まぁちゃんとって高校生だから当たり前なんだけど、英語でね、最も危険な地域に連れてってくれって言うわけですよ。そうすると、なんか見覚えのある風景で、なんのことはない俺らが泊まってるホテルの前なんですよね。最も危険な通りを案内してくれって行ったら、前の晩学生20人連れて歩いた通りをタクシーが通るわけですよ。で最も危ない地点に最後、そこで降ろしてくれって言ったらホテルの前で降りたというね。で何が危ないかって言ったら何も危ないことはなくて、だからそれは危ないと思ってるのが、ギリシャ政府であったり、ギリシャの警察であったりね。でよく見てると公園で、若者が2人座ってると、公安警察が来て「出てけ」と。なにしてんだと。それでお金持ちの、ブルジョワの、お父さんが犬連れてそこに座ってるわけですよ。それからブルジョワのマダムが、ソーセージみたいな犬連れて、そこで1人で座ってるわけですよ。だからそういうのを見てると、あぁなるほどと。でもテレビの映像とか、ニュースを見てると、ある場面だけが切り取られてね、アテネはこんな危険なことになってるんだと。で、日本人の人がよく言う言葉に「治安」っていう言葉があんのね。平気で地球の歩き方持った人が、治安が悪いって言うんですよ。だけど3.11後におそらく予想されることの中に、関東大震災の直後に治安維持法っていうのがあって、でその治安維持っていうのがね、治安が良かったのかって、治安がいいっていうことが、治安が維持されてるってことであれば、僕はその治安がいいっていう言葉にすごい抵抗があって、治安が悪いっていうのをね、必ず地球の歩き方持った観光客面した人が、ここは治安が悪いから気をつけたほうがいいって言い方を平気でするわけですよ。で僕はそこは徹底してるんで、治安がいいとか治安が悪いっていうことはね、治安が悪いっていうと必ず、西アジア系の人がいるとか北アフリカ系の人がいるって。もう最後だっていうから言いたいけど、チュニジアや、エジプトや、リビアが治安が悪いんですか?違うだろって。あんたたちと同じぐらいの若者が本当に命かけてさ、自分の子供たちや自分の同胞のためにさ、本気で、モノを言って、本気で、自分の魂をかけてさ、本気で行動してんじゃん。それが何が治安が悪いんだってさ。だから今リビア行くっていったら危ないとかね、エジプトに行くって言ったらまだやめたほうがいいとか、チュニジアに行くっていったら、それは危ないとか。危ないのはお前らだろうみたいなね。だからそれが、治安がいいとか悪いってことを平気で言う、だから日本の人っていうのは観光客になっちゃうんですよ。常に自分とは外在的にある、あることをね、写真撮ったり、それを楽しもうとして見てたり。楽しむことじゃないでしょ生きるってことはね。だからそういうことを今回一緒にW.S.行った人は見てきたんだけど、アテネで見たことっていうのは、本当にその活き活きとしたね、若い人たちのグラフィティであったり、それから若い人たちはバンクシーは好きだとかバンクシーはいいっていうけど、お前がバンクシーやってみろよ芸大生みたいなね。だからバンクシーをやれば、それは必ず、リスクがあるわけでしょ。捕まるかもしれないし。捕まったほうがいいと思うんだけどね1回ぐらいはね。僕もパトカーに乗せられたことあるけど反対側のドアから逃げましたけどね。いやぁやっぱりね、捕まるぐらいのことはしたほうがいいと思うよ。アーティストだったら。あんたたちの先輩でハイレッドセンターの高松さんだって教授やってたし、赤瀬川さんだってそうだし、中西さんなんかもそうだけど、60年代のね、アーティストって捕まることをしてたんだよ。多分そこに白い絵の具がついたからって怒られるんだろうけど、上野の駅からペタペタペタペタ足跡つけてここまできたのがさ、高松さんたちだよ。それペンキでペタペタペタペタやって、逮捕されたからってそれがなんなんだよ。山手線に包帯まいて、ぐるぐる巻きになって銀座通りでね、銀座通りの交差点のど真ん中でセックスの形やってたんだよあの人たちは。それで逮捕されたからって、美術評論家やさ、美術史を大学で研究してる人はさ、教室でそのことを、過去のことだと思ってさ、現在と切り離して教えるなよって言いたいよね。今やったらなんでそれが犯罪だとか危ないとかって言って、過去にあったことは素晴らしいとかさ、大学の先生になったら、昔はこういうことやったもんだっていうふうにどうして言えるんだろうか。今そういうことを学生にさせんのがさ、作家だろう芸術家だろうって俺は思うんだけどね。だからまぁあのー、初めて会って八谷さんに言ってるんじゃないですよ、八谷さん個人に言ってるわけじゃないけどね。まぁこういうことを、言えるだけまだ、芸大にはね、自由の最後のね、「最後の授業」っていう映画が昔ありましたけどね、本当にこういうことをいつまで言ってられんだろうっていうことになるし、まぁみなさんがこれから、まぁ大学受験する人今日結構多いんですよ。これから大学受けようっていう人がね。だから、自分が受ける大学の基準を、偏差値だの成績だのね、何倍だのって言ってないで、自由が本当に実現できてさ、自由に自分がやろうとしてることを本当に、やらしてもらえるんじゃなくて、そりゃ圧力があったりさ、色んなことを言ってくるやつはいるよ。イヤホンさして写真撮るなとか水飲むなって言ってるほうが楽なんだからそれは。そいつら給料もらってるから言ってるんだろ。だけど、そんなもんに言わせないだけのことをすりゃいいんだよ本当に。やってみろってまず。やってみることでさ、状況が変わるんだしさ、やってみたことでさ、写真撮るなって言われたって、撮っちまえばいいんだよそんなものは。何が減るんだよ。写真撮ると石膏が減るのか。いや途中から来る人がいるとすぐアピールしちゃうもんで、すいませんどうも。一之瀬、退学にはならないだろ?
