2011年10月4日火曜日

大石膏室占拠占拠 2

続きです。



9月3日藝祭 (~最後分まで)大麻担当
作成者: Shikine Watanabeさん · 最終更新: 約1週間前 · ドキュメントを編集
01:20:00~
内海先生:ま今も同じじゃねぇかみたいなこと言いたくなるんですよ
八谷先生:それを感じられたってことですね
内海先生:それをね、僕は課題とか、進級とかね、卒業とかそのなに、経歴とかっていうシステムの中でね、同じそのシステムが存在して。で内容は徹底的に、戦争画っていうのは無価値なんですよ。で無価値なほうがいいし、無価値でなきゃいけないしね。ただし、結果的に言い訳かもしれないけど、藤田嗣治のような人は、そのサイパン島の最後であったりアッツ島の最後であったりね、でそれはもうもちろん悲惨を描いてますよ。ただ、藤田嗣治については色んな見方があるけどね。やはりこの東京芸大を中心とした日本のその美術界の中でね、戦争画っていう構造が、温存されていたり、あるいは拡大、再生産されていたりっていうね。で多分その現代の戦争画っていう名前が、現代美術じゃないかっていうね。まぁあえてその、毒づいてるっていうか極論言ってるわけですけど、そのぐらいに考えてみないと、現代美術のどこが戦争画なんだみたいな人はね、中々目が覚めないから。少しは考えてみろよっていう。
八谷先生:いつの間にかそういうのが入り込んでしまいがちだっていうことですよね。
内海先生:まつまりその、戦争にあたるものが今で言えば原発であったりね。つまりその状況に対して批判したり、問題意識を持ったり、あるいはそれに代案を持ったりすること自体が、美術の世界で一切許されなくなるわけですよ。でそうするとそれはもう美術じゃなくて、工芸であったり、技術であったりね、まあるいは形だけを技術で教える、そういうなんていうかな、内容はもう入れちゃいけないみたいな言い方ってね、ま今でもあると思うんですけど。だからついでに、あえて言っちゃうと、やっぱりその東京芸大のことだけ批判してればいいわけじゃなくて、僕も一応多摩美ですし、武蔵美とか造形とかね、そういうその日本のいわゆる自称美術大学みたいなとこ。それから音楽大学もそうですよ。それはもう本当に無内容、徹底的な無内容ですよ。形式と、技術だけをとにかくやってればいいっていうね。なんでそういうものが強制されてくるかっていう構図が、まぁ戦争画の大きなシステムが、確実に今、生きてると。だから演劇の世界でも放送の世界でも。特にその放送の世界で言えば、誰もが3月11日以降、よく分かってきたわけでしょ。つまり見えないものが見えてきたわけだからね。だからそこに、電通とか白鷗堂とかね、あ名前出してますけど、隠然とっていうより公然とね、その放送っていうものを完全に統制して、管理してるね、そういった広告産業っていうものが、介在するわけだけど。ま美術の世界で言えば、えー美術界、だから美術館とか、学芸員とかね。要するに公務員ですよ。官僚ですよ。役人ですよ。でこれが今御厨先生のお話と同じようにね、官僚が美術を統制するわけですよ。で1つ1つの作品について、これはイカンとか水飲むなとか写真撮るなっていうのはこないけど、学生のときから育てちゃうわけ。こんなの描いたら落ちるだろうとか、こんなの描いたら芸大受かんないだろうっていうことで、つくっちゃうわけですよ。だから芸大の人がほとんどOBでやってる、いわゆる予備校ね、美術予備校、美術研究所ってものに、大罪がありますよ。こうすれば受かるっていうことで、こんなことやってたら受かんないってことで、芸大の人だったら心あたりのない人いないでしょ。お前こんなの描いてたら受かんないぞと。こういうの描かないと受かんないぞって、「こういうの」っていうのが何かって言えばさ、それが僕はあえて戦争画のことをね、持ち出してる理由ですよ。だから意外に美術評論家の人とか美術ジャーナリズムの人は、門外漢の人が多いんですね。そういうこと、ま戦争画の研究をしてる人は沢山いるけど、今の美術界についてそういうことを言うと多分仕事が来なくなったり、描けなくなったりするからじゃない。大学の先生がそういうことを言うと、ま美術のことね、美術の先生がそういうこと言うと、自分のその仕事とか昇進とかっていうことにやっぱり影響があるんじゃないですか。だから僕はそういうとこにほとんど、直接はね、結びつきはないからこういうことが言えるのかもしれないけど。で色んなとこでこういうこと言ってると、本当に選ばれなくなりますよ。それ自信持って言えるし、それが僕の、誇りっていうと変だけど、自由であるっていうことね。だから僕は芸術を選ぶか自由を選ぶかって、なんか極端なね、問題の立て方だけど、それぐらいに考えてないと、思ったことが自由に言えなくなるところでのね、芸術っていうのは戦争画の問題を考えざるを得ないんですよね。