2011年9月30日金曜日

博物館学2 広本先生

画学生へ、友人と話をしろ。画材の話ではなく、人生の話をしろ。そして干渉されるな。干渉されれば自分の時間がなくなる。自分を曲げることになる。


最後まで自分を信じ続ける。奴隷になるな。成功しようとも、失敗せずとも。

一般大衆が常に騙されるということでもない。


数学は深く学べ。線と形態と色調を整えるのは画家の才能である。エリア、領域について学ばねばならない。

線は線とわかないのが素晴らしい。対立する線はオッケー、というかそれは素晴らしいことだ。

画家は数学を学べ。再度いう。

藝術家には基地がなければならない。自分の戻る時間。静かに本を読んだりする時間。誰かに何を言われようが関係ない。言わせておけ。

美術学校の使命、学生たちを刺激、心身の刺激を与えること。アイディアの重要性を強調すること。

成功とは自分のやりたいことを続けられるとこだ。マーク・ジェイコブス

2点買ったらコレクター

今の世界を知ること。常にやっておくこと。CNN、BBCのニュースをフォロー。

アート・スピリット。必読。

美について考える為に。

エコエティカ、倫理と環境、未来を作る倫理学、

値段の付け方、原材料費、人件費、時給1000円、材料費一万円、人件費2万円。ひとつの目安。最小は安く、気軽にいろいろな人に買ってもらう。

企業のロビーに展示するに値する作品を作りなさい。

実用的な彫刻、触れるもの、接することができるモノ。パブリックなところに展示する時には安全性に配慮。公序良俗。

絵を飾ることは自転車に乗ること。一度飾ればあとは流れに乗れる。

2011年9月28日水曜日

アイディア 能の講義を受けまして

渋谷のスクランブル交差点で能の装束その他、唄い手、音楽などの一式を付けてゆっくり横断。


狙い。スピード!スピード!スピード!の世の中に警鐘を鳴らす。

NHKの放送中にやるのがいいかな。


誰かやる人いたら協力します。

2011年9月27日火曜日

博物館学2 石坂泰章

サザビーズジャパン社長

石坂泰三の孫。

オークション会社のビジネスチャンス、3D+1D

death,debt,divorce,discretion好みの変化

ナチ略奪品は要注意。クリムト、

会場には宝石品販売も。買うのは出品者の奥さんが多い。イスラム系のお客さんは上客。

美術品の価格の決まり方

作家としての評価、パラダイム、後世への影響、技術

真贋、作品の質、状態、大きさ

希少性

目垢

来歴、展示歴

美術的価値以外の基準、

時代の共有、ジョンウェインの郵便受け、ケネディ家ジャクリーンの真珠とか

歴史の証人、

特定のテーマ

2011年9月26日月曜日

9月25日

博物館学2

広本伸幸先生

美に携わるものは対等。

教授に言ってやれ!確かに私には知識はありません。ただ、教授、あなた自身はその知識を用いて何か新しいことをされていますか?

チャールズ・ウィルソン・ピール ジョージ・ワシントンの肖像画を描いた人http://pds.exblog.jp/pds/1/201106/28/77/d0187477_9897.jpg

宮島達男、デジタルの数字、おっきく展示

小林正人、シェイブドゥカット絵画

エンカウースッティック、蝋を使った最古の絵画技法

赤木範陸、上記の技法をよく使う人

MoMA,ニューヨーク近代美術館1929年、開館。リリー・ブリス、モダン・アート購入、後期印象派からピカソ、マティスをカバー、父織物商人、莫大な資産。これこそ新しい時代の芸術である!ーもっと多くの人に伝えなければ。メトロポリタン、始め、しかし、評判は散々。。。ルイス・ティファニーの批判。

アビー、ロックフェラー財団、イタリア、フランス、若い頃から最先端の藝術に触れる。夫に秘密のギャラリー。前衛藝術作品コレクション。今もニューヨーク近代美術館に。MoMA。アビーの夫、ジョンは中世美術が大好き。一角獣のタペストリー。

末っ子、デイビット。90を超えた今もモマの名誉美術員。抽象的なものの中にも美を見出すことができる。アビー。

アビー、世界で一番素晴らしい街は?ニューヨーク!





