2011年3月29日火曜日

花見の自粛について

 昨日書くと決めたことは今日はお休み。今日は書きたいことがある。花見の自粛について。


 地震の被災者の気持ちに思いを馳せ、その感情をおもんばかり、自主的に喪に服すことは尊いことである。共感を表わすことが救いにもなるのはゴータマの時代から変わらない。慈悲のサンスクリット語の語源は“共に涙することである”。であるから哀悼の意を表するのがもっともな救いになることを否定するつもりはさらさらない。。もちろん、たくさん食えて、安心な家に住めて、というように健康で文化的な最低限度の衣食住の生活を保障することも大事な救いとなるわけである。

 しかし、もう“祭り”はいいだろう。これからは経済を回していかねばならないらしい。助けようにも金がなければ助けることができないではないか。家にこもって、経済を回せるのならばそれでもいいが、イベントや祭りなどの興行を行うことも大事であろう。それによって、お好み焼き屋さんや、射的屋さん、綿あめ屋さんなどが儲かって、その人たちが金をガンガン使って、巡り巡って税収が増えて、それが震災の復興費用に充てられるわけである。であるから、そろそろ自粛のムードは吹き飛ばして行こう。むしろ邪魔だ。これから前を向いて立ちあがろうとする者の足をひっぱることになるだけだ。まさに同情するなら金をくれだ。みんな家なき子。なんだから。援護射撃はがんがん金を使うことだよ。

 それでもまだ、“祭り”を楽しみたくて、“不謹慎”なことをしている人を見つけては、棺を前に泣き崩れるピエタを見せて自粛を声高に叫び、“不謹慎”な人を黙らせる人は、本当は喪に服しているんじゃなくて、自らの全能感と優越感に浸りたいだけなんじゃないんですかねぇ。と思う。被災者は君のちんけな劣等感を満足させる為の存在じゃないんです。被災者を君は水戸黄門の印聾かなんかと勘違いしてるだけなんじゃないですか?といってやりたくなる。

 花見が自粛されるなんてのはとんでもない話だ。行き過ぎだし。ここまで来ると病気にもなる。どこかで線引きしないと。それはいつ?阪神淡路の時にも自粛した?15年経つまで花見しないの?死者は生者にとっては永遠に死者だよ。永遠に癒えることはないよ。君が花見や何かを自粛したって。本人が本人自身が折り合いを付ける。死者の魂と心の中で対話して。それしかないんですよ。立ち直るのは本人次第なんです。僕たちはただ涙を流すことしかできないんです。ただそばに寄り添うことしかできないんです。

記憶とは魂です。死者が死んだら話せないというのは大嘘です。しっかりいるだろ、ここに。心の中に。これは陳腐な話でも何でもなく、それを日本の歴史的なアプローチでも、ベルグソンでも、小林秀雄でも、魂と呼ぶんです。もちろん、僕もその系譜に属しているから、僕もそれを魂と呼びますよ。ええ、当然じゃないか。魂、そんなのあるに決まってるじゃないですか!

散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき

It's because the cherry blossoms fall That they're beautiful in the eyes of all. Nothing is eternal in the world we live in.


 死ぬからこそ、生きていることが素晴らしいんです。散るからこそ、桜が美しいように。この世に永遠なものなんて何がありますか、えぇ、そうだろ、諸君!永遠の桜に誰がそこに美を見いだしますかぁ。自分は明日も、来年もきっと生きているだろう。家族も、友人もきっと大丈夫、そう思っているのならどうぞ自粛をしてください。ぜひ来年やってください。お誕生日会も、結婚式もなんでも自粛してください。どうぞ世界の悲鳴をすべて聞いて、自粛してください。日本人限定なんていう狭量なことはしないでください。もっと世界を見て日本よりもヤバい現実を見てください。そして自分も親しい人も、明日死ぬかもしれないと。そう思っているのなら、どうして花見をせずにいられるでしょうか。自分自身も死すべき存在であることをまずは忘れてはならんねぇ。

 これから江戸時代のライフスタイルになるんでしょうが。そんな時代になると覚悟して、酒や料理を持ちあって、日ごろの鬱憤を晴らすがごとく、どんちゃん騒ぎをしたっていいじゃないですかぁ、本来の江戸の庶民のように。それにだよ、花を愛でる心のある人がどうして人の痛みに鈍感なんてことがありますかぁ。 花見は花見でする。哀悼の意は哀悼を表す。共に涙し、共に笑う。それでいいじゃないですか。なぁ、そうだろ、諸君!

