2011年10月4日火曜日

藝祭 大石膏室占拠!!! 1

藝祭から一ヶ月たちました。遅ればせながら内容を公開致します。文字起こしをしてくれた内海組の熱い奴らにに感謝します。


(0:00)(八谷先生)・・・・というのがあるので、なるべくそこをわかりやすく、伝えようと思って。例えば放射能が放射性物質と放射線まで上がるときにどうやって   いいかなと思って、文章なら、見た目が一番わかり安いんですね。僕もちっちゃい子供が居て、六歳の娘なんですけど、彼女がやっぱりテレビなど見て不安になる。あるいはそのちっちゃな子のお母さんが不安になる。で、そういう人たちに対してなるべくわかりやすい、わからないと凄い怖いので、それに対して、過度に恐れるのも良くないと思うんですけれど、正体をなるべくわかるようにやらな   でそれが定説になって、  アニメーションが出来て、これ僕が作ったわけじゃなんですけど「おなかがいたくなった原発くん」てアニメーションが出来たりしました。でニコニコなんですけど、この  を見て、アニメーション作りたいとか、放射能測定について、でそれを   でアニメに作った。そんな感じですごくいろんな人が、何でしょう、民間の人はそれぞれ原発に限らず  なんですけど、  。ちょっとこれが日本語版とかyoutubeで発売されて?英語版はこれ以上で、やっぱ海外でも福島がどういう状況か全然わからないで、しかもやっぱりこの状況が説明されてもよくわからないで、非常に沢山  されたときに、あと派生でフランス語版とか中国版とか  語版とか  しました、これが  ドイツで原爆のが来たりとかいろいろ面白いのがありますけど、そのとき持っていたは、被るんですけど、  のサイエンスコミュニケーション、サイエンスコミュニケーターという人とか、あるいは科学技術社会論みたいなもの、まぁ人間の中サイエンティストやエンジニアじゃないんだけど、その活動を世の中に広めるために、うまく伝えていこうという動きがここ10年ぐらいあったんですけど。そういう人たちってやっぱ最初、初動が出来なかったんですよね。これは僕が考えるまぁ正しいかどうか  ですけど、僕が考えるそういう方達ってのは正しい事をすごく言わなきゃだめだっていう印象があって、間違ったのを言うのもまぁ確かに良くない事なのですけれども、でもそうじゃなくて今例えば何かものすごくわかりにくい  に対してそういうサイエンスコミュニケーターとか科学技術社会論に当たるところを、  することができるんじゃないかってのを、  で、この活動をやったりしてました。あの僕  として、避難するかどうかとかすごく切実な問題なんですけど、じゃあとの位の、毎年  避難するのかっていうのを やっぱり立場によって違うと思うんですね。おじいちゃんおばあちゃんの方が避難    小さい子  それこそそういうことをしたりしてました。でこういうのをやってぐうちに段々、まぁ先生としてもですけれども、不安まみれなんですね。例えば僕は上野近辺、東京  もう問題は無いと思っているのですけど、一方で取手って言う先端藝術表現科という  がありまして、それで校舎が取手なんです。上野から行くと、原発に近いのもありますし、あとホットスポット  だいたい    取手はこの辺りでけっこう近くって、でガイガーカウンター何かを作ってこれ表示されるガイガーカウンターを自動にツイートするのがありまして、これ実際    にツイッターで、(5:00)ここでみてると当初0.14ぐらいで   若干下がって来てるかなってのがありますけど、で、こういうことやってるとまた   の人に   機会  放射線をはかる人達がでてきたので新しい  そこの方達と、防疫研究機構というのが筑波に、そこの方達と一緒にやったりしました。でこれがガイガーカウンターで機種ごとに、ガイガーカウンターって本当にいろいろあってですね、全然これ計れてないんじゃないのとかあるんですけど、まとめるのが結構  とか、あと   普通に先生と  してます。