WPA、Works Progress Administration 公共事業促進局

FAP ,Federal Art Project 連邦美術計画 スチュアート・デイビス、国吉康雄、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、アーシル・ゴーキー

アメリカ美術経済史上重要な出来事は、、、

1913年2月17日

1929年11月7日

1935年~1943年

2011年9月25日日曜日

新潟に帰って思いだしたこと

やっぱり故郷はいいもんだ。

思えば女房子ども持ち思えば遠くへ来たもんだ。

子どもも女房もまだいないけどね。


新潟に帰って思ったこと。

はやく売れよう。ノマド的生活をしたい。

パソコン、マックエアーかなんかをもって世界を開け巡りたい。それが可能になる恐ろしき時代。


情報のカンブリア時代。情報格差時代。内田樹か佐々木俊尚か?

わからん。とりあえず新聞の劣化によるマスメディアの劣化はしばらくは止まらないだろうから、自分で情報の取捨選択をして武装することにしよう。はやく、いっこくもはやくブラインドタッチを覚えたい。

覚えたきが御座候。子規。正岡。

一枚の写真は千のことばよりも雄弁に語る。新潟の思い出列挙。載るかな??




まずは新潟の信濃川、、、こんなことアップしてる暇があったら早く自分の作業、やれよって感じか。ま、これも必要な息抜きかなって、合理化。ま、新潟の景色を堪能してよ!ってかんじか。はぁ、、、こころがなごむね。なごみの緑!






新潟の仙界、白山神社、童女も遊びて、はや幾歳。ここらがマジでなごみます。永きに渡る浪人生活を陰ながら支えてくれた心の拠り所。基地。マジで感謝。毎年感謝。いますよ。神様は。いるにきまってるじゃないですか!!!


またまた新潟の景色、信濃川の景色。はぁ、、、、、なごむ。。。




借りたDVD、カイルとERシーズン14 ま、このくらいの量は浪人時代の当たり前の量かな。一日12時間、ハリウッドドラマ、三か月見続けたな。。。。このおかげで今の英語力があるのは間違いない。ただ聞きとれることと、思ったことが即座に言えることは、インプットしただけでは比例しない。ただ今言えるのは、膨大なインプットは少しのアウトプットで簡単に開花するということだ。ヴィクトリアの滝のように、ナイアガラのように英語の自分が溢れちゃう、ビー、イン、ラヴ!こんなのだれもわからんか!!!、、、




龍馬が脱藩したときに通った坂、、、、、、、嘘です。


広大なる日本海。本学の宮田亮平現学長も 上京の際に通った日本海。ここで彼はイルカを見た。それが今の彼のインスピレーションの源である。そして私のインスピレーションでもある偉大なる我が母なる海。浄化の海。



リアル・バガボンド!!!武蔵に似ているといわれて神を伸ばしてはや一年六カ月。。。確かに似ています。実写のオファーが来たらどうしよう!!??




ぐっ!!!


野良猫君、乱入。マイルーム。なんでこんなになつくんだ!?ま、いいけど。臭いけど、一緒に寝ましょう!いいじゃん!吾輩は現代の漱石である。お前は現代の吾輩は猫であるの猫たれ!



借りたDVDのワンシーン、カイルのワンシーン、これからプロムに行ってきます!プロムはアメリカの青春の象徴。ここにアメリカティーンエイジャーの全てが詰まってるんです!!!プロムを知らずしてアメリカを語るなかれ!!!




ERよ!永遠に!!!




こんなのもほんと序の口。これくらいの量なら浪人中なら一日で見れるな。ただ今は4日かかった。それだけ自分が安住。守りに入ってるってこと。はぁ、やっぱ、エッジにたってこそ、人間は輝くよ!もっとも、あんなどぶ犬みたいな惨めな生活はご免だけど、たしかにあの時の俺は目がギラギラしていたな。狂犬病に感染してたのかもしれない。、、、そんな目をしていた。攻めろ!攻めろ!攻めろ!自分!



わが魂。ERとともに俺にアメリカとは何ぞや?ということを赤裸々に教えてくれた良き友であり、恩師。キリスト教とは何か、ヒューマニズムとは何か?そこらのキリスト教徒よりも俺の方がよっぽどイエス者だぜ!!!そんな感じにさせてくれる。魂の伴侶。人生の生涯に渡る友。こいつらがいれば俺は人間の友達なんていらねぇ!うわべだけの友情ならこっちからおさらばよ!来るものは拒まず、去る者は追わず。

他にも、24、プリズンブレイク、デスパレートな妻たち、ヴェロニカマース、ヒーロー、ロスト、挙げればきりがないな。とにかく見まくった!みまくりまくりなクリスティ!相当見てるよ!

