2011年3月25日金曜日

大切なものは目に見えない

 マッハで終わらす。最近書いていないのは今世界を動かす作業の真っただ中にいるからなのだ。まぁ、いい。いい訳はいい。早く売れる。売れたい。絶対売れる。というか売れなくてもいいから、マッハで社会的な発言権が欲しい。お茶の間に少しでも早く俺のことばを届けたい。神がはやく俺のことばを拾ってくれることを切に願っております。

 巷は“祭り“が一段落した。人間は飽きる。非日常も終わりを迎えつつある。あるが未だに品薄な店舗もまだあって、納豆が定期的に入荷されるようになったら日常も戻ってきたといっていいだろう。もちろん日常というのはメタファー。被災地の中心の被災者にとっては毎日が非日常である。それは今、軽微な被災者にとってはの話。だが非日常が日常化してしまうのが人間である。ドストエフスキーもその小説の中で、劣悪な環境下においてもすぐに慣れ得る人間を描いている。狭くて寒い部屋にぎゅうぎゅうにつめられて、ごはんもジャガイモのスープ一杯の生活環境で、耳から三センチの所で大いびきをかいてるやつがいる中で寝られるか?とおもったら、三日後にはそいつ自身もいびきをかいて寝ていたという。人間は慣れる。そういう生き物なのである。それが人間の強さなのである。

 今もニュースは基本的に地震と原発のニュースである。東京は大丈夫だという説もあり、危険だという説もあり、水道水は大丈夫だ、危険だというものもある。何を信じればいいのかまったくわからぬ。わからぬが何かを信じねば人間は生きていけない。天才も天才なりに、バカもバカなりに何かを信じて毎日を生きる。東京大学や何某教授などの権威、海外メディア、身近な人、近所のおっちゃん、テレビ、ツイッター、フェースブック、親友、家族、溢れる情報にほんろうされる。されても仕方ないと思う。自分も翻弄されている。されっぱなしである。

 結局、最後は”自分が何を信じるか”に尽きるのだなぁと改めて思った。自分は地震の専門家でも、原発の専門家でもない。ただ自分が信じられる、信じても後悔しない人、命をかけて信じて、それで死んでしまっても本望だと思える人を信じることにした。

 自分が信じたのは茂木さんや、その友人のぽよさん、東京大学放射線医療チーム、NHKの科学文化部など、その他のツイッター含めたネット情報、テレビ等だ。私のツイッターのリツイ―トを見てくれれば何を信じたかがわかるようになっている。海外メディアも外せない。とりわけNHKの地震速報はものすごく信じた。
 
 それら膨大な情報の”津波”のなかで、自分が心を落ち着けて、なにを取捨選択できるかですべてが決まる。自分は自分の教養を信じた。自分で苦労して学んで、苦労してゆっくり歩み進めてきた自らの学問を信じた。本当の窮地にこそ本物の知性が問われる。付け焼刃は通用しない。自分で自分なりに考えて結果を出して動くしかない。
 
 今回の水道水の報道にも、自分は臆することなく普段通りに水を飲んで暮らしている。湯沸かし器で湯を沸かし、そのお湯で茶を、コーヒーを飲んでいる。覚悟を決めるしか今はできない。信長になるしか自分にはできない。敦盛しか今の自分には舞えない。それでいいと思う。死を思うことが大事。これが自分の本職から導いた答え。俺の専門は”教養”、つまり“人類精神の営み”のすべてを扱う。だからほんのちょっとなら原発も知ってる。ほんのちょっとなら地震のことも知ってる。それは一般的な知識レベルでの話。みんな目に見えぬものに踊らされている。自分も踊らされている。

 目に見えぬもの、聞こえぬもの、五感では感じられぬものへの畏敬を忘れてはならない。こんなことはもう言い古されてる感がめっちゃあって、めっちゃ陳腐だけれども、やっぱり俺は言い続ける。ドンキホーテと言われ続けても言い続ける。それが俺!それが俺の使命だから!俺の使命は“もののあはれ”の復興と“失われゆく古典”を語り継ぐことだから。

 目に見えぬものは、放射能だけではない。神々、仏もまたそうである。精霊、妖精、神話、人間の想像力とそのエッジに巣くうもの達の宴がある。それが人間にとっての目に見えぬものへの畏敬。

原発対策と陛下の御祈祷。科学による放射能対策と神事により大地の神を鎮めること。僕はどちらも信仰している。それは両立可能なのである。


まとめ;何が信じられるか今は結局わらないと君が言うのなら、とりあえず今俺が絶対に掛け値なしで信じても間違いないことを君に伝えよう。

 それは…

 大切なのはどれだけ長く生きるかではなく、いかに生きるかだということ。

 災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ、災難をのがるる妙法にて候。-良寛

 運命を運命として受け入れ、ただ生きるのではなく、善く生きよう。それが今の君に、俺にできることだ。

 本日の歳費;さうざんどどれっしんぐ、ししゃも、ぶらんちゅーる、みっくすさらだ、えびしゅーまい
計495円 也

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