でこれが  って漫画の方がいるんですけど、あとこれは無料提案して、なんですけど、ノーギャラで、まぁ僕もノーギャラですけど、全員がノーギャラで、放射線を皆がはかることによって助かるものであって、ただその  失敗を皆でやろうねってそういう  でした。で、あとはまぁガイガカウンターをやりながら  で今これポケットガイガーってのが出てまして、3500円のすごい安いやつなんですけど、これの、プロモーションを皆さんで作って頂いて?何が言いたかったかって言うと飛行機作ったりロケット作ったり、してますけど、まず原子力もそうなんですけど、これらは国家ぐるみでで国家が独占的に入るんですね。でこれはーあーのー  飛行機っていうのは、民間の飛行機が無くって、   つまり飛行機が日本で作れないことになっていて、何でそういうことになっちゃったのかってまあちょっと今見にくくて  。えっと、これ比べてみると、ボリュームが全然違うってのもわかるんですけど、第二次大戦後に作られている飛行機と第二次大戦前に作られてる飛行機と、第二次大戦前の圧倒的の年数で言うと  二倍ぐらい長いんですけど、やっぱり細長くなっていくと右側が膨らんで、ちょっと短い方が  でそうするとやっぱりその技術が正しいかどうかに対しての批評が出てくる。  たぶん藝術学科から来てると思うので、一番言いたかったのがこれで、でーまぁ技術が  とか言いたくて?でまぁ確かに技術は  ですけど、やっぱり飛行機作らなきゃなで、同様にいろんなジャンルが大事なんですね。これ例えば本田が、アメリカで開発している。ホンダのGNTとか  やっぱなんでアメリカがやっているかっていうと、   だから。実際にアメリカが  同時にやっぱり原子力を、今原発に頼っちゃダメってなってますけど。その辺やっぱりアメリカと比べて非常に軍事産業やっぱり  これやってるんですけど、日本は変に  だけマネした で、すみません飛ばしますけど福島政府コウカンについて説明しますけど、僕はいま大学  、この間福島大学に呼ばれてたんですけど、やっぱ福島の人達は非常に見捨てられてる感が何となくは   、じゃどうしたらいいのかってのは、国から県  、でそういうときに僕ら   あるんですけど福島成功させるために、マイナスイメージをプラスイメージに変えることが大事なんじゃないかって思う、これは僕に        ゴミ処理場みたいな、ただそれにしてもカッコいい   のそれもあるんですけど、(10:00)ロケットの   その中にプレスコードなんですけど、例えばなんですね、周辺のエリア   ないんですね。ただここを    この場所をなるべくコジ    します、でえっとーさっきも映像見せましたけど結構  いろいろな条件があって、東側が海になってて、漁業権ってとか、漁業って、  してたりとか  たりとかとか  たりとかあるんですけど、ひっくるめるとそれは全部   で、プラスの考え方で福島の  に使っていただける  します。この間   なぜ言ったかというと、イラク戦争があってイラク戦争で状況というのが  ナウシカが   してますけど、ますます最近野田さんが  と思うんですけど。もうなんかあの人よりはナウシカとか  とかいいんじゃないかと思っていて、でまぁ、  社会保障においてもキャラクラシーという概念と言ってて、要する人間じゃない人を第一におして、   逆にこういう若い人達の考え方を、若い人たちが逆に支援していって例えば、  どれだけなるべく日本を良くしたり、  で例えばコスプレの模擬店が出ていたりしてますけど、そこに何というか、人間じゃない人を大事にするというでかい   日本  原子力を考える関して、    しましょう、じゃあ、はい、これで私のを終わりにします。ではどうもご清聴ありがとうございました。
 
 
 
 
 
御厨貴先生