でもまだまだ足りない。上には上がいる!これはまじ出そう思う!まけねぇ!!!!まけねぇぜよ!




新潟に帰るとS.A,Tの時間が増える。Special Alone Timeが増える。

喰うものとか、栄養とか、そういったものが関係あるのかしらん。



新潟!最高!

2011年9月17日土曜日

藝学×油画

藝学と油画がコラボレーションそて、冊子を作るらしい。

その件に関して編集委員に送った文章






うん、素晴らしい企画!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

これを機に油画以外の科からもお誘いの声が増えたらイイね。これがすべてのはじまりたらんことをいのうとります。

執筆してもいいんやけど、俺展示見てへんのよね。

コラボ企画でやりたいことあるね。

入試関連企画で今年の一年油画を巻き込んで、また今年も配りたいね。去年これを配ったら大学から呼び出されました!的なものをね。

湯ががそのことについてどう思うか聞いて見たい。

それと湯がが本気で"藝術"してるかってのも聞きたいね。もちろんあちらからも藝学が本気で"批評"してるかってのもでてくると思うね。批評とはよくする行為、真善美なくしては語れない、その真善美はどこからもたらされるのかとかね。そしてそれは全学科が思ってること。普段思っていても、こんなこと言ったら恥ずかしいとか思ってる連中、勇気がない、もしくは出会いの場がないと思っている連中に、それを雑誌という形で、主に藝大全体に披瀝できるのはすゔぁらしいことだ。お前らはたんなるお絵かき大好きっこの集まりなんじゃないかとか、藝大に入っただけでまんぞくしてんじゃねぇとか、激しく本気でぶつかって出てくる湯がの本気な言葉を聞く絶好のきかいだね。おそらく湯がが、そんなことをはなすきかいは英英んにないのかもしれない。誰かがピエロになって聞かないと本音はでて来ないかもね。


コラボ企画素晴らしいよ!今までになかったことやらないとね。アートパス的なものなんてあってもいいけど、もう古いよ。というかあんなの、批評じゃないし。たんなるインタビューと予備校ディスクリプションデショ。それはそれでやる価値はあるし、油がも喜んではくれるはずだけどね。クオリティーの低い文章の書きてのことも聞きたいね。俺たちのアートパスの文章を見せて、こういう文章ってどうなの?という"逆批評"も面白いね。

まとめ

1、入試のビラについて他科の意見を聞きたい

2、アートパスの文章を逆批評

3、本気でアートをやっているか

の三点を重点的に聞きたい。


それと飲み会の模様をユーストリーム、もしくは録音して公開。

とりあえずそんくらい。かな、いまは。

2011年9月16日金曜日

新潟にて

あぁ、やっぱり故郷はいいね。

今日は海に行ってきました。iPadからなので写真のあげ方がいまいちわからないのですが、パソコンの環境に来てからあげたいと思います。

それにしても新潟いいっしょ?ずっと大好き新潟!ってかんじかな。ーs、これ新潟にくると、何かテレビに流れてるやつね。聞く人が聞くとものすごくわかるフレーズ。

あぁ、新潟、新潟、新潟。

我が心の故郷。もしわが故郷が福島なりせば、我が心は怒りに震えていたことだろう。本当ににいがたでなくてよかったと心の中で思っている自分の穢さに若干の吐き気を覚えるも次の瞬間には善人の振りして今日も生きるのであります。

何かしてあげることができたら、ほんのちょっとの手助けでもできたらと思うけど、自分がしたことなんて震災直後の寄付5000円と、その後のちびちび10えん,100えん構成の寄付くらいなもんだ。それだけしかしてねぇ。自分の罪悪感、ボランティアも何にもしてない自分のしょぼさ。悲しさ。

所詮は他人事なのか。。自分さえよければイイとやっぱり心の中で思ってるのかもしれない。いや、間違いなく思ってる。

そんな自分のきたなさを自分であげつらうことのできる人間はキレイだなんて心の底でまた、これも思ってる自分がいて、自分のきたなさに自覚的でない奴よりはきれいだなんて心の底で思ってるいやらしい自分。50歩100歩。目くそ鼻くそを笑う。

どんなにメタ認知ができても、何も考えず現場で汗水を流してる奴には絶対に勝てない。絶対に頭が上がらない。まずは一人の人間も救えない奴が世界を救えるわけがない。ますは1人。まずは一人。そっから、そっから。


