ふんわぁ!もう夏なり。。。
のどかな午後なり。存在してるだけで幸せなり。存在してるだけでえなりかずきなり。
のどかな初夏の午後に風鈴なるなり。柿食ってなくとも法隆寺も、三宝池の鐘も鳴るなり。
今日のような日にはみんなが詩人になるなり。みんなが幸せな心持ちになれたらいいなりぽ。
ふんわか。もう夏なり。ふんわぁ!
2012年4月28日土曜日
2012年4月18日水曜日
真に学問すること
真に学問することとは暇になることである。
暇でなければ藝術はできない。何かを作るとは意味のないことであることの方が割合高い。誰かに作れと言われぬのに作るもの、それを真性の藝術という。
してみると、学問も藝術も実際のところ、これを学べと誰からも言われていないのに学ぶからこそ藝術にも学問にもなる。自分がわからずただやりたいからやる。それこそが真の学問である。講義を受けるは真の学問にあらず。講義を受けるは考えの放棄なり。
また別のこと。
ただ存在するだけでよい。自立すればなおいい。誰からも文句は言われまい。言われたのなら、それは天下の草原に座することのできぬ心の狭い了見しか持たぬかわいそうな輩である。彼らのために祈ってやるがよい。
そういつらにも大草原の席を勧めてやるがよい。きっと拒否されることと思うが。
また別のこと。
谷中、おもろいもんたくさんあるべ。ねこいっっぱい。変な店いっぱい。
また別のこと。
あぁ、もう夏である。
また別のこと。
私のブラインドタッチはどこへいくやら。。。
暇でなければ藝術はできない。何かを作るとは意味のないことであることの方が割合高い。誰かに作れと言われぬのに作るもの、それを真性の藝術という。
してみると、学問も藝術も実際のところ、これを学べと誰からも言われていないのに学ぶからこそ藝術にも学問にもなる。自分がわからずただやりたいからやる。それこそが真の学問である。講義を受けるは真の学問にあらず。講義を受けるは考えの放棄なり。
また別のこと。
ただ存在するだけでよい。自立すればなおいい。誰からも文句は言われまい。言われたのなら、それは天下の草原に座することのできぬ心の狭い了見しか持たぬかわいそうな輩である。彼らのために祈ってやるがよい。
そういつらにも大草原の席を勧めてやるがよい。きっと拒否されることと思うが。
また別のこと。
谷中、おもろいもんたくさんあるべ。ねこいっっぱい。変な店いっぱい。
また別のこと。
あぁ、もう夏である。
また別のこと。
私のブラインドタッチはどこへいくやら。。。
2012年4月11日水曜日
2012年4月10日火曜日
あどびといられといんでざと。。。
いられ、べくたーでーた=拡大してもでもぼこぼこしなデータ。ヴェジェ曲線を使用している。
使用例、会社のロゴ、雑誌の印刷等
ふぉとしょっぴ、びっとまっぷでーた、かくだいするとでこぼこ、ピクセルが見える。解像度と関係あり。
解像度とはピクセルの細かさのこと。1インチの中に表示される。dpiとはdots per inchのこと
いんでざいん、ページレイアウトソフト、ブックデザインの現場で使われるソフト。いられ、ふぉとしょでつくったもおをはいちする。
マスターページ、スタイル、そういったものをばりえーしょんとしてつかうことができる。
新詳説DTP基礎 はたえじゅんこ
DTP印刷デザインの基本
DTP&印刷スーパーしくみ辞典 works corporation
使用例、会社のロゴ、雑誌の印刷等
ふぉとしょっぴ、びっとまっぷでーた、かくだいするとでこぼこ、ピクセルが見える。解像度と関係あり。
解像度とはピクセルの細かさのこと。1インチの中に表示される。dpiとはdots per inchのこと
いんでざいん、ページレイアウトソフト、ブックデザインの現場で使われるソフト。いられ、ふぉとしょでつくったもおをはいちする。
マスターページ、スタイル、そういったものをばりえーしょんとしてつかうことができる。
新詳説DTP基礎 はたえじゅんこ
DTP印刷デザインの基本
DTP&印刷スーパーしくみ辞典 works corporation
2012年4月8日日曜日
方向
やりたいことの方向はいろいろあるが、物心ついてこの方、自分は禅に浸っていた。。。
禅のシェリーのヒバリであった。
最近は常に禅をしていたわけで、それが改めて意識の外に顕在化してきたと言った方が正しい。
芥川も太宰も禅と親和性が高い。
悩みはそれすなわち禅である。
雲龍図、達磨図、庭。。枯山水。山水画、水墨画。。。。
禅僧はえっちだ。
禅は奥が浅い。。。
脚下照顧なう!