(12:36)はいうん、えーっと御厨です。今日は何をお話しようかと思ってきました。で基本的にはですねぇ、今の話とは多分ちょっと違うお話になると思いますが。あのー、一番3・11があって感じたこと、というのは、まあとにかく、世の中ってのが、あの要するに地震と津波とそして原発で、こんなにも変わるのかって言う印象でした。
で半年たちました。もうじき9月11日で、3・11から本当に半年経つのですが、半年経って今感じていることは、急速に、実は3:11で皆がいろんな事を感じて、そして、世の中こういう風にしなければいけないとか、いろんなことを思ったはず、であるいはこれまで日本社会が変わってなかった部分が変わってくるんじゃないかな、と皆が思っていた事が、こんなにも早く色褪せて来るのかと言うのが、僕の正直な感想です。
つまり人間ってのはですね、どうしても元々あった考え方に戻りやすい。それで考えたほうが楽ですから、そうするとそこに戻って行くという感じがあって、何か新しい事をやろうとか何とか思っていても、いつの間にかそこが風化していく。でもちろん今、その東日本の震災、そして原発そして津波の被害にあった、そういう地域の人達は、当然どう克服するとかと言うことで、一生懸命やってますから、それは少しも色褪せないんですけれど、そうではない地域にいる人達の感覚というのがが急速に色褪せて行くって言うことを急速に感じています。
これは、やっぱり難しい事でですね、で昨日、喫緊のことで昨日野田新内閣が発足をしました。で組閣の風景と言うのをテレビでもやっていたと思いますが。あれを見たときに僕は、あ、と思ったのですね。つまりこれは何かーデジャヴー。(15:00)どっかでみた風景だなぁと。なんだと思いますか?かつて自民党内閣が組閣をする時ってこんな風景たっだなぁ。
つまり、民主党政権になって三代目ですよ。初代、二代の時にはその組閣に意外な面白さがあった。つまり閣僚経験者もまだほとんどいないわけですから、そこに起用される人達について、何々大臣をやりましたとか、副大臣をやりましたという話がなかった。今回は、そんな話ばかりです。そして、同時にそれが何々グループに所属している。そして、滞貨一掃と称して、この前だったらとてもじゃないけど入閣出来なかった人が、すべて、その組閣の方法、発表、全部がですね、我々がもうあまり見たくないなーと思っていたあの自民党内閣の時のこのやり方に極めてよく似ている、そしてまた報道の仕方がそれで安心をしている。
我々がよく見ているその新聞報道、ま、テレビもそうですけども、これもしばらく自分達がこう報道したい、あるいは自分達が新しい政治にどういう風に接して行ったらいいのかってのがわかんなんなかった。ところが、今回、あ、前と同じに報道すればいいんだと言うことで、みんな安心した。今回のあの紙面が皆安心していて、そして野田さんみたいな、あーゆー、僕はあるラジオに出たときに、「野田さんってどういう人でしょうかね」と言われた時に、ま、鳩山さんが宇宙人で管さんが運動家であるならば、この野田さんって人は木綿の手触りであると、ですからこれでくるっくるっと何か、包まって、包めてもらえば一番いいという感じではないでしょうかと言ったのですが、それはかなり当たっていて、どの新聞も、この内閣は挙党一致だ、挙党体制だ、要するに総理大臣自身には、リーダーシップが無いいうことをと安心して書いている。
これはちょっと前と違うんですよ。ちょっと前に新聞が言ってた事、そして多くの記者が言ってたことは、「なぜ総理大臣にリーダーシップがないのか。リーダーシップを持って決断せよ。」と言っていたのに、やっぱ本当は嫌なんです。だからあーゆー総理が出てきたらね安心する。そして挙党体制じゃないと、ぐんぐん引っ張って行くためには、そう片肺飛行?でもいいから、それで頑張って内閣を作って行けばよいという主張を多くの新聞がしていた。ところが今やそうではない。小沢さんまで入れた、挙党一致がいいんだという話になっている。これ全部、実は戦後的思考です。
