2013年10月11日金曜日

The Final Definition of Art


The Final Definition of Art


東京藝術大学 美術学部芸術学科4年 一ノ瀬健太

 

芸術とは”もののあるべき姿かたちを探求すること”である。本論文はこの結論を様々な領域から検討し、本論が芸術議論における共通の土台構築の礎とされることを企図する。歴史を通じて多様化した芸術定義の再統合を試み、議論不能であった美学にまつわる様々な語り得ぬ問題について論証可能な素地を創出し論者同士が互いに歩み寄り同じ地平から吟味し議論する饗宴を設ける。本論は極端なエクスパンショナリズムに基づき、あらゆる人工物をハイアートに据えるということを意図するのではない。人類史的な規模で歴史的考察を鑑みた場合、最も合理的と考えられる芸術定義の最終提案である。




第一章 芸術の変遷

一言に芸術と言ってもそれが、fine arts であったり、techne であったり様々歴史的背景を包摂するため厳密な定義は一定していない。プラトン、ヴァザーリ、エリオット、コリングウッド、クローチェ、ベルグソン、アドルノ、ダントー等々古今東西遍く、そのメルクマール的なツァイトガイストを代表するような人間から数多の定義が主張された。彼らの定義が異なるのは少しもおかしくない。というのも彼らが背負っている人格、魂(=記憶)*、社会背景、時代、またその思考を規定する言葉が異なるからである。裸、ヌード、ネイキッド、これらは微妙に異なるニュアンスを帯びる。フランスにとってのナポレオンとロシア、ドイツにとってのナポレオンはやはり異なるニュアンスを持つだろう。そのもっとも最たるイメージの振れ幅を持つのは神であろう。唯一神と八百万、また宣長がかたるように畏きものを意味するときもある。芸術においてもそれは変わらない。論者の視座をいつの時代にまたどの地域にとるかで定義は変わり、そもそも芸術ということば自体が既に翻訳された日本語であり漢字自体の起源は『後漢書』*に由来する。その語も明治時代に意味を変え現在では美術と同等の意で用いられることもしばしばである。本論では先ず芸術がそうした文化的地理的に異なれば、それだけ異なるニュアンスを包摂する概念ということを踏まえた上で、その言葉の歴史と変遷を吟味し芸術概念及びその定義がいかように推移してきたのかを考察する。

現在広く用いられている芸術の定義として佐々木健一氏の言葉を借りたい。氏はその著書『美学事典』(p31)の中でこう述べる。*人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力を、広い意味でのart(仕業)という。(p31)*さらに同氏は続けて、*特に芸術とは、予め定まった特定の目的に鎖されることなく、技術的な困難を克服し常に現状を越えて出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし、美的コミュニケーションを志向する活動である。*本稿は先ず同氏の定義に基づき考察をはじめ、それを批判し筆者自身の芸術の定義へと敷衍していく。

先に示した通り、「芸術」という言葉自体は『後漢書』にその典拠を求めることができる。当時の中国では学問や技芸の意味し、その“藝”ということばはそれ自体で「わざ」や「才能」を意味していたため「芸術」は西洋語でartの起源と見なされるギリシア語のテクネー techne と同じく特別な能力によって効果を実現する仕事を指し、現代で言う敷居の高いハイアートではなく技術や学問を総括する言葉であった。

現在の日本語である「芸術」という言葉自体も近代以前「東洋道徳、西洋芸術」(佐久間象山)*に見られるように現在のテクノロジーとしての技術として使われていた。延暦16(797)年に成立した『続日本紀』*の中に、また享保14年(1729)年の『天狗芸術論』*の中において、さらには1882年の『教育論』*の中においても武芸、技術としての語の使用例が見受けられる。文明開化中、西洋から arts が流入してきた折りにその新たな概念が「芸術」という言葉に付与されるわけであるが、その過程において新たな概念を実社会で用いる為に先人たちが模索した努力を伺い知ることができる。西周が liberal arts の訳語として「芸術」を充て、fine arts が造形美術を指す言葉であることを承知したうえで、西はそこに文学、音楽、舞踏、演劇をも含め、森鴎外がfine arts の美的経験を美術美、術美(『眼の神殿 「美術」受容史ノート』、北澤憲昭、ブリュッケ、2010)と訳すなど、文化・知識人の間で積極的に訳語が考案され、1872年のウィーン万国博覧会への出品を呼びかける太政官布告で「美術」が訳語として用いられ、明治30年後半に今日の芸術ー美術の使い分けが定着し、現在の日本国内での「芸術」という言葉の使用に至る。その間も下記の北澤氏の指摘に見られるような現象が生じ芸術ー美術が定着していったと考えられる。

*北澤氏の指摘にみられるように、美術という翻訳概念が生み出されることによって、我が国の芸術の制度化に重要な方向性が与えられた。つまり美術という概念によって在来の絵画や、彫刻などの制作技術が統合されるとともに、視覚重視の芸術、生活を離れて純化された芸術がその枠内に取り込まれた。また美術のあり方については博覧会、博物館、学校などを通じて体系化され、規格化され、一般化されたのである。そうして美術と非美術の境界が設定され、さらにかかる規範への適応如何が制作物への評価を決し、さらにはそのような規範が公認され、自発的に遵守され、反復され、伝承され、起源が忘却され、ついには規範の内面化が成されると指摘している。(『芸術の自立性と、その制度化について』大塚晴郎、佛教大学大学院紀要 第31号、2003年3月、200ー201頁)*

次に、日本語の「芸術」が誕生する大きな基になった西洋の「芸術」を考察する。

まずゲーテが語った西洋文明を成す大いなる二つの精神的支柱の一つでもあるギリシアにその視点を移す。古代ギリシアでは一般的に知性の工夫に基づいて或る有効かつ有益な結果を生み出す活動(=仕業)(『美学事典』。p32)*をテクネー techne と呼称し、芸術は統一的な能力としてとらえられていた。その中においても今日の「芸術」に相当するものが「模倣的再現のテクネー」*(『美学事典』。p32)であった。プラトン『国家』内でもテクネーの分類の一例として*「使うための技術、作るための技術、真似るための技術」*が挙げられその三者の代表はそれぞれ、「笛を吹くこと、ベッドをつくること、史詩を詠むこと」と記述がある。またアリストテレスは*「一般に、技術は、一方では、自然がなしとげえないところの物事を完成させ、他方では、自然のなすところを模倣する」(アリストテレス『自然学』第2巻第8章、199a15ー)*とテクネーを二分し、その「模倣的技術」として、詩作(作曲を含む)、楽器の演奏、絵画、舞踏などを挙げている。*

こうした芸術の本質を模倣的再現におく考えは以後の西洋の芸術観の中心を構成する。近世まではそうした考えは一般的に下火になるが、ルネサンスで復活した以降は今日のわれわれが知るような芸術概念へと導かれる。

その下火の間とは中世ヨーロッパである*。プラトニズムと合わさったキリスト教の影響から肉体的な作業を伴う「芸術」は一段低いものと見なされ、先のギリシアに見られる統一的な芸術観は、ミューズ的芸術(文学、音楽、演劇、舞踏など)と、「もの」を作り出す造形芸術*と分けられ、知的な活動とされる前者は貴人のたしなみとして高級に位置され、肉体的な労働を伴う後者は下級に位置された。キケロの造形美術に対する「不潔な技術 artes sordidae」という考えや、ボエチウスの学問のほうを ars、手の技術のほうを artificium とする言葉の場合分けからも当時の「芸術」の一般的な理解が垣間見れる*。現在では社会的身分も高い医師も穢れた職業であったのは驚きであるが、こうした考えが定着したのが中世のラテン世界である。貴の部分は自由学芸 liberal arts として、賎の部分は mechanical arts と呼ばれ芸術の統一的概念の展開を阻害し続けた。中世都市においては画家のような職人はそもそも職人の地位が低かったギルド時代においては、画家自身のギルドがあればいい方で、存在しない都市においては医師・薬剤師や印刷業のギルドに寄生せねばならず二重に疎外され、その改善にはルネサンスを待たなければならなかった。職人の地位改善で有名な例を挙げればレオナルドであろう。彼は絵画の学問的性格を強調し、詩にも勝ること、つまり絵画は肉体労働ではなく、知的な自由学芸である、*と主張し造形芸術従事者の仕事の尊厳に関する自覚を促した。

レオナルドがそのように主張できたのは彼の卓越した万能人としての魅力があったことは否めないが、その背後には社会的要因もあった。「芸術」及び、「芸術」従事者の社会的・身分的地位は常に社会的世俗権力が恣にしてきたことも考慮に入れておくべきだろう。レオナルドがそのように主張できたのも近世の法王庁やメディチ家、ブルボン王家といった世俗権力による重用があり、そうした力を有した社会的第三者機関による承認があったからこそにほかならない。「芸術」の社会的な位置付けを担うのは近代のアカデミーにおいても、現代のアートワールドにおいても、それが古代エジプトにおいても、文化大革命最中の中国でも変わらない。

またルネサンス以降の芸術概念の歴史においてフランスアカデミーの果たした役割を忘れてはならない。レオナルドが絵画の優越性を語ったからといって全ての造形美術がその社会的位置付けを早急に改善されたわけではなかった。だがギルドの無知を非難し、知的、学問的高級な芸術の地位の認知要求に尽力した人々によって「絵画彫刻アカデミー」(1648年創立)と「建築アカデミー」(1671年創立)が創立されると、そこに見られる絵画、彫刻、建築といった3ジャンルが「芸術」の地位を獲得するに至る。だが今から見れば皮肉っだったのはアカデミーによって公認された beaux-arts は宮庭社会のものためのものであり、ギルドの担う残りのものは民衆のための職人仕事 metiers;craft と見なされ一段低い存在とされ続けたことである。芸術の中における貴賤の別が解消されるのは18世紀半ば頃になるまで待たなければならなかった。

近代的芸術概念を確立したのはフランスであると考えられるが、バトゥの『同一の原理に還元された諸芸術』(1767)によって近代的芸術概念が確立するわけだが、そのためには芸術それ自身が手仕事から区別されるだけでなく学問からも自立する必要があった。これに関してはフランスにおいても「芸術」の定義に関して紆余曲折がある。今日の私たちが芸術と呼ぶものは arts liberaux の中にもかなり長く意識として残存していた。フュルチエールのフランス語辞典の art の項目には詩、音楽、絵画、兵法、建築、航海術が記載されている。またその同じ年に出版されたシャルル・ペローの『芸術の小部屋 Cabinet des Beaux Arts』には表題に示された概念の指すものとして雄弁(散文に等しい)、詩、音楽、建築、絵画、彫刻、光学、力学といった上流の人士がその趣味と天分に従ってなすべき8つの項目を挙げられている。*前者、後者とも依然として芸術に高貴ー卑俗の別を設けようとしているため様々なものが混在する。

また近代的芸術観が形成される過程においては芸術家を指す名称の変化も挙げられるだろう。 artiste という形容詞は「巧みに作られた」の意味で用いられ、ある種の“美的感動”性をその言葉に付与されていた。また職業上の呼称として「技を実践する人、特に錬金術をなす人」も指した。先に挙げたフュルチエールの辞典においても artisan が職業的な職人を意味するのに対して artiste を「大いなる art をもって仕事をする職人」としているが、それは主に自由学芸的気質を纏った錬金術士のことを意味する。そうした言葉の定義も1762年のアカデミーの辞典をもって、artiste(芸術家)と artisan (職人)の区別が認知されるようになった。ペローに始まる新旧論争を経て、職人仕事から区別された美術 beaux arts(ボザール、英語の fine arts に等しい)は学問とも区別され文学や音楽と類概念となり、この新しい領域区分が確立した時に形容詞不要で単数な art が「芸術」として用いられるようになった。

『百科全書』においても芸術の項目には、詩、音楽、絵画、彫刻、建築、製版と記載があるがほぼ今日の美術と変わらない。その執筆に携わったダランベールの『百科全書序論』には芸術内における芸術同士の区別に関する面白い記述があるのでここで取り上げ次に繋げることとする。

*「いくつかの原理に還元された自由人の技(学芸 arts liberaux )のうち、自然の模倣をめざす技は、芸術 beaux arts と呼ばれてきた。というのも、それは主として楽しみを目的としているからである」*(『美学事典』p40)

近世の芸術概念が模倣を本質的な契機と見る点において古代と繋がっていることが伺える記述である。しかし、ここで重要なのはここに芸術を実現する価値として新しい指標であり、古代には無かった“美”(ここでは楽しみと記述されている)という概念が新しく自覚的に取り入れられたことである。

厳密な意味で beaux arts とは「美しい術」であって「美の術」ではない。この概念は16世紀イタリアの「デザイン」に相当する「ディセーニョ desegno」に由来し芸術一般を規定する考えとともに、「美しい術」という概念として用いられていた。この desegno がフランスに渡り、さしあたり「立派な術」を意味する beaux arts となりarts liberaux を受け継ぐ形として定着していった。その過程で「美しい術」である beaux arts が「美の術」の意味合いを帯びたものとして受けとられ広く用いられるようになった。先のダランベールの記述と同様に、ここにおいても芸術を美と結びつける概念の萌芽が見て取れる。こうした美と芸術を結びつける概念は近代に特有なものであり、古今東西の歴史を通じてはなんら普遍性を伴うものではない。これは近代以降、とりわけ現代の芸術現象を考える上では極めて重要になる。

近代における世界の一体化の中、二重革命によって社会システムが大きく変わると「芸術」の生殺与奪権を握る第三者機関の主たる代表は王侯貴族にから天賦人権を付与された個人の集団へと移行した。それに伴い近代市民革命によりフランスの王立アカデミーは一旦廃止されるが、後の王政復古期に市民の芸術アカデミー*として統合され復活以後は公募展や若き画家の登竜門として機能した。とはいえその審査員たちは旧来の貴族や新興ブルジョアジーで構成され、新古典主義的なアカデミズム的性格を有していたため新しい作品はそうした圏域*に受けいれられることは少なかった。

以降の「芸術」(美術)史は、基本的にアカデミーに認められなかった芸術家たちの作品でその紙片の多くを費やすのが現状である。芸術の本質は過去を否定し乗り越えること*だと岡本太郎は語ったが、まさにマネ以降の「芸術」はあたかも太郎が『今日の芸術』の中で「(今日の芸術は)うまくあってはならない、心地よくあってはならない、きれいであってはならない」と主張したかのようにヘーゲルの弁証法に則り過去を否定し展開していく。同時代のアカデミーの頂点に君臨したブーグローやアルマタデマのようなアカデミック絵画もグリーンバーグによって「キッチュ」と見なされてからは美術史やその参考書から徐々に姿を消し「前衛絵画史観」が一般的となった。当時のイノベーションによるヒト・モノ・カネの交通の効率化に伴う絵具の改良及び価格の下落は近世以前の工房システムが主に担っていた制作方法を一変させ、芸術創作は孤独で瞑想的な個人の内面的対話に基づく仕業が主流となっていく。また普遍的人権意識と自我は18世紀から19世紀にかけて作者の個性が芸術の中心的位置を占める現象をもたらし、作品は作家の個性的精神を表現し、伝えたいメッセージを伝え得る手段と見られるロマン主義的傾向が広く見られるようになった。また芸術の自律性が叫ばれるようになったのもこの頃からであり、ゴーティエ*が掲げた芸術のための芸術 l'art pour l'art が様々な「芸術」の分野で幅広く展開され押し進められた結果、そうした運動は究極的に反芸術へと向かいデュシャンでその頂点へと至る。以降「芸術」は「美術」の枠を超えほとんど見通しの利かない無志向性ともいうべき拡散、増殖を見せるようになり現代の実験が実験でなく、前衛が前衛とならない当時代を迎える*。1984年にダントーが『The End of Art』*を記してから早30年が経つ。芸術は益々多様を極めるばかりだ。

現在においても何が芸術で何が芸術でないか、といった枠組みは上に示した制度的、文化的社会背景に大きく依存するが、そうした事柄を概観した上でなお、一定の定義を付与するとするならば佐々木健一氏の以下のことばが一般通念状の理解を持つ。

*およそ文化現象は、政治や機能を見ても分かるように、時代や場所によって、その形態や機能を変化させる。それでもなお、文学、音楽、造形美術(絵画、彫刻、建築、デザイン)、演劇、舞踏、映画、などが現在われわれが理解している芸術の諸分野であり、これらは多様な文化圏を通じて、相当普遍的な存在性が認められる。その具体的な現象のうえで見るならば、芸術とはこれらの総称、類概念である(p31)*

この定義は一般的な理解を得やすい。だが興味深いのは未だなお、ある現象、事物が芸術であるか否かを議論し続けている事態があることである。次章以下ではそうした論争の原因を探りその葛藤に一定の終止符を打つ芸術概念を提唱する。




第二章 芸術の定義

先の章では「芸術」の概念推移について概観した。本章では芸術概念そのものについてさらに考察を進める。

芸術概念を美と結びつけるようになった美学が誕生した背景にはマルブランシュのような神の動機なき動機としての美の表現*や、ニュートン、シャフツベリに見られる自然や宇宙の中の美といった思想的背景もあった。そうした時代の要請受けたのかバウムガルテンが感性的認識、またその対象として扱う美という価値と、それが実現される芸術といった大きく分けて3つの要素を柱とする近代の学問としての美学を創始した。18世紀半ばに産声を上げたこの学問ははじめは先に述べたような自然美についての哲学であったが、19世紀はじめには自然美につついての哲学を捨て、人為としての芸術の哲学を扱うようになる。以下近代に始まる美と密接に結びつく美学の伝統を踏まえ芸術概念を吟味する。

