2011年9月9日金曜日

藝祭 いろいろ勉強になった

いろいろ勉強になった。人間関係とか、企画のやり方とか。いろいろ。

もうシンポジウムはしばらくはいいかな。今度は自分の時間を大切にしたい。

というかはやく”ブツ”を天下に披歴したい。今の俺には物がないから、何にも説得力を持たぬ。

世人は人を見ぬ。世人はものを見て人を判断する。ま、当然と言っちゃ当然のことか。だが俺は物がなくてもその人を見て判断する。物がなくとも光る人間は光っているのだから。それを見落としてはならぬ。奇貨置くべし。そういうことだ。

だがそれでは世人は納得してはくれぬから結果を残す。結果とはいい訳をせぬことだ。エクスキューズが介在する余地のないもの、それが走るということであり、ぶつを作るということである。


まずは”ぶつ”をつくること、すべてはそこから始まる。そこから、そこから、そこから!



藝祭プレイバック

女傑に泣かされた。初日、なんども夢だと思ったことか、映像でないわ。がーん!!!あんなに頑張ったのにいったい何で??!!しかし仲間がカバー!マジですごい!よくやった!グッジョブ!

企画責任の所在、エトセトラ、権力の構図、乗っ取り、好き嫌い、利害感情。好きな人と一緒にいることができるなど、藝祭マジックは起こり得る!?

大石膏室、使えてよかった。なんで俺やめないといけなかったん?ま、使えてよかった。それにしても大変だった。まずは学校側からの無視作戦、支援課の支援なし、からの内部における圧力、パンフとの兼ね合い。明らかに大石膏室が使えた方がいいのに。身体論に基づかぬ判断、全員が思考停止状態におけるいっち―外し。結局、いっちーが正しかったことが証明されたわけだが本当によかった。感性のある奴は時代の先を行くから常人にはついてこれないのは仕方がないが脚をひっぱることだけはまじでやめてほしいなと思った。ま、つかえたからよかったけど。これも委員長、副委員長のおかげか。学生と大学側の二重のブロックにマジでへとへと。学生を学生が弾圧しちゃだめでしょ。それはまたあのツイ―トに詳しい。大石膏室に入ったことも見たこともない奴等に限って大石膏室はシンポジウムに適していないなんていいやがる。まさに松公、龍を好むの構図である。戦争好きは実践では何にも使えないってことね。現場の意見が一番なんだよ。餅は餅屋にまかせとけ。なんで何にも知らない奴が口を挟んできたんだろう。いや、別に過ぎたことだからいいんだけど、それにしてもあの状況はまじで以上だった。理性的な人間が俺しかいなかったのだから。大の大学生があんな議論しちゃダメだろ。だからあの先の戦争が起こったわけだ。止めらんないんだね。人間の業か。。。狂気はまじで人間を覆うよ。今回の件でファッショになって理性を失った諸君はこれに学び、次回からは気をつけましょう。過ちはしません、繰り返しません。それでいきましょう。

告知はお早めに!パネリストの先生は怒らせてはいけません。いい訳はもってのほかです。いい訳は絶対にしてはいけません。何度、芸能の世界、政治、すぽーつの世界で言われてきたことでしょう。藝の世界では、いえ、実社会では結果が全てです。結果がよけれな全てよしです。
いやぁ、たまってんなぁ、筆が止まらねぇ。書きたいことがたくさんある。たくさんありまくる。このエネルギーを逃がさず、明日の”ぶつ”を作る創作のほうに回すことにしよう。

ではではおやすみなちい。。。。。

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