書けば書く程自分のきたなさが露呈するからここら辺で。自分の臆病さを僕は認めます。自分の穢さをぼくは認めます。自分のエゴイズムを見据えます。

その上で自己本位に生きていきます。とりあえずは自分の幸福を優先します。それから周りに還元していきます。これがぼくの自己本位です。それが僕の則天去私です。

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。合掌。

2011年9月13日火曜日

教育方法論レポート

[1]教育とは国家百年の計である 。坂の上の雲のような国益云々の立身出世は別にしても今回の講義を聞いて思ったことが多々あった。天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。と福沢が学問のすすめを記してからはや140年ちかくがたとうとしているのに、未だにその本義が明確化されていない、もしくは誤魔化そうとしているのかは定かではないにしても、福沢の意味するところが伝わっていないのは残念に思う。一身独立して一国独立す。個人の独立、自立なくしては国家、もとい社会、人と人との共同体は機能しないのである。おんぶに抱っこではその共同体は滅びる。

そんな人間を養成するような教育が今の日本でなされているかは微妙なところだ。寺脇さんの学校は国学校でしか学校たりえないという趣旨の発言は聞いていてものすごく古い考えだと思った。といっても当人がのたまっている発言時期も過去のものだから当たり前といっては当たり前のことではある。今ではトヨタの学校もあるし、ソフトバンクアカデミアなるものもある。そこのほうが公立の学校よりもよっぽど優れた教育がなされている。可能な限り学校は社会の格差是正機関であるべきだ。いや、それ以上に学校は経済的にはどうであれ、まさにいかに幸せな生活を営むことができるかの多様な選択肢を 与える場であるべきだと思った。アルビン・トフラーの第三の波を踏まえた上での、これからのライフスタイルの変化、一次産業と自給率、国際社会における人権、飢餓、貧困対策など実に多くのことが学校で教えられるべきである。個人の幸せは世界全体が幸福にならないうちはあり得ない、と賢治は語ったが、そうしたもろもろの事柄をやまびこ学校のような環境下で人間いかに生きるべきかをプラトンのようなアカデメイアのように、またフランスのように現場至上主義の権限を与えた、机上の空論を捨てた身体感覚に基づく新しい教育の現場を一刻も早く日本の社会、社会がなければ世間に根付かせなければならないと思う。官僚主義が諸悪の根源であるがここではそのことは割愛する。荒川周作や宮崎駿が話していた過保護でない子どもたちの持つ本来の力、ナイフを使ったり、火を起こしたり、気に登って落ちたり、そうしたことが のびのびとできる学校が全国に配備されることを強く望む。旧来の近代的な囲い込み学校は完全な時代遅れである。ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの成功法則にすがるのではなく、明治維新のように変化することこそが今の教育に、日本に必要とされていることだ。障碍者の学校もしかり。灰谷健次郎の兎の眼のように子供達の自主性に任せて世間に溶け込ませることこそが大切であり、そしてそれは個人の幸福を第一に考えるということが共通認識として子どもの中に共有されていればなんら問題ないと思う。そこで問われるのが教師の力量である。子どもを信じ愛情をもって接した、その果てに自主的悟りのような自己本位の萌芽が芽生えたその時に、その教師は実に偉大なる仕事を成したといってよろしいかと思う。その萌芽の方法は各先生の個性に委ねられることであろう。だが目指すところは同じである。今回の講義で古今東西数多の偉人、学者、現場の教師がこの先に述べた方法論を扱っていた。この偉大なる麦を預かり後世に植え伝えたいと思う。そしてまた、思うことは、藤岡先生が講義中挙げた古典が教育現場でどれだけ教えられているのか疑問にも思いました。私は古典至上主義者です。小学校の頃には一にも古典、二にも古典、三にも古典であるべきだと思っております。小学生の頃には学問のすすめ、スマイルズの自助論、孔子やプラトンなどの古典が今よりももっと幅広く読まれればいいなと思いますし、そして自分がその変化になれるよう日々精進したいと改めて思いました。