まずはじめに便宜上美を定義する。そもそも美とは何であろうか。その言葉もまた「芸術」と同じく社会的文化的背景により多様な解釈を含む*。『美学辞典』を参考にすれば美は以下のように定義される。

ある物ある事態の完全性もしくは価値が、端的な形で直感的もしくは直観的に、快や感嘆の念をもって把握された場合の、その完全性をいう。(P12)*

また、

美の本質は端的な完全性であり、完全性の直感的な知覚は、その見事さに対する感嘆の念もしくは快感情によって示される*(『美学辞典』、p16)

という記述もあり、この定義上で美を考察するならば芸術作品のような物だけに限らず、当然美しいこと(ダンスやまた道徳的な行為、所作)も存在する。だが、カントは「概念抜ぬきの満足」*から完全なそのものの概念に依存せず、見事であるとか、立派であると認識できることを受け、美を完全性と結びつけることを否定した。いずれにせよ完全であろうと、なかろうと美しいものは美しいという事態がある。

そもそも古代ギリシアにおける美(kalos)は芸術と同じく言葉も意味する定義も異なる。「よい」や「快い」といった意味と同義に使われ、現在の美術的造形の美しさというよりは、社会的地位、能力、出生のよさを指す言葉であり、「美しい人(ho kalos)」とはポリスの理想的市民を体現する「立派な人」、「見事な人」という意味を表していた。美の起源と現代の視点から位置づけられている古典古代においては「美」とは「善美(kalokagathia)」であり、倫理的に優れたことを意味する。感覚的に美し程度では善でなく、パンドラ*やキルケー*に見られるような災悪(kakia)と見なされるか可能性も有していた。美と善が倫理的に結びついていること及び美が悪と結び付きやすいというのはそれ以降の芸術史に脈々と受け継がれ現代の神経美学と技術論に至る。中世ラテン世界では「視覚に快いととらえられるものは美しいと呼ばれる」(『神学大全』)といった記述からも以降は美は優美(grazia)という意味が優勢を占めていく。

また古代中国においても美は倫理の最高徳目と結びつけられていた。「美」という漢字は「羊」と「大」の合成である「大きい羊」という考えや、白川静氏の「美」全体を一つの「羊の全形」という象形とする考えもある。後者は羊を神に対する生け贄に用いられていた経緯から、後ろ足を大きく広げた供え物としての完璧な羊、すなわち成熟した「立派」さを付与された羊とする説を採用している。また、それを前にした時の共同体での驚きもまたその語に込められ、後に美人を見た時に感じる一般的な「美しい」へと転じていく。

また美とは美しいという形容詞に由来するため、名詞が持つ一定の物体や事象を明示し、一義的明瞭性を担保するに至っていない。主観の判断を契機とする属性が恣意的に各事物に付与されるため第一性質や第二性質*と呼ばれる客観的性質と異なり、高次な第三性質*(『美学辞典』、p159)(Beardsley,What is an Aesthetic Quality?,p94)であるその概念は拡散しやすい。美に関してしばしば言及される「蓼喰う虫も好きずき」という概念は公共の福祉に反しない限り尊ばれるべきものと容認されている。これをカントは「快適なものに関しては、各人が各様の趣味を持っている〔趣味はさまざまである〕という原則が当てはまるのである、ところが美については、事情はまるで違ってくる…(中略)…もしその物が、彼に対してだけ快いものなら、彼はそれを美と呼んではならない」(『判断力批判』)*と批判した。カントに従えば、美は個別の中にあるのではなく、あくまでも個別の基準や好みの嗜好や趣味があるだけなのかもしれない。だが、私たちは、(永遠で普遍的な)美が社会制度やマスメディアによって作られたものであるにしても美の存在を信じて疑わないのが一般的である。

形而上学的美の扱い方としては美をものそのものに付随する、つまり事物や事象が備える固有の性質であると考える「存在論的把握」*と、認識する主体に付随すると考える「認識論的把握」*があり、近世以降は後者の側に重きを置いてきた。美学の祖であるバウムガルテンは美を「感性的認識の完全性」と、カントは「構想力と悟性の自由な戯れ」と定言したわけだが同時期から以降にかけて感性としての美を細分化し、それぞれに独自な定義を与えるとともに相互の関係を定式化しようとする美の範疇化がなされる。ルネサンス以後、主として用いられ全ヨーロッパ的に広まった「いわく言いがたい魅力(イタリア語 non-so-che 、フランス語 le je-ne-sais-quoi)」としての優美という意味での美では形容できない美が生じ、E・バークが「崇高」*(『美学辞典』、p158)を用いてその美的質を表したことが最初の美的範疇の契機となり、クルーク(『美学辞典』、p158)*を経て、ゾルガーで厳密で体系的論理的構造を持った美的範疇が確立する*。「伝統的な美的範疇が美を中心に、崇高、優美、悲劇的、喜劇的、醜など、ごく少数の種類から構成され、その全体が体系を成していたのに対して、美的質は数に限りがなく、そのレパートリーが開いている*」。(『美学辞典』、p157)前者が19世紀ドイツ美学の理論を継承して20世紀初頭に与えられた名称であり、現在でもドイツやフランスで用いられている。後者は20世紀の後半に英米で用い入られはじめた。美的質とは、感性的質と言い換えていい。

①情緒的な質 emotion qualities ー陽気な、厳粛な、晴れやかな、センチメンタルな、喜ばしい、悲しい、メランコリックな、陽気な、熱狂的な、淫らな、等々。
②行動の質 behavior qualities ー大胆な、神経質な、力強い、激しい、熱烈な、いらいらした、控えめな、優美な、寛いだ、優しい、仰々しい、等々。
③形態の質 gestalt qualities ー統一のある、ばらばらの、首尾一貫した、緊密な、単純な、均衡のとれた、調和的な、混沌とした、等々。
④趣味の質 taste qualities ーエレガントな、愉快な、どぎつい、けばけばしい、ピクチャレスク、崇高な、美しい、キッチュ、不細工な、卑俗な、醜い、等々。
⑤情動的な質 affective qualities または、反応の質 reaction qualities ー可笑しい、滑稽な、驚くべき、可愛い、衝撃的な、挑発的な、神秘的な、印象的な、等々。*(『美学辞典』p163)(なお、ヘルメレンは、全体を枚挙する際に挙げていない種類として、本文のなかでは、最後に「自然の質 Nature Qualities」を挙げている(The Nature……,pp.138-40 ; The Variety……,pp.21-22))。具体例としては、冷たい、温かい、静か、輝かしい、深い、柔らかい、などがあり、「自然のなかに見出される質」として定義されている。『美学辞典』p163)

上記に示した(G・ヘルメレンによる5つの分類*のような)感性的な美的質の要素の集合体が「美的なもの」の領域を構成する。

美的範疇論が破綻したのは19世紀ドイツに見られる特権的中心的な美に不純な要素が混ざることによって多様な美的質が生じるとする「美の変異態」という概念が効力を失ったからに他ならない。デッソワール*が美的範疇という言葉を用い他の諸感性的感覚が美と同列に並列に布置したことはその時点で伝統的美的範疇からの逸脱を含んでいた。また芸術史の動向が多彩な美的性格を伴って展開したことと相成って美的範疇はその領域の拡大と細分化を招き美的質論への道を切り拓いた。

優美で華麗なロココ調の事物と恐怖を伴う戦慄的な事物とは大脳辺縁系を共に興奮させる。双方共に美的質的な違いがあれどゾクゾクワクワクとする特異的な感情を想起させることには違いがなかった。また「神経系には慣れという性質があって、反復する刺激や予期した刺激を無視し、新しい、予期しない刺激に、より熱心に反応する傾向がある。」(脳から美を考える、芸術への生物学的探検、p52)*といった生物学的モジュールと相成れば、好奇心は驚きなき美を歴史にとどめようとしない。上記の点からも美が拡散を続けるのは人間本性的にも必然的であり、後述するグリーンバーグの「前衛絵画史観」を援護する*(ドーミエの風刺画『今年もまたビーナスばっかり』、(君は今年のサロンで何が一番良かった?)(ビール))。

美には質とともに強度がある。

「ロバート・クレイヴスは、詩を体験するとき背骨に震えと冷たさを覚え、エミリー・ディッキンスンとおなじように、髪の毛や体の毛が逆立つと述べている。強い覚醒と集中に続く筋肉の深い弛緩もまた報告されている。心臓が締め付けられ、胃が痙攣する。笑い、涙、あるいはその両方、深い息づかい、幾分の陶酔感への傾向もみられる。同時に、思考が強烈に殺到し、新しいいろいろな結びつきが生まれる。この感覚をシェークスピアのプロスペロ(『テンペスト』の主人公)は「ビートする心」と表現している。」(脳から美を考える、芸術への生物学的探検、p63)*

*「芸術の享受体験はしばしば身体的な反応を喚起する、たとえば美術作品を見て(音楽を聴いて)鳥肌が立つようなゾクゾク感を経験したことがあるだろうし、時として涙が誘われることもある。そのような情動と身体反応の関係はループ(循環反応)になっており、身体反応はさらに情動や感動を増強させることだろう。マギール大学のザトーレのグループは音楽を聴いたときの鳥肌の立つような感動体験に、中脳や線条体(特に測座核)、島皮質、眼窩前頭皮質といった脳部位が活動を高めることを示した。すでに難度家出てきたように、それらの場所は報酬系であり、ドパミン物質の連絡経路となっている。さらなる最近の研究で、彼らは、ポジトロン断層法(PET)を用いてドパミン受容体と結合する化学物質の量を調べたところ、音楽を聴いて身体を反応させるほどのゾクゾク感を体験しているときに、観賞者は線条体からドパミンを分泌していることを突き止めた。fMRIを用いた別の実験では、音楽への期待が尾状核の活動を高めることが示されており、まさに報酬系の中核が活動を変化させることが分かった。」(『脳は美をどう感じるか』、p97-98)*

といった記述からも、各個人の趣味に過ぎない胸の高鳴りや雷に打たれたような強烈な動的興奮はしばしば美の最たるものとしての意味で感動と形容される。だが、「あはれ」や「さび」といったしみじみとした静的興奮もまた感性上、また伝統的美学上、美と呼称していい*(大西克礼)。情動に関連した暗黙知を形式知に還元するのは難しいが、ここでは便宜上、美を赤毛のアン*が用いた chill や impressed といったゾクゾクワクワクという心の動き、ときめき*(本学学長宮田亮平)、いうなれば特異的な感情*(松尾大)をもたらす事物及びそうした現象を総合的にとらえ本稿では美と便宜上呼ぶことにする。以下では先に述べたカントによる批判よりも、国家や民族、宗教、時代を越えて万人にもたらされる脳の大脳辺縁系(主に報酬系)の興奮に主眼をおいて論証していく。

先の「芸術」の変遷から見るに「美」は何か良いこと、快いこと、立派なこと、優れたこととといったポジティブな使われ方たがなされてきた。美と善を評価するそれぞれの脳は脳活動レベルでも共通性を見出すことができる。また愛情と美の間にも脳神経科学的な共通性が見受けられることは善と美と愛情を同一及び、似通ったものとしてが扱ってきた先哲たちの歴史を脳神経科学的にも裏付けることができる(『脳は美をどう感じるか』、p43ー44)。自然美、造形美、芸術的な美、機能美など芸術を語る上で欠かせない事象と言語上、概念上も密接に結びついているが、近代以降の芸術概念については美の他にも大きく二つの柱がある。それは創造的コミュニケーションと文化的制度である。次はこの二つについて考察していく。

芸術とコミュニケーションを結びつけることもまた近代的視点である。芸術とは、作り手と受けてとの間の情報の圧縮と解解凍の連続であると考えるのはその典型的な例だろう。芸術概念の歴史的展開を考えた場合に芸術に関する暗黙の常識も美学的思索も必然的に両者を伴う。先に挙げた美学の祖であるバウムガルテンやカント、ヘーゲル、シェリングを筆頭とするドイツ観念論者たちにより制作学としての詩学はその受容の点に重きが置かれる感性学としての美学に受け継がれた。芸術は鑑賞されるためのものとする芸術概念は倫理学と関係付けられ哲学の一分野としてその位置を担うようになる。中世以前の人々は偉大な芸術作品に対して、その作者の個性など気にもかけず、神と、またそれを実現せしめた指導者や支配階級を尊んだ。*近世の人びとは、美を表現の成功の生み出す超個性的な価値的性質と考え(『美学事典』、34頁)*、その際の芸術的コミュニケーションは、この美しい作品世界に参入することであった。*18世紀末から作者の個性が芸術の中心的考えに据えられると作者の思いや気持ち、また伝えたいメッセージを読み取ることに受容の主眼が置かれる。同じコミュニケーションでも芸術は、日常的な言葉と異なり予め定まったメッセージがあり、それを伝えるのが目的である*というような類いのものではないため時代が下るにつれて芸術はバルトの『作者の死』に見られるような「多様な読みの可能性」*を含む能動的創造的解釈を求めるに至る。現在でもクリステヴァの「間テクスト性」*を保持したまま、「芸術」それ自体が知のため、解釈者のためのものであるかのように開かれた解釈の対象となっており、ソーカル事件を経た今もなお、「誤読の権利」*すら堂々と認める芸術概念のコミュニケーション受容が実際のアートワールド界隈を中心にグライスの「協力の原理」*として機能を果たしている。

また幼少期からの教育と大学、アカデミー等の高等研究機関、またさらには美術館等の制度の成熟によりその地位は益々公認され芸術全般の博物館化の傾向を助長し揺るぎないものとなっている。歴史的な観点からも進む世界の一体化の中で様々な“美”がヘゲモニー国家を中心に*生命、非生命、崇拝物を問わず貪欲に世界各国の周縁から収集され各国で展示された。ヴィンケルマンが崇めた古典古代の彫刻やエジプト美術、またクンストヴンダーやクンストカメラに由来する珍奇な品々をかき集め公に展示する行為は古典が保存の保存を促進し、新作の強力なライバルになるとともに、芸術史的、博物史的な知識と美の受容度を高めることにも繋がった。大英博物館とウィフィツィ美術館が18世紀の半ばに公式に開館*(エルミタージュ美術館は1764年、ルーブル美術館は1793年)することと、近代美学の誕生が同時期というのは欧州が美に対する概念を意識的に自覚しはじめたとととらえても間違いではないだろう。美的範疇、美的質の体系付けはこのゾクゾクワクワクを近代の眼差しの下で編纂する過程だ。興味深いのは近現代アートに見られる芸術の解体に伴う美の拡散が既にこの頃のミュージアムという制度自体に原初より組み込まれていたことである。

芸術の定義は多々あれど、上記の創造的コミュニケーションと文化的制度、双方を合わせたものが現在の「芸術」を規定する。その点においてダントーの「アートワールド」*は先に触れた圏域及びプルデューの「場」にも通じ、芸術の生殺与奪権利者としては極めて説得力が高い。一度定まった制度としての芸術概念のロバストネスを覆すことは難しく、それを覆そうとする試みは巨大な壁の前の卵が風車に突進する行為に等しい。だが今なお、ある作品が芸術であるか否かが議論されている様を見ると、そうした「協力の場」への従事者の飯の種になっている分には好ましい案件ではあれ、なぜそうした議論が起きるのかを解明することは実社会における葛藤の根源である「バカの壁」を乗り越える有用な示唆を与え得るかもしれない。本稿以下の章ではなぜそうした葛藤が生じるのか、またそれをいかに乗り越えるのか考察をしていく。

○○は芸術か、という問いは仮象である。というのも、それはカテゴリーミステイクを起こす以前の問題だからだ。いずれの単語も厳密な語義を定義していなければ「群盲象を評す」ことになる。おおむね世の中の論争の類いはこうした議論の土台から既に破綻している例が多い。芸術か、否かという命題が論争になるのも各論者がそれぞれに恣意的な「芸術」概念の運用を主張するからに過ぎない。それぞれに地理的文化的社会的背景を有するから一層慎重を期して言葉を選ばねば建設的な議論はできない。




第三章 芸術の共通項

「芸術」と言及したところでその意味するところは多様である。美術であり、fine arts であり、l'arte であり、die Kunst であり、ars であり、techne であり、と数多のニュアンスが含まれている。各々がそれぞれに十分な歴史的背景を含んでいるため等価ではなくニアリー・イコールである。だがそれでもなおそうしたシニフィエに相通ずる要素がある。その共通する要素を抽出して芸術と呼称してはどうか、というのが全体を通じた本稿の提案である。

結論から先に言えば、古今東西数多の「芸術」なるものに共通する要素は、「もののあるべき姿かたちを探求すること」である。

「芸術」とはアマルガムテーゼであり一言で定義するのは不可能である。G・E・ムーア*が指摘するように複合概念を単純概念に置き換えなければ定義できないのだとするならば、芸術を一言で言い表そうとする行為自体が既にカテゴリーミステイク*である。だが、仮にもし、それに共通する要素を新しく芸術と定義したならばミランダが見たような新しい世界が開けそうだ。そのためにも、先ずは芸術の機能の観点から歴史を辿り共通する要素をあぶり出していく。