一之瀬さん:大丈夫ですよこのぐらい。
内海先生:これで退学になるんだったらね、本当にもう、全体主義もいいとこだよね。でもちょっと全体主義に近いものはありますね。僕あのポーランドに行って、共産主義の名残みたいのがすごくまだ感じたんですけど、すごくこう・・・あ、先生何か。
御厨先生:そろそろ。いや、あのー今日は大変楽しませていただきました。やっぱりあのー色んなハプニングがないと、こういう催しっておもしろくなくて、えーまぁ私も水を飲むなと言われたときは非常に驚きましたけども。なんで本当に、飲んじゃいけないのかっていうのは、ついにわからず。本当は、ここにいる、それをやっちゃいけないと言う職員の人に聞いてみたいぐらい、なぜ水を飲んだらいけないのか。おそらく、それはきっと内規にあるんでしょうね。あるいは内規にないのかもしれない。だけども、そういうことで、逆に非人間的な扱いを受けることはあるんだなーということをすごく実感し、と同時に、私さっき言いましたようにやっぱり、そういうことを言ってる、その職員の人ともですね、なんかやっぱり、言葉でつながっていきたいっていう気はするんですよ。つまりそういう人たちと、やっぱり議論したいなという気はするし、でおそらく嫌でしょうね。おっしゃるように、それは給料もらってるんだからやってるんで、そんなことまで考えたくないということかもしれないけれど、でもやっぱりそれをやらないと、我々の日常っていうのは、だんだんだんだん色んなことで狭まってることは、私も元々保守的な人間ですけどもそういうことをつくづく感じますので。また、こういうチャンスが合えば、まぁ内海さんには大体色んなところに引っ張り出されるんですけども、あのー内海さんが持っている世界、宇宙っていうのは中々おもしろい。まぁ今日なんか、あれですよね、爆発が弱かったほうですよね。もっとすごい爆発するところをよく見てますので、えーまた、まぁ今日はちょっと暑さのせいでこうなったのかもしれませんので、えー彼とのそういう、また新たなる出会いをですね、またいつか実現したいと思いますし、今日はこれだけの多くの方に、みんな若いんですよね、えー聞いていただいて嬉かったと思いますし、是非是非何か言いたいことがあったらまた、僕の東京大学の先端研のホームページを見ていただくと、そこにアクセスできるようになってますから。あのときにいた学生だ、あるいは生徒だということで、何か言っていただければ、ご返事を差し上げたいと思います。今日は本当にどうもありがとうございました。
一之瀬さん:聞き取り不可 を出すと、本当に何にも知らない人でも本当に返してくれる先生なんで、本当に送ってみたら、本当に返信が送られてくるので。はい、じゃあ先生。
八谷先生:あ、僕ですか。えっとー多分水飲むなの件に関しては、実際デッサン中に持ち込み、飲食持ち込むなってことだとおもうんですけど、僕はちょっとここ使ったことないんでよくわかんないんですけど、それがどんな状況でも適応される状況っていうのはやっぱり明らかにおかしいんで、それに関しては今日は本当に、それをきっかけにですけど、おもしろい議論ができたと思います。あと僕御厨先生にお礼を言いたいんですけど、御厨先生っていっても東大のほうの話なんですけど 、さっきのあのガイガーカウンターのW.S.やったときに、鉛のブロックとかを、早野龍五先生って人が、早野さんがすごくやっぱりこう、なんていうんですかね、正確で中立的なツイートを沢山されてて、早野さんも来ていただいて、お顔は出されてなかったんですけど、ご協力をいただいて、鉛のブロックをすごく大量に運ぶ必要があるんですよああいうのやるとき。でそれを、持ち出していいのかわかんないけど、早野さんがこれ使ってって持って来てくださったりとかして、だからそういうルールを逸脱する、状況に応じてちゃんと逸脱するっていうのが大事だと思うんですけど、そういうことをちゃんと判断できる方が東大にいらして、研究室の人も手伝ってくれてっていうのがすごくありがたかったので、まぁあまり表に出せない話ですけど、すごく東大にはそのときお世話になったんで、今改めてお礼を申し上げたいと思います。あと内海先生も、もう本当に今日は、おもしろい話になったと思います。なんか僕のほうから見ると光が射してきて、本当に。怒ってらっしゃるときには雨が降ってるし、すごくいい演出を、照明を、天がしてくれて。あのーいい内容になったと思います。これ、内海先生のおかげだと思いますんで、僕もちょっと昨日ね、今日来るってこと決めて、どうなるんだろうかとか、ここもきてやったことないしと思ってたんですけど、本当にありがとうございました。お客様もどうもありがとうございました。
内海先生:あのー最後にね、この企画なんですけど、一之瀬くんが3日間僕にしゃべれって最初言ってきたのね。で、いくらなんでもそれは、まぁそのープラトンも狂気っていうのは神につながるナントカみたいな、って言ってるんですけど、3日はないだろっていうんだけど、まぁ3日やればよかったなって思うんだけど、まぁただ彼は、この企画を通すんで、本当に退学覚悟でやるって言って、で僕がやっぱり許せないなって思うのは、他の主催者の奴らだよね。全部そのー一之瀬にこういうのをおっつけてね、リスクを彼におっつけて、であとの企画者面した奴らは出て来もしないしね、結局怖くて出て来れもしないんだろうけど。だから芸大の人がここにいるんだったら、彼を孤立させるなよ。いい。先駆者を、もっと大事にしろよ。それから、責任引き受けてやってる人間は、恥ずかしいと重いなよ。企画っていうものをやるっていうのはね、そういうことなんだよ。だから単なる模擬店出してるのと違って、これだけリスク引き受けて企画やったやつをもっと支えなきゃだめだよ。それから参加者もそうだし、単にお客面して聞いてんじゃなくてさ、一之瀬がこれで、仮にだよ、仮にだよ、仮にでも、停学処分を受けるようなことがあるんだったら、そういうことをさ、させちゃいけないよ絶対。で俺は、そういうことが一番大事なことだと思うのね。ね、そう思わない。石膏もそう言ってるよ。でね、石膏室でこういう企画やるっていうのはね、石膏室に俺を入れるっていうのはそりゃかなりのリスクだと思うよ。だけど俺が、こんなものハンマーで割るわけねぇだろみたいな、こんなもの割ったってしょうがないでしょ。ただ心の中でこんなものをぶち壊すことを40年やってるわけだからさ、だからまぁその石膏室でね、この話を実現したっていう一之瀬にみんなで拍手してやってください。
(拍手)
馬に乗っちゃえよお前。
じゃあ、どうもみなさんありがとうございました。



藝大のみならず、各大学、各組織、各家族、各人間が共に世界を変えることに繋がりますように。



少しでも多くのひとが超人たらんことを!!!

