2011年5月29日日曜日

身体と想像力の限界

急性扁桃炎になった。喉が痛い。喉が痛い。単なる痛みではない。こんなのは今まで一度も経験したことのなかった痛み。この世界のすべての痛みをすべて吸収したかのような痛みである。歩くだけで痛い。歩くだけで振動する体の、足から肩までの骨のきしみの喉まで上がりしの痛み。鈍痛。唾液さえ飲み込むことができない。唾液は口の中にたまる一方。飲み込めず、飲めば激痛が喉の奥から脳髄へと駆け巡る。これはなってみたものにしかわからぬ痛みであろう。ただただ洗面器に糸状のはちみつの如き唾液がたまるばかりである。

想像力には限界がある。


叔母はがんで死んだ。抵抗力がなくなったため、扁桃腺がよく腫れていた。おばの苦しみなんてその時はちっぽけなかけらもわかっていなかった。

ただ漫然と死に行く苦しみと闘っているだけだと思っていた。死に対してのみ闘っていると思っていた。

叔母は言っていた。食べ物を食べることは本当に喜ばしいことなんだよ。

食べることは、力のいることなんだよ。飲み込むことでさえも力のいることなんだよ。


ふむ、そんなものか、なるほど、そうなのか。



ただ単に知識として僕の頭の中に入った。

僕には叔母のこの言葉の意味が何も分かっていなかった。



急性扁桃炎(自己診察、家庭の医学調べ、写真と一致。)にかかって叔母の言っていたことばが僕の魂に深く刻まれた。おばのことばが僕の魂の一部になった。もう二度と離さない。この言の葉。



嚥下する力があって初めて食べ物が食べられる。嚥下することに痛みがなくて初めて、食べ物を味わうことができる。口の中に痛みがなくて初めて食べ物もそのうまみを発する。


体だけではない。悩み事がある時はどんなごはんも砂利のようにまずい。砂を食べているみたいだ。

食べ物を味わう喜びは奇跡的なものが奇跡的に掛け合わさって生ずる。生きる喜びはすべて奇跡の上に成り立っている。

食べ物に感謝し、そしてそれをおいしく食べることのできる体に感謝し、そしてそれを作ってくれた人に感謝し、それをおいしく食べられる自分の心の持ちよう、気持ち、感情に感謝して、そこにある命をいただく。


これがどれだけすばらしいことか今日初めて分かった。心底体で知った。

歩けることの喜び、学ぶことができることの喜び、ピアノが弾ける喜び、自分の考えを広く天下に知らしめられる喜び、友達がいる喜び、支えてくれる人がいる喜び、裏切られる喜び、急性扁桃炎にかかる喜び。ガンで死ぬ喜び。生きていることは常に苦しみと喜びの桶狭間。だということ。

傲慢にならず、今健康で生きていることに感謝して生きていこう。今回の急性扁桃炎はいい勉強になった。今も痛いがだいぶ楽になった。病は自分を見つめなおさせてくれる。


傲慢だった自分に反省。

この痛みに想像力は追いつけない。追いつけないが、これからはこの痛みを感じ入ってる人には想像力で追いつくことができる。

人生は経験の連続。辛いことを知ってる人間の方がそれだけ人にやさしくできる。それはその人の想像力が身体に裏打ちされた想像力だからだ。


想像力に限界はある。だが身体に裏打ちされた想像力に限界はない。


年をとることによって見えるものも増えてくる。感じられるものも増えてくる。年をとると涙もろくなるのは、そういうことだ。身体に裏打ちされた、自身の魂を通じた想像力に限界はない。



人の痛みに敏感な人は、それだけ想像力が豊かであるといえるのはこの為である。



ありがとう。ありがとう。ありがとう。

2011年5月26日木曜日

藝祭委員長への要望

いけぽん、今日はおれが悪かったね。

反省。

俺は熱くてわがままな奴だから、自分の主張をすぐに押し通そうとするんだよね。人に迷惑をかけてまで。結果、後で反省する訳だが。まぁ、それも人生だ。

今日は代表者の親睦会だったから、俺は外されて当然だね。まぁ、俺が委員長だったらウェルカムだけど。いけぽんはいけぽんのエステティクスがあるから、まぁ、それはそれでウェルカム!人の不幸をいけぽんが望まない限りは、おれがいけぽんを嫌いになったりすることはないから安心しろ!


ただ一つ疑問に思ったのは、肩書のない人間が代表者会議を見ることができないってこと。これがどうも腑に落ちない。代表者会議は全体会議のような場だと会議が紛糾する可能性があるから、船頭多くして船、山に乗る、っていう事態を避けるために設けられるものだと思う。だから肩書の何もない藝祭委員が会議に出席することができないのも、まぁ、ぎりぎり納得できる感があるけれども、だが違和感がある。藝祭を誰よりもいいものにしたいという奴がいて、そいつにただ肩書がないからという理由で会議から締め出されるのはなんか違和感を感じる。俺だったらウェルカムだけどね。会議が秘匿するような内容を扱っているのか、それとも、単なる肩書のない藝祭委員は単なるコマとして忠実に上からの指示に従えばいいのか。でもそれってたんなる奴隷じゃないのか。とも大げさだが思ってしまった。動くんなら納得して動きたい。代表が選挙や、民主的なプロセスを経ていなくて、なぁなぁで決まってるってのも、俺は承知済み。だけど、今からそれを掘り返すつもりは毛頭ない。そこはもういい。俺はいけぽんを代表と認める拍手をした。日々ちゃんも、菊ちゃんにも拍手をした。結婚式の誓いと同じで、もう俺はそれには反対はしていない。むしろ、その御旗のもとでしっかりやって行こうと覚悟をしているわけね。藝祭委員はほかの学生とは違い、自分の貴重な時間を祭りに捧げているわけ、だから他の学生が外野から、これいいんじゃね、とか、これやってよ、というものにも耳を傾ける必要があるが、それ以上に藝祭委員は肩書がなくても、そのリスクを背負ってる分、他の学生よりも多くの権利を要する。藝祭委員は意見をいう場、少なくとも、どのようにして全体の流れが決まっていくのかの流れを知る権利があると思う。義務には責任が、責任には義務があるように。