美学辞典によれば「芸術の機能、すなわち芸術がいかなる役割のものであるかについての思想は、文化とともに変化する」*とある。たとえばラスコーのような洞窟壁画も幻覚を用いた穴居人が呪術的目的を意図して描いているならば、*「近代的な美学に従えば、このようなあり方は不純であり、本来の目的を逸脱し、異質な目的に芸術を従属させるものであるから、その自律性に反する」(『美学事典』)*ということになり、それは近代的な意味での「芸術」ではなくなり、それに付随して言えば、宗教芸術も、思想的な芸術も「芸術」に組しないことになる。同氏によれば*「ホメロスのような古い叙事詩は、ほとんどすべて、民族の戒律や道徳を教えるという教育的機能を担っていたし、それが当然であった。ギリシア悲劇もまた宗教的行事の側面をもち、特に民族や市民としての絆確認する役割を担っていた」*とのことである。また「二十世紀の社会主義国では、その社会体制を支えることが芸術の正しいあり方であ」り、芸術の自律性及び、その美的価値に重きを置く「芸術」概念に基づく芸術の定義は歴史的に見た時にもたかだか250年ほどの見方に過ぎないが、とはいえ、「芸術概念の歴史的・文化的な多様性をもたらした最も大きな要因は、この機能についての考え方」*であるのは間違いない。

芸術の定義について「万人の万人に対する闘争」が尽きない理由はここにある。つまり芸術が多様な機能を有する複合体であるがゆえにどこに論者が焦点をフォーカスするかで芸術概念の様相がその時々によって変化するからである。佐々木氏の例を挙げよう。同氏はその著書『美学辞典』の中で、芸術の機能を、「テクネーに由来するわざ、アルスから抽出される知、アートの強調する作品、そして冒険的精神」の4項目に分け、それぞれに改造する力、認識、美、快という効果と結びつけている。初めの三者はタタルキエヴィッチに依拠し、彼は明晰に要点をまとめ、古代のテクネーはものを造る能力を意味し、中世のアルスは制作者の知識を中心におく概念であり、近代のアートは主として造られた作品を示す*(『美学辞典』41頁)とした。それに佐々木氏は第4の要素を彼なりの「芸術」概念の構成要素として付け足す。

さて、ここで疑問が生じる。では、あるモノや事象が上に取り上げた4要素のいずれかの集合に属すれば美学的に第一章冒頭で述べた芸術の定義と合致すると見なしてよいのか、ということである。また他の学者の意見なく上に言及した4要素だけでいいのか、またさらには近代の美学という比較的歴史の浅いある種短視眼的な西洋の定義を他の文化圏における「芸術」概念に当てはめてよいのだろうか。そして、さらに敷衍すれば先に挙げたような芸術概念を構成する複合的な要素の集合を全て満たせば「芸術」となるのか、またそれはある一定の欠かすことのできない要素、及び満たすべき要素の制限また強度があるのか、また究極的には少なくともその中の要素を1つでも保持すれば「芸術」となるのか、といったものである。

芸術を定義する上でその要素に着目する手段が芸術理論である。上記のような疑問に有効な手だてを有するのは芸術理論の中でも近年のガウト(2000年)に見られるクラスター理論だ。これは過去のaesthetic  response or functional theories of art*formalist theory of art*、historical theories of art*、aesthetic creation theory of art*を巧みに取り入れ先に示した佐々木氏の4つの芸術の条件以上に詳細な場合分けがなされている。以下にその10の条件を示す。

(i) possessing positive aesthetic qualities (I employ the notion of positive aesthetic qualities here in a narrow sense, comprising beauty and its subspecies);
(ii) being expressive of emotion;
(iii) being intellectually challenging;
(iv) being formally complex and coherent;
(v) having a capacity to convey complex meanings;
(vi) exhibiting an individual point of view;
(vii) being an exercise of creative imagination;
(viii) being an artifact or performance that is the product of a high degree of skill;
(ix) belonging to an established artistic form; and
(x) being the product of an intention to make a work of art. (274)

*ガウトによれば、これら項目のすべてを満たす事物は芸術であり、これら項目のいずれも満たさないものは芸術ではない。また、これら項目のうちの{すべてではなくとも}いくつか満たすこともまた、ある事物が芸術であるのに十分である。たとえば、ある事物が(v)以外の九つを満たせば、その事物は芸術であるし(で年の風景画のように)、また、ある事物が(ⅰ)(ⅱ)(v)(ⅷ)(ⅸ)を満たせば、その事物は芸術である(エジプト美術のように)。(27頁)*ということなのだが、ここにはinstitutional theory of art*の条件は含まれておらず、この項目条件に付いてアドホックに付け加えることも可能だ。また、当然、各項目の言葉の定義も多様な解釈幅を含む。

「真、善、美は芸術と科学に結びつく属性であることが多い……科学においても芸術においても、人は発見を美的経験として経験する。自然には特別な美があるが、それは人が見ることを学習しなければならないものであり、そして人が秩序と調和を発見するとき経験するものである。科学的発見に伴う啓示は、芸術における美的経験を創りだすものとしてのスーパーサイン*の発見と比較できる。ゲシュタルト知覚は科学的発見のもっとも重要な源である。問題がエレガントに解決される経験には畏敬を覚える。」*(『美を脳から考える』p48)

という上記の記述からも科学的発見もまたガウトの項目を満たす。棋士やチェス、碁等の神の一手も、創作料理もここには含むまれるであろう。いずれにせよ、この(INUS条件により補強された)クラスター理論*が他の芸術理論を駆逐するということではなく現在でもこの理論は一つの有力な定義形式として他の芸術理論と併存している。こうした定義の枠内では何が芸術で何が芸術でないかの客観的な境界線を確定するにはまだまだ時間がかかりそうだ。とはいえこの10の条件はほぼありとあらゆる人間活動を網羅している。そしてこの条件の中の一つの条件でも満たせば芸術であるといっていいのならば、もはや芸術の定義はその語源の意味するところの「人為」であるといってのかもしれない。つまり、言い換えれば、条件を一つも有しないものは世界に「自然」だけではないかと思える。だが、しかし本当にこの条件から外れる事物は芸術ではないのか。次章ではこの問いを考察していく。




第四章 芸術の中立性 

芸術と美を結びつけて考えるようになったドグマの中に現在の私たちは生きている。そうしたパラダイム*やエピステーメー*の中において「アートワールド」が認知した芸術は私たちが「ポリス的動物」である限り制度として大なり小なり程度の差異はあれ一応の納得を私たちにもたらす。ここで一つ例をあげたい。2012年に芸術家の長者番付けで一位であり名実共に「アートワールド」界の重鎮でもあるダミアン・ハーストがアメリカ同時多発テロの際に二機の航空機が世界貿易センタービルに衝突し爆発したことを「"visually stunning work of art"」と称賛したことである。これには世界的な非難も起り、同氏は一周忌のメモリアル式典前日に犠牲者の遺族関係者にプレスを謝罪する*わけだが、以下が非難を巻き起こした彼の語った内容の一部である。

"You've got to hand it to them on some level because they've achieved something which nobody would have ever have thought possible - especially to a country as big as America."
"So on one level they kind of need congratulating, which a lot of people shy away from, which is a very dangerous thing."
"The thing about 9/11 is that it's kind of an artwork in its own right. It was wicked, but it was devised in this way for this kind of impact."theguardian.com, Thursday 19 September 2002 11.01 BST)*
同氏はまた謝罪時のコメントでこう述べている。

"As a human being and artist living in the civilised world, I value human life above all else and abhor all acts of terrorism and murder."
"I apologise unreservedly for any upset I have caused, particularly to the families of the victims of the events on that terrible day."
"I in no way condone terrorism of any kind and I deeply regret any offence caused by the misrepresentation of my thoughts and feelings."(theguardian.com, Thursday 19 September 2002 11.01 BST、原文ママ)*
彼にはテロを肯定するつもりは毛頭無く反対すらしている。彼が称賛し、また芸術であると語った要因はやはりその上記に示した美学的に“美”的な衝撃的価値とその冒険的精神にある。この事象を先のガウトの10の条件と照らし合わせれば大部分の項目を満たすだろう。芸術概念が「開かれた」概念であるならば人によっては10項目全ての条件を満たす。しかし、世論はそうした人が死に傷つき、悲しみと憎しみの連鎖をもたらすようなネガティブな仕業が芸術と見なすことを支持しない。社会はポジティブな効果をもたらす仕業を美であり芸術と定義したいらしい。善か悪か、ポジティブかネガティブかといった相対的倫理的価値の問題に論争の要因を見いだすことができる。

以下、私たちの倫理道徳を客観視した「善悪の彼岸」*の観点から考察していく。

“善”であれ“悪”であれ、美的な衝撃的価値、また冒険的精神を宿す事物は多い。アナクロニズム的視点を許され、また、もしそうした事物を芸術の範疇に括ろうと試みるならば、地下鉄サリンや酒鬼薔薇、グリコ・森永事件、はては切り裂きジャックといった様々な“悪”とされる劇場型犯罪も含まれるだろう。はては広島、長崎への原爆投下、731部隊、アウシュビッツなどといった人類を戦慄させる悲劇的な“美”的衝撃にもその定義を拡散することができる。“美”的衝撃的価値を用いずとも、兵法が芸術であったことを鑑みれば、世論がどうあれ、テロを戦争の方法と見なし過去の18世紀フランスの芸術概念との歴史的アナロジーで“芸術”に位置づけることも理論的には可能だ。

いずれにせよ、ここでは美的価値についてもう暫く話を進める。どうやら私たちの感性は“善”であれ“悪”であれ、それが冒険的精神を持って、ある方向に極められていく際に、それがある一定の水準を超えると情動の変化、すなわち“美”的感情が生じる。ここで言及する“美”的とは”ゾクゾクワクワク”といった暗黙知的感覚である。芸術の本質は美である*と佐々木氏が指摘する通り芸術は美と密接な関わりを持つ。ここでいう美とは現代の視点に立てば、綺麗で流麗なものだけに限らず、おぞましい人間の暗部や恐怖、嫌悪感すら伴うものもその範疇に括っていい。この美という心内現象については後述するが、ここでは便宜上、穏やかで清々しいものや、爽やかで優美なものを見た時に感じるクオリアと、エロ・グロ・ナンセンス的なものを見た時に感じるクオリアとの双方に共通する特異的な感情と定義しておく*(眼窩前頭皮質内測部と左脳運動野が美と醜で部位間の興奮と抑制がトレードオフの関係になっている)。そうした視点から前章までの美と芸術概念との制度的歴史を省みると、ミュージアムという思想が一貫して美の収集を担ってきたと云える。一見すると“美”的価値の無い文書もその内容や経緯といったコンセプチュアルな面では“美”的であれば収集され、アーカイブを充実してきた。吸い殻のようなゴミもマリリン・モンローが吸ったとなればミュージアムはそれを収集する。

世間的に「芸術」と認められるためには、ポジティブなベクトルを持つことが第一条件と推察されるが、先に説明したようにそうした「芸術」もまた社会制度と結びつきそのコミュニティ内で解釈学的循環的*にそのイメージを造られる。現在の「芸術」という言葉は語義のインフレーションを起こしてる。とりわけ日本では岡本太郎の影響が大きく芸術を色物として扱う帰来がある。また「美術」と「芸術」と「アート」の三者が入り乱れ、厳密な定義を経ずに各人の恣意的運用に任せられている。美術にもアートにもそれに付随するイメージがある。前者には華麗であったり、枯淡であったり、崇高であったり、壮大であったりといった「美術」のイメージが、また後者には閉塞感ともなう社会への抵抗や、人間性の自由への解放、愛と正義といったオノヨーコ的イメージが読み込まれる。「万人が万人に対する闘争」の中において遍くすべての人にとってポジティブである現象はそう多くないが、常識的な範囲で「芸術」は第九に代表されるような言語、民族、宗教、人種といった壁を越えて人類を共存の方向へ導こうとする応用芸術と理解されなくもない。ポジティブな価値とはすなわち、人類の幸福及び福祉への貢献としての指標で測られる。ネガティブな価値とはその軸の真逆の方向性を持つ。そうした中(軸上)で先ほどのアメリカ同時多発テロが一般的な「芸術」の市民権を得るのは相当ハードルが高い。だが、そうした言葉の定義と意味を綿密なやりとりを用いて一から説明すれば共通の土俵に立つことはできそうだ。互いに共通しているシニフィアンでもそのシニフィエが異なることから対話することで見えてくる世界がある。

ワールドトレードセンターが崩壊する瞬間だけが美しいわけではない。原爆が爆発する瞬間もまた美しい。おそらく相当数がそう思っているだろう。その火の下には20万もの人が瞬時に命を落としているわけだが、現状を知ったとて、心に疾しさを感じながらその美に魅了される。それは環境美学*にもまた心の哲学とも関わりを持つ。新しい世界とは人間の業そのものなのであるが、それについては後で詳しく述べる。

芸術を”よき”ものととらえているうちは、その真の姿を捉えることはできない。価値とはまさに見るものの視点で正義と同じようにいかようにも変わるものであるからだ。

芸術は中立的なものである。だが、そこに意味を付与せねばならないのが人間である。例を挙げよう。ここに一つのナイフがある。ナイフ自体において「本質が実存に先立つ」*とする用途論及び実存主義は一旦忘れ、ただあるとする。そのナイフ自体は単なる存在であり、価値としてはニュートラルであるが、それを用いることで価値が生じる。しつこいようだが、ここでもラッセル=アインシュタイン宣言*のような作り手とモノそのものにおける技術論的関係はひとまず棚に上げ本題に入る。そのナイフを用いて料理をすればそれは使い手にポジティブな作用をもたらす。そのナイフの切れ味が高ければ高いほど容易に料理ができる。作り手にとってはうれしい限りだ。料理だけでなく、獣の皮を剥いだり、丸太で筏を固定するロープを切断する際にも益々そのポジティブな効果を発揮する。ナイフ自身の洗練された機能的な美しい曲線のフォルムを楽しんでもいい。だが、そのナイフが強盗に奪われ、その刃が自分に剥いたらどうだろうか。切れ味鋭いナイフは頸動脈を容易に切り裂く。そのナイフがなまくらであれば助かる可能性があるかもしれない。そうなると一転して今度はそのナイフがネガティブな価値を持ち出す。また愛するものが隣にいたとしよう。強盗からそのナイフを奪えば、また一転してそのナイフが自分や家族を守るポジティブな道具になる。これは当然ナイフにかぎったことではない。それはなべのふたでも、銃でも、核*にも当てはまる。まさに芸術の語源である技術 techne をいかに使うかで、またどの立場に身を置くかによってその事物の有する価値が変わる。

何が“善”で何が“悪”かはその社会的背景によって変わる。魔女が聖人になり、教科書は一夜で墨が塗られ、テロはレジスタンスになるといった移り変わりを私たちは歴史に数多く見いだす。サロメのような退廃的な反道徳的芸術もある種の美的な快をともなった特異的感情を私たちに喚起する。だが「善悪の彼岸」に不慣れな場合においては、美的価値はそれを尊ぶ前に道徳的価値と照らし合わされ、その美に酔いしれていいのかどうかが一旦吟味される。先に述べたまさに人を不幸にする類いの「芸術」はその美的価値を疑われ、最終的には“美”的価値や精神的冒険性があったとしても先のアメリカ同時多発テロのように「芸術」でない、と世間では認定される。

立場によりその美的態度も異なり、また当然何を美とするかにおいても「文化的・時代的・個人的な偏差がありうる」(『美学辞典』、16頁)*が「現象の多様性を根拠に美の普遍性を否定するのは早計である。文化の国境を越えられない芸術美があることは否定しがたい。この面の多様性は、諸々の芸術民俗学が解明しつつあることである」*と佐々木氏は述べ、さらに以下のように続ける。「しかし、この特殊性は美を構成する諸性質・諸価値のレベルにおけることであって、包越者としての美には、その限りでの普遍性を認めなければならない。すなわち、民族によって、個人によって、美と認めるものは様々であっても、直感される見事さがある、という点は、あらゆる民族、あらゆる人が認めるところである。」*(『脳は美をどう感じるか』、p88ー89、神経美学的にも世界各国いかなる人種民族であれ、脳の活動レベルは共通であることがわかる。)

先に挙げた例に戻ろう。ナイフ制作者は何をもってしてナイフを作ったのであろうか。効率的に料理を作る手段として作ったのであろうか。また身を守る護身用として、また美しいフォルムを見つめるものとして作ったのであろうか。効率的に料理をするには切れ味が重要になる。そうであるならば無限の可能性の中から切れ味を増すというベクトルの方向性が定まる。また身を守る護身用としても、切れ味というベクトルを志向する。美しいフォルムの追求は作者の中にある“ある姿”を試行錯誤の末に”発見”しようとするベクトルが生じる。

佐々木氏は次のように述べる。「その冒険が技巧的、宗教的、倫理的、思想的など、いかなる種類のものであれ、芸術的な冒険は徹底されるとき、美しい表現となる。例えば、ミケランジェロ、ラファエロ、シャンパーニュらの宗教美術、シュッツやバッハの宗教音楽は、宗教的精神に徹したがゆえに、その作品は美しい、という事実がその事情を物語っている。美術作品のなかには様々な異種の価値があってよい。それぞれの価値において優れていればいるだけ、全体は美しい、と言うことができよう」(『美学辞典』36頁)

ある目的、機能を希求し、その究極点に近けば近づくほど美が伴うということに筆者も同意する。芸術の錬磨は美のエッセンスである驚き(タウマゼイン)*を伴い私たちを感動させる。ポジィティブな美、それを感動と呼ぶのならば突き詰めた芸術は、それがテクニックの錬磨であれ、感情の錬磨であれ、熱量の錬磨であれ、大きくデュオニソス的なものを伴って私たちの魂を揺さぶる。それゆえに芸術はしばしば感動を伴う術である美術と親和性が高くなり、それゆえに混同され、同時並行的に一般社会で流通する。