だからこういうもの(ただの石膏)描いてるぶんにはいいわけじゃない。でもこれが例えばさ、なんでしょうね、東京電力の社長がこの馬に乗ってたら、誰だって、やっぱり考えるようになるでしょ。バカじゃないかとかね、なんでこんなもの描かなきゃいけないんだとかね、だからそう思って描いてみたらうまくなるかもしれないですね。だってこいつらは、その時代の東京電力の社長みたいなもんですよ、まちょっと違うけどね。-01:25:10 今風に分かりやすく言えば。ちょっと違うか。。これ、滝先生、ガッタメラ? 解説してもらうとおもしろいね。だから古代ギリシャと古代ローマとルネッサンスが入ってるんですよ。でそこのなんだか男の人だか女の人だかわかんない立派そうな方はですね、菩薩だと思うんだけど。でそっち側のは中国だと思うしね、実におもしろい、西洋東洋日本っていうものが、うまくこういうとこにアレンジされててね、でこれが1つの教養とか文化っていうもので、お前らこういうもの描けみたいなとこで基礎的にやるっていうんだけど、その基礎っていうものを刷り込まれるときに一番勉強しなきゃいけないことが、どうなんでしょうね。今、戦争画の問題から今の美術の問題へね、その技術っていう問題と関係してくると思うんですけど、先端なんかだとわりとそこは自由にやっておられるんでしょ?
八谷先生:先端は、逆になさすぎてちょっと教えたほうがいいんじゃないかって言われることがありますね。
内海先生:いつでも行きますから。ボランティアで行きますんで。
八谷先生:あぁ是非、お願いします。ただ、外部からたくさん先生を呼んで、例えばこの期間内にとにかく100個つくれみたいな、そういうふうな方向での基礎の訓練は多いみたいですね。
内海先生:いやぁ、行ったことあるっていう話さっきしたんですけど、なんかやっぱりそのセンター試験が8割5分とってるとかね、偏差値の秀才みたいのばっかり集めちゃうと、美術の人ってやっぱりその、油(油絵)の人とかにはっきり言っちゃうと悪いけど、全然勉強できなくても絵がうまけりゃいいっていうのは、それもどうかと思うんだけど、今度センターの足切りとかね、8割3分はとれみたいなことで、そこで選択肢をいきなり切っちゃうと、さっき言ったように石膏叩き割って入ったようなモノ派みたいなね、斉藤義重先生みたいな人が、やっぱり誰かそういうことやってないと、偏差値秀才の先端芸術っていうのもちょっと、どうかと
八谷先生:意外と先端、そんな頭いい子いないです。ま1人か2人はいれるようにしてるんですけど。
内海先生:あそうですか。だって、とか言って。
八谷先生:いや、一之瀬君は、割といい子なんですよ。
内海先生:いい子。
八谷先生:割と、あの、なんていうのかな、僕芸大に来て、実はもっと結構色々野蛮な子がいるかと思ったら、意外とマジメで。
内海先生:こういうのなんてどうですかね。(フレッシュな石膏像を指して)
八谷先生:いいんじゃないですかねすごく。いや僕、芸大の子が来て、やってんのかなと思って。
内海先生:いやぁ・・・
八谷先生:違うって聞いてそれにショックみたいなものがありますね。
内海先生:うん、芸大の人はこういうことしないですよ。なぜかっていうと。
一之瀬さん:聞き取り不可
内海先生:おいちょっと、こっちこっち
一之瀬さんフンドシで登場
拍手
一之瀬さん:なんかまぁ、あの、昨日木幡先生に怒られたのは事実なんですけど、あれあんまり凹んじゃうのもね、と思ってちょっと
内海先生:あのー一之瀬くんは昔僕の駿台の論文のとこにいたんですけど、6浪して芸大入ったんですよ。でもうずっと東大受けてたんですけど、その間働いてたりしてたんだけど、で木幡さんのこと紹介して、ちょっとその話して。木幡さんのとこに初めて君が行ったときに
八谷先生:学生から色々聞きましょうよ。昨日それが全然無かったのがちょっと、申し訳なかった
 
一之瀬さん:大学に入ったときに、おもしろい先生全然いないなーと思って、聞き取り不可、それでおもしろい先生いないかなーと思って、そしたら先端に木幡先生っていう先生がいらっしゃって、その先生にこのシンポジウムやりたいんで是非来てくださいって話をして、「あんた芸術なにやりたいの」「あんたの夢はなに?」とか、全て自分の、聞き取り不可、「あんた先端分かってんの」「分かってから芸大つまんないって言いなさい」「知らないのに、そんな知ったふりして言うんじゃない」ってすごい怒られて、聞き取り不可、で「私の教え子はニワトリをファックする」、聞き取り不可、っていう芸術をやってたんだけど、そんなことはもう古いと、聞き取り不可、「だからあたし言ってやったんだよ、ニワトリをファックするんじゃなくて、それよりも、そのあんたが手術されてる映像を、撮って流せばよかったんだよ。」って、聞き取り不可、あーおもしろい先生いるなぁってことで、今回、このシンポジウム、全部