これって、おれだけなのかな?俺だけが我がままで知りたい病を発揮しているだけなのかな?それはわからない。ただ、実際には空気を読んで言わないだけかもしれない。実際にきいてみればいい。誰もいないかもしれない。やっぱり、俺だけって結果は多分ある。だがもし俺が委員長だったらこういうな。

代表会議あります。会議の進行具合、見にきたい人は見に来てね。ただし、意見・要望がある人は代表に言わせてね。

とオープンなものにするかな。

なんか一部の人たちに中で決まってる気がしてならない。悪く言えば、藝祭の“私物化”。まぁ、いいんだよ。私物化しても、委員はリスクを背負ってるから。ただ、その私物化がなんだか、社会主義の政府を見てるみたいな印象がちょっとする。閉鎖的な感じ。

いけぽんの言っていた美術と音楽の融合。それはたぶん、もっと風通しのいいオープンな議論の場から作られると思う。実質、企画で夢が見られるのは、あと2週間くらい。それからは企画の実現に全力を注ぐだけになる。はやめ、はやめで先手を打っていかないと。


神輿課も初戦は敗退だと思う。もっと攻められたんじゃないかと思う。ただ、もう決まったら仕方ない。大事なのはその後の対応。過去は変えられない、ただ未来は変えられる。

神輿の資料が発見されて、それがぜんぜん共有されていない。神輿の歴史の資料出てきてるよ。いけぽん知ってた?昔は仮装行列で、火も使ってた。仮装に火が付き火だるまになった人が出たため、火の使用が禁止になった。昔は喧嘩神輿があった。その喧嘩神輿の最中にピアノ科の学生が音楽家生命を断たれたため、喧嘩神輿は中止になった。昔は神輿の大きさ無制限だった。徐々に縮小される神輿。昔はマルイや忍ばず池まで進出してたとかね。そういった資料はしっかり神輿課は読んでるのかな?連携を密にすると言ったけれども、本当にできてる?

俺は肩書もなにもない、たんなるコマの一藝祭委員だけど、藝祭委員の誰よりも藝祭の成功を祈ってる自信がある。そんな覚悟がなきゃあ、こんなことは恥ずかしくてかけないからね。新しいことをやりたいのなら、新しいことをやらなければいけない。いけぽん体制は新しいのかも知れないけれども、俺は前年を知らないからね、なんか新しい感が漂ってこない気がする。前年、例年踏襲感がしている。藝祭委員に前から、いた人がそんなに偉いのか?すくなくとも俺にはそこが理解できない。民主的信任を得ていれば納得するが。なぁなぁななかよしこよしクラブにしか見えないってのが外部の人間からみた印象。連携も多分できていないかも。グランドデザインは神輿のルートや開催時間などは藝祭委員全員に共有されるべきだと思う。俺がいいアイディアをいうかもしれないし、ほんと、もう超恥ずかしがりやな、ちいさな声でぼそぼそいう子が超グッドアイディアをもってるかもしれない。そういった声を俺は拾ってあげたいし、いけぽんに拾ってもらいたい。


簡単にまとめます。いけぽんはもっと広く意見を聴く。つまり風呂敷を広げること。そうして広げた風呂敷の中から何を選ぶかをピックアップすること。今は風呂敷すら広げられていない印象を受けた。


これって俺のエゴなんかなぁ。わかんね。ただこれが俺のエステティクスなのはたしか。こっちの方が俺は美しいと感じるのは確かなのはまちがいないはず。。。。たぶん。。。

2011年5月22日日曜日

フェースブックに、もとい

ネットに時間をとられ過ぎないように気を付けよう。

いうなればネットは現代の最高の時間泥棒だ。これに対抗するのはマッハなブラインドタッチを習得することと、常に紙媒体の本やこの世界という書物と対峙する時間というものを、そして何よりも、

内観

つまり自分自身と向き合う時間を確保しなければ話にならないだろう。明鏡止水な心で常に自己を見つめていこう。

とりあえず、マッハなブラインドタッチを覚えるべス。



今日、紙媒体の本で読んだことばで琴線に触れたものを選んで列挙す。

いうなればメモ代わり。記憶と創造的なベルグソン、教養は“古典のことば”をどれだけ引用できるかにかかってる。いうなれば、心がどれだけ練れるか、および、孤独と、自己と向き合った時間で測ることができる。


求愛の日々をできるだけ大事にしな、若者たちよ、そして、それらの日々を汚れのないようにすることだ。なんといっても、この人生の中に詩とか美とかいったものが入り込んでくる望みのある時期といったら、それらの日々を除いてほかにないといってもいいんだから。 ローソン短編集より



まず食うこと、それから道徳 ブレヒト


真理を知らない者はただの馬鹿者です。だが、真理を知っていながらそれを虚偽というものは犯罪人だ! ブレヒト、がりれお


望みを持ちましょう。でも望みを多すぎてはいけません。 モーツァルト


科学の目的は無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬に一つの終止符を打ってゆくことだ。 ブレヒト、がりれお


我々は見慣れていることだが、人間というものは自分にわからないことはこれを軽蔑し、また自分にとって煩わしいとなると、善や美に対してもぶつぶつ不平をいうものだ。 げーて、ふぁうすと


鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。生まれようとする者は、一つの世界を破かいしなければならない。 ヘッセ、でみあん


自分の命を愛しても憎んでもいけない。だが生きているかぎりは生命を大切にするがよい。長く生きるか短命に終わるかは、天に任せるがよい。 ミルトン、永谷園


酒を飲め、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
楽しめ一瞬を、それこそ真の人生だ!  るばいやーと、おまるはいやーむ


人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それとは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心なことは、ねぇ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。 ろまんろらん、じゃんくりすとふ


一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしている時にかぎってあらわれる。 うぇーばー、しょくぎょうのほう