藝祭 大石膏室占拠!!! 1

藝祭から一ヶ月たちました。遅ればせながら内容を公開致します。文字起こしをしてくれた内海組の熱い奴らにに感謝します。


(0:00)(八谷先生)・・・・というのがあるので、なるべくそこをわかりやすく、伝えようと思って。例えば放射能が放射性物質と放射線まで上がるときにどうやって   いいかなと思って、文章なら、見た目が一番わかり安いんですね。僕もちっちゃい子供が居て、六歳の娘なんですけど、彼女がやっぱりテレビなど見て不安になる。あるいはそのちっちゃな子のお母さんが不安になる。で、そういう人たちに対してなるべくわかりやすい、わからないと凄い怖いので、それに対して、過度に恐れるのも良くないと思うんですけれど、正体をなるべくわかるようにやらな   でそれが定説になって、  アニメーションが出来て、これ僕が作ったわけじゃなんですけど「おなかがいたくなった原発くん」てアニメーションが出来たりしました。でニコニコなんですけど、この  を見て、アニメーション作りたいとか、放射能測定について、でそれを   でアニメに作った。そんな感じですごくいろんな人が、何でしょう、民間の人はそれぞれ原発に限らず  なんですけど、  。ちょっとこれが日本語版とかyoutubeで発売されて?英語版はこれ以上で、やっぱ海外でも福島がどういう状況か全然わからないで、しかもやっぱりこの状況が説明されてもよくわからないで、非常に沢山  されたときに、あと派生でフランス語版とか中国版とか  語版とか  しました、これが  ドイツで原爆のが来たりとかいろいろ面白いのがありますけど、そのとき持っていたは、被るんですけど、  のサイエンスコミュニケーション、サイエンスコミュニケーターという人とか、あるいは科学技術社会論みたいなもの、まぁ人間の中サイエンティストやエンジニアじゃないんだけど、その活動を世の中に広めるために、うまく伝えていこうという動きがここ10年ぐらいあったんですけど。そういう人たちってやっぱ最初、初動が出来なかったんですよね。これは僕が考えるまぁ正しいかどうか  ですけど、僕が考えるそういう方達ってのは正しい事をすごく言わなきゃだめだっていう印象があって、間違ったのを言うのもまぁ確かに良くない事なのですけれども、でもそうじゃなくて今例えば何かものすごくわかりにくい  に対してそういうサイエンスコミュニケーターとか科学技術社会論に当たるところを、  することができるんじゃないかってのを、  で、この活動をやったりしてました。あの僕  として、避難するかどうかとかすごく切実な問題なんですけど、じゃあとの位の、毎年  避難するのかっていうのを やっぱり立場によって違うと思うんですね。おじいちゃんおばあちゃんの方が避難    小さい子  それこそそういうことをしたりしてました。でこういうのをやってぐうちに段々、まぁ先生としてもですけれども、不安まみれなんですね。例えば僕は上野近辺、東京  もう問題は無いと思っているのですけど、一方で取手って言う先端藝術表現科という  がありまして、それで校舎が取手なんです。上野から行くと、原発に近いのもありますし、あとホットスポット  だいたい    取手はこの辺りでけっこう近くって、でガイガーカウンター何かを作ってこれ表示されるガイガーカウンターを自動にツイートするのがありまして、これ実際    にツイッターで、(5:00)ここでみてると当初0.14ぐらいで   若干下がって来てるかなってのがありますけど、で、こういうことやってるとまた   の人に   機会  放射線をはかる人達がでてきたので新しい  そこの方達と、防疫研究機構というのが筑波に、そこの方達と一緒にやったりしました。でこれがガイガーカウンターで機種ごとに、ガイガーカウンターって本当にいろいろあってですね、全然これ計れてないんじゃないのとかあるんですけど、まとめるのが結構  とか、あと   普通に先生と  してます。でこれが  って漫画の方がいるんですけど、あとこれは無料提案して、なんですけど、ノーギャラで、まぁ僕もノーギャラですけど、全員がノーギャラで、放射線を皆がはかることによって助かるものであって、ただその  失敗を皆でやろうねってそういう  でした。で、あとはまぁガイガカウンターをやりながら  で今これポケットガイガーってのが出てまして、3500円のすごい安いやつなんですけど、これの、プロモーションを皆さんで作って頂いて?何が言いたかったかって言うと飛行機作ったりロケット作ったり、してますけど、まず原子力もそうなんですけど、これらは国家ぐるみでで国家が独占的に入るんですね。でこれはーあーのー  飛行機っていうのは、民間の飛行機が無くって、   つまり飛行機が日本で作れないことになっていて、何でそういうことになっちゃったのかってまあちょっと今見にくくて  。えっと、これ比べてみると、ボリュームが全然違うってのもわかるんですけど、第二次大戦後に作られている飛行機と第二次大戦前に作られてる飛行機と、第二次大戦前の圧倒的の年数で言うと  二倍ぐらい長いんですけど、やっぱり細長くなっていくと右側が膨らんで、ちょっと短い方が  でそうするとやっぱりその技術が正しいかどうかに対しての批評が出てくる。  