内海先生:チンポジウム。あのー一之瀬呼ぶとこの話をして僕は喜んでいるというね。でもね木幡さんは、そういう、そういう方ですよって言うのはあれですけど、僕らの先輩で、木幡さんに最初に会ったのは、僕らの親友のエイコ&コマっていうね、まぁアメリカで踊ってる人の、公演で、まぁ僕が話持ってって大阪のキリンプラザってとこでやって、でそこで木幡さんに初めてお会いして、でお名前はもちろんよく存じ上げてて、怒りを歌えっていう全共闘の記録映画っていうのを、あの御厨先生とね、対談を、最初の頃やらしていただいた時に、でその怒りを歌えの中に、文徒のなんか出撃拠点かなんか明大だか中央だかの中央って御茶ノ水にあったんですよ、でそこでアンジェラデイビスっていうね、まぁアメリカの革命運動やってる黒人の女性解放の活動家の、通訳をされてたのが多分木幡さんじゃないかなぁと思うんですね。でそれ以来あの、工作舎というところで松岡正剛さんと一緒にライアル・ワトソンの翻訳を始めたりね。それから去年、いや去年じゃない、えーそうですね、スーザン・ソンタグのね、翻訳をされたり、ずっと翻訳や同時通訳の世界でもね、たいへんな方なんですけど、やっぱり田中みんさんとね、白州の芸術祭をずっと続けておられたり、もうあの本当に、僕なんかの先輩として素晴らしい方なんですけど、以前先端で講演やったときには、あんたなんかと話したって考え方ほとんど変わんないんだからおもしろくないじゃないみたいなこと最初に言われちゃってね、まぁ私としては立場がないんですけれども。まぁ木幡さんはすごい先生なんですよ。でその木幡さんを怒らせたっていうのは何やってんだよお前らみたいなね。でもまぁ今日はね、まぁ八谷さんにもお出でいただいて、今日初めてで、お話することができたんですが、どうなんでしょうね今後。まぁ僕先端恐怖症なんで先端って言葉がどうも苦手なんですけども。何が先端なんでしょうね。僕は末端っていうことで、末端肥大症みたいな、そういう感じでも全然アレなんですけど。
八谷先生:実際なんか、カッティングエッジっていうか、そういうまぁこういう意味での先端じゃなくて、英語だとインターメディアって言ってるんで、幅広くなんでも使えみたいな、割と教育としてはそっちのほうですけどね。だからまぁ何か1個で上手になるよりは、とにかく学生の興味とかを広げるほうで、やっていこうっていうスタイルを、まぁ僕まだきて半年なんで、ようやくあぁここはこういう科なんだってわかってきたとこなんですね。
内海先生:僕はあの川俣さんがおられる頃とか、発表とかって見てた時期あるんだけど、もうある時期からもう見なくなっちゃって、はっきり言ってあんまりおもしろくないんですよね。本当のこと言っちゃってごめんなさいね。だけど、んーなんでおもしろくないかっていうと、要するに電気使った作品ばっかりが、電気っていうとあれだけど、コンピューター使った作品ばっかりで、電気がなきゃ何もできねぇじゃんかみたいなね、でその、まぁ電気使ったっていいっていうのはあるけど、あのー映像ばっかりなんですよ。それでどうしてここまでコンピューター使って映像だけやるのかなっていうのがね、だから僕はあのー自説なんだけど、色んなデザイナーなんかとよく話すのはあのーiPhone使ってるやつはだめだっていう話で、要するにね、それはじゃあ携帯使ってるやつはだめだとかパソコン使ってるやつはだめだっていう話は常にあるわけだけど、確実に、大きく変わってきてるのが、僕はもう最後の画家だって自称してるんですけどね、知人(詩人?)はもうとっくに滅びちゃったし、音楽家って呼ばれる人ももうほとんど滅びかけてて、僕さっき初音ミクっていうの見てて、最初アダルト女優だと思ってたんですけどね、あのー誰でもできる作曲っていうことになってくると、音楽のほうでも深刻な変化っていうのがやっぱりあってね、それが先端のほうで映像、、でもそうとも言えないんですか?最近。
八谷先生:最近は、藤幡正樹さんっていうまぁ僕らのメディアアートの世界で大家の方がいらした時は、そういう作品多かったみたいですけど。逆に今少なくなりすぎたから僕が入ってきたみたいのはあるみたい。でも僕自身はああいうガイガーカウンターみたいのも作りますけど作品としてはもうちょっと、やっぱり電気ないとダメっていうのはいやなんで、ジェットエンジンとか、そういうのが使いたくて、飛行機作ってたりとか
内海先生:八谷さん飛行機作ってるんだね、おもしろいですよねぇ。