禅のシェリーのヒバリであった。
最近は常に禅をしていたわけで、それが改めて意識の外に顕在化してきたと言った方が正しい。
芥川も太宰も禅と親和性が高い。
悩みはそれすなわち禅である。
雲龍図、達磨図、庭。。枯山水。山水画、水墨画。。。。
禅僧はえっちだ。
禅は奥が浅い。。。
脚下照顧なう!
2012年3月28日水曜日
日記、そのはてしなくとおきもの
毎日付けると言った日記を全くもって付けていない!
というかここまで豚インドタッチできてる!
すげー!俺!
日記は毎日つけましょう。
といいつつ、やっぱりできないんだろうなと思う俺。
というか、アーティストは日記をつけるよりも作品で語るべきだと思う。
覚え書き。
最近、寮からなじみメンバーが皆でていく。
出会いがあるから別れがある。と誰が言ったか。
別れがあるから出会いがある。と誰が言ったか。
ツイッターやフェースブックがあっても、やっっぱり毎日見ていた顔が見えなくなるのはやっぱりさみびしい。
人生の味はしょっぱいのだ。
それゆえに酒もうまくなるのだ。
たましいはいつも。ふかいところでつながっているとおもう。
いっちー
というかここまで豚インドタッチできてる!
すげー!俺!
日記は毎日つけましょう。
といいつつ、やっぱりできないんだろうなと思う俺。
というか、アーティストは日記をつけるよりも作品で語るべきだと思う。
覚え書き。
最近、寮からなじみメンバーが皆でていく。
出会いがあるから別れがある。と誰が言ったか。
別れがあるから出会いがある。と誰が言ったか。
ツイッターやフェースブックがあっても、やっっぱり毎日見ていた顔が見えなくなるのはやっぱりさみびしい。
人生の味はしょっぱいのだ。
それゆえに酒もうまくなるのだ。
たましいはいつも。ふかいところでつながっているとおもう。
いっちー
2012年3月22日木曜日
夜梅
久々に風呂に入った。かれこれ人と会わないことに都合を付けて一週間は風呂場の敷居をまたがなかった。
最近は卒業と帰省の季節もあってか、寮にいる男子はめっぽう少ない。いるにはいるのだろうが、まったく音がしない。ただのっぺりとした影のみが生活しているのかと考えるとすこし恐い。時折聞こえるピアノの音を聞いては、これも黒い影が弾いているのかと思えばこれはこれですこぶるおかしい。影はショパンが好きらしい。
うぐいすが鳴いている。出たり入ったり、こうして毎年、春が暮れる。
よし。誰もいないのだからと、いいことに風呂場に酒を持ち込んだ。白い瓶に入った日本酒と味のあるおちょこでひとり温泉気分に浸るのがその赴である。
やはり、風呂場は電気が消えている。誰もいない。絶好の機会である。ひとりなに気兼ねなく気軽に飲むのがいい。下手に気を使うのは億劫だ。ともすれば相手にもこの酒をやらねばならぬ。それは惜しい。
一通り身体を清め、湯船につかる。ここは男子寮である。影たちの陰毛のごときものが浮いている。勿論気にしない。影であるのだから、それは毛のように見える影である。
立ち霞む湯船の中で、おちょこに酒をつぐ。
酒の香りが辺りを包む。余はご満悦である。口をとがらしふちに口を付けようとする。
その束の間、鼻腔に予期せぬものが通った。
また酒とは異なる上品な薫りである。シャンプーではない。
余は、はっと気付いた。
男子風呂は大きな梅の木の近くにある。期せずしてこのサプライズは余を天壌無窮の王とさせた。余が王であるならば、何も遠慮はいらぬ。窓を開けたとてかまうまい。余は窓を大きくあけて梅の精も風呂に招いてやることにした。
お酌をさせるには絶好の相手である。人ならぬ梅の女神なら、苦しくない。注がせるは不届きではあるがこんな機会は滅多にないであろう。
精に注がれた梅の香りを飲む。ここに詩が生まれて、画ができた。
霧で霞む淡き白の蒸気の世界にはらはらとまた白い梅の花びらが二、三舞う。梅の精はどうやらひとりではないらしい。
花びらは余の杯をかすめた。
舞いに舞った花びらは湯船に入る。湯船の中をぷかぷかと漂う。余の頭もそれにつられてゆらゆらたゆたう。今日は酔いが回るが少し疾い。
このまま、酔いが回って湯船の中で死んでしまって、毎年この時期になると、余の噂で持ちきりになるのも悪くないか、と鈍い頭で考えた。