 花を愛する心のある人はそれだけ、実は繊細なんです。だから彼らが一番、被災者に寄り添ってるんです。次に死すべき存在は自分だとぼんやりと確信してるんです。だから楽しむんです。いつ死ぬか分からないから。どうせ悲しい人の世ならばせめて楽しいふりをするんです。しなくちゃならないんです。どんちゃん騒ぎをしている彼らの目元をどうか見てください。

 どんちゃん騒ぎの空涙かな

 本日の歳費;ぼーるぺん3本252 たまごけーき、じゃむぱん、くりーむろーる、かるぼなーら、みっくすさらだ375 めんちかつ105 計732円 うち食費480円 目標達成。

2011年3月28日月曜日

やべぇ、、、

  書きたいことがたくさんある。どれにしようか迷っチン愚。


 とりあえず忘れぬうちにこれからかく内容をここに記しておく。話がそれないようにここにその自戒を込めておく。

 まず、白洲正子展にいったこと。日月山水屏風について。

 次に教育について 2。

 さらに、表現のエッジについて。他人事だから言えることと、言えないこととのエッジについて。及び、その不謹慎だといって、その悲惨な現場の写真、映像を見せて、誰もかれも黙らせて、自粛させて、その自らの行為の“正当性”について優越感と全能感とを味わうことについて、いわば水戸黄門の印聾を振りかざすことについて。

 の3つが今書きたいことである。


 どれにしようか迷うなぁ。


 昨日の歳費;大学芋、ぶらんちゅーるいちごみるく、すたみなやきそば、ぐれーぷふるーつ、じゃんぼふらんく、にくじゃがころっけ 計558円也。

2011年3月26日土曜日

教育について 1 今の時代、そして俺について 

 
 ファンが1人増えた!やった!けど超恥ずかしい。実は俺もその人のファンです。お互いにファンってなんか素敵だね。今日はファンタでも飲もうかな。

 今日は教育について。これは俺の人生賭けて考えていくもののうちの一つの大いなるテーマ。一生涯かけて考えていくべきもの。これからも時折、定期的に書き続けていく。新学期が始まるのでとりあえずいったん整理しておく。とりあえず、今日はその要旨だけ。ここについては個別にまた説明していく。


 まず教育とは国家百年の計である。教育の効果が出てくるのは10年、20年先の話である。そんなおいそれと効果が出てくるものではない。そして効果が出たからといってその効果をすぐに打ち消せるわけでもない。思想が根付くのに50年かかるとマルクスはいったが、それは真である。戦後民主主義教育の正と負の頂点が今の時代において如実に表れている。今の時代精神はGHQの戦後制作にすべてが起因している。人命は地球より重い。みんなちがってみんないい。公害対策。ジブリ。いのちだいじに。その戦後思想のポジティブな側面がそこにある。そしてそれと同時にモンスター・ペアレント、学級崩壊、当事者意識の欠如、極端なノー・リスク。抵抗の精神の喪失がそのネガティブな面。ものにはどんなものにも表と裏がある。いいところもあれば悪いとこもある。正負の法則。これは絶対的な真理である。宇宙が始まる前からも、宇宙が終わってからでも、永遠に変わらぬ普遍の真理である。我が師匠の美輪さんが言ってたからまず、間違いはないでしょう。そしてそれは今の“生きづらい”時代をもたらしている。

 ここで俺の立場を明確にしておく。それは、人間なんて今も、昔も、そしてこれからも永遠に変わんないってこと。人間が人間である限りね。そして俺は漱石学派の末端に位置しているから思想的立場はものごとを傍観的にみる余裕派系統に属している。けれども余裕派なんだけれども、新しいのが当事者意識を持って自分でできることは自分で働きかけるようにしているということだ。つまりものごとを傍観者的立場で見て、そこから当事者になる。いうなれば新・余裕派ってことかな。そしてそんな立場で今の時代を見れば、やっぱり今の日本は最高にいい国だと思う。自殺が年三万人の国で、利権まみれの、自由を抑圧するそんなくそったれな国だけれども、やはり、今の時代は最高だ!だって一昔前まではものは食えなかった。常に自然との闘いがあった。毎日が極限状況下の暮らしだった。さらに自由に意見を言えなかった。自由に意見をいえば首が飛んだ。文字通り、頭が飛んだ。官憲が横暴をふるった時代があった。もしそんな時代に俺が生まれていたらと思うと、ぞっとする。俺は臆病でちんけな人間だから、だから、きけわだつみのこゑなんかの時代に生まれていたら逃げ回ってばっかで、戦争の何の役にも立たなかっただろうね。たぶんもう、悪い奴等と結託して、自分の財産、家族だけは守って、後は戦地に送り出す事務作業かなんかをしていたんじゃないかなと思う。だから、今の時代は、そんな時代に比べれば、最高である。最高にいい時代である。そしてここで高らかに主張しておきたいのは、