生年は百に満たず
常に千歳の憂いを抱く
昼は短く夜の長きに苦しむ、
なんぞ燭をとって遊ばざる   中国名詩選


今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。 まるちゃん


けっして誤ることのないのは何事もなさない者ばかりである。生きたる真理の方へ邁進する誤謬は、死んだ真理よりもいっそう豊饒である。 ろまんろらん、じゃんくりすとふ


恋するものと酒飲みは地獄に行くという、
根も葉もない戯言にしかすぎぬ
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら
天国は人影もなくさびれよう。     るばいやーと、おまる


一般に、青年の主張するところは正しくない。しかし、それを彼らが主張するということは正しい。 ジンメル 愛の断想・日々の断想


権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ。 れおなるどだヴぃんちんこ


あたかもよく過ごした一日がやすらかな眠りをあたえるように、よく用いられた一生はやすらかな死を与える。


目に見えるものでも、見えぬものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これからうまれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは幸せであれ。 ごーたまちゃん


時の翼に乗って悲しみは飛び去る。 らふぉんてぃぬ


人の世には平和を、海原には鏡為す静けさを、暴風には休息を、憂き身には熟寝をもたらすものはエロスである。  ぷらとん


春風に
花ひらく、
かの人の来たるらし。


春風に 
花ぞ散る、
かの人の去りゆくらし。   朝鮮詩集


これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。これ知るなり。 いわずもがな


一番大切なことはただ生きるのではなく、よく生きることである。 ぷらとん


才能とは天から与えられた使命だ。


悪魔でも聖書を引くことができる。身勝手な目的の為に。


高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ!高いところへは、他人によって運ばれてならない。人の背中や頭に乗ってはならない! にーちぇくん つぁrあ


世界は偉人たちの水準で生きることはできない。 フレーザー 金枝篇


わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在する為に。二回目は生きる為に。 るそー えみちゃんねる


花は半開を看、酒は微酔に飲む、此の中に大いに佳趣あり。 こうじせい、さいこんたん


この世は劇場。男も女もみな役者。 鮭


今一番私の好きな仕事といえば、夜空を眺めることです。なぜといって、おの地上から、また人生から眼をそらすのに、これほど好い方法があるでしょうか。 とーますまん


文体は精神の持つ顔つきである。それは肉体に備わる顔つき以上に、間違いのない確かなものである。   しょぺんはうえる どくしょ


人を罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな! にーちぇくん


本当のさわやかな弁舌には、広い度量と、人の意見に耳をかす落ち着いた心が必要だ。


ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。  ごーたまくん


パッサーニオ:嫌いなものは殺してしまう、それが人間のすることか?
シャイロック:憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね? 鮭、あきんど


君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなんだよ。 鮭






はぁ、ま。けふはここまで。ふぅ。もっとはやくぶらいんぢたっちしたいあbなあ。みないとぜんえぜんでい8いきないもんだ。

























怒りを覚える前に

五藝祭という国立藝術大学が一同に会する祭り的なものが毎年開催される。

それにわたしも出品することになった。

その祭りの委員にはわたしの友人たちが数多く参加している。


それゆえにわたしは大きな過ちをおかしてしまった。

自分の作品の展示くらい、きっと誰かが撮ってくれてういるだろう。デジカメだってきっと誰かが持って行ってくれているだろう。そんな甘い幻想を心の片隅に抱いていたんだろうと今となっては思っている。



しかし、今日、その祭りが最終日だということを思い出し、万が一もあるからと友人に一応念のため、俺の展示風景の写真を撮っておいてね。という以来のメールを送ったみたところ、既に展示は終了。すでに作品は梱包済みという旨の返信が送られてきた。

まじか!まぁ

あぁ、でも、でも、誰かがきっと撮っててくれたっしょ。と確認してみたところ、誰も撮っていないという。



ここでわたしは友人たちに怒りを覚えた。




は!なんで撮ってないんだよ!ありえないっしょ!まじ!ありえないわ!




と思ったその直後で、まぁ、わたしはマルクス・アウレリウス・アントニウスの系譜に属しているから、

あぁ、そうか、


俺の怒りはお門違いだな。と即座に思った。


まず友人たちも何らかの仕事に付いていた為、時間がなかったのかもしれない。やることがたくさんあった為、雑務に追われそんなことには気にもとめなかったのかもしれない。第一、はじめから、そんなこと頼まれてもいないわけだし。

そうなのだ。わたしは誰にもそのことを頼んでいない。頼んでいないものをやる奇特な人間はこの世には基本的に皆無であろう。そんなのは貧乏藝術家くらいなものだ。孔子が当時故郷では、有名になりつつあってもバカにされていたのと同じように、近くにいる人間にはその凄さがわからないらしい。俺のすごさが彼らにはもう当たり前のことになっていて、写真をとることにも、そんな価値のあるものとも思っていないのかもしれない。まぁ、いいや、単に孔子の話を思い出したから書いてみただけ。

俺自身、そこまで風景を撮っておいてもらいたい、と思ってなかったんだよ。うん。本当に撮りたかったら行く前から頼むし、自分で現地までいくはずだもん。俺にそこまでの気がなかった、それがこの問題の答えだ。


まぁ、いずれにせよ、わたしの友人に対する失望と怒りはお門違いの超甘えん坊のモンスター・クレイマーからうまれた幻想であった。傲慢人間の排せつ物から生じたものだった。




また、これで成長できる。また一つおきなことを学んだ。そして学んだことは忘れず、常に意識して生きていきたい。過ちて、改めざるこれ、すなわち過ちという。過ちては、即ち、改むるにはばかることなかれ。

多くを学んだ。


人を決して頼りにしてはならない。結局最後は自分次第なのだ。究極的には自分のみが信頼できる。

人を頼ってもいい。だが、それはけっして甘えであってはいけない。


いいたいことがあるなら、やりたいことがあるのなら、恥ずかしがらずに先手先手を打っていくべし!自分!人にべし!はつかわないけれども、自分にべし!は多用するべし!




