2011年3月6日日曜日

新潟

 最近、帰省しています。パソコンがとっても重くて書くのも一苦労。絶対10分で仕上げるぞ。ほいっ!

 今日は立ち読みの帰りに川沿いをちゃりで帰路に着く。ほんの200メートルの距離だけこいで走る。

  その途順、不意に襲われる。新潟へのなんともいえない愛情。この悠久の、黄河と比べれば、ちいさな、ちいさな信濃川に新潟の、地方都市特有のちょっと盛ってる感とか、東京から帰ってきてるから感じるある種の都貴族感とか、ここ新潟で骨を埋めるのか、とか、やはり男子たるもの夢は大きくてっぺんを目指そうかとかいろんな感慨深いものが浮かんでくる。友人たちはみな就職してこの町で、この街で働いている。家庭をもっている。中学校の友人たちは名も知らぬ企業で働いている。とび職や、配管工で糊塗を得ている。東京の有名大学や新潟大学へ行った者たちはそれなりに地元で有名な企業で働いている。医者もいる。今、川沿いで遊んでいるあんながきだった俺たちが今ではみんな子どもを持ってる。自立してる。食っていってる。思えば遠くへきたもんだ。今では女房子どももち、思えば遠くへ来たもんだ。この先まだまだいつまでか、生きていくのであろうけど、生きていくのであろうけど、と中也を口ずさんでみる。われは天才か。詩とは諳んぜられて初めて血肉になるというのが余の持論である。読んだだけでは足りないのである。そうして家庭を持った友人たちは子どもを持ち、その子どもが大きくなって、小学校に入り、中学校に入り、不良になったり、優等生なったり、ふつうの子になったり、いじめられたりして、高校に入り、そんなこんなで、じいさん、ばあさんが死に、子どもが就職して、家庭を持って、そうして日が出て、また夜が来て、命のバトンをつなぐんだねぇ。名もなき人間たちの名も泣きドラマ、父さんは昔不良だった、マラソン大会で一等だった、母さんは高校時代、マドンナだった。どうでもいい、くそったれな、くそったれだけど最高に輝いたイカした思い出に、余は勝手にいたく感動し、涙を浮かべながら、ひとり恥ずかしいとは思いながらも、こう叫ばずにはいらなんだ。

新潟ぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあ!!!

 そうしたら、川沿いの高層マンションに跳ね返ってきてやまびこ現象が起きた。おぉ、すげぇ、こんなことが起きんだと感心した。遊んでいた子どもたちがこっちをめっちゃ見ている。へへ、お兄ちゃん、すげえだろ?

 名もなき人々と、名もなきふるさとに乾杯!

 本日の歳費;130ちーずけーき、165ふらいどちきん 計295円 也

0 件のコメント:

コメントを投稿