で僕は、今回の3・11の地震があったときに、かなり早い段階でこれで、『「戦後」が終わり、「災後」が始まる』、サイゴのサイは、震災の災です。「災後」のはじまりという文章を書きました。「戦後」が終わって「災後」が始まる。そこで、新しく皆が決断して何かをやるんだろうという風に期待したのですが、それが今もとに戻っていると言うそういう現象があります。
元の方が楽なんです。そこに戻った方が思考の上でも何でも安心する。だからそこでその東日本大震災にあった地域とそれからそうでない所の、おそらく、思考上の格差ってのがこれからもっともっと、進んで行くんだと言う気がしていて、そこにどうやって橋をかけたらいいのかと言うのが、僕らの考えなければいけない事だ、と言う風に思っています。
 
で、それを最初の前振りにしておいて言いますと、私は3・11の後、4月から6月の終わりまで、政府の復興構想会議という、まぁ復興の提言をするための審議会ですね、それの委員まぁ議長代理を務めたわけですけど。で、その結果実は6月の末に、今日ここにもって来ていますが、「復興への提言~悲惨のなかの希望~」と言う、こういう冊子を政府で作りました。
でこれは一般のと言いますか、これまで普通の審議会のあれとは違うのですね。みんなだいたい活字だけで、しかも本当につまらない、読んで欲しくない風に書くのが、普通、審議会の報告書ですが、それでは困るというので我々随分工夫しました。で、これは、今官房のHPにアクセスをして頂きますと、そこでも見る事が出来ますけれども。この冊子の形にするときに僕が、一応あそこの起草委員でしたから。(20:00)起草私だけでやりましたから。その時に皆さんに言ったのが、出来る限りこれは絵本のようなスタイルにしたい。つまり図表や、それから模式図のような物と文章とが、対等とは言わないけれどもそれがいっぱい入っていて、みんなが手に取ったときに一体復興のために何をしたらいいのかと言うのが具体的にわかるような、そういう提言書にしようよねってのがひとつありました。
それから、もうひとつは文章を易しくしたい。これはもう、この中でも文章易しく出来なかったところ実はあります。でも出来るだけとにかく、官僚用語は止めよう。一読して何言っているのかさっぱりわからないという文章はやめようと言うことで、ここから追放したのはいくつかありますが、最近の政府の用語に多いのはのはカタカナ語です。つまりカタカナで言うとなんとなくわかった様な気になる。それを全部削除して行きました。どうしてもカタカナを使わなくちゃいけない時には、そこに日本語で解説をつけました。日本語で、って変ですね。どっちも日本語なんだけども、要は漢字カタカナ平仮名が混じった文章でそれを作るということで努力をしたわけです、そして全体に提言の前に前文をつけて、結びをつけて、各章の提言の中にも序をつけて、そこだけ読んでいただくと全体の流れがわかるように工夫をしたわけです。
そこで何を工夫したのか、ここからさっきの科学技術コミュニケーターのお話とかございましたけれども、そこにちょっと繋がってくるのですけれども、私達がこの提言書の中で一番言いたかったことは実は「つなぐ」ということでした。おそらく、その予算をいっぱい付けるとか、あるいはこの地域にお金を流すとかっていう事ももちろんありますが、それと同時に、ソフトな意味で言えば、「つなぐ」ということが、これからの我々の社会に必要ではないかと言う風に思ったからなんですね。で、前文のとこにそれをかなりはっきり書いてまして、そこをちょっと読んでみたいと思いますが、こういう風に私は書きました。
『われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳を澄ませてみよう。おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。人と人をつなぐ、地域と地域をつなぐ、企業と企業をつなぐ、市町村と国や県をつなぐ、地域のコミュニティの内外をつなぐ、東日本と西日本をつなぐ、国と国をつなぐ、大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発見され、そこに復興への光がさしてくる。』