自分のやりたいことぐらい、じぶんで守れ!ばかものよ!

2011年5月19日木曜日

最近一日一冊を敢行中

今日富んだ本、トブラインドタッチの練習。



白洲正子、能の見方。


行雲流水の心 松原哲郎 ノンブック


機になったことをメモしておく。

たらちねの うまれぬさきの つきあかり  中川そうえん


美は過去も未来もなく、ただ現在があるが故にいつも生きているのだ。諸君がぐずぐずしていて、頭を転じるともう美はない。朝顔は日の出ると共に目覚める。最初のその姿を愛でなければならぬ。ハスの花もそうである。こういうふうにして日本人は禅の教えから自然の愛し方を人間を含めた一切のものを貫く生命との接触の仕方を学んできた。    鈴木大拙 続 禅と文化

心が渇かないこと。


うらをみせ もてもみせて ちるもみじ   良寛

性を明らめ死を明むるは、仏家一大の因縁なり。  道元


衣の支度をしなさい 旅に出るぞ  山本玄峰

仏も昔は人なりき 我らも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけることあはれなれ

仏だに凡夫におわせしとき、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びたまいてこそ、仏ともなりたまい、衆生wもわたしたまえ

子の頃はもう昼夜とて苦痛煩悶のみにて、楽しき時間というもの少しも御座なく候。朝から晩まで、鳴いて喚いてたわ言など申して、ただ地獄にでも落ちたように苦しんでいるとは御先祖様はじめ、どなたも御存じあるマjく候。

おかしければ笑う。悲しければなく。しかし痛みの激しい時にはしようがないからうめくか、叫ぶか、泣くか、または黙ってこらえているかするかする。その中で黙ってこらえているのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛みが減ずる。

すべての楽しみ、すべての自由はことごtく余の身より奪い去られ、わずかに残る一つの楽しみと一つの自由はすなわち飯食の楽しみと執筆の自由だ。          

子規

死に近き 母に添い寝のしんしんと 遠田のかわづ 天に聞こゆる

みちのくの 母の命を 一目見ん 一目見んとぞ ただにいそげる

母が目を 一目見んと 急ぎたる 我が額(ぬか)のへに 汗出でにけり

吾妻山に 雪輝けば みちのくの 我が母の国に 汽車入りにけり

寄り添える 我を見守りて いい給う なにかいいたまう 我は子なれば

死に近き 母が額をさすりつつ 涙流れて いたりけるかな

我が母よ 死に給いいく 我が母よ われをうまし 乳足(ちた)らいし母よ

のどあかき つばくらめふたつ はりにいて たらちねの母は しにたまうなり

灰の中に 母を拾えり 朝日子の 昇るが中に 母を拾えり

やまゆえに 笹たけのこを くいにけり 母そはの母よ 母そはの母よ

斎藤茂吉
なつかしき 我が故郷は いずこぞや かしこに我は 山林の児なりき

山頭火
お前はきりょうが悪いから愛きょうだけでもよくなさい。お前は体が弱いから、こころだけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。太宰治

レコードが割れてしまっても、美しいメロディーが残るように人間も美しいきおくだけを残さないのかしら。にわふみお

浄土も我がうち 地獄も我がうち  生方たつえ

わたしたちはいわば、二回生まれる。一回目は存在する為に。二回目は生きるために。るそー


今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。だんまぱだ

友と交わるには三分の侠気をおぶべし。人と作るには、一点の素心を存するをようす 洪自誠

人間の為といいましても、自分のすぐ隣にいる人から始めるよりほかに仕方がない。島崎藤村

行雲流水 自由に生きる

水音きょうもひとりたびゆく

枯れゆく草の美しさにすわる                      山頭火

幾山川超え去りゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅行く

しらとりはかなしからずや空の青 海の青にもそまず漂う         若山牧水

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり           道元



いやぁ、やっぱ本を読むっていいねぇ。大学の講義の5兆倍人生の役に立つなぁ。

2011年5月16日月曜日

新歓2011 藝大寮

いや、見事に大成功だった。


よかった。よかった。実によかった。



会はバーベキューを皮切りに飲めや歌えやの大騒ぎ。俺がキュレートした洋楽の音楽もみんなに、この選曲誰?センスよくね?といわれたのがうれしかった。

みんなが集まる場では自分の好きな音楽を流すよりも、みんなの乗れる洋楽、名曲選を流すのがいいのだ。ぎんなんや座禅はみんなで楽しむ場の音楽ではないと思った。好きなものアピールという“私的なもの”は公の空間ではそのアピールポイントの方向性を見失いやすい。公の空間は限りなく滅私で行かなければならない。

中国人留学生がとても面白かった。10分に一回やって来てF・R・E・E!と体を大の字にして叫ぶのが本当に面白かった。


可愛い女の子のそばにきてL・I・K・E!!いぇーい!L・O・V・E!いぇーい!といっていたのもまたおもしろかった。


酔っ払い男のビンゴ大会、石神井バンドのマイシャローナ。アラジン、アラジンアンコール、ガラス割りハプニング男、保存科学の保存男が破壊しまくる皮肉は本当にうけた。

ふんどし、パンツ一丁の変装最中に、ガラスがバリーンとでかい音がして割れたのが聞こえ、ひょっと顔をだすと、すんません、透明だった。という言葉を残して軽くけがをした、そのハプニング男は、そこを後にした。

その後は一度、消していた灯りを付け、みんなで割れたガラスの片づけした。その途順、タクシーから、病院の手配までと、岡島飛鳥という英雄が本当は俺が行かなければならないところを、ここは俺に任せてくださいとその役目を買って出てくれた。そのハプニング男を病院へと連れて行ってくれた。一ノ瀬さんにはここからもう一回会を盛り上げる使命があるんです。と言われ、彼のことばを胸に一度覚めた会をまた盛り上げようと懸命に頑張った。生活委員の増渕さんと、アラジンのリベンジをして場を元に盛り上げなおした。



内容はきわどいパンツ一丁のアラジンと、赤いふんどしのジャスミンがラストに逆尺八をされるというもの、もちろん、ふんどしでおおってそのやってる“ふり”をするというものである。