ここで視野を広げると古今東西数多のあらゆる文物がある目的を志向している。250万年前のオルドワン石器(『脳は美をどう感じるか』p119)*も、ヴィレンドルフのヴィーナスもまた制作者の“ある姿”の探求があった。何か突発的な要因が無い限り途中で制作を放棄することは、レオナルドか近現代のアーティストでない限りおそらく無い。そこには求めた“理想像”がある。ピラミッド、縄文土器、ミロのヴィーナス、ネイティブアメリカンのタトゥー、ハムレット、アフリカンアート、孫子、アヤソフィア、イマーム・モスク、システィナ礼拝堂、オイラーの公式、星振る夜、相対性理論、ゴールドベルク変奏曲(グレン・グルド、1981年録音)、社会彫刻、アウトサイダーアート、スーパーフラット、等々、歴史を振り返るに、ありとあらゆる形態も目的も機能も意図も異なる芸術が氾濫するが、それでもなおそこには共通する要素がある。美の倫理道徳的基準及び、多様な文化的背景を越えて“あるべき姿”の探求は常にいかなる芸術にもなされている。





第五章 芸術の拡散

私たちが近代以降の美学に従って芸術を考える時に先のタタルキエヴィッチの時代による定義の変遷は芸術概念を異化*し、作品でない芸術もまた芸術になり得ることを示している。占星術や航海術、兵法がかつて芸術であった事実はその好例であろう。歴史とは常に現代史*であり過去を現在に思い出すこと*である。当然、過去の芸術概念をプロクルーステスのベッド*のように現在の芸術概念に当てはめる必要は無い。だが歴史的観点から現在では芸術と見なされていないものもかつて芸術であったことは認めねばならない。現代の視点から過去を見ることも、また過去の視点から現代を見ることも意義あることだ。繰り返しになるが先に示したミュージアムという思想は過去の先哲たちのミューズを造形、非造形問わず貪欲に収集し公示する。制度は制度上判例主義的にならざるを得ないから、“美”が拡散すればするほどありとあらゆるものが既存の芸術形式との類似性を持ち、美と密接な関係を持つ芸術と認定されやすくなる。

また一つ例を挙げよう。近代以降の美学が過去の非芸術を芸術としていることを自覚した上で、ヨーゼフ・ボイスの視点から過去の事象に芸術的類似的な特質を求めてみたい。直近で示した数多の芸術の例は造形、非造形を問わず作品、文化遺産として認知、保存されているが、”もののあるべき姿かたち”を探求したものは、 fine arts や歴史的文化遺産といった芸術の定義付けを要請するものに限ったことではない。作品でなくとも、また当人に作品という自覚が無くとも芸術となり得ることはある。

「人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである」*というボイスの言葉は有名である。先に示した岡本太郎とあいなって人間はみな芸術家であるという考えは確固とした概念として社会に根付いてはいないが、耳にしたことがある人は相当数いるだろう。筆者もまたこの考えに共感を覚え、また再掲するが本稿の結論はこの考えに与する。

社会彫刻もまた芸術である、といったボイスの視点から歴史を振り返れば、そのもっとも偉大なハブになった芸術家たちが浮かぶ。それは、すなわちソクラテスであり、ゴータマであり、孔子であり、イエスであり、ムハンマドといった現在の私たちの世界のグランドデザインを設計した者たちである。

イエスを例に挙げよう。芸術を定義する上でしばしばそのイマジネーションとしての虚構性が挙げられるが、ここではイエスを当代きっての天才詐欺師ととらえてみる。イエスは実は神の声も、その姿も見たことは無かったと仮定する。自分が生きる世界に貧困や差別、病が溢れている。ただ、そうした世界を変えたい気持ちは本当だ。“もののあるべき姿”を社会に実現したい、と彼は考え、その最も実現しやすい手段として彼は神をでっち上げた。社会的文化的背景を吟味した上での選択だったかもしれない。そのやり方が彼の考える理想の社会を実現する術として妥当であると彼は考え、左の頬を差し出すことや、貧民街に分け入り病者を助ける等のパフォーマンスを伴い実践した。結果として彼のパフォーマンスは当時の体制側からはテロリズムとみなされ政治犯として処刑される。彼は市中を血だらけになりながら、十字架を引きずり回した挙げ句、十字架にかけられる。幾度も脇腹を槍で刺されるにもかかわらず、しかし、彼はそれでも神を称える賛美歌を歌い続けパフォーマンスを全うした。彼を取り囲んだオーディエンスたちは、虚構の神が実在すると確信せざるを得ないほどの凄惨で壮絶なパフォーマンスに美を見出し、感動し、魂を揺さぶられた。

ガウトの芸術条件の10項目にもあるポジィティブな美的特質とは道倫理徳的に反しないかということであろう。ポジティブな美的特質の対立項は醜ではなく悪だ。そして、また付言すれば私たちの社会のそうしたポジティブな価値か否かを決定する判断基準になるものが倫理道徳の規範となる宗教という芸術である。それゆえに私たちの芸術は究極的に彼らの芸術を希求する。芸術がその言葉の内に既に包している“もののあるべき姿かたち”という理想は、彼らの生み出した宗教の目的、すなわち”仁”であったり、”慈悲”であったり、“神”を志向する。ポジティブな美的特質とは、短期的には人を傷つけはすれ、長期的な視点では先の宗教の目的を志向する。しばしば人が美的に強烈でポジティブな体験をした時に口から漏れる”神”という言葉は全能的なユーフォリア、すなわち幸福感と恍惚と驚きに満ちた忘我の状態を意味しているのかもしれない。かくいう私の言葉の定義も社会的制約を受け、当然ある一定圏内でしか通用し得ないが便宜上定義しておく。人はそれを感動と呼ぶ。

上に示したように、ソクラテスやゴータマ、孔子、ムハンマド等を天才的、神懸かり的「パフォーマンス・アーティスト」ととらえた時にボイスが語った「芸術家」のインフレが生じる。というのも“もののあるべき姿かたち”を社会や生き方に求め、実践すれば「芸術」であるという概念が私たちを包摂するからだ。ここにシラーの美しき魂*の概念も類似的に用いることもできる。その際には私たちと神懸かり的な天才芸術家たちとを隔てる壁は、日常における理想的な生き方の実現度合いの程度と頻度の差でしかなくなる。宗教と芸術は一般的には異なるが、宗教もまたヴォルテール*が語ったように人間が生み出した産物であるといえなくもない。根底に“もののあるべき姿”が宗教にあるならそれもまた芸術にほかならない。ここに芸術概念は高尚なハイアートから実生活にまで適用されその範疇を拡大する。誰もが真似のできない芸当と誰もが真似のできる芸当の境界線をあぶり出すのはクラスター理論が担うだけだ。「人間は努力する限り迷うものである」*とゲーテは語ったが、人間は試行錯誤を繰り返し理想を求める限り万人が悩める芸術家なのである。芸術家であるから芸術家であるべきだ、といったヒュームの法則は適用する必要は無い。近所のご婦人方への朝の挨拶、またゴミ出し、インテリアの配置、また何気ない友との会話等々、昼食の選択、恋人への愛のささやき、我が子への愛撫等々。このように見てみると人間とは確かに行住坐臥芸術家であるといえる。

結局、わざわざ芸術を“もののあるべき姿かたち“を探求することなどと定義しなくても、その語源のままに、“人為”とすれば拡散する芸術概念をうまく説明することができるのではという声もあるだろう。それは確かに正しい。本稿も最終的にはその結論に与する。だが一般的に用いられる“人為”だけでは芸術の本質はまだ掴むことができそうにない。芸術が人為であるという考え方は既に古い。次章では人ならざるものの芸術について考察する。





第六章 芸術と本能

古今東西数多の先哲が芸術を、そして私たち自身を定義してきた。一般的市民権を得ている「ホモ・サピエンス」*やボイスの社会彫刻とも通じる「ポリス的動物*」、現象人を意味する「ホモ・フェノメノン」や本体人を意味する「ホモ・ヌーメン」*、工作人を意味する「ホモ・ファーベル」*、遊戯人を意味する「ホモ・ルーデンス」*、その他にも記号を扱う*ことなど人間の本質を定義する説は芸術を定義するのと同様多岐に渡る。

そうした知性的存在が織り成す総体としての営みを“人為”と定義し、人間のなす「芸術」は他の生命、非生命とは全く異なる別種のものと考えられてきた。自然とは神が人間に与えてくれた利用されるべきものといった考えは環境コンプレックスが取り沙汰される昨今においても有史から根強く残る。だが、先哲たちの努力はカルチャルスタディーズと科学テクノロジーの発達により、人間の芸術はその“人為”の解体をもたらす結果となった。人間らしさ及び「芸術」は既に人間だけの占有物ではない。

2013年、インド政府がイルカを“(一定の権利を持つ)人類でない人”として公式に認めた。その背後にはイルカが人類と同じように感情や知性を持つと科学的に確認した背景がある。

イルカは思考し道具を用い、抽象的概念を理解し、人間が名前でお互いを見分けるのと同じように、相互に認識し合うシステムを持つ。*(wired.6.12.WED)

上の記述からイルカは生物学的な類科目が異なるだけで、先に先哲たちが定義した“人間”の定義を満たしている。未だなお、人間と他の生命を区別する見方は根強いがディープエコロジー的視点*からの人間解釈を通じた人間中心主義批判も近年盛んになっている。「芸術」が“もののあるべき姿かたち”の探求であるとするならば、それは何も人間だけに限ったことではない。

イルカだけではない。南米に生息する猿は医師を使い硬い木の実を割る*。小枝を使って木の中の虫を食べる鳥*もいる*。他にも昆虫を餌にして魚を獲るサギ*など道具を用いるという人間の定義を満たす動物は枚挙に暇がない。キノコを栽培するアリ*は農耕*をしているとも考えられる。公園の遊具で遊び、でんぐり返しをするカラス*は先のホイジンガの定義を、人間とコミュニケーションを取る犬、また数字の大小や人間の言葉を介すチンパンジー*はカッシーラの定義を満たす。人間の現象意識にも環世界*の制約はあるが、これらの動物は人間だけが持つとされていた因果律を認識している。人間と動物の違いを「私は私である」と認識する心内現象意識に求めようとも、マークテスト(ミラーテスト)*をクリアする動物もいる。フンコロガシ*が中世のリベラルアーツである天文学を行っていることが近年の研究で証明された。雲雀は愛を歌う。万葉の歌人が詠ったあはれと、ヴィオレッタとアルフレッドとの乾杯の歌と、いったいどこが異なるのか?人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力を、広い意味でのart(仕業)という。(p31)*のなら主語を人間に拘泥する理由は見当たらない。

どうやら「人為」が「芸術」の疑いなき重要なファクターであり続けられたのはダーウィンまでだった。ヴォルテールが神を跪かせ、ニーチェがその首を切り落とし、ダーウィンがそれを高らかに掲げ、ドーキンス*がそれを地中深くに埋めた。それ以降、当然、人間中心主義は変わらないが、人間が神に付与された特権的地位は地に落ちた。そこから人間の解体、すなわち「芸術」の解体が始まるのは必然だったのかもしれない。本能と「芸術」はしばしば異なるとされるが、それは誤りである。本能にもまた芸術が関与している。本能の発露には必ず芸術が伴う。

しばしば語られる何でもかんでも芸術論、すべては芸術だ、等々という考え、これらは本稿の定義上乱暴であるがすべて正しい。丁寧に言い直すならば、すべての現象、事物に「芸術」が関与している、と言い直した方がいい。

すべてが芸術とするエクスパンショナリストたちと一般の「芸術」家たちとの間で行われる対話の一例がある。コップを上げ下げする動作をして、これは芸術か否かという議論だ。これはマグリットの「これはパイプではない」や鎌倉の禅僧たちが行った公案に等しい。先にも示した通り、それを「芸術」と定義するかはこれまでに渡って紹介してきた様々な紆余曲折や方法がある。芸術と定義しようとすれば定義できるし、定義しようとしなければ定義しないこともできる。だが、ここでは新たに生物学的本能といった観点から考察してみる。

コップの上げ下げという行為がガウトの意図する「芸術」を意図して「もののあるべき姿かたち」を求めた結果、そうした動きに通じたのなら、それはガウトの「芸術」定義の項目のいくらかを満たす。だが、それを意図しなかった場合のコップの上げ下げには、ガウトの「芸術」概念以外にいかような「芸術」が関わっているのだろうか。

一言でコップの上げ下げと言うと容易な動作で一般的な芸術とは程遠く思える。確かに世界の多くを構成する健常者にとってコップの上げ下げは取るにたらない些末なことで特異的な感情も起こらないかもしれない。だが、脳科学的観点に従えばコップ一つの上げ下げにも多くの「芸術」が凝らされていることが近年の研究から伺える。まずはじめに初動として眼前の世界を見る。過去の記憶と照らし合わせ「コップ」という言葉で世界を区切り認知する。適切な早さと正確さでコップに手を伸ばし、指を開き、コップを落とさぬよう、壊さぬよう適切な力で持ち上げ、幾度か上げ下げを行い、また元の場所に戻す。たったこれだけの動きの背後には驚くほど膨大な情報が処理されている。

眼球、網膜を通じて得られた視覚情報は、視神経シナプス間のやり取りを通じてLGN(外測膝状体)に送られ、三種類の細胞層で並列的に処理される*(4.4、二つの視覚経路、p60)。「コップ」のある位置に対する奥行きの知覚には様々な奥行き手がかりが利用される。左右の眼が離れているために観察距離に伴って生じる網膜像のずれである両眼視差*、また両眼視差の情報から右眼と左眼の画像のどの部分が対応しているのかを決定する対応問題*、眼の焦点を意図的にずらして立体的にみることができるランダムドット・ステレオグラム*等、「図形的特徴ではない、単なる光の空間分布の左右眼の違い、すなわち視差エネルギーを直接検出する装置が脳内に存在し」(4.6、奥行き手がかり、p64)*、奥行きを知覚すると同時に、背景と奥行きの区別を付ける。また光は電磁波の集合に過ぎないため脳内で明るさ・色・質感の補正も行われ、様々な手がかりと制約条件を用いて光強度データを環境照明・表面方位・表面反射率に切り分ける逆問題を解いた結果、表面明るさを知覚する*(p66)。また物体表面の質感の知覚において、照明や形状などの情報を用いた高次な計算ではなく、網膜像における単純な統計的性質のみから光沢感や透明感などが知覚される(4.7、明るさ・色・質感、p66)*等、定時の情報処理から、高次の情報処理に至るまで複数の水準の処理が、質感の感覚を担っている。その間においても「コップ」に関する語彙検索(6.5、語彙アクセス、p98ー99)が行われ、心内辞書の概念層、レンマ層、形式層の三層モデル(p93)*で「コップを上げ下げする」と心の内で言語産出し、「コップ」という対象を言葉で認識し、内発性注意(7.3、内発性、外発性注意、p112ー113)*で意思決定を下し*、行為に移す。手を伸ばす動きについても複雑な行程を取る。運動制御の計算論では通常、軌道決定・座標変換・制御の3段階を経て、運動指令(特定の力を出せという指令)が生成される*(8.5、大脳皮質運動野:運動計画と運動指令の座、p134ー135)と考えられる。それぞれの決定や変換のモデルとしては躍度最少モデル*トルク変化最少モデル、終点誤差分散モデル*(8.7、運動制御の不良設定と最適化、p138ー139)が挙げられ、適切な最短距離と適切な力加減で「コップ」まで手を伸ばし、掴み、上げ下げする。一見すると容易に見える「コップを上げ下げする」動作もまた記憶を伴った学習*(p156、技能の獲得)に裏打ちされている。私たちは幼少の頃に少なくとも一回は「コップ」倒し、中の牛乳をテーブルの上にぶちまけたことがあるはずだ。

技能の獲得とは、まさに学習であり「芸術」の語源である技に通じる。訓練と日々の鍛錬によって冒険的精神を伴った仕業は先に挙げた通り美が付随する。イチローもジョーダンも、マイケル・ジャクソンも美しい。プロの選手の動きはよく「無断な力が抜けている」と形容される。無駄な力を省いた見た目にも美しい運動は、終点の誤差の分散を最少にする運動なのかもしれない。*(p139)とあることからも経験則的にも計算理論的にもそれは正しい。彼らはそうした好例だ。だが、「もののあるべき姿かたち」を探求することと美しくあることは別物である。最短距離で動きをなした「コップの上げ下げ」はさほど美しくはないが、それもまた「芸術」である。それがただ(高度な作業をしていると)自覚されて意識に上がるか否か、また代替のきかない希少性の高い冒険的精神を持つかどうかの程度問題に過ぎない。洗練されたバレエも鼻を掻くこともどちらも同じ「芸術」なのだ。

また認知神経科学の観点から、見ることもまた努力を要することであることがわかる。すなわち見ることは訓練を通じた「技能」の獲得においてなされる。アンリ・マティスはこう語っている。

見るということはそれ自体ですでに創造的な作業であり、努力を要するものである。(『脳は美をどう感じるか』p22)

という記述から、美術とは、描く人と見る人の努力によって成り立っている。それは先の芸術のコミュニケーション的性質と繋がっている。情報の圧縮を作家が、解凍を観賞者が行うということである。

ロスコの絵を見ているとき、私は絵の中心当たりをぼうっと眺める。それに対して、伊藤若冲の『群系図』を見たとき、多くの鶏に圧倒され、そこにいる鶏の数を数え、そしてあちこちに頭を向けながらも鶏が見ている私を睨みつけているような気配を感じながら、細密な筆遣いに感心して細部へと目を動かす。どのような絵を見るのか、どのように絵を見るのかによって、見るという行動が異なる特徴を表すことは直感的に分かるだろう。(『脳は美をどう感じるか』p24)