その時の死亡診断書の死因の欄にはただ、風流、とだけ書いてくれるのも悪くない。
そうこう飲むうちに梅の香りの前に酒が尽きた。夢もどうやらここまでである。
後腐れしないのが通人だ。さっと引き上げ、すでに身は脱衣場の板の上だ。
蒸気を宿す身体をバスタオルで拭く。
余は振り向きはしない。ローマの休日にはならぬ。それでは粋ではない。せっかく通人ぶったのだから最後まで通人を演じきらねばならぬ。ザ・ショー・マスト・ゴー・オンである。
部屋に戻ってまたもう一度髪をよく拭く。
かがんだ肩越しにはらはらと舞う精がいた。聞けば余と共寝がしたいと部屋までついてきたそうである。
その花びらを丁重に両の手で包み床に連れ行く。今宵は彼女を枕の下に眠らんとす。
春眠は暁を覚えてはおらぬだろう。
「枕くさw!Σ(゚д゚;) ヌオォ!?」(草枕のパロディ)一ノ瀬健太 より
最近は卒業と帰省の季節もあってか、寮にいる男子はめっぽう少ない。いるにはいるのだろうが、まったく音がしない。ただのっぺりとした影のみが生活しているのかと考えるとすこし恐い。時折聞こえるピアノの音を聞いては、これも黒い影が弾いているのかと思えばこれはこれですこぶるおかしい。影はショパンが好きらしい。
うぐいすが鳴いている。出たり入ったり、こうして毎年、春が暮れる。
よし。誰もいないのだからと、いいことに風呂場に酒を持ち込んだ。白い瓶に入った日本酒と味のあるおちょこでひとり温泉気分に浸るのがその赴である。
やはり、風呂場は電気が消えている。誰もいない。絶好の機会である。ひとりなに気兼ねなく気軽に飲むのがいい。下手に気を使うのは億劫だ。ともすれば相手にもこの酒をやらねばならぬ。それは惜しい。
一通り身体を清め、湯船につかる。ここは男子寮である。影たちの陰毛のごときものが浮いている。勿論気にしない。影であるのだから、それは毛のように見える影である。
立ち霞む湯船の中で、おちょこに酒をつぐ。
酒の香りが辺りを包む。余はご満悦である。口をとがらしふちに口を付けようとする。
その束の間、鼻腔に予期せぬものが通った。
また酒とは異なる上品な薫りである。シャンプーではない。
余は、はっと気付いた。
男子風呂は大きな梅の木の近くにある。期せずしてこのサプライズは余を天壌無窮の王とさせた。余が王であるならば、何も遠慮はいらぬ。窓を開けたとてかまうまい。余は窓を大きくあけて梅の精も風呂に招いてやることにした。
お酌をさせるには絶好の相手である。人ならぬ梅の女神なら、苦しくない。注がせるは不届きではあるがこんな機会は滅多にないであろう。
精に注がれた梅の香りを飲む。ここに詩が生まれて、画ができた。
霧で霞む淡き白の蒸気の世界にはらはらとまた白い梅の花びらが二、三舞う。梅の精はどうやらひとりではないらしい。
花びらは余の杯をかすめた。
舞いに舞った花びらは湯船に入る。湯船の中をぷかぷかと漂う。余の頭もそれにつられてゆらゆらたゆたう。今日は酔いが回るが少し疾い。
このまま、酔いが回って湯船の中で死んでしまって、毎年この時期になると、余の噂で持ちきりになるのも悪くないか、と鈍い頭で考えた。
その時の死亡診断書の死因の欄にはただ、風流、とだけ書いてくれるのも悪くない。
そうこう飲むうちに梅の香りの前に酒が尽きた。夢もどうやらここまでである。
後腐れしないのが通人だ。さっと引き上げ、すでに身は脱衣場の板の上だ。
蒸気を宿す身体をバスタオルで拭く。
余は振り向きはしない。ローマの休日にはならぬ。それでは粋ではない。せっかく通人ぶったのだから最後まで通人を演じきらねばならぬ。ザ・ショー・マスト・ゴー・オンである。
部屋に戻ってまたもう一度髪をよく拭く。
かがんだ肩越しにはらはらと舞う精がいた。聞けば余と共寝がしたいと部屋までついてきたそうである。
その花びらを丁重に両の手で包み床に連れ行く。今宵は彼女を枕の下に眠らんとす。
春眠は暁を覚えてはおらぬだろう。
「枕くさw!Σ(゚д゚;) ヌオォ!?」(草枕のパロディ)一ノ瀬健太 より
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