八谷先生:やっぱりあのーなんていうんですかね、アートの世界でないとできないことを、やっぱりやったほうがいいじゃないですか。っていうのと、あとはやっぱりジェットエンジンみたいのを扱うのに、こうなんていうんですかね、工学的なところだけで作っててもおもしろいもんにはならないんですけど、そういう技術とかが普及してたときに、普及の初期に必ず変なモノができるんですね。まぁ飛行機もそうですけど、飛行機って今普通の形になっちゃってますけど、えっとー1900年のライト兄弟が飛んだあとの10年間ぐらいは色んな形の飛行機が作られて、まぁさっきちょっと図で見せてたんですけど、手作りの飛行機が本当にいっぱい飛んでまぁいっぱい墜落してたんですけど、そういう世界の豊かさみたいのがあって、そこを今もう一回つくるってことができるんじゃないかな、と思って、やって
内海先生:じゃあ映像から、だんだんこう飛行機からロケットっていうのはなれるですかね。
八谷先生:そうですね、行けないところに行くとか。あとはやっぱり、なんて言うんですかね、国家に全部握られてるのが嫌なんですよね。技術はもともともうちょっとニュートラルなものだと思ってるんで、飛行機にしたってロケットにしたって、夜空を眺めてあそこまで行ってみたいとかあそこに宇宙人がいるんだったら会いたいっていうところから本当はスタートしなきゃいけないんじゃないかと思って。それで国家プロジェクトになっていくとなんでもそうですけど、まぁさっきの水飲むなって話もそうですけど、何かを守ろうとどんどんしてきちゃうんですよね。でそうするうちに、本来の趣旨を忘れちゃうっていうか。例えばここでゲストが水飲めないのも明らかにヘンだし、水飲めなくて倒れちゃうみたいのはもう明らかにおかしいんだけど、どうしてもなんか、何かをどんどんどんどん守ろうとしてしまって、保守化してしまう。でそれに対抗できるのって実は、アートしか、ひょっとしたらないんじゃないかと思っていて。ですから生徒もできればそういうのにやってほしいんだけど、さっき、だから僕さきほど現代美術と戦争画の関連聞いたときにやっぱり確かに、現代美術としてこう、教育の結果としてできちゃった現代美術っていうのができつつあると思うんですね。でそれが、そう見えるのがあったとしたらそれはやっぱりそれは教員の責任っていうか、教育方法を、なんか考えたほうがいいのかもしれないと思って。ですんで今日のお話は僕にとってすごい、なんていうんですかね、こう、参考になりましたし、実になる話ばっかりでした。
内海先生:僕なんかあのー、どこ行っても警戒されてね、学祭行くと、大体、今日はこれでも割と自由なほうなんですよ、いつもね尾行がつくんですよ。で一応ね、
八谷先生:公安とかのですか。
内海先生:なんかね、いやぁ後ろから学生がついてくんのね。で一回慶応の三田祭行ったときにね、僕の後ろをトランシーバー持った学生が、「今、内海は焼きソバ食ってます」とかなんか、でずーっとね、慶応出るまでずーっと後ろついてきてなんか言ってるんですよ。文句あんのか、みたいなね。一応、俺は中退だけど、先輩に失礼じゃないかみたいな、「いや、厳重に監視しろと言われてますんで」って。何を監視してんだかよく分かんないけどね。それがね、学祭っていうのは、部外者がこれだけ入ってくることはないから、色々その守りになるのもわかんないではないけど、まぁやっぱりそのーお客さん呼んだ家ってその家の本性が出ちゃうみたいなね。んーつまり、ボロ隠しみたいなね。絨毯の下がホコリいれてみたいな。多分見られたくないもんがあるわけでしょ。でその見られたくないもんっていうのは、まぁ職員の人の話はもう、バカバカしいからもういいけどさ、やっぱり学生もそうだし大学の先生も多分そのね、惰性で動いてるもんに対してね、学祭っていうのは唯一それを変える1つのきっかけでもあって、そういうのをうまく生かしたようなね、学祭って結構昔はね、こまほさい(?)とかって、五月祭とかって、結構ありましたよね。
御厨先生:ありましたね昔はね。
内海先生:先生の頃とかってやっぱり
御厨先生:いやぁもう僕らの頃は、とめてくれるのはおっかさんよりすぐ後ですからね、より管理が厳しかった時代だと思いますね。それであのー今もう1つ思い出したんで、その水飲めない、写真写さない、っていう問題ね。これね、1つおもしろいのは写真を、到底こんなところでは許されないであろうというところが、実は許してるところが観光コースであるのね。これはね、皇居の中です。
八谷先生:えっ、どこですか。