という記述からも、また自らの体験からもこれは当然である。通常、観賞者は鑑賞作品によって見る態度を変える。それは何も絵画や視覚芸術だけに限ったことではない。音楽においても聴者はモードを変える*。見ることが努力を要することが分かりづらければ、それを活字に当てはめてみればいい。読書もまた努力である。活字を理解すること*(『イラストレクチャー』6.7 文章理解。p102ー103)は脳内で見るよりも膨大な情報処理が行われているであろうことは身体感覚でも直感的に分かる。音楽芸術、視覚芸術、活字芸術とその鑑賞努力の敷居が高くなる。

ここに「芸術が自然を模倣する」*から「自然が芸術を模倣する」*を経て、今「本能が芸術を模倣する」に至る。

本能という言葉は専門分野においては説明的な言葉でないと使われる機会は少なくなったが、*一般社会では頻繁に使われている。メリアム=ウェブスター辞書では本能を次のように定義している。

「判断を伴わず、環境の刺激によって引き起こされる固体の複雑な反応で、遺伝的で変更が利かない。」*
としているが、本能もまた言語の性質上異なる意味で使われることが多々ある。マイケル・トマセロとピンカーの間で論争が起きたが、それは本能の定義が原因であった例もある。ここでは参考までに動物行動学者パトリック・ベイトソンの代表的な本能の意味として9項目を挙げる。

1.生まれたとき、あるいは発達の特定の段階で存在する性質。
2.学習なしでも存在する性質。おそらくもっとも一般的な用法。
3.遺伝的である性質。高い確率で世代を超えてみられる性質。
4.進化の過程で形成された性質
5.役立つようになる前にすでに発達している性質。
6.種、性、年齢などを同じくするグループに共通する性質。
7.動物の行動の一部。例えば狩猟、体を綺麗にするなど。
8.専門化された神経構造を持つ性質。現代神経科学、認知科学ではこの意味で用いられる。例えば顔に認識、感情、表情などを司るモジュール。
9.発生的に強靭で、経験からの影響を受けない性質。発生生物学で用いられる。

行動(ここでは仕業としてみてもいいかもしれない)を学習か生まれつきかで二分しない立場は行動生態学などでは標準的である。これは本稿の「芸術」の定義に近い。学習そのものも遺伝的、環境的な基盤があり、進化によって形作られたいわば「本能」であり、行動生態学の視点ではどの程度学習や経験の影響を受けるかの程度の差でしかない。

未だなお、「芸術」の定義のエッセンスを「人為」に据えようと試み、主体を持つ者の為す営みこそが「人為」であり「芸術」であるとし、その最後の砦を現象意識や自己犠牲に、そして自由意志に求めるものがあるかもしれない。だが現象意識には環世界*と哲学的ゾンビ*の制約がかかり他の種族の主体認知及び同種内の主体認知ですらも大方の予想はつくがその実普遍性は獲得し難く、先に示したマークテストに合格する動物の例もある。また自己犠牲を行う種のみの仕業が芸術となるかという考えについては、確かにサマリア人も、コルベ神父も、江戸の名もなき義民も美しい。だが美しくロマンティックな論であれ利他行動をおこなう種は蜂、カマキリ、カバキコマチグモ、タチコマ等々*の例もあり枚挙に暇が無い。利他行動や自己犠牲に「人為」を求めることは困難である。またさらに自由意志についてもその存在可否を科学的に問う試みとして運動準備電位を用いたリベットの実験*から意識のもとに自由意志は存在しないとする立場が取られる(面白いことにリベット自身は、行動の候補リストは無意識のプロセスによって用意されるものの、土壇場になって意識が介入することによって、ストップをかけることができるとの立場をとる)(11.8、自由意思と意識研究のこれから、p194ー195)*。また「被験者に2枚の顔写真の中からより魅力的な方を選ばせた上で、一部の試行で選択直後に、選択理由を説明させるとの実験を行った。説明を求めるときに写真を呈示するのだが、ここで鍵となるのは、半分の試行で、被験者の選ばなかった方の写真を出してしまうことだ。興味深いことに、数十%の試行において被験者がすり替えられた事実に気づかないばかりか、「私は筋肉質の女性が好きだ」などと、滔々と後付けで理由を語りだしてしまうことが明らかにされた。ほんの数秒前の自らの行動選択に対して、事後的にその記憶が改鼠され、都合のよい理由が作り上げられてしまう。」*(11.8、自由意思と意識研究のこれから、p194ー195)という「認知的不協和」*(『脳は美をどう感じるか』、p73)の実験結果からも、「無自覚的に行われた行動選択に対して、事後的に意識のもとで行われたと私たちが錯覚していたとしても決して不思議ではない。脳の仮想現実メタファーで言えば、私たちが持っていると感じる自由意志も仮想現実の一部ということになるのだろうか」*(11.8、自由意思と意識研究のこれから、p194ー195)とある。すべての処理が無意識でなされ、意識は行動決定のなされた後の後付けに過ぎないかもしれないという科学的視点からも、自由意思に「人為」を求めるにはまだ早い。他にも人間のみに見られる特性を「自殺」*や「涙」*に求めることができるかもしれないが、反例は他の動物にも見られる。

利他行動を美しいと感じることもまた「芸術」である。それは私たちの「本能」に進化論的所与的にプログラミングされている。情動は進化の過程で獲得した適応的な心的機能であると言われる。進化の過程で獲得されたという証拠として、特定の情動に対する表情表出は、ヒトと類人猿の間で共通するという種間普遍性、文化を越えて共通であるという種内普遍性、乳児や先天的視覚障害(碍)児と健常成人で共通するという生得性が示されている*(12.1、情動のモデル、p198ー199)。心理学研究から示される情動とは、進化的に獲得され後天的に調整されて適応的機能を果たしており、また刺激の意義を評価しそれに応じた多様な反応を喚起するという一連の心的処理過程であるといえる*(12.1、情動のモデル、p198ー199)。

バナナに手を伸ばすことなら類人猿にもできるが、星に手を伸ばすことができるのは人間だけだ*、というラマチャンドラの言葉はロマンティックで「芸術」の定義を「人為」に据える真に最後の砦となり得るかもしれない。だが、ブンチョウにも絵や音楽の好みがあり、個体差がある*(『脳は美をどう感じるか』、p111ー113)という動物美学の実験結果は人間の特権的牙城を揺さぶる。

本能もまた芸術であるならば、ニワシドリ*の作るカラフルな巣と女性を連れ込む際の部屋の掃除とベッドメイキングと何が異なるのであろうか。また求愛ダンスとロミオのソネットと、身を潜めて獲物を狙うチーターと槍を携えてマンモスを狙う人間とどこが違うのであろうか。

いずれにせよ、環世界を伴った擬人化を通じてしか他の動物と我々を比較することができないというクオリアの特性上の制約がある。本能は「芸術」を模倣し、「あるべき姿かたち」を因果律で結ぶ。つまり、もはや私たち(だけではなく他の種もまた)は意図的か意図的でないかに関わらず芸術をなさねば存在できない。

またどこまで「人為」の関与を認めるかによっても定義が変わってくる。学習と本能と生産関係の網からは人間が生きて存在している限り逃れることはできない。私たちは生まれる以前から母の胎内に間借りし栄養と酸素を送られ、モーツァルトを聴かされ、温かく庇護されて胎児の世界*を送る。医師や産婆の手を借りて世界に生まれ、父や母、兄弟、祖父母、仲間、地域の中で様々なものに囲まれながら育つ。言語や倫理道徳といった価値観を学び成長し、自らも周囲の環境に対し芸術を成す。私たちの思考や概念、行動様式。価値観は親、兄弟、地域といった周辺の環境から形作られたものであり、そこには「人為」が介入している。はじめの「人為」を模索すれば無限背進に陥るだろう。科学的に見れば「人為」とは進化論的に線形に作られた概念であり、神の気まぐれで非線形に作られたものではない。そもそも論で人間は誰かの“人為”なくして存在することはできない。タモリが赤塚不二夫の弔辞で語った、私もまたあなたの芸術作品です*、という名台詞は間違いではない。一般的な「芸術」が美を通じてまた新たな美を生むことは以下の記述からも伺える。

美は創造の必須の媒体である、ということだが、これを美を主題にして言い換えるならば、美は愛をかきたて、それによって創造活動を媒介する、ということになる。この思想を展開するならば、作り出されたものが芸術作品で、それ自体が美しいものであるならば、それはさらに次の創造を刺激し、そこに美の連鎖が作られる。(『美学辞典』p18)*

そして、それと同じように「人為」の連鎖も生み出される。

また同氏は続けて、この美の創造性は、まず、芸術創造の一面を明らかにする。確かに、芸術家たちが創作意欲を刺激され、構想を汲んできたのは、美しい女性であったり(ペトラルカにおけるラウラ、ベルリオーズにおけるH・スミッソン)、美しい自然であったり(万葉歌人たちや芭蕉)、また芸術作品であったりした(ドラクロワにおけるシェークスピア、ボードレールにおけるそのドラクロワ)。美の創造性はまた、創作過程と作品をつなぐだけでなく、さらにその作人と解釈とをつないで、創造性の連環を作りあげる。芸術作品の解釈は、創造性を旨としてなされるべきものだからである。(『美学辞典』p18)*

先にも述べたが人助けの美も美として繋がる。情けは人のためならずや、お互い様、後輩におごるといった「芸術」や文化は感動を伴い神話や民話として口承等様々なメディアによって後世に語り継がれる。

本章では動物もまた「芸術」を為し、人間を含めた全存在が「芸術」をなさねば世界に存在することができない、ということを神経認知科学の観点から考察した。だが、前章で述べたように本稿は「芸術」とは「人為」であるという論に与するものである。これは本章の内容に矛盾すると思われるが、次章でこの矛盾を解決する「人為」を提示する。




第七章 芸術と存在

人間原理という概念がある。「非風非幡」や「父母未生以前本来の面目」*の命題に似た概念であり、そもそも論で観測する人間がいなければ観測される宇宙は存在しない、という考えである。「もののあるべき姿かたち」を探求せねば存在できない人間の業は自然と第一原理に向かい、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか、といった「究極のなぜの問い」に行き着くのは当然のことである。宇宙を因果律で繋ぎがねば目的論的世界観も生じることはない。この問いに対しては検証原理が働かないため疑似問題的扱いを受けかねないのだが、ハイデガー*やノージック*はそれでもなおこの謎に向き合うことは重要であるとした。本稿もこの立場を取る。

先の章では「芸術」とは進化論的に獲得されてきた私たちの「本能」であり、人間以外の種でも、私が私であると認識する主体が不在でも行われるということを確認した。だが本章冒頭の人間原理、つまり観測する主体なくしては「芸術」もまた存在し得ない、ということも確認しておきたい。人間が認識する全事象に芸術的要素が関与する、という「芸術」の考え自体も、私という認識する主体があってこそはじめて定義できる。

人間は既に「芸術」が関与しなければ世界を認識できないことは再三述べた。ここでは認識する私が一旦存在しない世界を考えてみる。当然、そうした認識の主体が存在しない世界を想像することもまた認識の主体があるからこそできる芸当だが、ここでは敢えて目を瞑り思考実験してみる。

発熱や身体の反射、恐竜、原子、エベレストからの景色、ビッグバンの瞬間等の自然そのものそれ自体は「芸術」ではない。世界を把握する「自我」が誕生する以前からそこに存在した現象である。だが、注目すべきところは、これらの事象を認識し、指し示す際にも「芸術」を行使せねばならない、ということだ。それらを指示する文字、記号、また名付け、また事象そのものに関する地質学的解釈、年代測定等といった説明等も「芸術」が関与してはじめて言及される。発熱や身体の反射も私たちは生きる目的上での「あるべき姿かたち」の一形態として認識する。恐竜は絶滅したが、私たちの前に「映画」という「芸術」の中でしかと歩いている。原子は目に見えない。だが私たちはそれを「科学」という「芸術」を用いて認識することができる。エベレストの景色もまた私たちの認識があって初めて美しいものとなる。「人為」を想定しない思考実験ですら「もののあるべき姿かたち」を介さねばできないのである。

どうやら私たちの「もののあるべき姿かたち」を求めて止まないモジュールはカント曰くの物自体に組み込まれている。すべての現象は認知という「芸術」を用いて情報が編纂され、認識された情報は文化コードという「芸術」フィルターを通じて把握され、記憶という「芸術」の産物と理性という「芸術」が照らし合わされることによって理解される。ありとあらゆる一切の認識され得るすべての現象に「芸術」が施され、世界は制作*される。ここに本稿全体を通じて主張していた「人為」を回収することになる。いうなれば、結局、物自体に「人為」を求め「芸術」の根幹を付与するのである。

然り而して、最新の神経認知科学を経て、古代ギリシア果ては古代インドに回帰する。パルメニデスやリグ=ヴェーダ*の記述にあるように、認識論は人類の枢軸時代*から問われてきたアポリアであり、ゴーギャンに至っても、ホーキングに至っても解けない人類永遠の命題である。私たちの自我はナマの現実であり、既にあった*ということから世界認識が始まる。胎児や新生児は手で自己の身体の他の部位を触る行動に長い時間を費やすことが知られており、この頃から新生児は既に自己と外界の境界を設け、生態学的自己を持っていると考えられている*(13.6、意識の発達、p226ー227)が、いずれにせよ、無意識の「芸術」がなされていることに変わりはない。カントによれば人間の認識能力には、感性と悟性との二種の認識形式がアプリオリ備わっている。感性には純粋直観である空間と時間認識する能力が、また悟性には因果性等の12種の純粋悟性概念が含まれる*。五感で感じた事象を感性と悟性を駆使して範疇に分けて物事に分析する。それゆえに、近年の認知科学がもたらす治験結果からもカントの物自体の働きを脳に求めることは正しいが、そのメカニズムは未だブラックボックスである。

人間の情報処理はカロジェネティックとして記述できる(ターナー)。これはギリシア語のカロス(真・善・美)とジェネシス(産出、出生因、起源、源泉)の合成語である。人の神経系には世界について確かな、筋の通った、一貫した、まとまりのある、予測力の高いモデルを構築しようとする強い衝動がそなわっている。そうしたモデルによって、あらゆる事象が説明され、それらは現存するデータを越えて豊かな意味を含み、同時にできるだけ原理や公理で統御されるシステムとしてつくられる。(『美を脳から考える』、p55ー56)

上記の通り私たちの認識に「芸術」を求める働きが原初より備わっていることは間違いない。それが関与できない物自体内での出来事であれ、モジュール内での出来事であれ、意識的に制御できる精神内での出来事であれ、自然を改造することであれ、「もののあるべき姿かたち」を探求するのであるならば、それを「芸術」と定義するに何ら問題はない。それがハイアートであるか、バッドアートであるか、また人を不幸にするアートであるか、また人を幸せにし人類全体の幸福に貢献するアートであるかは分析哲学及び、クラスター理論に任せよう。芸術とは何か、という問いはここで一応の決着となる。次に問われるべきは、それがいかなる芸術か、ということに私たちはシフトするべき時がきた。

本稿は、私たちがみな芸術家であると主張するつもりはない。当然、美術家であるとも、アーティストであるとも主張するつもりもない。上記の概念はみな既に歴史的文脈を背負っている。ただここにおいて主張したいことは上で論証してきた意味において、私たちはみな「芸術」することを宿命付けられた存在である、ということである。その意味において私たちが芸術家に相応しいのならばそう呼べばいいだけの話である。

ポアンカレは言う。「科学者たちは役に立つから自然を研究しているのではない。それが喜びであるから研究するのであり、美しいから喜ぶのである。もし自然が美しくなければ、それは知るに値しないし、自然が知るには値しなければ、人生とは生きる価値のないものに成り下がってしまう……つまり部分の秩序が調和することによって生じる、そして純粋な知性だけが知ることのできる、深遠な美を言っているのである……したがって、この特別な美を、宇宙の調和の感覚を探求することによって、ちょうど芸術家が自らのモデルの造形の中から絵を完全たらしめ、人格と命を与えるものを選択するように、この調和にもっともふさわしい真実を選択することができるのである。」(『美を脳から考える』、p219)

これは何も科学者や美術家を意味する芸術家だけに限ったことではないだろう。ましてクリエイティブであると称賛を送られる人々だけにでも限ったことではない。それはセンス・オブ・ワンダー*という知的好奇心を本性として持つ、人間なら誰しもに当てはまることである。私たちは日常的な営みにおいて美と調和を持つ心の構築物、いうなればそれぞれの「あるべき姿かたち」を模索し、探求する。

芸術のアンチノミーは無である。芸術とはすなわち私たち人間存在そのものであるからだ。つまり私たちの存在そのものが芸術である。最後に私が心酔して止まないドイツの詩人の「芸術」とは何か
を端的に記した一節を引用して本稿を閉じる。



そうだ、おれはこの精神に一身を捧げる。
知恵の最後の結論はこういうことになる、
自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、
これを享受するに値する人間といえるのだ、と。
従って、ここでは子どもも大人も老人も、
危険にとりかこまれながら、有為な年月を送るのだ。
おれもそのような群衆をながめ、自由な土地に自由な民と共に住みたい。
そうなったら、瞬間に向ってこうよびかけてもよかろう、
留まれ、お前はいかにも美しいと。
この世における俺の生涯の痕跡は、
幾千代を経ても滅びはすまい。――
このような高い幸福を予感しながら、
おれはいま最高の瞬間を味わうのだ。(『ファウスト 第二部』ゲーテ著、相良守峯訳)*