と書きました。
 
じゃあ具体的に繋ぐってね、なん何だろうという事なのですが。私が皆さんにご紹介をしたいのは、我々が復興の提言をするときに、いわゆる東北の三県の市町村です。市町村の市町村長にアンケートをしました。でそのアンケートの中にひとつ、こういう項目をいれた。「今あなたがたの地域に本当に欲しい人材はなんですか?」そしたら驚くべき事に、150以上の市町村から返事があったのですが、その多くの人が、「国と我々を繋ぐ人材が欲しい」って書いたんです。
つまり国はこれからもいろいろなその復興の為の政策を出してくれるだろう。だけどそれが出ただけで我々がどれを使って良いかわからない。我々もやりたいことがある。でもそこを繋ぐのは人だろうと。それを国から出してくれ。確かに、国の人材はそれをよく知っています。だからそれを、それぞれの地域にレンタルするだけでも違う。国家公務員で若手で実際にその地域に行きたいと言っている人はいる。彼らを、ですからレンタルで二年間でもいい。そこへ行かせる。そうすっと、この地域でこの田んぼがこうなちゃったどうしたらいいか。実はこういう法律がありましてと言う事を彼らは知っていますから、それを生かしてこうしたらいいと言うので、上と下とを繋いで行く、ということが出来る。行政的に言うとそういう繋ぐ人材がまさに欲しい。これは今の国家公務員法をそんな改正しなくてもできる事です。
それからもうひとつ、さっき科学技術の話が出ましたけれども、いわゆる科学技術コミュニケーターでなくても、今回現場が欲しがったのはもうひとつあったんです、これは「技術を知っている人が欲しい。」その技術ってのは決して高等な技術じゃない。どっかとどっかで何か電気が切れちゃったけどそれをどうやって結んだらいいの?っていう技術でいいです。(25:00)ほんのちょっとした技術でいいんだけどそういう人が欲しい。これがいなががために、多くの人が皆苦しんだわけです。そんなに皆専門的な知識があるわけではありません。
ところが日本の科学技術教育はそういうことを一切やってこなかった。だから、大学院生は科学技術の大学院生はほとんど役に立たなかった今回。科学技術コミュニケーターだけではありません。現実にそういう現場での技術をやらなきゃいけない人たちが、まったく訳に立たなかった。これは深刻な反省を今生んでいて、そういう人たちを是非、はやく作ろうよ、ということになっています。
それだけではありません。現場に行くと、それこそ、その保健、それから衛生、そして病院の医師から何から全部、これも基本的に現場で苦しんでいる人たちとの間を繋ぐ人達がどうしても欲しい。こういう「つなぐ人材」をとにかく沢山作っていかないと、たぶんこの社会は今後復活、復興出来ないという風に私は思いました。
 
で、最後にもうひとつだけ言っておきます。実は私が非常に感動した話がひとつあって、それは今回の地震があって実は東北大学とか筑波大学とか多くの大学で、そのおおきなコンピューターが止まってしまいました。でコンピューターが止まったことによって困った人は沢山いるのですけれども、一番困ったのは誰だったか。切実に、それはそこのコンピューターを頼りにして、ドクター論文を書いているこの国の物理学や何かの大学院生だったんです。彼らのやっていたあれ一挙に吹き飛んだ。でどうしようもない、そんですることがなくなった彼らがやがて気がついたのは、どうもテレビを見ていると原子力安全委員とか保安員とか言っていること、出している数字、放射能ですね。おかしいと。こんなゆっくりにしか出ないはずはない。もっとちゃんとした数字が出るはずだ。出し惜しみをしているに違いない。そこで彼らがやった事はなにかと言うと、彼らは独自の自分のそれこそ卓上のコンピューターを駆使してそれを追求し始めたわけです。