御厨先生:皇居の中です。皇居の中に、要するにあの皇居の一般観光コースっていうのがあるんですよ。これはあの申し込んどいて行くと、最初に入るときはもう厳重にですね、身体検査されて、それで入るわけですね。それで、みんなね、並んで、ちゃんとね、あのー4列か5列に並ばされるんですよ。並んで、間隔を均等に置いて、歩いて行くというわけ。すさまじいやり方をやってたんです。で、もちろん写真なんか撮っちゃいけない。ところが、僕がしばらく経って行ってみたら、みんな並ばない。いや並べって言ってるんですよ、並ばない。それからみんな勝手に写真を撮っている。で、どうしてそうなったのか、わかったんです。つまり外国人が主たる勢力になったんです。そうすると外国人は、観光コースと言って見せておいて、写真をね、その撮るなっていうのはね、どういうことっていうことを、多分言ったし、それからおそらく無視してどんどん写しだした。そしたら、その管理をしている人、これが、実は英語がしゃべれない。英語がわからない。だから、その人が唯一そこで叫んでいたのがなにかっていうと、sorry sorry って言うんですよ。Sorry っていうのはてめぇが謝ってるんだろうと。そうじゃなくて、お前たちが変なことしてるからsorryだと言ってるわけね。これがねぇ、本当にもう、ブラックユーモアみたいな話ですけども、結局外国人が、入り込むことによって、日本のそういう古い慣習が破られちゃった。事実上だから今は、カメラで、全部写せるんです。それから、彼らにさ、大体外国人は、並べって言ったって並びませんからね。なんだそれはっていう話ですから。それでみんな、それでどんどん入っていってね、入っちゃいけないとこまで多少入るんですよ。ところが、それをとめる言葉を彼らは知らないから、彼らに対しては何も言わず、で日本人がついでにそこ行くと、「だめだお前!そこは入れない。」とか日本語では言うんですけども、あのー僕ら無視してましたけどね、あのーそういうことがあって。多分だから、どういうその、因習されたところであってもね、これを解くカギは、また外圧かって話になりますけどね、外国人っていうのはね、やっぱりその今、グローバルスタンダードの時代ですからね、自分達のスタンダードに合わないことを行うっていうのは変だと思うから、そこでね、壊れていく。多分あのー、で僕はその時に言ったんです。だったら外国人の衛視をつければいいじゃないかと。そしたら、「それをやったら、自分達はクビになる」と。だから英語が出来る人なんかきてもらったら困るんだと。で英語が出来る人が勝手にそのしゃべってると、自分達は疎外感を味わう、泣きいれてましたよ。自分達は要するにもうね、60越えてね、こんなことをやってるんだから、これで職を奪われたらお終いだと、いう話になって、あぁそうかと思ったんですが。あのー変な話ですけどそういうことで、規則が破られていくとか。びっくりですよ今、皇居行って。みんななんでも 聞き取り不可
八谷先生:報道についても、例えば、日本で報道されてないことがアメリカとかドイツで報道されて、それがyoutubeに流れてきて日本人が知るみたいなことはよくありますよね。そこは僕すごく、インターネットとかが果たしたいい役割だとは思うんですけど。
御厨先生:だと思います。だからそれで言うと、今回だって3.11のあの津波の画像というのは、3.11の、まさに現場で写した写真があの夜だけは、本当に、こんな場面もっていうぐらいに全部出たのが、翌日からもう規制ですから。つまり津波の映像っていうのも、全部テレビの規制を通って、あんまりすごいやつは絶対出さないようにした。でところがそれはその、外国のほうは全然平気ですから、おっしゃるように。向こうを回って向こうからそういう映像が入ってくるんですね。だから、今我々がおそらく、内海さん的な言葉の中で言うと、テレビで繰り返し繰り返し出てる、その3.11後の映像っていうのは、かなりメディアっていうかテレビ局が自分達でこさえて、その見せたいものだけを見せてるっていう映像になってることは間違いないですね。-01:43:37
内海先生:あのー、2週ぐらい前にね、学生と一緒にアテネにいたんですよ。でアテネって、日本じゃギリシャって言いますけど、ギリシャ。ギリシャに行くっていっただけで、「危ない」とかね「危険」だとかって、結構言われたんですよ。で自分も、そうなのかなって思わないこともないけど、日本のほうがはるかに危ねぇだろと。それからギリシャ、アテネは今学生がね、石投げたり火炎瓶投げたりしてるから。まぁ芸大じゃ哺乳瓶も飛ばないというね。アテネ危ないって言われるわけですよね。で危ないって言われるとちょっと行ってみたくなるし、なにが危ないのかと思って
八谷先生:さすが・・・
内海先生:いや、本当そうなんですよ。僕は常にそうやって動いてるから。人が危ないって言ってるのが何が危ないのかっていうね。日本のほうがはるかに危ないっていうのを、置いておいてもね、で行ってみたんですよ。どうだった?遠野くんおとなしいけど、どうだった? 聞き取り不可
高木さん:いやぁ、スラム街みたいなとこでしたね。まぁでも人は活気があって、すごいおもしろかったですね。
内海先生:しゃべるんだよね。アテネがね、何が危ないんだって、彼高校生ですけど、どうだった?