生涯の痕跡、これを「芸術」と呼ぶ。






おわりに

本稿では古今東西の芸術定義を概観した上でそれに則るかたちで新たな芸術定義を提案した。一見するとこれは私だけにのみ通じる私的言語なのかもしれない。だが、合理的に客観的な芸術定義の基準を設けようと試みた時に上記のような答えが出た。それを天下に広しめることは人間解釈学の発展に寄与することにも微力ながら繋がるだろう。そして何よりも芸術学の分野だけでなく政治経済、宗教、科学といった数多の「バカの壁」が原因で引き起こされる葛藤の和解に幾分かの貢献ができると思う。美は世界を救う、とかつてドストエフスキーが語ったが、美には痛みの緩和や鬱病、ガン、アルツハイマーといった病にもポジィティブな効果をもたらす。美や感動は私たちを「ただ生きるのではなく、善く生きること」に導く。これからの課題としては本稿がもたらす賛否両論を切に受け止めながら自らも積極的に批判に加わっていくとともに、芸術と密接に結びつく美と感動について学際領域から客観的でより実証的な妥結点を発見し、遍く私たちの生きる社会に還元していきたい。



以下、脚注及びメモ、覚え書き等

第一章 芸術なるものの変遷

以下「芸術」ということばを当時の文脈を踏まえた上での便宜的翻訳語として取り扱うものとする。

*人間が自らの生と生の環境とを改善するために自然を改造する力を、広い意味でのart(仕業)という。(p31)*

*特に芸術とは、予め定まった特定の目的に鎖されることなく、技術的な困難を克服し常に現状を越えて出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし、美的コミュニケーションを志向する活動である。*

*北沢氏の指摘にみられるように、美術という翻訳概念が生み出されることによって、我が国の芸術の制度化に重要な方向性が与えられた。つまり美術という概念によって在来の絵画や、彫刻などの制作技術が統合されるとともに、視覚重視の芸術、生活を離れて純化された芸術がその枠内に取り込まれた。また美術のあり方については博覧会、博物館、学校などを通じて体系化され、規格化され、一般化されたのである。そうして美術と非美術の境界が設定され、さらにかかる規範への適応如何が制作物への評価を決し、さらにはそのような規範が公認され、自発的に遵守され、反復され、伝承され、起源が忘却され、ついには規範の内面化が成されると指摘している。(『芸術の自立性と、その制度化について』大塚晴郎、佛教大学大学院紀要 第31号、2003年3月、200ー201頁)*

*延暦16年(797年)成立の歴史書に登場『続日本紀』大宝3年(703年)10月甲戌本姓金名財沙門幸甚子也頗渉芸術兼知筭暦「本姓は金、名は財(たから)、沙門幸甚が子なり。頗る芸術に渉り、兼ねて筭暦を知る。」芸術=学芸と技術筭暦=算法と暦法『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。林陸朗[校注訓訳]『完訳注釈続日本紀』巻第一―巻第八(現代思潮社、1989年)、41頁。
*享保14年(1729年)成立の武芸書に登場『天狗芸術論』「芸術未熟の者、名僧知識に逢たりとて、開悟すべきにあらず」芸術=武芸と技術『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。*
*明治15年(1882年) 伊沢修二『教育論』「此諸種の武芸練習によりて、強壮なる体格を造成したるもの甚多しとす。然して此等の芸術は、体育の法に於て各異なる所あり」芸術=武芸と技術『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。*
*明治5年(1872年)1月ウィーン万国博への出品を呼びかける太政官布告「ウイン府[澳地利ノ都]ニ於テ来一千八百七十三年博覧会ヲ催ス次第」(第二ヶ条)「美術〈西洋ニテ、音楽、画学、像ヲ作る術、詩学等ヲ美術ト云フ〉ノ博覧場(ムゼウム)ヲ工作ノ為ニ用フル事。」北澤憲昭『眼の神殿』(美術出版社、1989年)、143-147頁。*
*明治5年(1872年) 西周『美妙学説』「西洋にて現今美術に数ふるは画学(ペインチング)、彫像術(スカルプチュール)、彫刻術(エンクレーヰング)、工匠術(アルキテクト)なれど、猶是に詩歌(ポエト)、散文(プロス)、音楽(ミジウク)、又漢土にては書も此類にて皆美妙学の元理の適当する者とし、猶延いては舞楽、演劇の類にも及ぶべし」『日本国語大辞典』第11巻(小学館、2001年)、2「使うための技術、作るための技術、真似るための技術」とあり、それぞれ三者を代表して、「笛を吹くこと、ベッドをつくること、詩を詠むこと」に相当する。(プラトン『国家』下巻、p320)

「一般に、技術は、一方では、自然がなしとげえないところの物事を完成させ、他方では、自然のなすところを模倣する」(アリストテレス『自然学』第2巻第8章、199a15ー)

「花を与えるのは自然、編んで花輪にするのは芸術」(ゲーテ『ゲーテ詩集』、高橋健二訳、新潮文庫 1951年、ネズミを狩る男、p146ー)

*美学事典p38、タタルキエヴィッチの『美学史』の中で、「卑俗な技術 artes vulgares 」をキケロは「不潔な技術 artes sordidae」と呼んだ、という。また、「自由学芸ー熟練的技術」の用語に先立つものとして、例えばボエチウス(c.480-525)は、学問のほうを ars、手の技術のほうを artificium と呼んだ(De institutione musica,1,34,cf.TATARKIEWICZ,ibid.,p.80,p.86)

*E・デュルケムによれば「制度とは集合体によって制定されたあらゆる信念や行為様式」をさして呼ぶわけであり、そのことによってはじめて拘束力を発揮するのである。しかも制度化されることによって、継続化し、その当時の集団の成員に影響力を発揮するのである。(佛教大学、194頁)*

*「いくつかの原理に還元された自由人の技(学芸 arts liberaux )のうち、自然の模倣をめざす技は、芸術 beaux arts と呼ばれてきた。というのも、それは主として楽しみを目的としているからである」*(『美学事典』p40)

*「ディセーニョの術 arti del disegno 」によって美術全般を指したのはヴァザーリであり、そのヴァザーリは「最美なる術 bellisime arti 」、またスカモッツィは「美しい術 belle arti 」という言い方をしていた。L・ヴェントゥーリ『美術批評史』、125ー26頁*

*アカデミー制度の中心になるのは、修行方式でない方法で芸術家を育てる教育機関(エコール・デ・ボザール)、若手の芸術家から優秀なものを選びイタリアへの学習旅行を贈るコンクール(ローマ大賞)、呪分たちの発表の場を自分たちで確保する展覧会(サロン)の3つである。*

*ここでの「圏域」という概念は、P・ブルデューのchamp(場)にほぼ近い。彼の芸術におけるchamp(場)の概念とは芸術の自律的な考えかたが支配している芸術の世界を問題にする際に、これを肯定したり、否定したりする立場をとるのではなく、これを成立させている社会的な空間を場(champ)そのものをとらえ対象にしょうとしている。彼によれば文学の場とは作家、批評家、注釈者、学者だけでなく、出版者、雑誌の編集者など、文学に関係し、利害関係を持っている人々の間に結ばれる客観的関係からなる空間をさすことになる。彼がその関係に客観性を認めるのは、彼は文学の場を制度化の歴史的所産とすることによる。そこには個人的な意識や、意志に対して超越的な集合的秩序、並びにその秩序に基づく関係が認められ、特有の客観性があるという考えによるものである。 彼の場合主として文学の場を対象として論述を行うが、彼自身これを芸術場に置き換えることを認めている。従てっこれを絵画の場合に例をとるならば画家、批評家、学者、だけでなく美術関連のマスコミ、雑誌関係者、出版者、画商、パトロン、美術館学芸員などが芸術に関係し、利害関係をもっている人々の間に結ばれている客観的関係からなる空間をさすことにしたい。(佛教大学。195ー196頁)*

*「芸術のための芸術| という表現は最初フランスの作家・政治家である B'コンスタン(B'
Constant)(1767~1830)の日記(1804年)の中に見られると云われている。(佛教大学大字大学院紀要 第28号 (2000年3月)文化領域にみる芸術の自律性について大塚青郎、153頁)*

*P・ブルデューは「芸術作品の価値の生産者は芸術家なのではなく、信仰の圏域としての(文化-芸術)生産の場である」6)とし、神聖で正当性を認定されたオブジェとしての芸術作品は、生産の場に参加している行為者たちすべてを含めた人々の集団の壮大な事業の所産としている。(佛教大学、p197)*

*およそ文化現象は、政治や機能を見ても分かるように、時代や場所によって、その形態や機能を変化させる。それでもなお、文学、音楽、造形美術(絵画、彫刻、建築、デザイン)、演劇、舞踏、映画、などが現在われわれが近いしている芸術の諸分野であり、これらは多様な文化圏を通じて、相当普遍的な存在性が認められる。その具体的な現象のうえで見るならば、芸術とはこれらの総称、類概念である(p31)*

arsとはartの語源、アルスには自然の配置、技術、資格、才能等の意味がある。アルスの語源はテクニックの語源となっているギリシア語テクネ、の訳語で秩序を司る神、アヴェスタの名Artraやアルメニア語で規則を意味するardなど印欧語ar-、適合するに基づく
いま美学史という本があったとすると、古代から連綿として美学が存在していたかの如く書いてあるでしょう。しかしそれは違います。美についての思想はやはり18世紀特有の時代的な重要性を持っていました。3つのテーマ、感性的な認識、芸術という対象領域、美という価値、その3つを重ね合わせて理解しています。この学問が提唱されたのは18世紀半ばで、18世紀末にはだいたい認知されたと言っていいでしょう。19世紀初頭以来は基本的に芸術哲学となり、現代の西洋人の中にaestheticsと聞いて芸術哲学以外を想起する人はほとんどいない。
孤独で瞑想的な芸術、王によるバロック的芸術
フランスの哲学者アランの『芸術論集』には軍隊のパレードは芸術だと書いてあり、僕は学生時代に読んで驚きました。しかし先のような芸術史の捉え方をすると、軍隊のパレードはまさに芸術です。ルイ14世の場合はあちこちで戦争してパリの街を凱旋行進し民衆に見せつけ、そうした効果として近代的なnationが生まれてきます。18世紀、権力者に認知されることによって芸術、特に造形美術は社会的なステータスを確立しました。というのもそれ以前は学問研究から土木工事のような肉体労働に至るまで広い領域、実践的な知識の領域がすべてartでした。造形美術は肉体労働であり、ギルドの中でも造形美術家は上位にランクしません。ですからレオナルド、ミケランジェロに代表される天才達にとって、自分たちの自負と社会的地位の間にはかなり落差があったことでしょう。

2.「美術」と「芸術」の歴史
2-1.「美術」の歴史明治5年(1872年)1月ウィーン万国博への出品を呼びかける太政官布告「ウイン府[澳地利ノ都]ニ於テ来一千八百七十三年博覧会ヲ催ス次第」(第二ヶ条)「美術〈西洋ニテ、音楽、画学、像ヲ作る術、詩学等ヲ美術ト云フ〉ノ博覧場(ムゼウム)ヲ工作ノ為ニ用フル事。」北澤憲昭『眼の神殿』(美術出版社、1989年)、143-147頁。明治5年(1872年) 西周『美妙学説』「西洋にて現今美術に数ふるは画学(ペインチング)、彫像術(スカルプチュール)、彫刻術(エンクレーヰング)、工匠術(アルキテクト)なれど、猶是に詩歌(ポエト)、散文(プロス)、音楽(ミジウク)、又漢土にては書も此類にて皆美妙学の元理の適当する者とし、猶延いては舞楽、演劇の類にも及ぶべし」『日本国語大辞典』第11巻(小学館、2001年)、269頁。
2-2.「芸術」の歴史 延暦16年(797年)成立の歴史書に登場 『続日本紀』大宝3年(703年)10月甲戌本姓金名財沙門幸甚子也頗渉芸術兼知筭暦「本姓は金、名は財(たから)、沙門幸甚が子なり。頗る芸術に渉り、兼ねて筭暦を知る。」芸術=学芸と技術 筭暦=算法と暦法『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。林陸朗[校注訓訳]『完訳注釈続日本紀』巻第一―巻第八(現代思潮社、1989年)、41頁。享保14年(1729年)成立の武芸書に登場『天狗芸術論』「芸術未熟の者、名僧知識に逢たりとて、開悟すべきにあらず」芸術=武芸と技術『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。明治15年(1882年) 伊沢修二『教育論』「此諸種の武芸練習によりて、強壮なる体格を造成したるもの甚多しとす。然して此等の芸術は、体育の法に於て各異なる所あり」芸術=武芸と技術 『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1246頁。
2-3.「芸術史」の初出 昭和8年(1933年) 林達夫『芸術政策論』「現在、理論芸術学や芸術史の根本的改造に志しつつある進取的な学徒の間において」『日本国語大辞典』第4巻(小学館、2002年)、1247頁。
2-4.「美術史」の初出明治28年(1895年) 上田敏『美術の翫賞』「彼れが、古代美術史に男性の美を奨説して、少年美童の艶なるを唱へしは」『日本国語大辞典』第11巻(小学館、2001年)、270頁。
 
 2-5.以上のまとめ
797年成立の歴史書、703年の記述に「芸術」初出
1792年の『天狗芸術論』に、武芸と技術の意での使用例あり
1872年の太政官布告で「美術」が訳語、新造語として登場
1895年、「美術史」の使用例
1933年、「芸術史」の使用例
※美術=西洋との交流を通じて輸入された概念

芸術の自律性と、その制度化について 大塚晴郎 http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0031/DO00310L193.pdf
例教大学大字|佐紀要 第28号 (2∞o年3月) 文化領域にみる芸術の自律性について 大塚晴郎 http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0028/DO00280L149.pdf

*「前衛芸術の強力な支持者であった哲学者のA・ダントーまでが、芸術の終焉を語る事態が産まれている。」(『美学辞典』、36頁)*

*多くの論者と同じようにヘーゲルの歴史哲学を援用してダントーが語っているのは、「芸術は哲学になることによってその役割を終えた」という考えである。現象面で見れば、この「終焉」は、前衛の冒険が完全性への志向性を喪ってすでに久しい。完全性を求めることをやめたときすでに、衰弱は始まっていたというべきであろう。(『美学辞典』、41頁)


第二章 芸術を定義するもの
カント美学と趣味と社会性
これが芸術か、否かという問いはその語義の恣意的運用とともに、芸術という言葉の中に既に内在している“もののあるべき姿かたち”という論者が自覚的にかまた無自覚的にか意図する理想を赤裸々に晒し命題を一層複雑にする。
同時期にフランスの哲学者マルブランシュという、キリスト教的哲学を標榜した哲学者は、神がなぜ世界を創ったか考えます。こう言えば全く暇人が考えたようにも思われますが、実は非常に現実的な意味があったのではないか、つまりこの世界の存在根拠は何かということを同時に問うているわけです。マルブランシュが出した答えは、美しい世界を創ることが神にとっての誇りとなるということでした。神は完全な存在なので、世界が必要だから作ったのではありません。ではなぜ創ったかというと、それは美しい世界を創ることによって一種の自己満足、自分の誇りを得るためです。つまり動機なしに何かを起こすという、動機無き動機は美にあるほかないと彼は考えました。美学を提唱したのはバウムガルテンという哲学者ですが、彼の主張は時代の要請に符合しています。換言すると彼の主張する3つのテーマである感性的認識、その対象として美という価値、それが実現されるような芸術、そのそれぞれに共感する素地が時代にあったと言えます。

新しい文明にとって重要な美は自然美でした。同時期の哲学者シャフツベリも自然、宇宙の中に美があるということを問題としています。マルブランシュも神の創造した宇宙、自然美を問題としています。人間の芸術作品の話ではありません。美学は最終的に19世紀初めに確立し、その後現代にいたるまで続く芸術哲学となりますが、以上は「美の哲学」です。美の哲学は自然美、宇宙の美についての哲学であり、それは自分たちの住む世界が秩序を持ちうる、平和な世界となり得ることを保証しました。

ところが19世紀初頭になって確立した美学は、もうほとんど自然美を捨てていて芸術作品の美学に変わります。美の哲学と芸術の哲学のギャップは非常に大きいものです。芸術の哲学は、芸術は自然ではなく人間の作り出すものであり、人間の創造的な活動は芸術において極まると人々は考えました。その間に起きた変化には芸術自体の変化、世界の中における人間の位置の変化、色々なものが関与していると思います。芸術の変貌という点では僕は、近代の代表的な形態を孤独で瞑想的な芸術と呼んでいます。

*芸術がコミュニケーションである時とき、発信者である芸術家もしくは芸術作品そのものと、受信者である観賞者をつないでいる共通の了解がある。*
*作者の死、
バルトの仕事の中でも頻繁に議論されるのが、『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」である。本稿でバルトは、現代においても、大きな支配的な概念となっている「作者」という概念に疑問を投げかける。私たちは、ふつうある芸術作品を鑑賞する時、その作品の説明をその作品を生み出した作者に求めがちである。これは、つまり作品を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるという発想である。このことから、例えばボードレールの作品はボードレールという人間の挫折のことであり、ヴァン・ゴッホの作品とは彼の狂気であるという発想が導き出せる。この発想をバルトは、打ち明け話であるとして批判する。このように作者=神という発想ではなく、作品とは様々なものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者であるとして、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を本稿で強調した。この概念は、後年のバルトの作品でもよく言及されており、例えば『テクストの快楽』においても、この概念についての論考が見られる(『テクストの快楽』p120) 『テクストの快楽』沢崎浩平訳 みすず書房(1977年 ISBN 4622004712)
ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。このような考え方は、批評にとって実に好都合である。そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられていても少しも驚くにあたらない。(ロラン・バルト「作者の死」、『物語の構造分析』p.87、訳文は一部修正、太字は引用者)