これは誰と誰とが語らってじゃないんですよ。そういうことを始めるとそれを今度は一斉に公開する、で公開するとそれにまた全然違う人が乗ってくる現象、という形で実はこれが今年の4月から5月にかけての現象だったんですね。で彼らが出来上がったデータをもう安全委員に逆に送りつけるわけです。もうこれだけわかっているのに何故公開しないか。で、原子力安全委員の放射能に関するデータが、ある時期から、ものすごく勢いで早く、何か出し惜しみしないで出るようになったのは、実はこういう、その物理のあるいは数学の院生の動きだった。
それも誰かが意図したわけじゃない。変だなーと思った人が何人かいて、それが要するにネット上で繋がるわけです。ネット上で繋がるこれはすごく大きな力になって、最終的には東京大学のある先生がそれを統括して、まぁ一応その東大の名前があった方がいいだろうと言うので、その先生がそのデータを持って行くことはしましたけど。生まれるのは皆自然発生的。これも「つなぐ」行為なんですよ。そういうことを我々はやんなくちゃいけないんじゃないか言う事をつくづく思っている。ということで、私の最初のお話にいたします。
 
(28:42)
なんかいっぱい来ましたけどこれは
 
内海信彦先生
(28:55)
えっあーどうも、内海です。こんにちは!!あのね、あのーちょっと藝大生の人手挙げてくれる?居ないんだよね、模擬店でさ、でやらっててさ。で俺のところにいた人は恥ずかしくて今日は来れないんだよ、過去の自分で言ってたこととかさ、今ここでやってることとかさ。だからいないんだからしょうがないんだけど。ほとんど藝大で話してて折角御厨先生にも来て頂いてもね、藝大生の人が聞きにこない。まぁあらかじめ想定された事だけど。
藝大以外の人によぉ~く見といて欲しいのは、今ここでさ、僕あの1999年から2000年にかけて、アウシュビッツ強制収容所で自分の芸術をやったんですよ、でアウシュビッツを含めて、マイダネク、それからダッハウ、いろんなドイツのね、強制収用所、まぁポーランドにあるのはアウシュビッツとマイダネクですけどね、そこでいろいろライブペインティングの仕事をやったりして、今丁度あのアウシュビッツの事を思い出していたんだけど。(30:00)ここでさ、僕あの講演で呼ばれてきてものすごく無礼だなと思うのは、馬鹿な職員がさっきからさイヤフォン耳にさして、水飲むなとかさ、やってるでしょ、で水飲むなって言われてたでしょ。で僕ここで見てたって感じるし、たぶんここへ来てる皆さんすごくそういうのって感じていると、どこいった職員、僕が話し始めたらどこか隠れちゃったね。
つまりさ物凄く無礼な事だと言うのと、水飲むなと言うのはねぇあの強制収容所に強制移送された人たちが、家畜の運ぶ貨車でやられたことですよ。だから今ちょうどねここの石膏室にいて何で職員隠れるんだよこういう話すると。だからさあんたたちの人生ってものすごく不幸だよねこんなことやってて、ほらどっか逃げてった、でね、写真撮るな、強制収容所で写真取るなってさ、でもカメラを入手して、人焼いているとこのを写真撮ったのを命がけで送っり出したんですよ、それを連合国まで届けたんだよね。だからね水飲むな写真撮るな、座るな石膏みるなっていう。だからこれが東京藝術大学ですよ、
 
人の家呼ばれて人の家のこと言うってのはね、それなりに僕でも結構シャイだからさ、結構思いっきり言ってんだよ。だけどそもそもね昨日の話なんだけど、一昨日か?なんだか忘れちゃったけどね。僕はビックリしたのは、主催者は僕のところに挨拶も来ないけどさ、昨日の時点で、一昨日か?一昨日だった?、一昨日か。台風が来たら、朝の6時に決定して、今日のこの企画は中止にしますって連絡が来たわけ。一応笑いましょうみんなで。あのさぁいったい何をやっているんですか東京藝大ってのは。台風でさ企画止めちゃうんだよ。幼稚園かよここは。今小学校だってやるぜ企画だったら子供達が一生懸命さぁ準備してやったら。それをいい年したさ、まぁそれはアホな事務方がそういうことをやるんだろうけども、