田中さん:いや、危ないっていうか、日本のほうが危ない。
内海先生:彼は高校生なんですけど、あのータクシーの助手席に乗って、ちゃんと、まぁちゃんとって高校生だから当たり前なんだけど、英語でね、最も危険な地域に連れてってくれって言うわけですよ。そうすると、なんか見覚えのある風景で、なんのことはない俺らが泊まってるホテルの前なんですよね。最も危険な通りを案内してくれって行ったら、前の晩学生20人連れて歩いた通りをタクシーが通るわけですよ。で最も危ない地点に最後、そこで降ろしてくれって言ったらホテルの前で降りたというね。で何が危ないかって言ったら何も危ないことはなくて、だからそれは危ないと思ってるのが、ギリシャ政府であったり、ギリシャの警察であったりね。でよく見てると公園で、若者が2人座ってると、公安警察が来て「出てけ」と。なにしてんだと。それでお金持ちの、ブルジョワの、お父さんが犬連れてそこに座ってるわけですよ。それからブルジョワのマダムが、ソーセージみたいな犬連れて、そこで1人で座ってるわけですよ。だからそういうのを見てると、あぁなるほどと。でもテレビの映像とか、ニュースを見てると、ある場面だけが切り取られてね、アテネはこんな危険なことになってるんだと。で、日本人の人がよく言う言葉に「治安」っていう言葉があんのね。平気で地球の歩き方持った人が、治安が悪いって言うんですよ。だけど3.11後におそらく予想されることの中に、関東大震災の直後に治安維持法っていうのがあって、でその治安維持っていうのがね、治安が良かったのかって、治安がいいっていうことが、治安が維持されてるってことであれば、僕はその治安がいいっていう言葉にすごい抵抗があって、治安が悪いっていうのをね、必ず地球の歩き方持った観光客面した人が、ここは治安が悪いから気をつけたほうがいいって言い方を平気でするわけですよ。で僕はそこは徹底してるんで、治安がいいとか治安が悪いっていうことはね、治安が悪いっていうと必ず、西アジア系の人がいるとか北アフリカ系の人がいるって。もう最後だっていうから言いたいけど、チュニジアや、エジプトや、リビアが治安が悪いんですか?違うだろって。あんたたちと同じぐらいの若者が本当に命かけてさ、自分の子供たちや自分の同胞のためにさ、本気で、モノを言って、本気で、自分の魂をかけてさ、本気で行動してんじゃん。それが何が治安が悪いんだってさ。だから今リビア行くっていったら危ないとかね、エジプトに行くって言ったらまだやめたほうがいいとか、チュニジアに行くっていったら、それは危ないとか。危ないのはお前らだろうみたいなね。だからそれが、治安がいいとか悪いってことを平気で言う、だから日本の人っていうのは観光客になっちゃうんですよ。常に自分とは外在的にある、あることをね、写真撮ったり、それを楽しもうとして見てたり。楽しむことじゃないでしょ生きるってことはね。だからそういうことを今回一緒にW.S.行った人は見てきたんだけど、アテネで見たことっていうのは、本当にその活き活きとしたね、若い人たちのグラフィティであったり、それから若い人たちはバンクシーは好きだとかバンクシーはいいっていうけど、お前がバンクシーやってみろよ芸大生みたいなね。だからバンクシーをやれば、それは必ず、リスクがあるわけでしょ。捕まるかもしれないし。捕まったほうがいいと思うんだけどね1回ぐらいはね。僕もパトカーに乗せられたことあるけど反対側のドアから逃げましたけどね。いやぁやっぱりね、捕まるぐらいのことはしたほうがいいと思うよ。アーティストだったら。あんたたちの先輩でハイレッドセンターの高松さんだって教授やってたし、赤瀬川さんだってそうだし、中西さんなんかもそうだけど、60年代のね、アーティストって捕まることをしてたんだよ。多分そこに白い絵の具がついたからって怒られるんだろうけど、上野の駅からペタペタペタペタ足跡つけてここまできたのがさ、高松さんたちだよ。それペンキでペタペタペタペタやって、逮捕されたからってそれがなんなんだよ。山手線に包帯まいて、ぐるぐる巻きになって銀座通りでね、銀座通りの交差点のど真ん中でセックスの形やってたんだよあの人たちは。それで逮捕されたからって、美術評論家やさ、美術史を大学で研究してる人はさ、教室でそのことを、過去のことだと思ってさ、現在と切り離して教えるなよって言いたいよね。