バルトの「作者の死」をめぐる誤解は、まだほかにもある。実際、この言葉は、「多様な読みの可能性」と要約できる、真っ当で穏当な考え方と結び付けられることが多い。「作品はすでに作者の手を離れている。それはすなわち読者の手に委ねられているということだ。だから、ある一定の条件のもと、読者が自由に解釈していい」というような考え方だ。けれど、バルトの「作者の死」は、こうした「解釈」という行為それ自体を疑問に付すものなのだ(註2)

ヴォルフガング・イーザー、ウェイン・ブース、スタンリー・フィッシュらの読者反応論ないし受容理論ウンベルト・エーコの「開かれた作品」、あるいはイェール学派の脱構築批評、さらには「誤読の権利」や「読みの創造性」といったありがちな議論とは、ほとんど触れ合わない(註3)

バルトの「読者」は、加藤のいう「ただの読者」の手前に立っている。この読者は、文字を文字として、記号を記号として感受することができるほどには「読む」ことができるが、記号を構造化し、より広い文脈に置き直すことはできない。というよりも、しない。なぜなら、こうした構造化と文脈化にどういう意味があるのか、そのことさえ知らないからだ。けれど、この「読者」は、自分の原初的な読みの行為から、最高度の喜びを引き出している。「作者の像」なんて思い浮かべることのない、解釈にも解読にも関心を抱かない、こうした無教養で、反文化的で、非人称的な読者、「作者の死」の手前を生きる、「テクストの快楽」しか知らない野生の「読者」こそが、バルトの「読者」なのである。

*芸術がコミュニケーションである時とき、発信者である芸術家もしくは芸術作品そのものと、受信者である観賞者をつないでいる共通の了解がある。(美学事典、241頁)*

カテゴリー錯誤という用語は、ギルバート・ライルが著書『心の概念』(1949年)で導入したもので、デカルト主義的な形而上学によって生まれたの本質についての混乱であるものを取り除くために用いられた。ライルの主張によれば、心とは霊的な実体から作られた対象であるとみなすのは誤りである。なぜなら、傾向性や能力の集合を指すためには、実体という術語では意味がないからである。ライルのカテゴリー錯誤という概念を用いる哲学者は多いが、どれがカテゴリー錯誤でどれがカテゴリー錯誤でないかという点についてはまちまちで、固定した見解はない。

『でも、これがアートなの?―芸術理論入門 』から学ぶ"優れた"芸術の基準 シンシア・フリーランド ブリュッケ

カントの議論はもっと込み入っている。カントは、「美しいものには〈目的なき合目的性〉がある」(p.28)という。
色彩や素材感といった何かが私の精神的な能力に働きかけて、その「物」が「適正である」と感じさせる。...私たちは、あるものに「美しい」というラベルを貼るが、それはそのものが、私たちのうちに内的な調和や「自由な戯れ」を引き起こすからである。この喜びを誘発するものを見たとき、私たちはそれを「美しい」と呼ぶのである(p.28-29)。

 ジョージ・ディッキーによれば、「美術とは、「ある特定の社会制度(美術界)のために行動する個人(ないしは人々)が、鑑賞の対象として候補にあげてもよいと認知した人工物」のことである」(p.73)

アーサー・ダントーは「適切な状況と理論が与えられるならば何でも美術作品になりうる」という。
デューイによれば、芸術は、「人々が現実を受け止め、それに対して巧みに対応し、現実と取り組む事を可能にするという。...デューイは、科学と同じく芸術もまた、知識の源泉となりうるのだと論じている。芸術は私たちを取り巻く世界をどのように受け止めるべきかに関する知識を伝える」(p.192)

ダミアン・ハースト 911はis work of art http://www.theguardian.com/world/2002/sep/19/september11.usa 

1、美しさ、優美さ、優雅さといったポジティブな美的特質を備えていること
2。感情を表現していること
3、知的な挑発であること
4、形式的に複雑であり、かつ一貫性があること
5、複雑な意味を伝達する能力を持っていること
6、個人的なものの見かたを提示していること
7、創造的想像力の行使であること(独創的であること)
8、高度な技術の所産である人工物ないしパフォーマンスであること
9、既存の芸術形式(音楽、絵画、映画等)に属していること
10、芸術作品を作ろうとする意図の所産であること

現代アートは認識したら負け。話題にしたら完全敗北。

私が主張しているのはスピノザ的な芸術のエクスパンショなリズムではない。しばしば語られる。では私がコップを上げ下げも芸術なのか、と言う問いがしばしば上げられるが、結論から言って芸術である。その問題点は、誰にでもできることは芸術ではない、しかし、これか認知か学的にかなりすごい計算を脳内が無意識に演算処理している、ことを考えたときに、これがイチロー、マイケルジョーダン、レオナルドの訓練によって獲得されたものとの違いはそれが芸術であるかではなく、それがいかなる芸術であるか、だけしか議論することはできない。つまり、それを芸術となさないのは、芸術という言葉に彼なりのコンテキストをそこに付与し、読み込んでいる状態なのである。勿論、私は彼の物語を否定するつもりは毛頭ない。ただいいたいことは彼の芸術が既にかなりおおくのアマルガムファクターを持っているということなのだ。そして彼の捉えている芸術の感動性であったり、特異的な感情、美をもたらすもの、といった芸術からなら議論をはじめることができる。

“神”とは全能的なユーフォリア、すなわち幸福感と恍惚と驚きに満ちた忘我の状態と便宜上ここでは定義しておく。


第五章 芸術の解体

インドでイルカが人でない人に認定 http://wired.jp/2013/06/12/dolphin-identified-human/

Mirror-Induced Behavior in the Magpie (Pica pica): Evidence of Self-Recognition

道具使いの名人カラス、家族ない伝授。

アリストテレスもボイスと通じている 平子友長「西洋における市民社会概念の歴史」2007

Why Dogs Smile and Chimps Cry?  http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/60 

(『イラストレクチャー 認知神経科学 心理学と脳科学が読み解くこころの仕組み』村上郁也編)

(スティーブン・ピンカー等の一部の学者は誤解を招く可能性を認めならがらも、生物学的に親から受け継いだ性質というイメージが伝わりやすいため用いている)、
ハイデガーはこの問いと全生涯をかけて関わったが、いかなる解答も提案しなかった。そもそもどのようにしたら答えることができるのかを示すための努力を行うこともなかった[22]。これはハイデガーがこの問いを「意味の問い」として捉えていたことによる。つまりハイデガーは「なぜ存在しているか」という問いについて、その根拠となる事実を実証主義的、客観主義的に答えようとするものではなく、その意味、つまり「存在の意味」を答えるべき問いと捉えていたためである[23][24]。このことはハイデガー的に言えば、この問いは「存在的」に答えられるべきものではなく「存在論的」に答えられるべきもの、ということになる。この両者の差をハイデガーは存在論的差異と呼んでいた[25]。そして彼は後期思想において、この問いへの普通の意味での解答)は不可能であるけれども、この根本的な謎と向き合うことが大切とした。そしてそうした態度はもはや命題的にあらわされる何かではなく、むしろ詩に近いものとして表されるものであり、初期ギリシャの哲学者の断片にその理想を求められるとした[26][注釈 6]

ノージックによる試み 答えられないだろうが、挑戦する[編集]
詳細は「分析的形而上学」を参照
アメリカの哲学者ロバート・ノージック(1938年 - 2002年)は、この問題を再び哲学の中に呼び込むきっかけを作る。1981年の論文「なぜ何もないのではなく、ものがあるのか?」という大部の論文(英語で50ページ弱、邦訳二段組で80ページ強)で、この問題は解けないように思うが、無視できる問題でもないとして、ありうる解答の可能性について網羅的に模索を行った[32]。この論文は次の一文で始まる。
この問題には答えることができないように思える。― ロバート・ノージック 「なぜ何もないのではなく、ものがあるのか?」(1981年) 冒頭文。 戸田山和久 訳[33]
そして論文の内容を以下のように概説する。
本章ではこの問題に対して考えられる解答をいくつか検討する。私の目的はこうした解答のうちひとつを正解として主張することではない。…むしろ、目的は、答えようのない問題、答えようがないが避けることもできない問題に私たちははまりこんでしまっている…、という気分を緩和することにある。ところが、この問題はとてつもなく深いところまで及ぶものなので、解答を生み出す見込みのありそうなアプローチはどれもこれもひどく薄気味悪いものに思える。…とはいえ、この問題は斥けてしまえるようなものではないのだから、それに答えようとしている理論の奇妙さや気違いじみてみるところを受け入れる覚悟がなければならない。
私はこれから議論される解答例のうちのひとつを正しいものとして支持したりはしない。そうするには時期尚早なのだ。しかし、この問題の歴史において、単にひとつの立場に固執しつつ問題を問うだけというのはそろそろやめにして、いくつもの考えられる解答を提案することを始めるには、十分に機が熟しているだろう。
― ロバート・ノージック 「なぜ何もないのではなく、ものがあるのか?」 (1981年) 戸田山和久 訳[34]
こうして自身は分析対象とする解答例のどれ一つとして支持しないと明言した上で様々な解答の可能性を詳細に分析する。 そして最後に、満足な解答例は一つもなかった、として論文を閉じた。だがそれでもこうした探索には哲学的な意味はあったとした。論文の末尾で自身が行った哲学的分析の意義について次のように書いている。
哲学的説明と哲学的理解の目標に照らして、私たちはこの問題を解決する必要はない。諸仮説を吟味し、詳細に論じ、その筋道を追えば十分である。
― ロバート・ノージック 「なぜ何もないのではなく、ものがあるのか?」(1981年) 戸田山和久 訳[35]
論理実証主義や分析哲学の台頭で不活発となっていた存在についての形而上学的な問いは、ノージックの論文以降、再び議論が活性化し始める。現代における哲学上の議論は、分析的形而上学(Analytic Metaphysics)と言われるスタイルを持ち、分析哲学の方法論と道具立てをふんだんに取り入れた形で営まれている。

(<ある>ものが)どこからどのようにして生じたというのか?<あらぬ>ものから、ということも考えることも、わたしはおまえに許さぬであろう。なぜなら、<あらぬ>ということは語ることも考えることもできぬゆえに。またそもそも何の必要がそれを駆り立てて以前よりもむしろ後に無から生ずるように促したのか?かくしてそれは、まったく<ある>か、まったく<あらぬ>かのいずれかでなければならぬ。パルメニデス(『ここにも神々はいます』内山勝利著、p31ー32)


  1. そのとき(太初において)無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりや。
  2. そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。昼と夜との標識(日月・星辰)もなかりき。かの唯一物(中性の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり(存在の徴候)。これよりほかに何ものも存在せざりき。
  3. 太初において、暗黒は暗黒に蔽われたりき。この一辺は標識なき水波なりき。空虚に蔽われ発現しつつあるもの、かの唯一物は、熱の力により出生せり(生命の開始)。
  4. 最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意(思考力)の第一の種子なりき。詩人ら(霊感ある聖仙たち)は熟慮して心に求め、有の親縁(起源)を無に発見せり。
  5. 彼ら(詩人たち)の縄尺は横に張られたり。下方はありしや、上方はありしや。射精者(動的男性力)ありき、能力(受動的女性力)ありき。自存力(本能、女性力)は下に、許容力(男性力)は上に。
  6. 誰か正しく知る者ぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。この創造(現象界の出現)はいずこより生じ、いずこより〔来たれる〕。神々はこの〔世界の〕創造より後なり。しからば誰か〔創造の〕いずこより起こりしかを知る者ぞ。
  7. この創造はいずこより起こりしや。そは〔誰によりて〕実行せられたりや、あるいはまたしからざりや、―――最高天にありてこの〔世界を〕監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。
― 『リグ・ヴェーダ』(紀元前12世紀) 宇宙開闢の歌(10.129)、 辻直四郎[49] (強調引用者)

バナナに手を伸ばすことなら類人猿にもできるが、星に手を伸ばすことができるのは人間だけだ*、というラマチャンドラの言葉に「人為」再定義の鍵がある。

「優れた画家が、美を描いたことはない。優れた詩人が、美を歌ったことはない。それは描くものではなく、歌ひ得るものでもない。美とは、それを観た者の発見である。創作である。」(『日本の陶器』、青山二郎著)という言葉は心の働きから言って正しい。美とは事象・事物にあるのではなく、それを受容した心の働き、心の状態を意味する。

絵画、彫刻、モナリザ、デュシャン、画家の糞、バッドアート、芸術の自律性
一貫して、各個人の中にもののあるべき姿かたちの探求があった。オートメーションでも止める段階があるということ、そして続けるということには何らかの意図が確実に介入している。そもそも作業に着手するということからして始まっている。コンセプチュアルアート、意図する段階、着手、完成、どこから芸術、そしてその基準は?交響曲未完成もモナリザもまだ制作途中。描きかけとマティス、O潤の違いは?またもののあるべきカタチは何も造形、非造形美術の捕われるものではない、それは社会でも日頃のおこにあについても言うことができる。もののあるべきカタチはなにも美しいだけに限ったことではない。真も、善もまたあるべきカタチである。そう考えた時に、ソクラテス、ゴータマ、孔子、イエス、ムハンマドは歴史上でもかなり優れた部類にはいる芸術家と言えそうだ。オフサイドの感覚、またアナクロニズムであるがそうした彼らパフォーマンスアーティストと再評価することもできる。だが、もし彼らをパフォーマンスアートと認めたならばまたさらに一つの興味深い問題が生じる。つまり我々、極普通の生活を暮らす市民もまたパフォーマンスアーティストに括られてしまうということだ。常に正しいことをすることが条件であり、また記述文字を残さず、弟子を多く持ち、後世2000年以上かたられなければ アーティストではない、という定義を適用されればパフォーマンスアーティストではないのかもしれないが、瞬間的に、また挨拶、人助け、を行った場合にもまたあるべき姿を小規模で試行錯誤し吟味していたらそれは芸術であるということができるのではないだろうか。その明確なボーダーラインを一体誰が引くのであろうか、いまのところ、それの強制力を伴った基準を引く術を持つ者はいないのではないだろうか。人間は努力する限り迷うものだ、とゲーテは語ったが、人間はみな嗜好左右後を繰り返し、精神的に向上する存在であるのあらば、みなが芸術家でらうといていいだろう。科学者もまた芸術家、オカンアート、バッドアート、環境美学、街、都市、家、夜行の高速バスから見る渋滞のレッドライトの群れ、料理、etc

人間は馴れる、ぞくぞくの枠が拡大。美術に非ざる物も社会がせいじゅくすれば美術と見なされる。これほどまでにグロ画像が出回った時代は無い、まりりんまんそん、ピス・クライスト、バッドアート、アウトサイダーアート、また制度的に一度認められたものが覆るのは難しいし、そんなエネルギーは些末であり、誰も省みてはくれない。バッドアート、もまた芸術。ネットというインフラがある一定数以上の嗜好を集める。近代人権論からみれば彼らの趣味も亦公共の福祉に反しない限りでは認められなければならない。また、歳をとると能の素性がかわりづらくなる。神経科学的記述。認知科学的な真善美、の気もちいい。

美とは、チーズケーキを見つけること。本能とのせめぎ合いに等しい、というか、どこまで本能を芸術と括り付けるのかにつく。人為は人間理性に重きをおくが、どこまで人間本性を似止めるのかで個人に寄って芸術の定義は変わる。本能と理性の区別は不能。どっちも本能なのではないか、つまり、環世界、コウモリ、自由意志を発言できる本能と、自由意志の利かない本能、発熱、反射、ものそれ自体、ただし、その発熱という概念や、反射という概念には因果律が働いている。事象と事象と結びつけること、これもまた芸術なのだ。

つまり数学は数の芸術、科学は自然法則を発見する芸術、美術は美に関する芸術、芸術のファクターとして美という感動があまりにも強烈でありすぎた為に美術と芸術はしばしば混同されていた。文化は社会精神、地域共同体の営みの芸術といえる。そして文化はしばしば感動をもたらす、つまり芸術の芸術たるイデアをもたらす為にしばしば文化と芸術もまた同列、並列的に扱われる。

芸術はすべての根底にある。諸学の下部、いうなれば下部構造の中の下部構造なのだといえる。

しばしば本能と芸術はことなるとされがちではあるが、その本能をこの世界で発言しようとする時に。かならず芸術が関与する。お腹が痛ければとる体勢がある。出産だって助産術が芸術であるならば芸術に括られる。弁論術も芸術であり、寝る体勢ですら芸術である。

その要素をもたないものはこの世に存在しない、ということを主張したいわけである。

美とは、大脳辺縁系(のある一定の閾値以上)の興奮である。現在もっとも客観的な美の定義は間違いなくこれである。

意図的か意図的でないかはもはや意味を持たない。つまり私たちの思考の枠組み自体が親や学校、社会といった環境に寄って何が美しく、何が正しいか、とったバイアスを受けて形成されているからであり、その私たちは既にこういった状況から既に、親や、私たちw育んだ環境によって作られた芸術作品といってもかいい。誰かの人為なくしては私たちは今生きていないだろう。人為の関与をどこまで認めるか、は絵画作品の顔料、輸送経路、金銭の授受、コペル君の生産関係等々、その来歴を辿ればきりがなく、また同時代のみならず過去の人たちともつなら理を見せなければならない。そう考えた時に、どこまでレンジをエルデシュ数のようにとるのかは得策ではないように思える。

デカルト、醜女も甲斐がにしたらみなが称賛する。では美しい人を描いてもそれだけでも称賛される。醜女だけでは美でない?そこに美を見出そうとすれば難だって美が見える?写真にすれば芸術、では写真にしなけrば芸術とならないのか?世界をなんらかのメディアで切り取るか、再編集してある種のカタチにしなければ芸術とはならないのか?またそれを身振り手振りで伝えるだけでは芸術たり得ないのか?