僕が言いたいのはつまり、写真を撮るの止めるなって今アウシュビッツの話してんだよ!あんたがやってることってさ、恥ずかしくないの?俺一応法学部だけどさ、どういう根拠でやってんのって、どうして俺こんなあの18歳のときにやってたことをまたやんなきゃなんないんだろうね。つまりさこれが日本なんだよ、この人たちがやってることってのが日本の東京藝術大学でやってることなんだよ。で授業の中ではそりゃ自由なこといっくらでも言ってるでしょ。いくらでも自由な事やってるでしょ。だけど僕達は東京藝術大学の教員でもなければ学生でもないからね。よく見えるんだよ逆に、藝大の人はよく見ときなよそれを。シンジョウ、よく見とけよ、恥ずかしくないかこういうことって。これが芸術かよ。何を守ろうとしてんだよ。このさぁ、なにこれ、一応笑おうよ。僕も受験生の時これ描いたよ。だけど40年前の話だよ。
僕の美術の先生は吉田克郎さんっていうんです。「もの派」のね。亡くなられましたけど。吉田克郎先生の先生が斎藤義重先生なんです。だから僕の大先生なんです。斉藤義重先生は今から四十数年に多摩美の入試の当日に、入試の当日ですよ。学生の目の前で石膏叩き割ったん。と言うのは伝説だけどね。実際見た人って、そんないるんじゃないんだけど。要するに多摩美の入試で石膏デッサンを止めたんですよ。でその年に入ったのが僕の先生の吉田克郎さんや、その1年上の関根伸夫さんやね三澤憲司さんや、要するににそうそうたる「もの派」の作家が、斎藤義重教室から生まれたんですよ。それ1967年か1968年の話ですよ。つまり世界革命の年だよね。世界の学生革命の年で、僕が17歳くらいの時だけど。だからその石膏っていうものを未だにね、四十数年たってこれは1935年かなんかににボストン美術館が日本に送ってきたんだよ確かね、もう黒くなっちゃって何回か磨いてると思うけれども。
僕は先週学生を20人つれてね、トルコとギリシャとねイタリア行ってきたの。去年もイタリア行ってきて、ワークショップやったんですよ。観光旅行じゃないですよ。結構ハードでしたよ。3キロ痩せましたけどね。あんまりそうに見えないだろうけどね。もっと痩せたかったけどね。一応さ、本物見たらさ、たぶんここでやってることが植民地文化っていうかね、コロニアルっていうまさにさ150年前の日本の文明開化ってのをさ、後生大事に今何を守ろうとしてる?僕は聞きたいよ逆に、写真撮影禁止っていうのは、何を守ろうとしてるわけ?マルスのおちんちんがいけないの?(35:00)だってあんただっておちんちんの結果で生まれたんだったらさ、おちんちんがさ卑猥だったらさ、あんたは卑猥な行為の結果で生まれたそんな存在なんかよ、ふざけるなよ。何が撮影禁止なの?石膏のおちんちんが禁止だったら、イチジクの葉でも張るのかよ。
なんて話馬鹿馬鹿しいけどね。何でオレがこんな所呼ばれていて、こんな話しなきゃいけないのかって言うと、非常に不愉快なんですよ。写真は撮るな。それから台風の話忘れちゃあれね。台風で中止だよ。だからもう何か亀田兄弟の記者会見みたいね。3日前から盛り上がって逆に来る人増えちゃったけどさ。
つまり、それを単に外在的に批判してるんじゃなくて、これが我々が藝術だの美術だの言ってるところの、日本で一番ね、ここがまーエリートだって言われている人の来る大学の実態なんですよ。でそれは、あの藝大生以外の人には良く見える事だけれども、藝大生の人がね、何人かいるんだったら、よーくやっぱ考えて欲しいと思うね、つまり管理されて徹底的に監視されて、写真も撮っちゃいけない。水も飲んじゃいけない。でアウシュビッツの話はアウシュビッツの話をして、たぶん先生はそういう話は授業の中でするわけ、でも授業の中でしていることを実際にそれに抗したり反対したり、実際実践したりすれば、即耳にイヤフォン付けた不幸な人生を送っている職員がさ、写真はとるな水は飲むな、なんなんだよこれは。
