2013年9月26日木曜日

“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”

はや、秋が来ぬ。風たちぬ。いざ、生めやも!

最近、卒論に取りかかった。4年間、先達たちの文章を悪文と罵り、自ら理解できぬ文章をあざ笑ってきたが、いよいよ本腰を据えて学者の文章とにらめっこまりもっこしなければならない時が来た。

ふむふむ、はっぱふみふみ。

なるほどなるほど、そう、そうなのか。







なぜだか不思議なことが起きていた。先達の文章がわかるのだ。




この私自身に起きた変化を書き留めておく。普段はこんなブログを書く時間は無駄だから描かないことにしているのだが、今回は別だ。

ライフログとして、ここに記す。




またひとつ、賢くなった。うむ。



いつも賢くなるときや、頭の回転が速くなる時には決まって頭痛がするのが我が家の決まりだ。新しい概念や衝撃的な本を詠んだり体験なんかをすると知恵熱を出すのだ。知恵の偏頭痛。

今回もまたそれが起きた。自慢は好きではない。自慢していると思われることが片腹痛い。書かなければいいのだが、やはり一つの自慢と、またこれを読んだことで人生をより充実して生きていける人がいることを鑑みてもやはり記しておく。


4年間、自分は遊んでばかりいたわけではない。他の大学生よりは多くの本を読んだ。自負はある。

それがここで花開いたかと確信した。はじめは気付かなかった。そうした状態がここ2週間くらい続いて、ふと。



あれ。。。


何か原書ですらすら読めてるんじゃね?(時駆けの千晶風)

意味も分かる。パスを繋いでいる。おそらくこれが学者や研究者が肌で感じていることなのだろう。

その分野の全貌(全体像)が徐々に宇宙の晴れ上がりを起こした。

とはいえ、重箱の隅をつんつんとアラレちゃんがうんちを突くような学者にはなりたくない。だが、文献を読めるようになると重箱の隅をつつく重箱絨毯爆撃の学者の凄さやレベルがひしひしとわかってきて彼らを見下すことは間違いであり、できないこともわかった。

スカウターが機能し出したといえばわかりやすいだろうか、その学者の掛けた熱量と時間といった覆すことのできない場数と経験値と時の積層が見えるようになった。いうなれば、その人間の孤独と向き合った時間と人間的な戦闘力がある程度把握できるようになった。また、それに伴い重箱学者への敬意なるものがふつふつと涌いてきたし、それは今もまだ沸騰中だ。だいじょうぶ、カンラン石は入れてある。

かといって彼らに全面的に与するのも違う。



なるほど。なるへそ、なるへそ/ガイアのへそ!(聖剣伝説2)




正しき態度は敬意を抱きつつ、批判すること、なのだ。たこつぼ化した先達の業績を認めつつ、チームとしての役回りを自覚した上で、先達のたこつぼ化を批判するのだ。チームとしてやるべきことを指示するのだ。おい!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ミュージック・チャンプ!バン!バン!バン(所ジョージ出演)!前線にパスを繋げ!俺に回せ!カール・ハインツ・シュナイダーはここにいる!雷獣シュートならまかせとけ!キャプテン翼5(ファイブ)ー覇者の称号、カンピオーネ!アルシオン!懐かしい!実に懐かしいですね〜(古畑任三郎風)!


チームには学問フロンティアの前進と拡大に適した人がいる。チームには前衛と後衛、前線と兵站それぞれに得意な人材がいる。どちらも揃って学問は道を歩む。



学問は組織戦である。先達はパスを繋ぎ、それをシュートするのが私の責務である。しかし、私のシュートもまたパスに過ぎないのかもしれない。ニュートンやニーチェやアインシュタインがそうであったように、私のシュートもおそらく後世の天才たちへのパスになるだろう。私もまた彼らと同じように真理の階段の礎になる。



まぁ、そんなことを思った秋の夜長でした。




さぁ、はぁ、ま、どうにかこうにかみのるたで、ゆるゆるやってきます/



では世界をちかぢか変えることになると思うんで夜露詩苦〜!



みんなのいっちーこと、一ノ瀬健太