アーチェリー、ルールのあるなし、狩りとスポ―ツの違い、どっちも芸術、アテネ、オリンピア、エンターテイメント、儀式、祭り。狩りとカメレオン、ライオンの違いとは人であるか否か、だけ、では現人類と同時代を生きたネアンデルタール人は芸術をしなかったのか。そもそも参加登れば類人猿でなけれ芸術とならないのか。イルカはどうなのか、蟻は、鳥は、ウィルスは、クオークは、と無限背進に陥る。

そうならない為にはある一定の区切りを設けなければならない。それが自我である。カントの物自体と言っていいかもしれない。人間が世界を認識する上で自我、カントの物自体に芸術の基盤、があるものと考えたほうがこれからのためによい。
存在しているものはすべて芸術の要素を持っている。森の木々、道端の気は植林、富士の樹海、人間の出したCO2、これもまた無限背進になる。

物それ自体(石、魚、等々)はたしかに芸術ではないが、そう考えてる時点で人為が関与している、ということである。石も魚も、物自体で区切ってカテゴリーに分けているということである。私が主張したいのは、その人為のファクター、つまり芸術のフィルターを行使しなくては、世界に介入できないし、世界を認知できあにということなのである。物自体を芸術の根幹の要素にしよう、ということなのである。つまり芸術とは何重の人為の積み重ねなのである。

私的言語、自分一人だけに通じる言語、私的芸術、デュシャンとウォーホルの違いはそれを共同体に投げかけ、論評させたところに価値がある。現在ではアートワールドに対する周辺はぼやけてても承認が重要なファクターになる。野球界の重鎮がアートを語っても一笑に付されるだけ。

カント、趣味判断、快不快を基準に判定し利害関心を持たずに虚心坦懐に見る、概念をそこに持ち込まない。好みについて議論できない、ではなく絶対的に正しい趣味があると考えた。哲学的に理論武装して良い趣味を正当化する試みはカントがすべてやり尽くした。

『論理学フィリッピ』「人は孤独において美に対して無関心である。」(ⅩⅩⅣ、354)、共感もまた進化論的に獲得された形質でらうか、当然進化論がすべてではないが。

Scale Natureと言うのだそうだが、脳のいちばん深いところに「爬虫類脳(反射脳)」があって、その上に「哺乳類原脳(情動脳)」、さrないその上に人間などの「新哺乳類脳(理性脳)」がかさぶる三層構造という進化図式がきっぱりと否定され、「基本的な脳のパーツはどの脊椎動物も持って」おり、「各部位の大きさや形が変動する」だけなのだという指摘は、まさに生物における人間中心主義の脱構築に通路を開くもの(だが、そうなると、ほんとうに人間は「動物実験」をする権利があるのか、という大きな問題も浮かび上がってくることは言っておかなければフェアではない)。(『知のオデュッセイア 教養のためのダイアローグ』小林康夫、東京大学出版会、p200)

Wladyslaw Tatarkiewicz
Brit J Aesthetics
 (1971) 11 (2):134-153. doi:10.1093/bjaesthetics/11.2.134

M.weitz:it is impossible  to propose any  necessary and sufficient criteria of art ;therefore ,any theory of art is a logical impossibility ,and not merely something difficult to achieve in practice.'

http://bit.ly/1g5w2jh 2まん5せんねんまえ
のふく。そうしょく、ショーヴェ洞窟との比較

人間の解体、フュシスとテクネの越境の解体。
青山二郎と、ニュートン、アインシュタイン、美を見抜く心がまた、創作であるのなら科学者もまた偉大な芸術家である、ことは疑い得ない事実である。
また付言していえば、ゴッホは今や美である。あたメイプルソープもまた美である。デュシャンもまた美である。コンテキストを通じた美である。アウラは消失しても腐っても鯛である。美はその領域を拡散させた。ゾクゾクワクワクと言った特異な感情、つまりは感情、認識状態の変化をもたらすものは美であるといっても過言ではない。美はプレヒストリック以来よりその領域を拡大しつつ今、その領域の頂点を迎えた、いうなれば美の飽和状態、を迎えた訳である。だからもはや何でもかんでもびでありなんでもかんでもアートであるのだ。

つまり、何が芸術家という議論は本論で終わりとなった。私たちにできることはそれがいかなる芸術であるかを共通の土台にたって互いに吟味し続け同じ地平から世界を見渡すことだけだ。つまり、厳密な意味での言葉の運用、言葉で世界を、記号で世界を区切り、カントの直感である時間、空間で区切り、物自体を運用し、ボンサンスの元で、アマルガムを分解し続けることなのだ。出産も芸術である。本能もまた芸術であるのならば、そこに人間性を無理に付与する必要はない。芸術で人為が重要なファクターであり続けられたのはダーウィンンまでだった。ヴォルテールが神を跪かせ、ニーチェがその首を落とし、ダーウィンが首を高らかに掲げ、ドーキンスがそれを地中に埋めた。

言葉の定義を辞書的意味に使用したとても同語反復など言葉の運用の定義のせめぎ合いは意識が融合しない限り起き続けるであろう。芸術はことばのもんだいであったが、それはけっきょくことばのうんようのもんだいであったのだ。それをすべて認めた上で、議論しようじゃないか、なぁ、そうだろ、諸君!

ステッカー 分析美学
Q.E.D
後は野となれ山となれ。

自我と意識と、問題浮上の発話、自我の芽生えと、芸術とは何かの相同性、どちらが先?思春期に意図的芸術家か、無意識の芸術家か、
美とは、記憶との相談の認知、気づきである。みずからにきっくこと、自分てこういうものがすきなんだ。趣味性。

これはパイプではない。ルネマルグリット、ふーこー、

これって芸術?高速バスの帰り道、夜の渋滞、ぁぁ、これきれいだなぁ、、、美ではあるけど、芸術ではない?そんなことがあるのだろうか?美の前に芸術ありき。それをまた美しいと思う心もまた綺麗なものである。みつお、みすず。

これは芸術?と問題を定義する人、どこからどこまでを、区切るのか、また、その芸術の定義のレンジと、厳密さを双方ともに定義せねば、不毛、仮象である。

当人の意識、これって芸術と考える人と、意識にすら及ばない人、先の高速バス、ドライバー、暗いから電気、法令遵守、etc、アンコンシャスひぽくりと的な、芸術、ゴミをひろう、美しき魂が神経美学的に認定。

青山次郎、美を求める心、小林秀雄、

どこに軸を置くか、言葉の問題、どこまで共通の認識が持てるか。双方、第三者、漱石とソンタグ
無意識の芸術、認知科学、神経美学、本能の領域に踏み込む。
ボルテールが神の首を前にしてかがませ、ニーチェが神の首を落とし、ダーウィンが掲げ、ドーキンスが粉砕した。

ひとりの、とりわけ、自分が世界を認識で包む、当人に芸術家の意識なくとも我に認定の意識あればいかん?

芸術とは、一言でいって、もののあるべき姿かたちを探求すること。

ネルソングッドマン、世界政策の方法、世界は記号で満ちている。
まとめ すべてがげいじゅつなのではなく、すべてに芸術の要素がある。

69-3
Definitions of Art and Fine Art's Historical Origins
David Clowney 
68-3
The Importance of Being Earnest about the Definition and Metaphysics of Art 
Joseph Margolis
64-3
A Naturalist Definition of Art
Denis Dutton
61-2
The Classificatory Sense of "Art"
Lauren Tillinghast

Theory of art
Aesthetic response
Formalism
Historical
Anti-essentialist  "the role of theory in aesthetics"1956 Morris Weitz
cluster consept(2000) Berys Gaut
Aesthetic creation

David novitz,
 Theodor Adorno claimed in 1969 “It is self-evident that nothing concerning art is self-evident any more.” It is not clear who has the right to define art. Artists, philosophers, anthropologists, and psychologists all use the notion of art in their respective fields, and give it operational definitions that are not very similar to each other's.

Steven Pinker 心の仕組み 第4章 見るということも認知的には結構複雑な要素がある。

それが芸術家どうかを考えている時点で芸術が作用している。父母実生以前の面目で芸術を考えることはひふうひばん。かぜでなく、はたでなく、心が動いている。禅問答になってしまう。物自体がないのに芸術をかgなえるkとおはできない。じがなき芸術は存在しない。それもまた自分という芸樹pつがまじわっていることはりかいしたうえで。かんせかい。ゆくるきゅす。
 イマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確にした代表的な哲学者でもある。カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるのだろうか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をすべきなのであろうか」(Was soll ich tum?)、「わたしは何を望むのがよいのだろうか」(Was darf ich hoffen?)、「人間とは何だろうか」(Was ist der Mensch?)という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で、最後の問題について研究する学を「人間学」であるとした。高坂正顕は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしており、以後、カントは「人間学」を自身の哲学の根本のひとつにしていたという見方がされるようになった[3]

芸術には密度がある。自然美は芸術、薄い濃度、庭、cお2。盆栽、バイオアート、k2の屋上から見る風景。道端のタンポポ。万人に取って美しい自然は?あるかいなか?人工美が先か?自然美が先か?オスカーかゲーテか?生物学的に更新世のときに作られた生存に有利な自我、チャルマーズ的な意味で、宗教と農作物の、文字以前の世界を想像する。必要性。と幸せの基準/。音楽は聴覚のチーズケーキ、モナリザは視覚のバナナクレープ。
美しいものに気付くアンテナ、その時点で芸術。 
エベレストで見た風景はアートか?当然アートとなる。にんしき、はなみず、そこまでのぼりつめたこと、まばたき、こきゅう、かんどう、にんしきだけでも芸術。濃度を0とするか、否か。

では動物は?人間と湧ける意味がそもそもあるのか?人間もまた自然の一部。新しい視点、環境倫理学の観点から見れば、人間と自然を湧ける考え方は、もうふるいのかもしれない。一者への直線運動。これこそが芸術なのかもしれにア、生命、非生命を超えた。

自然は芸術ではない。がもし自然に感動すればそれは、自分の中にある感動する(バッハを聞いて涙する、というような)芸術(わざ)が関与している。

どこまで自然は人為から逃れ得るか。人間の排出したCO2を呼吸した植物は?CO2を呼吸しないように隔離された植物は?その線引きはどこにあるか?

人類登場以前、自己登場以前の自然は、世界五分前仮説、人間原理なくして芸術なし。環世界なくして芸術なし。

その意味において自然は多くの人が安易に感動できる、偉大な芸術喚起装置である。芸術的要素をもつものである。

オスカーワイルドかゲーテか。自然は芸術を模倣する、自然が芸術を模倣する。どちらもその辞典で芸術なり。

芸術は、人為という要素が一番大きい。どこまで人為と取るか、

すべてが芸術なのではなく、すべてに美を求める認識が働いてしまうから、芸術にならざるを得ないということ。

胎児は芸術家か?自我なし。されど、両親を幸せにしている、ふこうにしようとも、感性的な特質をだれかにあたえている。ゆえに世界に干渉する芸術家である。無我の芸術家。

生まれてきてくれてありがとう。産んでくれてありがとう。調和と再生。

コリングウッド、芸術は何も目に見えるものだけではない。

ヨーゼフ・ボイス、岡本太郎、人間はみな芸術家である。

ネルソングッドマン、
脳が美しいと思うものは「グループ化」「ピークシフト」「コントラスト」「単離」「いないいないばあ」「偶然の一致の回避」「秩序性」「対称性」「メタファー」の9つの法則を満たしているという。詳細は本書をご参照頂きたいが、たとえば「グループ化」については、脳が何かの一致を認識した瞬間、異なる領域の神経細胞の発火タイミングが「揃う」いわゆる「アハ!体験」が発生するという。

参考文献: 純粋理性批判の下巻、p32、定義することの利点について。

 我が国で「美術」という言葉が初めて用いられたのは、明治政府が1873年のウィーン万博に参加した際、出品分類区分にドイツ語のKunstgewerbeの訳語として採用された時であることが北澤の研究により判明している*1。この「美術」という語は、佐藤によると「西洋概念の翻訳として成立」し、さらに「政府による官製用語として成立し、その移植と普及も国家の主導で行われた」*2

森口多里の『美術五十年史』(1943年)によると、こうしたイメージの普及に貢献したのは、やはりフランスに学び、東京美術学校の西洋美術史の教師となった岩村透である。岩村は芋洗生の名で二六新報に『巴里の美術学生』という一文を発表し、「美術家が、他の人間社会と別に団体を結んで、他人のことには一切無頓着に、朝から晩まで美術の事計り見、聞き、話して一生涯を暮せるといふ」社会に対する賛辞を述べている*13。さらに森口は、黒田が美術学校にもたらした「超階級的な自由と闊達との中の団体的親睦を理想とする精神」が「東京美術学校西洋画の生徒の間に他とちがった一種の気風を醸し出したことは否めない。それは修学旅行や運動会の際に大いに発揮され、度々常軌を逸して秩序と貞節とを忘れることさえあった」と、ボヘミアン的な気質が西洋画科の学生に浸透している様子を描いている*14。こうした振る舞いの裏に、「自律的創造者としての芸術家」になりたいという、黒田や彼の門下生らの願いが透けて見えるだろう。
意味の理論
パトマムはクリプキやキース・ドネラン等とともに「指示の因果説」として知られる理論に貢献した[3]。とくにパトナムは論文「『意味』の意味」において、自然種(natural kind)の語(たとえば虎や水や木といったような)によって指示される対象は、そうした語の意味の主要要素であると主張する。アダム・スミスが経済における分業について述べたのと同様、言語においても分業があり、この言語学的な分業によってそうした語は、それが属する特定の科学分野の「専門家」によって固定された指示対象をもっているのである。たとえば、「ライオン」という語の指示対象は動物学者のコミュニティによって固定されているし、「ニレの木」という語の指示対象は植物学者のコミュニティによって固定されている。そして「食卓塩」という語の指示対象は化学者によって「NaCl(塩化ナトリウム)」として固定されているのである。これらの指示対象は、クリプキ的意味で固定指示子(rigid designator)として考えられ、言語的コミュニティの外側に広められる[18]
パトナムによれば、言語内のどんな語の意味を描写するにせよ、有限個の要素(ベクトル)があればよい。こうしたベクトルは4つの構成要素から成る。
  1. 語が指示する対象。例)化学式H2Oによって個別化される対象〔水〕。
  2. その語の「ステレオタイプ」的に言及される典型的な描写の集まり。例)〔水であれば〕「透明」「無色」「水和性」。
  3. 対象を一般的なカテゴリーに位置づける意味論的標識:例)「自然種」「液体」。
  4. 文法的標識:例)「具象名詞」「集合名詞」
このような「意味ベクトル」によって、特定の言語共同体におけるある表現の指示対象および用法の描写をおこなうことができる。これによってどうすればその表現を正しく用いるための条件もわかるし、ある一つの話者がその表現に適切な意味を付与しているか、それともその意味に変化をもたらすに十分なほど用法を変えてしまったかどうかも判定できる。パトナムによれば、ある表現の意味が変化したと言うことができるのは、語のステレオタイプではなく、語の指示対象が変化したときに限る。ただし、個別ケースにおいてどの側面--ステレオタイプであれ指示対象であれ--が変化したのかを決定できるアルゴリズムは存在しないから、その言語の他の表現がどのように用いられているかも考察する必要がある[18]。このような考察すべき表現の数には際限がないわけだから、パトナムは一種の意味論的全体論を唱えていることになる[28]。 

何でも芸術といえば許されるアート。
ちかん、れいぷ、さつじん、核、飲酒運転、最高裁、アート、医療ミス、公害、虐殺、えとせとら。
アートです。
エピクロス派の詩人ルクレーティウスは、『物の本質について』(De Rerum Natura)と題する作品を残しています。その第2巻冒頭を樋口勝彦訳(岩波文庫)で見てみましょう。
「大海で風が波を掻き立てている時、陸の上から他人の苦労をながめていのは面白い。他人が困っているのが面白い楽しみだと云うわけではなく、自分はこのような不幸にあっているのではないと自覚することが楽しいからである。
野にくりひろげられる戦争の、大合戦を自分がその危険に関与せずに、見るのは楽しい。とはいえ、何ものにも増して楽しいことは、賢者の学間を以て築き固められた平穏な殿塔にこもって、高所から人を見下し、彼らが人生の途を求めてさまよい、あちらこちらと踏み迷っているのを眺めていられることである。
才を競い、身分の上下を争い、日夜甚だしい辛苦を尽くし、富の頂上を極めんものと、また権力を占めんものと、あくせくするのを眺めていられることである。
嵐、戦争、富と名声を求める争い(cf.第4巻では「愛欲」も)等、魂の平安(エピクロス派はアタラクシアとよぶ)を脅かす要素が「ない」ことが、すなわち「喜び」である、という理屈を述べています。(ギリシア語でアタラクシアは、苦しみが「ない」の意味です)
おお憐む可き人の心よ、おお盲目なる精神よ!このいかにも短い一生が、なんたる人生の暗黒の中に、何と大きな危険の中に、過ごされて行くことだろう。自然が自分に向かって怒鳴っているのがわからないのか、ほかでもない、肉体から苦痛を取り去れ、精神をして悩みや恐怖を脱して、歓喜の情にひたらしめよ、と?」
富や名声を求めてあくせくする人間はこのように批判されています。この点で、ウェルギリウスの「農耕賛歌」との関連が考えられますし、貪欲(avaritia)を批判する視点は、ホラティウスにも受け継がれています。







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