まぁ、いろいろとあった訳で、その後はムーディなジャズの中で楽しい談話がなされ、英雄とハプニング男は無事帰還した。そのゆったりしたロマンティックなひとときは三時まで続き、その後、石神井公園で肝試し大会をして会はお開きになった。


朝の5時まで会は続いた。

会の密度、濃すぎます。濃すぎて書けません。眠いです。

まぁ、そんなかんじです。



なんとか死人もでず無事に会を終えることができてよかった。

体を張って会を盛り上げてくれた生活委員のふたり、酔っ払い男含めた会計員のよにん、仮装したかわいい女子寮長に、そして会に参加し、盛り上げてくれたイかしたみんなに、感謝。


そして、それを見守ってくれた石神井の神様方に感謝いたします。


美しい日の出。

日本人でよかった。

藝大生でよかった。



新歓、無事に終わってよかった。





詳しい、新歓の模様はいつかここに記すことにして、今はその流れだけを記しておく。

2011年5月12日木曜日

大学美術館、香り展

香り展に行ってきた。

名作をたくさん見てきた。美術館の味わい方は人それぞれであるが、ここに私自身の味わい方を記しておく。

私の味わい方、それは、すべての作品を見ようとはしないことである。一点か、二点、本当にみたいものだけを搾って見る。とりあえず、逆走から始まる。“なんだこれは?!”と思ったもの、名品、駄作を問わず、自分の感性を信じる。小林秀雄がゴッホのカラーコピー、それも当時のだから、色彩も実物とは全然違うものに感動し、実際の実物にはまったく感動しなかったと述懐している。本物のゴッホよりも雑誌で見たできの悪いカラーコピーに感動したなどとは藝術の最高学府に属するものとしては口が裂けても言えやしないようなことを彼は平気で言った。まさに利休を髣髴とさせる。感じたことを感じたままにいうことのいかに難しきかを我は知る。


今日の“なんだこれは!?”は島成円の紅い、細長い女がぐっときた。

あとは天にのびんとする香木、伽羅。


しかし、香り展なのに、触ったり、嗅いだりできる展示が圧倒的に少ないのはまだまだだな。

どんな展示にするのか、俺に相談した方が絶対にいいと思う。

俺だったら、もっと、体験できる美を展示したな。

香の実際の勝負、あてっこゲームができたっていい。やっぱりまだ、ぜんぜん人と美術を結びつける気がないのがわかる。お高い、触ることのできぬ美術はもう古いよ。しかも係員のありがとうや、回覧券の確認がただやればいい、になっていて、ぜんぜん心がこもってないよ。バイトなら仕方ないは通じないよ。しっかり上の人間の指導がいき届いてないからそうなる。クーリエ失格だよ。もっとよく、考えて、指導、展示しろ。俺に聴け!俺から学べや!


はぁ、展示方法の抜本的改革が必要だね。まったく。それじゃ作品は永遠にお茶の間の心を掴むことはできないよ。

2011年5月6日金曜日

大学の講義VS岩波文庫

ものごとを巧みに伝える術を熟知するものを“藝”のある人間という。

“藝”のある人間といえば、落語の名人が挙げられる。

何のことのない世間話から、気づけば虚構の世界に。


誘われたことすらも気づかぬうちに、我に返るはみなが席を立ちてから。





藝のある講義について考える。


藝のある講義の要素は大きく3つ。


一、面白いこと

一、対話があること

一、その後もその問題、テーマについて考え続ける原動力になること。

この3つの要素すべてを含むのが“藝”のある講義である。




一、面白いことについて

これはファニーなことでなくともよい。ただ、それよりも知的に面白いということが大前提となる。

また面白いことの指標としては、寝てる者の有無がその判断基準として有効。寝ている者が多い授業は概して、“つまらない”ことが多い。教えている内容は“素晴らしい”ものであっても、それでもなお寝ている者がいるのであるならば、学生の心身の疲労を考慮の余地にいれたとしても、それ以上にその講義の話し手の力量不足がその主な原因であろう。つまり話し手に“藝”がないという訳である。講義にはある程度の緊張感が必要。指されるかも知れない、恥をかくかもしれないリスクと同時に、うまいことが言えるかもしれない期待とリターン。ハラハラのスリルを体感できるジェットコースターのような講義なら誰しもが眠らないエンターテインメントになる。

また、時が経つのすら忘れさせる講義、もっと聴きたい、と思わせるような講義ができたらそれは最高に素晴らしい講義だ。


一、対話があることについて

えてして、日本式の講義は学生、聴講者が“お客さん”もとい“借りてきた猫”になりがちである。当事者意識の欠如がその原因。自分には関係のないこと、そんなのかんけーねぇ!そんなのかんけーねぇ!はいっ!オッパッピー!と思っているうちは、ただそこに存在しているだけで、講義が終わる。居眠りする為の講義。いうなれば話し手のコトバは緩慢なノイズ子守歌というわけだ。岩波文庫を読んでいるほうが5兆倍人生の役に立つのはこの理由がゆえである。当事者意識なき講義、または態度、は真剣に見るジャッカスに及ばない。自分も今、参加しているという感覚は常に持たせる必要がある。対話なき講義ならそこに存在する意味も理由もない。ただユーストリームで流せば事足りる。mp3で配信すれば事足りる。…とまではいわないが、そこにあるライブな感覚は大切ではあるわけで。また近くにいることで感じられる、話し手の緊張感やアウラなんかの感覚についての考察もありっちゃありなわけだが、ここでは割愛する。

対話形式には制約がある。それは大人数、時間といった物理的な制約である。聴講者各個人の話し方、内容が多様なため、個性が溢れて結果収拾がつかなくなる事態に陥る可能性がある。それゆえに、対話形式の講義は難しい、無理だ、という結論に至り、結果、現状維持という名の無策な講義が例年、繰り返されるわけである。