たぶん藝術学科から来てると思うので、一番言いたかったのがこれで、でーまぁ技術が  とか言いたくて?でまぁ確かに技術は  ですけど、やっぱり飛行機作らなきゃなで、同様にいろんなジャンルが大事なんですね。これ例えば本田が、アメリカで開発している。ホンダのGNTとか  やっぱなんでアメリカがやっているかっていうと、   だから。実際にアメリカが  同時にやっぱり原子力を、今原発に頼っちゃダメってなってますけど。その辺やっぱりアメリカと比べて非常に軍事産業やっぱり  これやってるんですけど、日本は変に  だけマネした で、すみません飛ばしますけど福島政府コウカンについて説明しますけど、僕はいま大学  、この間福島大学に呼ばれてたんですけど、やっぱ福島の人達は非常に見捨てられてる感が何となくは   、じゃどうしたらいいのかってのは、国から県  、でそういうときに僕ら   あるんですけど福島成功させるために、マイナスイメージをプラスイメージに変えることが大事なんじゃないかって思う、これは僕に        ゴミ処理場みたいな、ただそれにしてもカッコいい   のそれもあるんですけど、(10:00)ロケットの   その中にプレスコードなんですけど、例えばなんですね、周辺のエリア   ないんですね。ただここを    この場所をなるべくコジ    します、でえっとーさっきも映像見せましたけど結構  いろいろな条件があって、東側が海になってて、漁業権ってとか、漁業って、  してたりとか  たりとかとか  たりとかあるんですけど、ひっくるめるとそれは全部   で、プラスの考え方で福島の  に使っていただける  します。この間   なぜ言ったかというと、イラク戦争があってイラク戦争で状況というのが  ナウシカが   してますけど、ますます最近野田さんが  と思うんですけど。もうなんかあの人よりはナウシカとか  とかいいんじゃないかと思っていて、でまぁ、  社会保障においてもキャラクラシーという概念と言ってて、要する人間じゃない人を第一におして、   逆にこういう若い人達の考え方を、若い人たちが逆に支援していって例えば、  どれだけなるべく日本を良くしたり、  で例えばコスプレの模擬店が出ていたりしてますけど、そこに何というか、人間じゃない人を大事にするというでかい   日本  原子力を考える関して、    しましょう、じゃあ、はい、これで私のを終わりにします。ではどうもご清聴ありがとうございました。
 
 
 
 
 
御厨貴先生
(12:36)はいうん、えーっと御厨です。今日は何をお話しようかと思ってきました。で基本的にはですねぇ、今の話とは多分ちょっと違うお話になると思いますが。あのー、一番3・11があって感じたこと、というのは、まあとにかく、世の中ってのが、あの要するに地震と津波とそして原発で、こんなにも変わるのかって言う印象でした。
で半年たちました。もうじき9月11日で、3・11から本当に半年経つのですが、半年経って今感じていることは、急速に、実は3:11で皆がいろんな事を感じて、そして、世の中こういう風にしなければいけないとか、いろんなことを思ったはず、であるいはこれまで日本社会が変わってなかった部分が変わってくるんじゃないかな、と皆が思っていた事が、こんなにも早く色褪せて来るのかと言うのが、僕の正直な感想です。
つまり人間ってのはですね、どうしても元々あった考え方に戻りやすい。それで考えたほうが楽ですから、そうするとそこに戻って行くという感じがあって、何か新しい事をやろうとか何とか思っていても、いつの間にかそこが風化していく。でもちろん今、その東日本の震災、そして原発そして津波の被害にあった、そういう地域の人達は、当然どう克服するとかと言うことで、一生懸命やってますから、それは少しも色褪せないんですけれど、そうではない地域にいる人達の感覚というのがが急速に色褪せて行くって言うことを急速に感じています。
これは、やっぱり難しい事でですね、で昨日、喫緊のことで昨日野田新内閣が発足をしました。で組閣の風景と言うのをテレビでもやっていたと思いますが。あれを見たときに僕は、あ、と思ったのですね。つまりこれは何かーデジャヴー。(15:00)どっかでみた風景だなぁと。なんだと思いますか?かつて自民党内閣が組閣をする時ってこんな風景たっだなぁ。
つまり、民主党政権になって三代目ですよ。初代、二代の時にはその組閣に意外な面白さがあった。つまり閣僚経験者もまだほとんどいないわけですから、そこに起用される人達について、何々大臣をやりましたとか、副大臣をやりましたという話がなかった。今回は、そんな話ばかりです。そして、同時にそれが何々グループに所属している。そして、滞貨一掃と称して、この前だったらとてもじゃないけど入閣出来なかった人が、すべて、その組閣の方法、発表、全部がですね、我々がもうあまり見たくないなーと思っていたあの自民党内閣の時のこのやり方に極めてよく似ている、そしてまた報道の仕方がそれで安心をしている。