俺は俺の、俺というフィルターを通じてしか世界を見れないということだ。

 今、俺がこの時代に生まれてよかったと心の底から言えるのは、今、俺が、俺という人間の置かれている状況が俺にとって最高であるからだ。それがたとえ一日500円しか使えなかったとしてもだ。今の俺は五体満足で、健康で、心身のバランスも非常に整っている。だから今、この時代は最高であると言えるのかもしれない。もちろん、こんな俺にも当然悩みはある。悩みのない人間はこの世にはひとりもいない。そんなのは白痴だけだろう。そう思うのも俺の勝手な俺というフィルターを通したから感じること。訂正しよう。白痴だってなやんでるんだ。それはドストエフスキーを読んでくれたまえ。黒澤の白痴を見てくれたまえ。もし俺がヨーロッパ中世の時代に、大金持ちの家の生まれて何不自由ない生活を送っているのだとしたら、俺はこの最高の時代に生まれてよかったと思うだろう。そして、もし初めての恋をした相手がキャピュレット家の娘だったら、どうして俺はこんな時代に生まれたんだと、自らの運命を怨むだろう。こんな時代は今までの時代で最低の時代であろうと罵りながら人生を送ることだろう。人間に生まれたこと、男に生まれたこと、日本に生まれたこと、平和な今の時代に生まれたこと、今まで健康で生きていること、それらすべてが俺にとって素晴らしいものだから、俺は“今の時代は最高だ!”といっている、言える訳なのである。もし自分が乙竹さんだったら、脳性マヒを患って生まれたら(あっ、脳性まひブラザーズってのがいるんだけど、これ超面白いよ。俺が好きなのはエレベーターガールというネタ、彼らとは楽屋でちょっと話したことがある。)、生涯をもつ子どもの親になったら、愛する妻をレイプされ殺され、そばにいた赤ちゃんをちょうちょ結びで首を絞められ窒息死させられた父親だったら、あほな野郎に飲酒運転で突っ込まれ愛する妻と子を失ったとしたら、リストラされ富士の樹海を彷徨っていたら、家も愛する家族も津波で流されていたら、そこにある無限のケース・バイ・ケースの中においても“今の時代が最高である!”と言えるかどうかはわからないけれども、とりあえず、今は、自分の自分というフィルターを通じた世界認識では“今の時代は最高である!”と言わなければならない。意地でも。というのが今の“俺”というフィルターを通じた結論である。古代メソポタミアの粘土板に書いてあったコトバにも、今と何にも変わらない若者批判がある。席を譲れ、シャカシャカ嫌ホンの音漏れ、静かにしろ、今の若い奴は気力がない。だの今と何にも変わらない“人間”がそこに垣間見られる。脈脈と流れる人間がいる。

 だから今の“生きづらい”時代というのも確かにそういう面もあるよね。という態度である。

 そしてそういった“生きづらい”時代の中において、もっと自由に!太郎のように、清志郎のように、はじけようじゃないか、なぁ、諸君!といった感じである。“生きづらい”時代なんて、いつの世も“生きづらい”時代だから。人間が人間である限りそれは永遠だから。だから枢軸時代にもそれより以前の先史時代にもその事実はあったから。つまり、ハイネがいうところの、

どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進歩する。

 ということである。戦後民主主義教育の生みだしたポジティブな面はそのまま継承し、それが生み出したネガティブな面をどうやって解決していくか、ということがこれからの課題である。今は戦後最低の犯罪発生件数である。それは今の委縮した時代がもたらしたのだろう。道行く子どもに声をかけづらくなってる時代の一つの現象である。これからは犯罪件数も最低を維持しつつ、もっと子どもに簡単に声をかけられるような時代になっていくことが求められる。地域コミュニティーの再生、本物の知性の涵養、もののあはれの復興、失われゆく古典の継承などなど、問題は山積みである。それゆえにやりがいもまたある。