しかし上記のような理由にもはや有効性は見いだしえない。サンデルを見た後では一切が嘘になる。話し手のいい訳にしか聞こえない。つまり話し手は自分の藝のなさを認めたくないわけだ。演習、ゼミではできることも、大人数になるとできなくなるというのは嘘だ。もちろん、本当のところは対話形式でなくともいい。TEDのような講義がなされるのならば。対話式の授業をまずはやって見ることだ。やって試行錯誤してみればいい。トライ・アンド・エラーからしかすべては始まらない。藝がなくったっていい。これから身につければいいだけのことだ。誰しもがサンデルになれる訳ではない。サンデル並みのウィットも、明晰さも頭の回転もあるわけではない。ないが、それでもサンデルに近付く努力には意味がある。日本人だから、それが伝統だから、そんな理由でサンデル形式の授業にそっぽを向いてはならんねぇ。なぁ、そうだろ、諸君。対話しようじゃないかぁ。小林秀雄も最後にはそこにたどり着いた。プラトン、ソクラテス。結局はそこに戻る。ソコカラスベテガハジマッタノダカラ。


一、その後もその問題、テーマについて考え続ける原動力になること。

各自の“課題”、いうなれば“使命(ミッション)”といってもいいものについての新たな視点の提供につながればいい、といった程度のこと。絶対に役立つものは絶対に役立たない。絶対に役立たないものは絶対に役に立つと言うだけの話。荘子です。即非の論理です。鈴木大拙です。それが教養というものです。

その人間がいかに生きるべきか?と自分の人生を真剣に考えた時に、生じざるを得ないプライオリティーの判断基準に合致した時に、その講義が役立てばいいし、役に立たなくてもいい。死ぬまで役に立たないものがあってもいい。いや、むしろあるべきだ。いやぁ、ひさびさに“べき”ってことば使ったなぁ。まぁいいや。アインシュタインの言葉で少し補足。

育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

うんうん。結局いいたいことはそんだけなんだけどね。

役に立つことばかりを考えていれば頭打ちになる。自由が消える。雁字搦めの卍固めに陥ってしまう。そうならない為の無用の用。いうなれば“遊び”。人間の本質。“遊び”がなくなれば人間は人間でなくなる。遊びは寛容のバロメーター。遊びなきところにナチあり。猪木の卍固めには若干のゆとりあり。こん平のかばんにも若干の余裕あり。ちゃっら~!


そんなこんなで考えた新たな講義があってもいい。

面と向かっては言えない勇気なき声も、文明の利器であげられる世の中になった。勇気ある者は面と向かって、なき者はツイッターでつぶやけばいい。講義の最中に、思ったこと、感じたことはなんでもいいからつぶやいてくれ、と。そしてそれをタイムラインに上げて、見られるようにする。あるものはなんだって使えばいい。やれる試行錯誤はなんだってやったほうがいい。みんながみんな何を考えているのかがわかる。話さないから他人を見下す。軽蔑する。大切なのは世界を、他人を、自分を軽蔑しないことなのに。ヘッセのことば。狭い世界に閉じこもる。それで生まれるものもある、だが外からの刺激の方がそれ以上に価値がある。すごい奴等は周りに溢れてる。ただ、話す機会がないから気付かないだけのこと。話す場がないからだけのこと。一つの講義がハブになれるのだとしたら、それはなんて素晴らしいことなんだろう!



話をまとめよう。いい講義とは何か?

それは“いい”の定義に起因する。ここでは“みんなちがって、みんないい”なんていう戯言はいわない。俺がルールだ。俺の“いい”が“いい”である。

であるから俺のいい“藝”のある講義のまとめである。



結局、いい“藝”のある講義とはそれは“背中で語る”講義だ。生き様を語らずに、生き様を語ることだ。人間が本当に“おもしろい”と思うのは本音が出た時だ。その人間の本音が見えた時に面白いと感じる。いうなればそこに真実を見た時に“ぐっ”とくるのだ。自然や、虫の美しさはそれが真実だからだ。人間の美しさも、講義の美しさもそれは同じ。建前は睡眠導入剤にしかならない。みんなちがって、みんないい、の果てにはみんなおなじで、みんなクズ、な世界が待っている。睡眠導入剤の多用は“感性”の低下を招く。だから“つまらない”、“寝かせる”講義はクズである。本音がないからである。話し手が本当に思ったこと、感じたことを言っていないからである。聴講者が眠くなるのは、そこに“人間”を感じないからである。若者は敏感である。真実を簡単に見抜く。子どもであれば子どもであるほど、“つまらない”講義には眠くなる。そんな授業に出席しろというのもクズである。そんなクズな講義にはでるなといっておいて、そんな講義に出席する俺は一番のクズである。大学を辞めない俺は一番のクズである。クズであるが感じたことは書いておく。ここはゴッホの日記なのだ。クズでも感じたことには嘘をつかず、感じたままに書いておく。それがクズにでもできることなら、クズなりにベストを尽くそう。それがクズの矜持だ。一寸のクズにも五分の魂。

そうなのだ。書いてみてわかった。書きたいことがあるか書くんじゃないんだ。やぱり、書くから書きたいことが分かるんだ。これは真実だ。

わかった。わかったぞ。やっぱり、岩波文庫の方が大学の講義よりも5兆倍、人生の役に立つんだ。つまり人生の役に立つってのは、つまり≪俺の≫人生にとっての役に立つってことだ。俺の人生のプライオリティーの上位にくるもの、それが岩波文庫だってことだ。つまり、古典だ。

そうすると、だいたいのことについて説明がつく。よくなされる議論、古典を学ぶべきか?歴史から学ぶべきか?