我々がよく見ているその新聞報道、ま、テレビもそうですけども、これもしばらく自分達がこう報道したい、あるいは自分達が新しい政治にどういう風に接して行ったらいいのかってのがわかんなんなかった。ところが、今回、あ、前と同じに報道すればいいんだと言うことで、みんな安心した。今回のあの紙面が皆安心していて、そして野田さんみたいな、あーゆー、僕はあるラジオに出たときに、「野田さんってどういう人でしょうかね」と言われた時に、ま、鳩山さんが宇宙人で管さんが運動家であるならば、この野田さんって人は木綿の手触りであると、ですからこれでくるっくるっと何か、包まって、包めてもらえば一番いいという感じではないでしょうかと言ったのですが、それはかなり当たっていて、どの新聞も、この内閣は挙党一致だ、挙党体制だ、要するに総理大臣自身には、リーダーシップが無いいうことをと安心して書いている。
これはちょっと前と違うんですよ。ちょっと前に新聞が言ってた事、そして多くの記者が言ってたことは、「なぜ総理大臣にリーダーシップがないのか。リーダーシップを持って決断せよ。」と言っていたのに、やっぱ本当は嫌なんです。だからあーゆー総理が出てきたらね安心する。そして挙党体制じゃないと、ぐんぐん引っ張って行くためには、そう片肺飛行?でもいいから、それで頑張って内閣を作って行けばよいという主張を多くの新聞がしていた。ところが今やそうではない。小沢さんまで入れた、挙党一致がいいんだという話になっている。これ全部、実は戦後的思考です。
で僕は、今回の3・11の地震があったときに、かなり早い段階でこれで、『「戦後」が終わり、「災後」が始まる』、サイゴのサイは、震災の災です。「災後」のはじまりという文章を書きました。「戦後」が終わって「災後」が始まる。そこで、新しく皆が決断して何かをやるんだろうという風に期待したのですが、それが今もとに戻っていると言うそういう現象があります。
元の方が楽なんです。そこに戻った方が思考の上でも何でも安心する。だからそこでその東日本大震災にあった地域とそれからそうでない所の、おそらく、思考上の格差ってのがこれからもっともっと、進んで行くんだと言う気がしていて、そこにどうやって橋をかけたらいいのかと言うのが、僕らの考えなければいけない事だ、と言う風に思っています。
 
で、それを最初の前振りにしておいて言いますと、私は3・11の後、4月から6月の終わりまで、政府の復興構想会議という、まぁ復興の提言をするための審議会ですね、それの委員まぁ議長代理を務めたわけですけど。で、その結果実は6月の末に、今日ここにもって来ていますが、「復興への提言~悲惨のなかの希望~」と言う、こういう冊子を政府で作りました。
でこれは一般のと言いますか、これまで普通の審議会のあれとは違うのですね。みんなだいたい活字だけで、しかも本当につまらない、読んで欲しくない風に書くのが、普通、審議会の報告書ですが、それでは困るというので我々随分工夫しました。で、これは、今官房のHPにアクセスをして頂きますと、そこでも見る事が出来ますけれども。この冊子の形にするときに僕が、一応あそこの起草委員でしたから。(20:00)起草私だけでやりましたから。その時に皆さんに言ったのが、出来る限りこれは絵本のようなスタイルにしたい。つまり図表や、それから模式図のような物と文章とが、対等とは言わないけれどもそれがいっぱい入っていて、みんなが手に取ったときに一体復興のために何をしたらいいのかと言うのが具体的にわかるような、そういう提言書にしようよねってのがひとつありました。
それから、もうひとつは文章を易しくしたい。これはもう、この中でも文章易しく出来なかったところ実はあります。でも出来るだけとにかく、官僚用語は止めよう。一読して何言っているのかさっぱりわからないという文章はやめようと言うことで、ここから追放したのはいくつかありますが、最近の政府の用語に多いのはのはカタカナ語です。つまりカタカナで言うとなんとなくわかった様な気になる。それを全部削除して行きました。どうしてもカタカナを使わなくちゃいけない時には、そこに日本語で解説をつけました。日本語で、って変ですね。どっちも日本語なんだけども、要は漢字カタカナ平仮名が混じった文章でそれを作るということで努力をしたわけです、そして全体に提言の前に前文をつけて、結びをつけて、各章の提言の中にも序をつけて、そこだけ読んでいただくと全体の流れがわかるように工夫をしたわけです。
そこで何を工夫したのか、ここからさっきの科学技術コミュニケーターのお話とかございましたけれども、そこにちょっと繋がってくるのですけれども、私達がこの提言書の中で一番言いたかったことは実は「つなぐ」ということでした。おそらく、その予算をいっぱい付けるとか、あるいはこの地域にお金を流すとかっていう事ももちろんありますが、それと同時に、ソフトな意味で言えば、「つなぐ」ということが、これからの我々の社会に必要ではないかと言う風に思ったからなんですね。で、前文のとこにそれをかなりはっきり書いてまして、そこをちょっと読んでみたいと思いますが、こういう風に私は書きました。
『われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳を澄ませてみよう。おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。人と人をつなぐ、地域と地域をつなぐ、企業と企業をつなぐ、市町村と国や県をつなぐ、地域のコミュニティの内外をつなぐ、東日本と西日本をつなぐ、国と国をつなぐ、大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発見され、そこに復興への光がさしてくる。』