 はっ!話がそれていた。教育の要旨を羅列するはずだったのに。、、、ま、いっか。推敲せずともいい文章が書けるようになりたいなぁ。

 それはまた明日の話。

 忘れないようにメモをしていこう。明日やること。

 教育とは“洗脳”である。洗脳というとコトバがネガティブで強い印象を持つかもしれぬが、やはり“洗脳”である。その時代に尊ばれるべき価値観を先生という権威、権力を用いて子どもをその時代のふさわしい共同体構成員を醸造する洗脳作業である。

 続く

2011年3月25日金曜日

ファンの子への返答

 寅子というファンの子からコメントをもらった。数少ないファンには誠意をもって答えよう。


 コメントの内容(寅子さん);偽善は善ってどういうこと?

 いっちー;偽善は善っていうのは、たとえば今回の地震で本音は興味本位で被災地に行きたいと思ってて、それで現地に行って、ほぇぇ、こんななってんのか、まじ映画みてぇ、って思ってる人がいたとしても、その人が実際に震災した人の助けになっていれば、それは善だということだよ。

 寅子さん;お返事ありがとう。うーん…客観的事実としてそうだとしても私は「偽善は善だ」と自分を納得させられない。偽善である以上本当の善だと思えない。きれいごとかもしれないけど。

 いっちー;それは自分の価値基準で善悪を付けているからだね。相手の気持ちが置き去りになっている。自分納得ありきの善は自浄作用が働かなくなるよ。そういった善は逆に独善的になりやすい。そうなった時に、それを批判的に見ることもまた大事。人間は努力する限り迷うものだからね。君は今、努力をしているんだろうね。本人の善悪はともかく、それが救いになれば、本人がどう思ってようが関係ない。相手が善としてくれるならばそれは善。アメリカの大富豪の寄付だって節税対策でやってるけれど、それで救われる命があるのならそれは紛れもない善だ。自分が納得しなければ行わない。寄付しない。そう考えている人と、節税でやってるだけの人、名誉のために寄付する人、俺の善は間違いなく後者だね。考えるより歩く、歩くより走れ!結果は後からついてくる。



 本日の歳費;あみのさぷり、たまねぎみっくすさらだ、ちきんじゅーしーはんばーぐ、でこぽん、ぐれーぷふるーつ 計517円 也。

大切なものは目に見えない

 マッハで終わらす。最近書いていないのは今世界を動かす作業の真っただ中にいるからなのだ。まぁ、いい。いい訳はいい。早く売れる。売れたい。絶対売れる。というか売れなくてもいいから、マッハで社会的な発言権が欲しい。お茶の間に少しでも早く俺のことばを届けたい。神がはやく俺のことばを拾ってくれることを切に願っております。

 巷は“祭り“が一段落した。人間は飽きる。非日常も終わりを迎えつつある。あるが未だに品薄な店舗もまだあって、納豆が定期的に入荷されるようになったら日常も戻ってきたといっていいだろう。もちろん日常というのはメタファー。被災地の中心の被災者にとっては毎日が非日常である。それは今、軽微な被災者にとってはの話。だが非日常が日常化してしまうのが人間である。ドストエフスキーもその小説の中で、劣悪な環境下においてもすぐに慣れ得る人間を描いている。狭くて寒い部屋にぎゅうぎゅうにつめられて、ごはんもジャガイモのスープ一杯の生活環境で、耳から三センチの所で大いびきをかいてるやつがいる中で寝られるか?とおもったら、三日後にはそいつ自身もいびきをかいて寝ていたという。人間は慣れる。そういう生き物なのである。それが人間の強さなのである。

 今もニュースは基本的に地震と原発のニュースである。東京は大丈夫だという説もあり、危険だという説もあり、水道水は大丈夫だ、危険だというものもある。何を信じればいいのかまったくわからぬ。わからぬが何かを信じねば人間は生きていけない。天才も天才なりに、バカもバカなりに何かを信じて毎日を生きる。東京大学や何某教授などの権威、海外メディア、身近な人、近所のおっちゃん、テレビ、ツイッター、フェースブック、親友、家族、溢れる情報にほんろうされる。されても仕方ないと思う。自分も翻弄されている。されっぱなしである。

 結局、最後は”自分が何を信じるか”に尽きるのだなぁと改めて思った。自分は地震の専門家でも、原発の専門家でもない。ただ自分が信じられる、信じても後悔しない人、命をかけて信じて、それで死んでしまっても本望だと思える人を信じることにした。