今やったらなんでそれが犯罪だとか危ないとかって言って、過去にあったことは素晴らしいとかさ、大学の先生になったら、昔はこういうことやったもんだっていうふうにどうして言えるんだろうか。今そういうことを学生にさせんのがさ、作家だろう芸術家だろうって俺は思うんだけどね。だからまぁあのー、初めて会って八谷さんに言ってるんじゃないですよ、八谷さん個人に言ってるわけじゃないけどね。まぁこういうことを、言えるだけまだ、芸大にはね、自由の最後のね、「最後の授業」っていう映画が昔ありましたけどね、本当にこういうことをいつまで言ってられんだろうっていうことになるし、まぁみなさんがこれから、まぁ大学受験する人今日結構多いんですよ。これから大学受けようっていう人がね。だから、自分が受ける大学の基準を、偏差値だの成績だのね、何倍だのって言ってないで、自由が本当に実現できてさ、自由に自分がやろうとしてることを本当に、やらしてもらえるんじゃなくて、そりゃ圧力があったりさ、色んなことを言ってくるやつはいるよ。イヤホンさして写真撮るなとか水飲むなって言ってるほうが楽なんだからそれは。そいつら給料もらってるから言ってるんだろ。だけど、そんなもんに言わせないだけのことをすりゃいいんだよ本当に。やってみろってまず。やってみることでさ、状況が変わるんだしさ、やってみたことでさ、写真撮るなって言われたって、撮っちまえばいいんだよそんなものは。何が減るんだよ。写真撮ると石膏が減るのか。いや途中から来る人がいるとすぐアピールしちゃうもんで、すいませんどうも。一之瀬、退学にはならないだろ?
一之瀬さん:大丈夫ですよこのぐらい。
内海先生:これで退学になるんだったらね、本当にもう、全体主義もいいとこだよね。でもちょっと全体主義に近いものはありますね。僕あのポーランドに行って、共産主義の名残みたいのがすごくまだ感じたんですけど、すごくこう・・・あ、先生何か。
御厨先生:そろそろ。いや、あのー今日は大変楽しませていただきました。やっぱりあのー色んなハプニングがないと、こういう催しっておもしろくなくて、えーまぁ私も水を飲むなと言われたときは非常に驚きましたけども。なんで本当に、飲んじゃいけないのかっていうのは、ついにわからず。本当は、ここにいる、それをやっちゃいけないと言う職員の人に聞いてみたいぐらい、なぜ水を飲んだらいけないのか。おそらく、それはきっと内規にあるんでしょうね。あるいは内規にないのかもしれない。だけども、そういうことで、逆に非人間的な扱いを受けることはあるんだなーということをすごく実感し、と同時に、私さっき言いましたようにやっぱり、そういうことを言ってる、その職員の人ともですね、なんかやっぱり、言葉でつながっていきたいっていう気はするんですよ。つまりそういう人たちと、やっぱり議論したいなという気はするし、でおそらく嫌でしょうね。おっしゃるように、それは給料もらってるんだからやってるんで、そんなことまで考えたくないということかもしれないけれど、でもやっぱりそれをやらないと、我々の日常っていうのは、だんだんだんだん色んなことで狭まってることは、私も元々保守的な人間ですけどもそういうことをつくづく感じますので。また、こういうチャンスが合えば、まぁ内海さんには大体色んなところに引っ張り出されるんですけども、あのー内海さんが持っている世界、宇宙っていうのは中々おもしろい。まぁ今日なんか、あれですよね、爆発が弱かったほうですよね。もっとすごい爆発するところをよく見てますので、えーまた、まぁ今日はちょっと暑さのせいでこうなったのかもしれませんので、えー彼とのそういう、また新たなる出会いをですね、またいつか実現したいと思いますし、今日はこれだけの多くの方に、みんな若いんですよね、えー聞いていただいて嬉かったと思いますし、是非是非何か言いたいことがあったらまた、僕の東京大学の先端研のホームページを見ていただくと、そこにアクセスできるようになってますから。あのときにいた学生だ、あるいは生徒だということで、何か言っていただければ、ご返事を差し上げたいと思います。今日は本当にどうもありがとうございました。