と書きました。
 
じゃあ具体的に繋ぐってね、なん何だろうという事なのですが。私が皆さんにご紹介をしたいのは、我々が復興の提言をするときに、いわゆる東北の三県の市町村です。市町村の市町村長にアンケートをしました。でそのアンケートの中にひとつ、こういう項目をいれた。「今あなたがたの地域に本当に欲しい人材はなんですか?」そしたら驚くべき事に、150以上の市町村から返事があったのですが、その多くの人が、「国と我々を繋ぐ人材が欲しい」って書いたんです。
つまり国はこれからもいろいろなその復興の為の政策を出してくれるだろう。だけどそれが出ただけで我々がどれを使って良いかわからない。我々もやりたいことがある。でもそこを繋ぐのは人だろうと。それを国から出してくれ。確かに、国の人材はそれをよく知っています。だからそれを、それぞれの地域にレンタルするだけでも違う。国家公務員で若手で実際にその地域に行きたいと言っている人はいる。彼らを、ですからレンタルで二年間でもいい。そこへ行かせる。そうすっと、この地域でこの田んぼがこうなちゃったどうしたらいいか。実はこういう法律がありましてと言う事を彼らは知っていますから、それを生かしてこうしたらいいと言うので、上と下とを繋いで行く、ということが出来る。行政的に言うとそういう繋ぐ人材がまさに欲しい。これは今の国家公務員法をそんな改正しなくてもできる事です。
それからもうひとつ、さっき科学技術の話が出ましたけれども、いわゆる科学技術コミュニケーターでなくても、今回現場が欲しがったのはもうひとつあったんです、これは「技術を知っている人が欲しい。」その技術ってのは決して高等な技術じゃない。どっかとどっかで何か電気が切れちゃったけどそれをどうやって結んだらいいの?っていう技術でいいです。(25:00)ほんのちょっとした技術でいいんだけどそういう人が欲しい。これがいなががために、多くの人が皆苦しんだわけです。そんなに皆専門的な知識があるわけではありません。
ところが日本の科学技術教育はそういうことを一切やってこなかった。だから、大学院生は科学技術の大学院生はほとんど役に立たなかった今回。科学技術コミュニケーターだけではありません。現実にそういう現場での技術をやらなきゃいけない人たちが、まったく訳に立たなかった。これは深刻な反省を今生んでいて、そういう人たちを是非、はやく作ろうよ、ということになっています。
それだけではありません。現場に行くと、それこそ、その保健、それから衛生、そして病院の医師から何から全部、これも基本的に現場で苦しんでいる人たちとの間を繋ぐ人達がどうしても欲しい。こういう「つなぐ人材」をとにかく沢山作っていかないと、たぶんこの社会は今後復活、復興出来ないという風に私は思いました。
 
で、最後にもうひとつだけ言っておきます。実は私が非常に感動した話がひとつあって、それは今回の地震があって実は東北大学とか筑波大学とか多くの大学で、そのおおきなコンピューターが止まってしまいました。でコンピューターが止まったことによって困った人は沢山いるのですけれども、一番困ったのは誰だったか。切実に、それはそこのコンピューターを頼りにして、ドクター論文を書いているこの国の物理学や何かの大学院生だったんです。彼らのやっていたあれ一挙に吹き飛んだ。でどうしようもない、そんですることがなくなった彼らがやがて気がついたのは、どうもテレビを見ていると原子力安全委員とか保安員とか言っていること、出している数字、放射能ですね。おかしいと。こんなゆっくりにしか出ないはずはない。もっとちゃんとした数字が出るはずだ。出し惜しみをしているに違いない。そこで彼らがやった事はなにかと言うと、彼らは独自の自分のそれこそ卓上のコンピューターを駆使してそれを追求し始めたわけです。
これは誰と誰とが語らってじゃないんですよ。そういうことを始めるとそれを今度は一斉に公開する、で公開するとそれにまた全然違う人が乗ってくる現象、という形で実はこれが今年の4月から5月にかけての現象だったんですね。で彼らが出来上がったデータをもう安全委員に逆に送りつけるわけです。もうこれだけわかっているのに何故公開しないか。で、原子力安全委員の放射能に関するデータが、ある時期から、ものすごく勢いで早く、何か出し惜しみしないで出るようになったのは、実はこういう、その物理のあるいは数学の院生の動きだった。
それも誰かが意図したわけじゃない。変だなーと思った人が何人かいて、それが要するにネット上で繋がるわけです。ネット上で繋がるこれはすごく大きな力になって、最終的には東京大学のある先生がそれを統括して、まぁ一応その東大の名前があった方がいいだろうと言うので、その先生がそのデータを持って行くことはしましたけど。生まれるのは皆自然発生的。これも「つなぐ」行為なんですよ。そういうことを我々はやんなくちゃいけないんじゃないか言う事をつくづく思っている。ということで、私の最初のお話にいたします。
 
(28:42)
なんかいっぱい来ましたけどこれは
 
内海信彦先生
(28:55)