 自分が信じたのは茂木さんや、その友人のぽよさん、東京大学放射線医療チーム、NHKの科学文化部など、その他のツイッター含めたネット情報、テレビ等だ。私のツイッターのリツイ―トを見てくれれば何を信じたかがわかるようになっている。海外メディアも外せない。とりわけNHKの地震速報はものすごく信じた。
 
 それら膨大な情報の”津波”のなかで、自分が心を落ち着けて、なにを取捨選択できるかですべてが決まる。自分は自分の教養を信じた。自分で苦労して学んで、苦労してゆっくり歩み進めてきた自らの学問を信じた。本当の窮地にこそ本物の知性が問われる。付け焼刃は通用しない。自分で自分なりに考えて結果を出して動くしかない。
 
 今回の水道水の報道にも、自分は臆することなく普段通りに水を飲んで暮らしている。湯沸かし器で湯を沸かし、そのお湯で茶を、コーヒーを飲んでいる。覚悟を決めるしか今はできない。信長になるしか自分にはできない。敦盛しか今の自分には舞えない。それでいいと思う。死を思うことが大事。これが自分の本職から導いた答え。俺の専門は”教養”、つまり“人類精神の営み”のすべてを扱う。だからほんのちょっとなら原発も知ってる。ほんのちょっとなら地震のことも知ってる。それは一般的な知識レベルでの話。みんな目に見えぬものに踊らされている。自分も踊らされている。

 目に見えぬもの、聞こえぬもの、五感では感じられぬものへの畏敬を忘れてはならない。こんなことはもう言い古されてる感がめっちゃあって、めっちゃ陳腐だけれども、やっぱり俺は言い続ける。ドンキホーテと言われ続けても言い続ける。それが俺!それが俺の使命だから!俺の使命は“もののあはれ”の復興と“失われゆく古典”を語り継ぐことだから。

 目に見えぬものは、放射能だけではない。神々、仏もまたそうである。精霊、妖精、神話、人間の想像力とそのエッジに巣くうもの達の宴がある。それが人間にとっての目に見えぬものへの畏敬。

原発対策と陛下の御祈祷。科学による放射能対策と神事により大地の神を鎮めること。僕はどちらも信仰している。それは両立可能なのである。


まとめ;何が信じられるか今は結局わらないと君が言うのなら、とりあえず今俺が絶対に掛け値なしで信じても間違いないことを君に伝えよう。

 それは…

 大切なのはどれだけ長く生きるかではなく、いかに生きるかだということ。

 災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ、災難をのがるる妙法にて候。-良寛

 運命を運命として受け入れ、ただ生きるのではなく、善く生きよう。それが今の君に、俺にできることだ。

 本日の歳費;さうざんどどれっしんぐ、ししゃも、ぶらんちゅーる、みっくすさらだ、えびしゅーまい
計495円 也

2011年3月24日木曜日

生誕100年岡本太郎展

 太郎展に行ってきた。

 全体としてなかなかのもので行ってよかったと思う。キャンパスメンバーだというので600円で入れたのには感動した。てっきり1200円ぐらいはとられるかと思ってたので。一日500円で生きる貧乏学生にとっては神の手にさえ見えた。

 中に入るとまずは太郎の縦に割れた顔の中で彫刻群が出迎えてくれる。その中の一番奥にある「ノン」という奴が手を開いて俺に触ってくれって言うから、そして太郎が私の彫刻は触ってもよいと常々いっていたから、両手をその彫刻の両手に合わせたら、マッハで注意された。だって太郎が触っていいって、、、そういういい子ちゃん的な傍観者的藝術鑑賞が卑しいんだ。と太郎を代弁して喝破してやろうと思ったが、俺を注意した係の女の子がなかなか、かわいかったから、面倒を起こすのもかわいそうだなと思ってやめにした。藝術よりも女の子をとってしまう自分、こんな自分もけっこう好きだぜ。
 
 次は絵画コーナー。太郎の絵、闘ってるねぇ。最近の絵画のどれだけ自分と戯れてるかのごとき絵画が多い中で、やはり太郎の絵は自分と闘っているなとおもった。やっぱり自分と闘ってない絵は見ていて迫ってきやしないねぇ。と小林秀雄もいってたなぁ。と述懐に浸った。パリに独り、人間の孤独、異国に独りの東洋人、そんな中で普遍と個別、具象と抽象の相対する矛盾を矛盾したままで調和させようと苦心する太郎の気概が見えた。

