2013年1月6日日曜日

松林図屏風(國華風)


月曜5限 日本美術史演習 後期課題レポート 
                                  一ノ瀬健太

松林図屏風(しょうりんずびょうぶ) 
61
紙本墨画
長谷川等伯筆(はせがわとうはくひつ)
各縦156.8 横356.0 (単位cm
安土桃山時代・16世紀
日本国、国宝指定
A-10471
画像元、東京国立博物館ホームページより:http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=A10471&t=(平成25年1月6日現在)

 観者は瞬時に当作品の持つ蠱惑的ともとれる幽玄世界に逍遙する。濃霧が辺り一面の視程を遮り前後不覚の感に陥るや、眼前の白一色の世界に仄かに松の幻影が姿を現す。湿潤でひんやりと大気が鼻腔を駆け昇り、一息ごとに身体の内から霧と同化して、影も形も消えてなくなって、ただ声のみを残し空に消えた雲雀のようにぼんやりした意識のみがいつまでもゆらゆらとその場でたゆたう。
 逆剥いた筆で荒々しいままに上四方に散らし描かれる鋭利な鉤放射は巧みに松を写し、その筆致には牧谿筆『観音猿鶴図』(大徳寺蔵)右軸猿の体毛の表現模倣が見られる。乱反射した水分子に深奥感ある空間表現を演出させるのも同氏の影響であろう。同左軸を模倣した鶴が布置されている等伯筆『竹鶴図屏風』(出光美術館蔵)左隻にはその空気遠近法の消化と応用が垣間見られ、両の技法が『竹林猿猴図屏風』(相国寺蔵)で如実に展開され、本作においても遺憾なく発揮されている。描かれている松林という景物は大和絵伝統の作例である浜松図にも見受けられることから、本図は和漢双方の学習効果が高次元で融合した希有な作品と言える。
 本作は牧谿の柔らかで暈すような筆致から力強いシャープな作家独特の荒々しい描線へと変化しつつある過程、さらには没骨法的深奥表現から大和絵的平面性に回帰していく等伯様式のターニングポイントの頃に描かれたものと推測される。『枯木猿猴図屏風』(龍泉庵蔵)の前、又は同時期に描かれたものであろう。あえて明瞭に年代を特定すれば天正十七年(西暦1589年)頃か。等伯51歳の時に描いた三玄院障壁画『山水図襖』(京都・圓徳院蔵)、とりわけ『松林山水図』(樂美術館蔵)の作中の松に既に本作と同様の表現原型が見られる。等伯自身、この頃には智積院障壁画制作を通じた大画面様式での省略表現に熟達していたことと、また絢爛豪華な狩野派へのカウンターパートとしての長谷川派の位置付け、及び愛息子久蔵の夭逝も加わった悲しみの心的境遇がその背景にあるとも推察される。
 等伯は雪舟五代と称し自らを売り出していた。雪舟の系譜に連なると自覚し、場は京都、「天下画工の長」ともなれば必然的に文人、茶人、高位者と交わる機会も増え自然と禅の影響も受ける。書は「有声の画」、画は「無声の詩」と称されるからこの白と黒の濃淡が奏でる水墨の禅の教えに耳を澄ますのも一興である。下記の文章、詩を画に置き換えてみても又一興。

 ―苦しんだり起こったり、騒いだり泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年間それをし通して飽きあきした上に、芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。世が欲する詩はそんな世間的人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したものがある。採菊東籬下 悠然見南山 只それ切りの裏(うち)に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる。―
                            『草枕』夏目漱石著より
 
 禅的観点から本作を見れば、視界全面の霧は人牛倶忘の虚白であり、観者を在家のまま束の間返本還源に連れ立つ。先はまた尋牛するもよし、入鄽垂手するもよし。清明の時節に霧紛紛とする中、杏花村に逗留するのもいい。しかし、本作は冗長と虚空に耽ることを許さず尋思して世を避けた逋客となろうとする観者に厳しい目を向ける。本作は智積院障壁画と共に安土桃山に惜敗して散って逝った武将たちの心象風景に思いを寄せることを要請して止まない。
 目下国宝扱いされている本作も実は『月夜松林図屏風』の草稿下絵であるとはあまり知られていない事実である。何を隠そう本作は異例な程薄い粗末で錯綜した継ぎ接ぎ紙に描かれているが、これは障壁画としては明らかにおかしい。『月夜松林図屏風』と見比べれば一目瞭然であるが、その構図は現在の両隻を左右逆にした構図に全く等しくなっている。さらによく目を凝らして見れば左隻左端にわずかに覗く枝の先端部が右隻右端の松の延長部分の可能性が濃厚だ。私たちが見慣れている本図両隻の配置は実際のところ左右逆であるかもしれない。もっとも『月夜松林図屏風』は等伯筆であるか定かではなく、一説によれば長谷川派の正式な門人たちによって制作されたものとされている。しかし、その月や松林に諸行無常の露の夜霧がかかることに変わりはない。

 月さびよ 明智が妻の 咄せむ  
                                     芭蕉

 本作が下絵であろうとなかろうとその美的体験は不動である。先述の通り、靄に霞む松林は一刹那に、黒澤明の『乱』の世界に、また渡邉健出演の『ラストサムライ』の冒頭に、そしてまた先の東日本大震災の一本松へと観る者の魂を誘う。見せびらかすのではなく、ほのめかすこと、それこそが日本の美の秘訣であると岡倉天心は語って随分と久しいが、本作もそのたぶんに漏れぬまごうことなき日本美術の精華である。してみると本作は幽玄を超えて”あはれ”に行き着いた。だが、たとえどんなに本作が優れていようとも、どうやら草枕のラストシーンを飾ることはできそうもない。なぜなら、この作品には”あはれ”があり過ぎるのだ。                   (全2204字)










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