えっあーどうも、内海です。こんにちは!!あのね、あのーちょっと藝大生の人手挙げてくれる?居ないんだよね、模擬店でさ、でやらっててさ。で俺のところにいた人は恥ずかしくて今日は来れないんだよ、過去の自分で言ってたこととかさ、今ここでやってることとかさ。だからいないんだからしょうがないんだけど。ほとんど藝大で話してて折角御厨先生にも来て頂いてもね、藝大生の人が聞きにこない。まぁあらかじめ想定された事だけど。
藝大以外の人によぉ~く見といて欲しいのは、今ここでさ、僕あの1999年から2000年にかけて、アウシュビッツ強制収容所で自分の芸術をやったんですよ、でアウシュビッツを含めて、マイダネク、それからダッハウ、いろんなドイツのね、強制収用所、まぁポーランドにあるのはアウシュビッツとマイダネクですけどね、そこでいろいろライブペインティングの仕事をやったりして、今丁度あのアウシュビッツの事を思い出していたんだけど。(30:00)ここでさ、僕あの講演で呼ばれてきてものすごく無礼だなと思うのは、馬鹿な職員がさっきからさイヤフォン耳にさして、水飲むなとかさ、やってるでしょ、で水飲むなって言われてたでしょ。で僕ここで見てたって感じるし、たぶんここへ来てる皆さんすごくそういうのって感じていると、どこいった職員、僕が話し始めたらどこか隠れちゃったね。
つまりさ物凄く無礼な事だと言うのと、水飲むなと言うのはねぇあの強制収容所に強制移送された人たちが、家畜の運ぶ貨車でやられたことですよ。だから今ちょうどねここの石膏室にいて何で職員隠れるんだよこういう話すると。だからさあんたたちの人生ってものすごく不幸だよねこんなことやってて、ほらどっか逃げてった、でね、写真撮るな、強制収容所で写真取るなってさ、でもカメラを入手して、人焼いているとこのを写真撮ったのを命がけで送っり出したんですよ、それを連合国まで届けたんだよね。だからね水飲むな写真撮るな、座るな石膏みるなっていう。だからこれが東京藝術大学ですよ、
 
人の家呼ばれて人の家のこと言うってのはね、それなりに僕でも結構シャイだからさ、結構思いっきり言ってんだよ。だけどそもそもね昨日の話なんだけど、一昨日か?なんだか忘れちゃったけどね。僕はビックリしたのは、主催者は僕のところに挨拶も来ないけどさ、昨日の時点で、一昨日か?一昨日だった?、一昨日か。台風が来たら、朝の6時に決定して、今日のこの企画は中止にしますって連絡が来たわけ。一応笑いましょうみんなで。あのさぁいったい何をやっているんですか東京藝大ってのは。台風でさ企画止めちゃうんだよ。幼稚園かよここは。今小学校だってやるぜ企画だったら子供達が一生懸命さぁ準備してやったら。それをいい年したさ、まぁそれはアホな事務方がそういうことをやるんだろうけども、
僕が言いたいのはつまり、写真を撮るの止めるなって今アウシュビッツの話してんだよ!あんたがやってることってさ、恥ずかしくないの?俺一応法学部だけどさ、どういう根拠でやってんのって、どうして俺こんなあの18歳のときにやってたことをまたやんなきゃなんないんだろうね。つまりさこれが日本なんだよ、この人たちがやってることってのが日本の東京藝術大学でやってることなんだよ。で授業の中ではそりゃ自由なこといっくらでも言ってるでしょ。いくらでも自由な事やってるでしょ。だけど僕達は東京藝術大学の教員でもなければ学生でもないからね。よく見えるんだよ逆に、藝大の人はよく見ときなよそれを。シンジョウ、よく見とけよ、恥ずかしくないかこういうことって。これが芸術かよ。何を守ろうとしてんだよ。このさぁ、なにこれ、一応笑おうよ。僕も受験生の時これ描いたよ。だけど40年前の話だよ。
僕の美術の先生は吉田克郎さんっていうんです。「もの派」のね。亡くなられましたけど。吉田克郎先生の先生が斎藤義重先生なんです。だから僕の大先生なんです。斉藤義重先生は今から四十数年に多摩美の入試の当日に、入試の当日ですよ。学生の目の前で石膏叩き割ったん。と言うのは伝説だけどね。実際見た人って、そんないるんじゃないんだけど。要するに多摩美の入試で石膏デッサンを止めたんですよ。でその年に入ったのが僕の先生の吉田克郎さんや、その1年上の関根伸夫さんやね三澤憲司さんや、要するににそうそうたる「もの派」の作家が、斎藤義重教室から生まれたんですよ。それ1967年か1968年の話ですよ。つまり世界革命の年だよね。世界の学生革命の年で、僕が17歳くらいの時だけど。だからその石膏っていうものを未だにね、四十数年たってこれは1935年かなんかににボストン美術館が日本に送ってきたんだよ確かね、もう黒くなっちゃって何回か磨いてると思うけれども。
僕は先週学生を20人つれてね、トルコとギリシャとねイタリア行ってきたの。去年もイタリア行ってきて、ワークショップやったんですよ。観光旅行じゃないですよ。結構ハードでしたよ。3キロ痩せましたけどね。あんまりそうに見えないだろうけどね。もっと痩せたかったけどね。一応さ、本物見たらさ、たぶんここでやってることが植民地文化っていうかね、コロニアルっていうまさにさ150年前の日本の文明開化ってのをさ、後生大事に今何を守ろうとしてる?僕は聞きたいよ逆に、写真撮影禁止っていうのは、何を守ろうとしてるわけ?マルスのおちんちんがいけないの?(35:00)だってあんただっておちんちんの結果で生まれたんだったらさ、おちんちんがさ卑猥だったらさ、あんたは卑猥な行為の結果で生まれたそんな存在なんかよ、ふざけるなよ。何が撮影禁止なの?石膏のおちんちんが禁止だったら、イチジクの葉でも張るのかよ。