 一つ一つ意味付けして、すべての作品を回る。か、もしくはみたいと思った作品だけを長時間かけて”じっ”と見るというのが私の美術館鑑賞スタイルである。今回も後者タイプで回った。ぐっと来るものだけをじっと見る。贅沢な時間。

 デザインやマスプロダクションのコーナー、太陽の塔、日本再発見、テレビタレント文化人としての太郎、実に多才な人であった。個人的には日本再発見のコーナーをもっと広げてほしかった。日本47都道府県の神事、祭りを特集する展覧会を見てみたいなと思った。これ次狙い目です。なんなら総合プロデュースやってもいいですよ。オファー待ってます。

 その中でタモリと絡む岡本太郎の映像コーナーがあって「今夜も最高」という酒を飲みながらタモリがゲストと語るという最高に今とは天と地の差がある面白い番組が昔はあったんだと感動した。やっぱり今のテレビがつまらないのは変に慮るからなんだろうなと思った。悪しき宿瘂とモンスターペアレントはすべてがつながっているんだと確信した。

 このタモリと太郎のやり取りを見て、タモリが生ける伝説であること、そして自分のなりたいものが太郎とタモリを合わせたようなものだというのがぼんやりとわかった。

 最後に太郎のことばコーナーがあり、一人一枚持ち帰ることのできる太郎のことばのおみくじみたいなやつがあった。ちなみに俺が引いたのは“下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか”というものだった。いまいちだけど、まぁ、こんなもんか。帰り際にひもで背もたれ、お尻の部分が作られている椅子に座った。座り心地は!!!!!…ふつう、だった。でもたしかに他のふつうの椅子よりは座りやすかった。

 そうして俺のファンの子(!?)と皇居を散歩して、おにぎりを食べて、そのほかたくさんのお弁当を、うまうま(●^o^●)!食べて雨の中、相合傘で帰った。


 太郎的にいうなら今通ってる藝大は死んでいるといっても過言ではないかもしれない。受験生にビラを配るだけで呼び出して注意される大学なのだ。はぁ、いいね。やりがいあるね。ぶっ壊しがいがあるね。今に見てなよ。本物の藝術を見してあげるからさ。
 
 たった一人でも時代に逆らう人間がいないといけない。イージーな時代の流れに逆らって「ノー」といい、孤独の中に反時代精神を貫いて行く。それが正統な人間であり、藝術であり、アヴァンギャルドなのだ。やっぱり入試の日に正門でしたパフォーマンスは間違っていなかった。リスクをとれない過保護で媚びる臆病な大学にはやっぱり「ノー」といわなければならない。それが藝術の使命だから。

 それができないお嬢ちゃんはママのおっぱいでもしゃぶって寝ってな。


 本日の歳費;入館料600、ファミマ地震寄付3000円、しちゅー、きゃべつ、たねとっちゃいました、おれんじじゅーす420 計4020円 也

2011年3月22日火曜日

日本のハブ電脳として

  地震発生から一週間の自分の動きを分析してみると、なかなかうまくハブとして機能できたと思う。常に先を見つめる視点で地震を追えたが、余裕派というか確かに師匠が漱石なのは間違いないから、その影響からか、傍観者的な態度、覚めた目で事象を分析している。もちろん、マックス・ウェーバーいはくの氷のような情熱をもっていたわけだが。それにしても先を見越し過ぎていすぎだと思う。がんばろう、東北、がんばろう、日本、たぶん俺が一番はじめにいったんじゃないかな。まぁ、こんなこと早く言えたからって何も自慢にはならんけどね。そして今も復興の先を見つめているのか。いうだけタダだからいえるってのはあるけど、俺も被災地に行って何かできるなら助けに生きたい。興味本位も心の中にはあるっちゃあるけど。それはやっぱり人間だから仕方がないことだと思う。それに偽善は善だから。

本日の歳費;たまご6こ、桃の天然水、ミックスサラダ 計295円 也



 “祭り”は終わった。これからは消費税2%増+所得税2%増の日常の世界。
  • “不謹慎”だとか“自粛”ムードを長引かせることはこの“祭り”を長引かせることにしかつながらない。“祭り”をより長く楽しみたい人は物を買い占めて、テレビに釘付けになって、人の不幸を“楽しむ”映像ループに浸っていてください。@sasakitoshinao