2011年9月12日月曜日

ライフログ

たのしみは 夕顔棚の下すずみ 男はたてら 女は二布 (ふたの)して
詩はその志を言い、歌はその心を歌い、舞はその形なり。三者は心に基づく。しかして後、楽器これに従う。ーーーーー礼記
月も雲間のなきはいやにて候
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり
茶道は日常生活の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。天心
こころ、ひととこにおかば 、他のところ、用を欠くるものなり。心、我が身え全体におくようになれば、心、全体に行き渡り、かつ、すべて、用事に叶うものなり。沢庵
直心の交わり 主中賓、賓中主、和気藹藹。
ふたつなき こころをきみにとどめおきて 我さえ我にまよいぬるかな
こいそむる その行く末や いかならん 今さえふかくしたうこころを

2011年9月10日土曜日

ライフログ

最近読んだ本を列挙する。

木幡和枝訳 現代藝術岩波美術、ライアルワトソン、~生命潮流、地球は語る、風の博物誌、スーザンソンタグ、私は生まれ直している。スーパーレディ。等

宇野邦一、訳、アンチオイディプス、千のプラトー、器官なき身体

佐々木幹郎、死者の鞭、柔らかく壊れる

御厨貴、オーラルヒストリー入門、権力の館を行く、オーラルヒストリー

三木成夫、胎児の世界ー人類の生命記憶

このくらいかな。。。


またさいきんたるんでいる。もうはっきり言って大学に行く意味はない。大学は勇気のないやつが行きところだ。大学に行く時点で保険をかけている。ただ保険をかけるのは人間として当たり前で保険をかけるのは生命の本能である。うさぎだって、りすだって保険を掛ける。こうと、さんくつあり。りすも土に餌を埋める。

ただ、ー大学はやっぱりマジで意味がないとまで字は言わないまでも、おそらく大学はサボるためにあるものだと思う。留年して始めて大学は大学としての意味を持つ。

最近言われたこと、著名な先生方、第一線で活躍されている先生からいただいた助言の言葉は、お前の話は観念的すぎるということであった。大上段に構えすぎて広すぎて収集がつかなくなるとのことだった。それと言葉のクオリティーがあまりに低すぎると言われた。言葉の世界に身をおく人間としてはショックだった。理解されないのが藝術だから、それはそれでいいのかもしれないけれども、それでもやはり、指摘してくれるのはありがたいし、自分のことを本当に考えていてくれるのだと思うから、ぜひとも耳にいれておきたい話だ。良薬は口に苦し。愛のある言葉は聞くに値する。これは真理だから。

それと自分には言葉がないらしい。自分のオリジナルな言葉がないとも言われた。岩波文庫に答えが書いてあるんだもん、というのが僕の答え。だって、人類の古典には答えがすでに記されていて、あとはそれを現在に繋ぐ温故知新をすればいいだけでしょ?というのが僕の考え。型。型なき教養はゴミだ。僕から言わせれば、賢人は歴史から学び、愚者は経験から学ぶと言いたい。。。のは山々ではあるが自分自身がまず持って経験から学んでばかりだからなんともいえないのが本音。びょうりのやまいはいやしやすし、しかうして、しゅうりのやまいはいやしがたし。そういうこと。

少し自分がなぜ、言葉を引用するのか考えてみる。おそらく、ー長きに渡る浪人時代が原因だろう。誰も自分をみてくれない。誰も自分の存在を無視する。人は肩書きで言葉を聞く。肩書きのない人間、中卒の、高卒の人間の話など誰も聞く耳を持たない。だからぼくは自分の言葉を、声を聴いて欲しくて古典を学んだ。権威を着た。虎の威を借る狐になった。もちろんいまではやはり、虎の威を借る狐以上のものが、といってもやはり、時の淘汰を超えた言葉はやはり、真理で不動のものという感の方が強いが、当時の僕はおそらくそういった理由で古典を地肉にしたのだと思う。日本人に認められないから外国人に認められたい。外国人は引用できる人を尊敬するというような記事を何処かで読んだ。だから英語でも、原文でも引用できるようにしておいた。完全に暗記して諳んぜられて血肉にかしたと言えるというような高いレベルで古典を学んだ。秘すれば花、秘せずは花なかるべからず。だからあまり自分の古典の引用をMAXでしたことはいままで一度もない。gsおそらく近々自分の引用のMAXを披瀝する機会も来ることだろう。高校時代のあだ名は引用抜粋太郎でした!