一之瀬さん:聞き取り不可 を出すと、本当に何にも知らない人でも本当に返してくれる先生なんで、本当に送ってみたら、本当に返信が送られてくるので。はい、じゃあ先生。
八谷先生:あ、僕ですか。えっとー多分水飲むなの件に関しては、実際デッサン中に持ち込み、飲食持ち込むなってことだとおもうんですけど、僕はちょっとここ使ったことないんでよくわかんないんですけど、それがどんな状況でも適応される状況っていうのはやっぱり明らかにおかしいんで、それに関しては今日は本当に、それをきっかけにですけど、おもしろい議論ができたと思います。あと僕御厨先生にお礼を言いたいんですけど、御厨先生っていっても東大のほうの話なんですけど 、さっきのあのガイガーカウンターのW.S.やったときに、鉛のブロックとかを、早野龍五先生って人が、早野さんがすごくやっぱりこう、なんていうんですかね、正確で中立的なツイートを沢山されてて、早野さんも来ていただいて、お顔は出されてなかったんですけど、ご協力をいただいて、鉛のブロックをすごく大量に運ぶ必要があるんですよああいうのやるとき。でそれを、持ち出していいのかわかんないけど、早野さんがこれ使ってって持って来てくださったりとかして、だからそういうルールを逸脱する、状況に応じてちゃんと逸脱するっていうのが大事だと思うんですけど、そういうことをちゃんと判断できる方が東大にいらして、研究室の人も手伝ってくれてっていうのがすごくありがたかったので、まぁあまり表に出せない話ですけど、すごく東大にはそのときお世話になったんで、今改めてお礼を申し上げたいと思います。あと内海先生も、もう本当に今日は、おもしろい話になったと思います。なんか僕のほうから見ると光が射してきて、本当に。怒ってらっしゃるときには雨が降ってるし、すごくいい演出を、照明を、天がしてくれて。あのーいい内容になったと思います。これ、内海先生のおかげだと思いますんで、僕もちょっと昨日ね、今日来るってこと決めて、どうなるんだろうかとか、ここもきてやったことないしと思ってたんですけど、本当にありがとうございました。お客様もどうもありがとうございました。
内海先生:あのー最後にね、この企画なんですけど、一之瀬くんが3日間僕にしゃべれって最初言ってきたのね。で、いくらなんでもそれは、まぁそのープラトンも狂気っていうのは神につながるナントカみたいな、って言ってるんですけど、3日はないだろっていうんだけど、まぁ3日やればよかったなって思うんだけど、まぁただ彼は、この企画を通すんで、本当に退学覚悟でやるって言って、で僕がやっぱり許せないなって思うのは、他の主催者の奴らだよね。全部そのー一之瀬にこういうのをおっつけてね、リスクを彼におっつけて、であとの企画者面した奴らは出て来もしないしね、結局怖くて出て来れもしないんだろうけど。だから芸大の人がここにいるんだったら、彼を孤立させるなよ。いい。先駆者を、もっと大事にしろよ。それから、責任引き受けてやってる人間は、恥ずかしいと重いなよ。企画っていうものをやるっていうのはね、そういうことなんだよ。だから単なる模擬店出してるのと違って、これだけリスク引き受けて企画やったやつをもっと支えなきゃだめだよ。それから参加者もそうだし、単にお客面して聞いてんじゃなくてさ、一之瀬がこれで、仮にだよ、仮にだよ、仮にでも、停学処分を受けるようなことがあるんだったら、そういうことをさ、させちゃいけないよ絶対。で俺は、そういうことが一番大事なことだと思うのね。ね、そう思わない。石膏もそう言ってるよ。でね、石膏室でこういう企画やるっていうのはね、石膏室に俺を入れるっていうのはそりゃかなりのリスクだと思うよ。だけど俺が、こんなものハンマーで割るわけねぇだろみたいな、こんなもの割ったってしょうがないでしょ。ただ心の中でこんなものをぶち壊すことを40年やってるわけだからさ、だからまぁその石膏室でね、この話を実現したっていう一之瀬にみんなで拍手してやってください。
(拍手)
馬に乗っちゃえよお前。
じゃあ、どうもみなさんありがとうございました。



藝大のみならず、各大学、各組織、各家族、各人間が共に世界を変えることに繋がりますように。



少しでも多くのひとが超人たらんことを!!!

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