なんて話馬鹿馬鹿しいけどね。何でオレがこんな所呼ばれていて、こんな話しなきゃいけないのかって言うと、非常に不愉快なんですよ。写真は撮るな。それから台風の話忘れちゃあれね。台風で中止だよ。だからもう何か亀田兄弟の記者会見みたいね。3日前から盛り上がって逆に来る人増えちゃったけどさ。
つまり、それを単に外在的に批判してるんじゃなくて、これが我々が藝術だの美術だの言ってるところの、日本で一番ね、ここがまーエリートだって言われている人の来る大学の実態なんですよ。でそれは、あの藝大生以外の人には良く見える事だけれども、藝大生の人がね、何人かいるんだったら、よーくやっぱ考えて欲しいと思うね、つまり管理されて徹底的に監視されて、写真も撮っちゃいけない。水も飲んじゃいけない。でアウシュビッツの話はアウシュビッツの話をして、たぶん先生はそういう話は授業の中でするわけ、でも授業の中でしていることを実際にそれに抗したり反対したり、実際実践したりすれば、即耳にイヤフォン付けた不幸な人生を送っている職員がさ、写真はとるな水は飲むな、なんなんだよこれは。
だから口先で言ってることよりも、やってる事を見たほうがいいよ。おれは芸術家だから、見るって事を、まず考える事のね、基本にしてるからさ、まず自分で今見てる事をよーくね、留めたらいいよ。それとも何かさ、その写真撮影以外のことでね、ある権威を守ろうとしているのか、つまりここは写真撮影禁止だから撮るなっていうことを大上段に言って、要するに見せてやってるってことでしょ?お前らのような藝大以外の人間にも、今日はここを見せてやる。その代わりここが神聖、どこが神聖なのかよくわからないけどね、神聖な場所を見せてやるんだから、写真は撮るな水は飲むな。ね、規律正しくさっと見たら早く帰れ。と言う事の中で話をしてるんだったら、結構いい環境かもしれないよね。
つまり僕は皮肉を言ってたりさ、直接そのくだらない仕事をしている職員の批判なんかしている場合じゃないんですよ。これが正にさ、今お二方がお話になったような3・11後の日本ということで、原子力マフィアというのはだれも聞いた事あるけどね、これが美術マフィアであり、藝術マフィアなんだよ。マフィアがここの大学から百何十年間生み出されてんだよ。日本の美術界ってのはぜんーぶここの奴らが牛耳っているから。道路の反対側にある音楽もそうだよ。それに抗して取手やね、北千住に作ったのは。僕は取手に呼ばれて今日学生が怒らせちゃって来なくなっちゃった木幡さんと対談しましたよ。何で木幡さん怒らせるんだよ学生は。木幡さん体調不良って言うけど、木幡さんがここへ来れない理由僕は聞いてるよ。つまりここの主催者も何やってるんだよと思うよね。
その木幡さんとね前回取手で話したときに、僕が話したテーマは「藝大ぶっ潰せ!」っていうテーマだったんだよ。で僕が「藝大ぶっ潰せ!」って言ったってもちろん潰れないよ。でも上野の、どうしようもない、どーしようもない保守的でさぁ100年経っても自分から変わる力を持たないものを、取手にね、新しい先端と音環ってものを作って藝大をかえようとしたわけでしょ。でも結局早期に離婚しちゃってさ北千住に別居してね。で取手はもう放射能で汚染されてさ、もう筑波と同じですよ。もうこれは大学としては、けっこうあそこにね学生呼ぶってのは大変なことでしょ。
もう今や日本は、ガン保険も降りなくなってるって知ってます?ガン保険もさ、もう日本では成り立たなくなってるんだよ。だから今日来てる10代の人やさ、20代の人は平均余命ってことは俺考えたほうがいいと思うよ。今藝術を考えるひとつの前提の話としてね、いま日本というのは最悪の状態にあってさ、僕ら外国で学生を連れて歩いていてもヒシヒシとそれを感じますよ。つまり我々はもう数千万単位で被爆しているわけですしね、数千万人がね、そのうちの仮にですよ、0.1%だとしてもあるいは1%だとしても、僕は出版社で編集やってた時代があるんだけど、チェルノブイリを自分なりに勉強したんですよ。でこれはもう間違いなくさ、もう、あの元には戻らない事だしね。
だから写真撮影禁止とか、水飲むなとかって言ってることを僕は物凄く敏感にね、(40:00)神経質に反応するのはさ、あるそのひとつのさ、大きなもうなんていうのバリアみたいなのが出来上がって来ててね、常に監視されてて管理されてて、であることを以上のことを話し始めると、必ずそれは圧力がかかってきたりね、消されたりね、それからいろんな目に見えない脅迫や恫喝やね、場合によっては懐柔もあるし、懐柔ってわかりますか?ね、つまりおいしい話が逆にきたりとかね。
だから僕高木仁三郎さんも、編集やっているときに何度も仕事お願いしたりしていたけれども、もう本当にね80年代からずーっと言われてきた事が、現実になってしまったんですよ、で、そういう中での美術の問題を東京藝大で話すときにね、水飲むな写真撮るなって言われたら、こんなにさ、これ皮肉とかって問題じゃなくてね、まさに、あなたが今ここにいるってことの意味がさ、非常によくわかりますよね。だからそういう演出をしてくれた台風にもお礼言いたいしね。不幸な人生送っている職員の人にもお礼いいたいですよ。(41:07)