  • ちんけな想像力で自分が被災者になったと考えてみる。“不謹慎”だからといって何でもかんでも“自粛”されるとなんか逆に申し訳なくなる。自分のせいではないんだけど、自分のせいで“中止”させてるみたいで。無関心は嫌だけど、催し物の始めには黙とうかなんかで共感してくれる、それだけで十分。

  • 30人が住んでいる町があります。そこには一軒だけスーパーがあります。スーパーでは30人分の水とトイレットペーパーを売っています。住人は1人1個づつ、水とトイレットペーパーを買いました。 そこにひとりの童貞くんがやってきて30人分のコンドームを買い占めました。めでたしめでたし。

  • お部屋は百合の香りでいっぱい。いっぱい。せんぱい。せんぱい。おっぱい。おっぱい。花は良いね。歌と同じく、リリンが生み出した文化の極みだよ。

  • 人でごった返す中、おとといは百合の花束を買った。こんな時に、花を買える男こそ本物の“漢”だとひとり思いながら、にんまりしていた。ぐふふ。ぐひひ。

  • 大勢の人が水やカップラーメンを大量に持ってレジを待つ中、僕が地震当日に買ったものは500のビール一本だけだった。それは皆と同じことをする気持ち悪さからか、なんかが、ひねくれ者の僕にそうさせたから。隣のレジのOLがカップアイスとチロルチョコだけ買っていて、こいつ、デキる!と思った。

  • とりあえず、今は科学という”迷信”を信じます。とりあえす、今は政府発表という“迷信”を信じます。とりあえず、今は、東京は大丈夫だという“迷信”を信じます。

  • 僕たちはいつだって迷信の時代を生きてるんです。今も、昔も、そしてこれからも。同時代を生きる人間はこのドグマからは絶対に逃れることができないんです。

  • 危機的状況にして、はじめて本物の知性が問われる。

  • ”わかる”とは苦労することです。しっかりと時間をかけて信頼できる機関の記事をじっくり読む。面倒がらずに自分で読む。結局それしかないんじゃないですかねぇ。楽して理解しようってのは甘いですよ。えぇ、苦労しなさい。それが今できることでしょう。



  • 春一番か…風がめっちゃすごい。風で揺れてんのか、地震で揺れてんのか、わからん。

  • 甲野善紀さん、まじ“マスラオ”だ @shouseikan


  • リアル・アルマゲドン http://ow.ly/4fihC


  • @dadadadadawa 今の情報はなんか怪しいっすね。他のリンクの記事が原発の記事にに政治的な色を付けて怪しさが増してますね。とりあえず、今のところは、これを信じます。http://twitter.com/team_nakagawa



  • @dadadadadawa いい情報よろしくっす(●^o^●)!俺のリツイ―ト情報もけっこういいはずっすよ。




  • @SOLIDSTAY 実話だよん(●^o^●)、公と私の臨界点の出来事。

  • 学生支援課から電話があった。寮で要るもの、何かありますか?と訊かれたから、そうっすねぇ、懐中電灯と…、ラジオと…、それと…コンドーム、お願いします。と答えたら、最後のものはそちらで御用意してください、とのこと。


  • @kota_kato 自慢じゃないですが、おれは加藤さんの食生活にいつも吹いてます。

  • "Operation Tomodachinko"

  • 上は大火事、下は洪水って、今までお風呂が答えだと思ってたけど、もうひとつ答えがあったんだ。





  • 歌詞が深読みしても、しなくても沁みる。10年後は、きっと深いい話の宝庫になってんだなぁ。http://www.youtube.com/watch?v=GPuwUPIUQB4

  • 爆笑太田は常にこのエッジに立っているのか。思いやりと表現欲とその狭間の境界線。表現が誰かを傷つけるという覚悟の世界。自分の発言に全責任を負う世界。ユーモアとブラックユーモアとの交わるところの汽水帯。

  • 俺の燃料棒なら女をメルトはさせてもメルトダウンはしないのになぁ。被ばくのリスクもなし。ただし妊娠のリスクはあり。

  • 新聞の4コマが救い。

  • 普段より“いい生活”をすることが助けになるんだな。 RT東日本大震災で「ユーモア」が許されないこの緊張状態は危険 ‐ 岩崎聖侍 http://bit.ly/hczisp #blogos


  • そんなことないよん。大震災や終戦直後は人はチケットめっちゃ高いのにガンガンコンサートや藝術の催し物にいくんだってさ。美輪さんが言ってたから間違いないよん。むしろ人間の核だよ。藝術って。 @zenmaaai

  • とある魔術の禁書目録、全話一気通関!これから輪番、寝るぞ!