だから口先で言ってることよりも、やってる事を見たほうがいいよ。おれは芸術家だから、見るって事を、まず考える事のね、基本にしてるからさ、まず自分で今見てる事をよーくね、留めたらいいよ。それとも何かさ、その写真撮影以外のことでね、ある権威を守ろうとしているのか、つまりここは写真撮影禁止だから撮るなっていうことを大上段に言って、要するに見せてやってるってことでしょ?お前らのような藝大以外の人間にも、今日はここを見せてやる。その代わりここが神聖、どこが神聖なのかよくわからないけどね、神聖な場所を見せてやるんだから、写真は撮るな水は飲むな。ね、規律正しくさっと見たら早く帰れ。と言う事の中で話をしてるんだったら、結構いい環境かもしれないよね。
つまり僕は皮肉を言ってたりさ、直接そのくだらない仕事をしている職員の批判なんかしている場合じゃないんですよ。これが正にさ、今お二方がお話になったような3・11後の日本ということで、原子力マフィアというのはだれも聞いた事あるけどね、これが美術マフィアであり、藝術マフィアなんだよ。マフィアがここの大学から百何十年間生み出されてんだよ。日本の美術界ってのはぜんーぶここの奴らが牛耳っているから。道路の反対側にある音楽もそうだよ。それに抗して取手やね、北千住に作ったのは。僕は取手に呼ばれて今日学生が怒らせちゃって来なくなっちゃった木幡さんと対談しましたよ。何で木幡さん怒らせるんだよ学生は。木幡さん体調不良って言うけど、木幡さんがここへ来れない理由僕は聞いてるよ。つまりここの主催者も何やってるんだよと思うよね。
その木幡さんとね前回取手で話したときに、僕が話したテーマは「藝大ぶっ潰せ!」っていうテーマだったんだよ。で僕が「藝大ぶっ潰せ!」って言ったってもちろん潰れないよ。でも上野の、どうしようもない、どーしようもない保守的でさぁ100年経っても自分から変わる力を持たないものを、取手にね、新しい先端と音環ってものを作って藝大をかえようとしたわけでしょ。でも結局早期に離婚しちゃってさ北千住に別居してね。で取手はもう放射能で汚染されてさ、もう筑波と同じですよ。もうこれは大学としては、けっこうあそこにね学生呼ぶってのは大変なことでしょ。
もう今や日本は、ガン保険も降りなくなってるって知ってます?ガン保険もさ、もう日本では成り立たなくなってるんだよ。だから今日来てる10代の人やさ、20代の人は平均余命ってことは俺考えたほうがいいと思うよ。今藝術を考えるひとつの前提の話としてね、いま日本というのは最悪の状態にあってさ、僕ら外国で学生を連れて歩いていてもヒシヒシとそれを感じますよ。つまり我々はもう数千万単位で被爆しているわけですしね、数千万人がね、そのうちの仮にですよ、0.1%だとしてもあるいは1%だとしても、僕は出版社で編集やってた時代があるんだけど、チェルノブイリを自分なりに勉強したんですよ。でこれはもう間違いなくさ、もう、あの元には戻らない事だしね。
だから写真撮影禁止とか、水飲むなとかって言ってることを僕は物凄く敏感にね、(40:00)神経質に反応するのはさ、あるそのひとつのさ、大きなもうなんていうのバリアみたいなのが出来上がって来ててね、常に監視されてて管理されてて、であることを以上のことを話し始めると、必ずそれは圧力がかかってきたりね、消されたりね、それからいろんな目に見えない脅迫や恫喝やね、場合によっては懐柔もあるし、懐柔ってわかりますか?ね、つまりおいしい話が逆にきたりとかね。
だから僕高木仁三郎さんも、編集やっているときに何度も仕事お願いしたりしていたけれども、もう本当にね80年代からずーっと言われてきた事が、現実になってしまったんですよ、で、そういう中での美術の問題を東京藝大で話すときにね、水飲むな写真撮るなって言われたら、こんなにさ、これ皮肉とかって問題じゃなくてね、まさに、あなたが今ここにいるってことの意味がさ、非常によくわかりますよね。だからそういう演出をしてくれた台風にもお礼言いたいしね。不幸な人生送っている職員の人にもお礼いいたいですよ。(41:07)

0 件のコメント:

コメントを投稿