それは、ずばり、人による。だ。そして、ただ、俺にとっては、俺の人生にとっては、古典を学ぶことはプライオリティーの最上位にくるってだけだ。必須ってだけだ。歴史から学ぶことは俺にとっての“べき”だ。守破離は我が人生だ。

そして、そのプライオリティーのふるいにかけられたときに、大学の講義の大半がクズってことだ。大学の講義、それ自体がクズな訳ではなく、俺のプライオリティーに精査されたときに、俺の守破離のフィルターにかけられたときに、ある講義がクズにも宝石にもなるってわけだ。そして、それゆえに、、大学の講義の大半が基本“クズ”なわけだ。


そして教養とは、いつ役に立つかわからぬ知識をため込み、それをその時が来た時に、知恵に変えることだ。教養とはもののあはれだ。名言を暗記することだ。人間について広く深く知ることだ。教養とは人生の味の素だ。スパイスだ。宝石とガラクタの入り混じったおもちゃ箱だ。そうだ。人の気持ちがわかることだ。

あぁ、やっぱり最後はここに行き着くぞ。

何が人生の役に立つか、それは神のみぞ知るってわけだ。はは~ん、なるほど。


とりあえず、今、暫定的に言えることだけでも書いておこう。

教壇に立つものへ。または多くのものに語りかける場にいる者たちへ。





種を蒔きつづけよ。なぜならあなたはどれが育つかわからないからだ。しかし実際には、すべて育つだろう。


アインシュタインのことばより。




この種とは、種馬の種ではない。


けっしてそういった意味ではない。…精子ではない…はず。






おあとがよろしいようで♪



2011年5月5日木曜日

だいぶわかってきたぞ

だいぶ分かってきたぞ。



つまり、今回の原発やなんかの問題はやっぱり非常に日本的な問題だったんだ。


寝た子は起こすな。臭いものにはふたをしろ。寄らば大樹の陰。ノーリスク。責任転換。


の集大成がもたらしたものだった。偶然ではなく、必然の結果。それは日本だったから。がその理由。


戦後、というか一切のものが両極端に触れた。真中が抜け落ちたんだ。中庸が消えた。バランスが消えた。理性が消えた。とりあえず、両極端な勢力が派閥をつくって、ちいさなコミュニティーを形成して、その中で反対の意見には耳も貸さず議論を続けた結果だった。



暗部にいよいよ切り込む時期が来た。それはウィキリークスでもあり、自衛軍でもあり、自由報道協会でもある。


穢いものを見つめる時期は既に来ていた。政権交代がいいチャンスだった。それすらも機をいっした。悲しき温帯。あはれな風土病。日本の宿瘂。




穢いものを見つめよう。真実を直視しよう。それが全ての始まりなのだ。


面倒なことに手を付けよう。

重い腰を上げよう。

いっせーのぉ、せえっ!っでみんなが動けば世界は変わる。




ただ、そこがやっぱりネックな問題。当事者意識の欠如が大きな壁。現状維持という名の無策。


日本人の大半は俺を含め、基本は『七人の侍』の農民だから。

妬み、嫉み、僻みの、惨めでちんけな臆病者の付和雷同集団だからなぁ。 みつを


はぁ、笑い男、久世、三島。


それでも武士かぁ~!それでも武士かぁ~!





抑制のきかない国民の合意なき自衛隊か、抑制のきく国民の合意の下の自衛軍か?


耳ある者は聴け!さもなくば去れ!の時代の終わり。

耳なきものも去ることはできない時代のお話。



しっかりとステークホルダー(利害関係者)の視点からの出発進行。





まずは選挙に行こう。


まずはそこから始まる。





そこからしか始まらない。

2011年5月2日月曜日

りある大学生

大学生になったはいいが、藝大は他大学に比べ、人数がすくないこともあってか、飲みや合コンが圧倒的にない。本当にない。

早稲田の高田馬場ではこの季節まで新歓がつきないというのに、藝大は入って、この一年もの間、合コンらしきものは何もなかった。自分がそういったコミュニティーに参加していないというのもあるかも知らんがそれにしてもなさすぎる。おかしい。いや、これが藝大なのだ。藝大にふつうの大学生活を期待してはいってきてはいけません。はい。

しかし、4月30日から、5月の1日にかけて、初めて大学生生活らしきものを体験した。


焼き肉パーティーを寮で開催したのだ。少人数規模のこじんまりとしたもの。顔見知り4人と、一人は新入生。一緒に焼き肉を食べながら歓談してかなり打ち解けた。


新入生は寝不足らしく、今日は風呂に入って寝たいと言うので早々に返してあげた。昨日は友達の家でかなり話し込んだらしい。

残された顔見知りのメンバーでとりあえず、やることがないから、トランプをしてみることになった。時刻はたしか12時くらいだったかな。それくらいからトランプを始めた。地方ルールがあるものの、とりあえず、皆がプラットホームを共有している大富豪をやることになった。10捨て、7渡し、8切り、スぺ3(ジョーカー返し)、イレブンバック、階段、縛り、などなどのルールを互いに共有して決めあった。実に人間とはホモ・ルーデンスだなと思った。遊ぶことこそ人間の本質だ。

すぐに終わるかと思いきや、やってみるとけっこう白熱するもので、なんだかんだで気づけば3時か、そこらになっていた。ビールを飲んだり、カクテルを飲んだり、あんず酒を飲んだり、チーズを食べたり、よっちゃんいかをつまんだりして、わいわい、楽しく仲良く、遊びに耽った。

続いて、ババ抜きをした。そして、皆の疲れがピークに達した頃、ダメ押しの神経衰弱をした。まったく覚えられない。頭が働かない中での神経衰弱はグダグダになって、だからこそそこが面白く、グダグダになってはいても、なんだかんだで、決める時はけっこう決めて、けっこうみんなしっかりと覚えていて、やっぱり負けず嫌いな訳で。俺は1位とその次は2位だったわけで。う~ん。ねむねむ。

みんな、明治時代の天心派閥の画家集団のような朦朧体のように朦朧とする意識の中で、薄れゆく意識の中で夜が明るみ始め、カラスがかぁかぁ鳴き出してくると、もうやめようにも止められず、誰かが寝るか、ギブアップするまでやろうということになった。男ふたりはプライドが許さないから、決してギブアップはしない。目は見えなくとも、じゃんけんはする。じゃんけん、なたはカード配布ができなくなった場合は負け。というルールがつくられた。そしてまた、大富豪。


みんな動きがスローモーションになっている。みんなおじいちゃん、おばあちゃん。


女の子の一人が遂に!ギブアップ宣言!をして、一同、泥のように眠り始めた。みんなもののけ姫のデイダラボッチのように、大きくぐおぉぉおーんと倒れた。


俺は鉄球を手首、足首に付けられたかのような中でも、彼らに風邪を引かぬように布団をかけてやった。そうして、俺も泥のように眠りに落ちた。たぶん、6時半かそこらだったとおもう。






気付いたのは10時半だった。女の子は部屋に戻っていた。男の一人はこれから取手へ行く、とのこと。ここは練馬区。ここから取手は茨城の方、常磐線の奥の方。まじでそいつはがんばるまんだ。そいつ曰く、俺の辞書に、疲れたはないとのこと。

よっ、痩せ我慢、日本一!