  • 第1グループ 6:20~10:00 の時間帯のうち3時間程度    および 16:50~20:30 の時間帯のうち3時間程度

  • 夜の散歩、月がきれい。星もよく見える。桜の花びらをスッと鼻で味わう。はぁ、ええ匂いやわぁ。いつもと違う道から帰る。小股という表札のかかっている家を発見。ちいさいおまた、頭をクレヨンしんちゃんにして帰る帰り道なのでした。


  • 一寸先は闇だが、その闇はきっと温かい。

  • エジプトに続いて、誰がこの先進国、安全国家日本でこんな事態を想定していただろうか。1万人の安否不明は、不明ってだけで、実際には、そのほとんど多くが生きていると勝手に解釈していたが、、、ちがうのか?ここは日本だろ?先進国だろ?まじか。一寸先は闇だな。

  • どこかで人ごとだと思っていたニュージーランド。めっちゃ揺れて、ひょっとすると人ごとじゃないなと思っていた今回の地震のはじめ、1万の死者となったら、もうぜったい人ごとじゃないな。まじで。身近な人が絶対に関わってる。もう当事者として行動しよう。

  • まあまあ、落ち着け。落ちつけ。“不謹慎”があるほうが健全なんよ。どんな時も“KY”は必要なんよ。それもあっての“オール・ジャパン”なんよ。 @poivre655

  • @sao_18 いいね!@iccchiiiiii あと、童謡が聞きたいです。日本の心を。

  • 藝術の可能性を信じる!バッハとかモーツァルトとか、ベートーヴェンとか現場で聴けたらいいな。

  • 生き残ったダヌタさんの手記の中にはこう書かれている。ミケランジェロやショパン、シェークスピアたちが私たちを最後まで支えてくれました。

  • アウシュビッツのような過酷な環境の中で、最後まで生き残った人々を支え続けたのはユーモアと藝術であった。

  • @SOLIDSTAY  @sao_18  素晴らしい!それ頂きました(●^o^●)!

  • 世界って何だ?神って何だ?人間って何だ?

  • 大学に落ちた人、受かった人、被災した人、ちょっと被災した人、被災しなかった人、天国と地獄とその狭間、神は多様性を好むというが、この多様性っていったい何だ?

  • @mikeko009 おめでとう!ようこそ残酷な絶望と夢溢れる希望の世界へ!

  • 天災は忘れたる頃来る。まだ十分な警戒必要。

  • 共に生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って。


  • “がんばろう東北”から“がんばろう日本”へ!

  • ”がんばろう宮城”から”がんばろう東北”へ


  • 民法は速攻性、NHKは確信性の情報。

  • “がんばろう神戸”から“がんばろう宮城”へ

  • 明けない夜はない。

  • @nicyasoku あり(●^o^●)

  • 祈りは“未”科学。祈りはカオス理論を通じて現実を変える力を持つ。と信じたい。祈りは通じると思わなきゃやってらんないね。念いよ届け。

  • 今、まさに日本人のアルマゲドンのブルース・ウィルスや24のジャック・バウアーが福島原発で闘ってるんだよなぁ。ありがとう。と祈るしかできねぇや。







  • 何が真実か、最後は自分の理性で決めよう。もし自分で決められなければ絶対に掛け値なしで信じられる、命を賭けても後悔しない、そんな信頼できる人を信じよう。




  • @MIHOT_E 気にすんな。善意は善意。カント、カント。









  • この国はやっぱり、やるときゃやるよ。覚悟を持った時のこの国の強さは半端ねぇ。

  • @BAKEeli 今日はナイス働き!見なおしたよ!ありがとう!これからもよろしく。


  • 俺は今、東京大空襲の映像を見ているのか?

  • 今、少しでも多くの笑顔を護るために闘っているすべての方々、ありがとう!そして、がんばってください!

  • 少しでも、多くの笑顔が保たれんことを。

  • 落ち着くこと。とりあえず落ち着くこと。1にも2にも落ち着くこと。どんな時にも理性を失わないこと。ゆっくり急げ。

  • 結局、今の俺には祈ることしかできない。無力だねぇ。







  • 生きろ!