2011年6月30日木曜日

優等生でいるよりも、僕は不良でいたい。

ぱんふは超挑発的に書くこと。

ひよってはならない。けっして。試されるのは覚悟。




今考えてるのは池田委員長の伴奏で茂木さんが尾崎豊をうたって開幕するのを考えてる。尾崎は茂木さん大好きだからね。

そして天才論について、最終日の。


天才はなぜ生まれるのか?俺は天才の出現には美は欠かせないものと思ってる。藤原正彦が国家の品格の中で言ってたことなんだけど茂木さんもそれにものすごく賛同している。

天才は、極めて生まれにくいから天才なのであって、かつ天才にはその出現状況が背後にはある。

第一講義室からは多分、天才は生まれない。

生まれるとするのなら、やはり美しいところからなはず。単なる天才についての話をするだけなら、場所はどこでもいいのだが、天才がそのシンポジウムから生まれることを企図するのなら、やはり体育館になると思う。第一講義室の美も自然の大イチョウの美の前には勝てないと思う。大イチョウをライトアップしたり、花火やキャンプファイヤーをしたり、上野公園にある広島原爆の、今も燃え続ける火で蚊取り線香を付けたりもできる。

旧来のシンポジウムの方を壊すとどうじにお酒も飲みながら話す訳で、大一講義室よりもやっぱビールは屋外で飲む方がいいっしょ。それにホタルも話そうかと思ってる。そう、すなわち、日本から天才が生まれるのなら、日本という文脈を背負わなければならない、ということが裏テーマである。これは茂木さんも言っていることで。実際茂木さんは何度も第一講義で講義をしているから茂木さん自身にとっても斬新さがないはずだと思う。もちろん、祭りの祝祭感はあるけれども。そして、アインシュタインが言っていることだが、“自由な環境”からこそ天才は生まれるということ。自由な環境はやっぱり中庭だと思うんだよなぁ。みんなと同じことをしている人間が天才になれるかな?みんなが講義をしっかり聞いているのなら、自分は自分の好きなことに没頭する。人と違うことをしなければ、というか特殊な環境でなければ天才は出てこないのではないかな?まぁ、こpれはちょっと俺の天才論も入ってるけれどもね。

みんなでキャンドルナイトもできるし、死者の鎮魂もできる。第一講義室でもできるが、やっぱり絵にならないし、煙草も吸えない。そとならタバコも吸えるわけだよ。タバコの吸えるシンポジウムって聞いたことある?


また茂木さん自身、リスクをとれ。と常々言っている。俺たちがとれるリスクってなんだろうか?第一講義室で例年と同じくらいの客を集客して、あぁ、楽しかったねでいいのだろうか。第一講義室なら誰がやったって成功させることができる。おれはそれがリスクをとる行為だとは思えないんだ。俺たちがとるリスクは失敗するかもしれないけれども、とにかく“やってみる”ことなんじゃないかな。りくつぬきでとにかくやってみる。それがジョブスであり、ザッカ―バーグであり、ジュリアンアサンジュなんじゃないかな。

またさらに、茂木さんが言ってることで、本当に面白いものはしっかり人はついてくるということ。俺たちは、はじっこで好きにやってるよ。来たけりゃおいで。誰でもウェルカム。ということ。

目的は対話型シンポジウム。かつ新しいシンポジウムの形を社会に提示すること。これがユーストリームで全国に流れ、そしてこれがそのリスクをとるシンポジウムの先駆けになればいいと思う。

ラストにはみんなで15の夜を合唱するのもいいと思う。第一講義室よりは、中庭の方がみんな大声で歌ってくれるんじゃないかな。心身一元論の立場からもね。心身の状況が心を形作る。学びの場は講義室にあるのではない。学びの場はどこにでも溢れている。シュタイナー系の教育原理ということ。


不良ははじっこでいいんちゃう?中心がいいってのもわかるんやけどね。どっちかっていうとむしろ内海先生の方が第一講義室の方がいいかもしれないとも思ってきてしまった自分がいる。。。

ちなみに尾崎豊の詩読んでみて。

卒業

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても

やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

卒業して いったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業

15の夜

落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持の扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
覚えたての煙草をふかし 星空を見つめながら
自由を求め続けた 15の夜

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

僕が僕である為に

心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

いいねぇ。うん、沁みる。
茂木さん、カラオケ歌ってくれるし。カラオケのあるシンポジウム、ギリシャでは当り前に行われてたこと。がちがちのシンポジウムに誰が風穴を開けるんだい?それは俺たちをおいて他にはいないだろう。そして最後に全員で故郷でも、15の夜でもなんでも大合唱するのって最高じゃないかな。
やっぱり中庭いいと思うんだよ。不良の代名詞だし。体育館の裏って。

優等生でいるよりは、俺は不良でいたいな。

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