俺は寝起き早々、ナショナルジオグラフィックの地震の番組を見て、画面がやけに揺れる映像ばかりなのと、二日酔いとで気持ち悪くなってしまい、またまたダウン。結局12時ごろまで寝ていた。





いやぁ、実に、実におおいなる時間の無駄遣いであった。実に世の大学生はあんなことを毎日して過ごしているのかと思うとぞっとする。人生について何も考えていないのか?学問とは?人生とは?生きるとは?死とは?そんな真理の命題について議論しないのか?凡人には凡人の生き方があるとは言うが、もしあんな感じで、人生を考えず、一生を終えたら…、いや、まてよ、人生をあまりに知り過ぎているから、夜遊ぶのか?そうなのか、古人誠に夜遊ぶはまことに由あるなり。というわけなのか?いずれにせよ、こうだ。


         よく学び、よく遊べ!
 
 ということだな。うん 




実にいい勉強になった。これもまた人生。くだらないことにこそ意味もあるんだ。こういったことを経験しないで大人になるのは実にもったいなくもある。みんまこういう事をして大人になっていく。こういった体験が社会で共有されて、コモンズができるのだ。無用の用。一般人の、サリエリの気持ちを感じ入ることは大切なことだ。人間を知らずしてどうして素晴らしい表現ができようか?実際に体験しなければ見えないこともある。それが見えたのだ。あのくだらなく、最高に無意味な、素晴らしい時間に感謝!ありがとう!

かみさま、ありがとう!!!チュッ!チュッ!

気付けば早五月

 毎年この季節になると脳裏をよぎるのは鬱屈としていた浪人時代。

受験に失敗して早一月が経とうとしている。巷は活況。東京に進学した友人たちが都落ちなどと称し、地方に帰ってくる季節。毎年、毎年、この大型連休には大雨を祈るも、俺の願いなど露知らず、毎年決まって天気は快晴!本日天気晴朗れども波高しと、毎年のようにつぶやいていた。




毎年、毎年、この憂鬱な季節をいかに乗り切るかこれが肝心だった。

策などない。ただ、黙ってこの季節が過ぎ行くのを家でテレビを見ながらじっとして舞っているだけ。


毎年毎年、ただ、この季節には歌を詠む。




 ともがみな 我より偉く 見ゆる日よ 


               ジャンプ買い来て 独りたしなむ



啄木の気持ちが痛いほどよくわかる。そんな連休。


またさらに、親は我に浪人すれとて、我を生みしや?と与謝野晶子を思い出しもする。


余はまさに、秋山兄弟も、啄木も晶子も知らぬものの天下である。教養はむしろ、今の日本を生きる者にとっては邪魔なものなのかもしれない。教養は大学受験の邪魔をする。


そんなルサンチマンたっぷりのゴールデンウィークを毎年のように送ってきた。




そんな呪縛から自由になったのが去年から。今年もその呪縛から解き放たれてはいるものの、こんどはまたちがった呪縛が俺を縛る。人間は常に自由になればまた新たな呪縛に身をさらすことになるわけか。ま、人生ってそんなものかね。うん。



最近の考えていること、感じたこと。列挙。


児童の心理、ええ、そうです。そんなものは大人が作った勝手な妄想です。勝手に理屈を付けて説明しているだけです。子どもの心、大人も含めて、人間の心がそんな簡単な方法で説明できるわけがないじゃないですか。人間のこころに科学が迫れるわけがないじゃないですか。なぁ、そうだろ、諸君!


 人間のこころは人間のこころだけしか迫ることができないんです。


 津波で死んだ人と、あの日西日本のどこかで交通事故で死んだ人とでは、後者の方が“悲しい”気がする。一斉に死ぬことで薄まる悲しみ。一斉に死ぬことで消える顔。個性。2万人死亡が一件、ではなく一人死亡が2万件。




 そして、津波で死ぬよりも自殺で死ぬ事の方が圧倒的に多いという、この国の目の当たりの事実。当たり前のことだからもうニュースにすらならない。津波よりも“重くて長引く”日常の死。


 当たり前になれば誰も関心を持たなくなる。同化する社会。そんなのは大昔から言われてたこと。大江健三郎が大昔から言ってること。目指すは異化する、異化し続ける、活かし続ける、そんな社会。


 あ!わかった!藝術は原発よりも危険でなければならないんだ!


 要するに、これからは日が昇ったら起きて、日が沈んだら眠るようにすればいいってことか!…あれ?当たり前のことなんじゃ?ないか?


 欲望が欲望を生産する。とドゥルーズは語ったが、コンビニも、テレビ付き最新携帯も、原発も、みんな、みんな欲望の生みだしたもの。我ただ足るを知る、そんな社会の始まりの出来事…にはならない気がするなぁ。


 もっともっとがモットーな世間から、


どうぞどうぞがごもっともーな社会へ。




 津波のような“出来事”が人と人との手によって行われるのが戦争。自然災害なら許せることも、人為では、この恨みはらさでおぐべきか!となる。


 ネットがある限り、民主国家同士の戦争は、まずないっしょ。


 と、思っているうちに軍靴の音が背後から。




ま、こんなかんじかな。