そしてなぜ、引用だけで人生を過ごしては行けないのだろうか?どうしてオリジナルなんてものを求めるのだろうか?そんなもの幻想にすぎないのに。個性は型からしか生まれないのだよ、諸君、体系的に学んだその果てに、模倣の果てのその先に真の独創性が待っているのだから。私がいまからそれを証明しますので是非ともご覧あれ!刮目せよ!もっと、みんな古典に学べよ!どうせそんなに読んでないんだろ?読んでないやつに限って古典をばかにするんだもんなぁ。。。自分も三省三省。九省くらいしてしまおう。


それとゲーテとエッカーマンの対話を読んで、ゲーテから学んだことが実に大きい。齋藤孝にも実にお世話になりました。

ふんがふんが!!

2011年9月9日金曜日

藝祭 いろいろ勉強になった

いろいろ勉強になった。人間関係とか、企画のやり方とか。いろいろ。

もうシンポジウムはしばらくはいいかな。今度は自分の時間を大切にしたい。

というかはやく”ブツ”を天下に披歴したい。今の俺には物がないから、何にも説得力を持たぬ。

世人は人を見ぬ。世人はものを見て人を判断する。ま、当然と言っちゃ当然のことか。だが俺は物がなくてもその人を見て判断する。物がなくとも光る人間は光っているのだから。それを見落としてはならぬ。奇貨置くべし。そういうことだ。

だがそれでは世人は納得してはくれぬから結果を残す。結果とはいい訳をせぬことだ。エクスキューズが介在する余地のないもの、それが走るということであり、ぶつを作るということである。


まずは”ぶつ”をつくること、すべてはそこから始まる。そこから、そこから、そこから!



藝祭プレイバック

女傑に泣かされた。初日、なんども夢だと思ったことか、映像でないわ。がーん!!!あんなに頑張ったのにいったい何で??!!しかし仲間がカバー!マジですごい!よくやった!グッジョブ!

企画責任の所在、エトセトラ、権力の構図、乗っ取り、好き嫌い、利害感情。好きな人と一緒にいることができるなど、藝祭マジックは起こり得る!?

大石膏室、使えてよかった。なんで俺やめないといけなかったん?ま、使えてよかった。それにしても大変だった。まずは学校側からの無視作戦、支援課の支援なし、からの内部における圧力、パンフとの兼ね合い。明らかに大石膏室が使えた方がいいのに。身体論に基づかぬ判断、全員が思考停止状態におけるいっち―外し。結局、いっちーが正しかったことが証明されたわけだが本当によかった。感性のある奴は時代の先を行くから常人にはついてこれないのは仕方がないが脚をひっぱることだけはまじでやめてほしいなと思った。ま、つかえたからよかったけど。これも委員長、副委員長のおかげか。学生と大学側の二重のブロックにマジでへとへと。学生を学生が弾圧しちゃだめでしょ。それはまたあのツイ―トに詳しい。大石膏室に入ったことも見たこともない奴等に限って大石膏室はシンポジウムに適していないなんていいやがる。まさに松公、龍を好むの構図である。戦争好きは実践では何にも使えないってことね。現場の意見が一番なんだよ。餅は餅屋にまかせとけ。なんで何にも知らない奴が口を挟んできたんだろう。いや、別に過ぎたことだからいいんだけど、それにしてもあの状況はまじで以上だった。理性的な人間が俺しかいなかったのだから。大の大学生があんな議論しちゃダメだろ。だからあの先の戦争が起こったわけだ。止めらんないんだね。人間の業か。。。狂気はまじで人間を覆うよ。今回の件でファッショになって理性を失った諸君はこれに学び、次回からは気をつけましょう。過ちはしません、繰り返しません。それでいきましょう。

告知はお早めに!パネリストの先生は怒らせてはいけません。いい訳はもってのほかです。いい訳は絶対にしてはいけません。何度、芸能の世界、政治、すぽーつの世界で言われてきたことでしょう。藝の世界では、いえ、実社会では結果が全てです。結果がよけれな全てよしです。
いやぁ、たまってんなぁ、筆が止まらねぇ。書きたいことがたくさんある。たくさんありまくる。このエネルギーを逃がさず、明日の”ぶつ”を作る創作のほうに回すことにしよう。

ではではおやすみなちい。。。。。

こっからこっから!ここからがスタート!頑張れ自分!


 茂木健一郎 




 茂木健一郎 





さぁ、こっからこっから、勝負はこっから!!!


 一ノ瀬 健太 

 一ノ瀬 健太 

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 一ノ瀬 健太 

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 一ノ瀬 健太 

 一ノ瀬 健太 

 一ノ瀬 健太 

 一ノ瀬 健太