我が畏友、山崎泰行君が昨日感じたこと。
結論:批判すべきは大学の対応でも、苦情を寄せた人間でもない。
今日の話し合いの概要(参加者:教授三名、助手一名):
まず、何を配ったか聞かれたので、配ったものを一式見せて、趣旨が受験生の応援で、結構がんばって作ったことを伝えた。
出来に関しては、「けっこー凝ってるじゃん(笑)」ということで褒めてもらった。で、おれらが応援のつもりでやっていて悪気が無いことは理解してもらった。
で、苦情の件に話は移り、今回配ったことによって受験生が”動揺”してしまったという苦情がきたとのこと。ただ、苦情を寄せたのが親なのか受験生なのかはわからないらしい。ということで、「君たちは応援する意図でやったかもしれないけど裏目にでちゃったね」と言われた。で苦情が来てしまうと、入試運営上の問題が発生したということになり対応せざる得ないということで、わざわざ実行犯を呼んで話を聞かなきゃいけなくなったということ。先生が言うには、「きみたちがやったことを頭ごなしに否定するつもりはない」ということ。ただ、受験生を動揺させてしまったのは事実だから注意しているということだった。で、おれらが配ったちらしの内容を見て、受験生が動揺しそうな箇所をいくつか指摘される。その指摘に関しては納得。実際、配ったちらしの内容に関して言うと、いっちーのとおれのは受験生を単純に応援する意図を超えている部分があったし、とくにおれの文章は受験生に見せてどうすんのよ、と思われる部分も多々あり、おれはすごーく反省。完全に文章に関しては配慮が足りなかった。
ただ、内容の配慮が足りないからダメって言われてるのか、そもそも配るという行為自体がダメだって言われてるのかが、すごーくあいまいな状態だったので、配る行為そのものが悪かったのかどうかを聞いてみた。
で、ここからが重要な内容。
配る行為そのものは悪くない。ただし、配ったことで”動揺”してしまった子がいた。受験当日ですごく緊張していて、精神的にも追い込まれていて、そういうときに俺らの行為がそういう子を動揺させてしまった。実際こう聞くと、確かにかわいそうな気がする。で、大学側としてはそういう子にもベストな状態で試験を受けてもらいたいとのこと。だから、試験の公平性を確保するためにも、おれらみたいな学内の人間が今回みたいな行為をして、そういう精神的に弱い子を動揺させてしまうと、それはその精神的に弱い子を守るために、おれらの行為を止める必要が出てくると言われた。なるほど、試験の公平性を確保するため、と言われると納得。精神的に弱い子を守るというのも納得。先生に「子供たちはまもらなくちゃダメ」と言われたのも納得。
で、他の大学ではもっと過激なことをやってるけどなんで芸大はダメ?という点に関して。
他大であれば、学生が勝手にやったことです、と苦情を一蹴することもできると思う。じゃあ、芸大はそれができないのか?やっぱり人数の問題がある。芸大芸学を受験する人というのは、受験生であってもすでに身内みたいなもので、一件の苦情も見逃せない。それは情みたいなもので、精神的に弱い子でも守ってあげたいという情が働くということ。コミュニティは小さければ小さいほど情による縛りが強くなる。これも、まぁ納得。
ということで、なんとなく納得し、「もし来年も配りたかったら相談してね」と言われて、帰途に着く。
で、帰途いろいろ考える。なんか違和感がのこったので。
まず、はじめに思ったのが、やっぱり大学がそこまでして受験生を守るのはおかしい!過保護だろ!ということ。これはいっちーにも電話で話した。おれらがやったことはあくまで応援だし、その行為が否定されたわけではないけど、受験生を守るためという理由で実質的にストップがかかったというのはおかしいのではないか。大学は過剰に保身に走り、学生の表現の自由を奪っている!他の子と条件が同じなんだから、精神的に弱い子がそれで落ちてもしょうがないだろ!とも思った。
でもでも、さらに考えると、そうも言えない気がしてきた。精神的に弱い子を振るいにかけて落とすっていうのはどうなの?精神的に弱い子を守るってべつに悪いことではない。そういう子を大事にしてあげて社会で活躍できる場を見つけてやるってのも大学としてありじゃない。それは、普通の総合大学ではできにくいことかもしれない。芸術という分野に興味を持つ子は感受性が豊かで繊細な子が多くて、そういう子は精神的には弱い子が多いのかもしれない。そういう子の才能を伸ばしてあげられる大学はなんかけっこーいい大学な気がするし。精神的に弱い子を芸大から排除するってのは、弱者を排除するってことかもしれないとも思い始めた。
でも違和感は消えない。
何がおかしいのか?大学の対応は、弱者を守ろうとする、という意味がある。多分、というか当然苦情が来たから対応したということではあるけど、苦情を一蹴せずに、わざわざ注意したということは、少しは受験生、子供たちを守りたいという気持ちはあるのだと思う。その点を考えると大学の対応を一方的に批判できない。でも違和感。
今回の事実は、
「入試の日に学生を応援するビラを配ったら、苦情が来て大学に注意された。」
今回、大学がおれらを注意したことにはある程度妥当性があって納得できる。ということは、この苦情に問題がある。
例えばおれが精神的に弱い子だとして、試験とかチョー緊張して、心臓破裂しそうで、いつもの実力が出せないし、ちょっとのことですぐ動揺しちゃう子であるとする。で、入試の日に先輩がビラ配ってて、それに動揺したとして、試験で実力が出せなかったとする。そのとき、どう考えるか。
「おれってなんて精神的に弱いんだろう。あんなビラなんかに動揺して...もっと強くならなきゃだめだ」
これが普通な気がする。でも、今回苦情が来たってことは、
「おれってなんて精神的に弱いんだろう。でもあいつらがビラなんて配ってなければ動揺なんてしなかった。苦情いってやる」
と考えたってこと。これがおかしいでしょ。こういう人間的な「弱さ」が蔓延っていることがおかしい。なんか失敗した時に外のせいにする、社会のせいにする、そういう風潮の象徴が今回の件な気がする。
今回のおれらの行為が”善”か”悪”か、というのはすごく主観的な問題で、ある人にとっては”善”だしある人にとっては”悪”かもしれない。ただ、受験生を応援するという行為が許されない社会っておかしいよね。すごくおかしい。
これが今回のおれの違和感。
だから、今回の件で大学の対応を批判することは難しいと思う。
大学は、緊張しーでちょっとのことで動揺してしまう精神的に弱い子(その精神的な弱さを外のせいにせず自分で強くなろうとしている子)が実力をちゃんと発揮できるようにと配慮しているわけだから、そのことは批判できない。ただ、苦情を寄せたのは自分の精神的弱さを他人のせいにする、人間的に弱い人なんだけどね。
我が畏友、山崎泰行君の昨日感じたことでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