2011年3月21日月曜日

いただきます

 さっそく毎日やると言っていたブログを一日でほっぽり出してしまった。ダメ人間だなぁ。まァ、いっか。自由人ってことだ。プラス思考、プラス思考。

 ただどんな偉大な業績も勤勉から生まれていることは決して忘れないように自戒としてここに書いておこう。ブラインドタッチを早く覚えたい、だいぶ打つのがはやくなってきたがブラインドタッチのできる人に比べれば全然俺の打つ早さなんて大したことないんだよな。よっしゃ、早く打てるようにしないとな。努力、努力。

 友人宅で夕食を御馳走になる。やはりうまい。友人は毎日あんなおいしい家庭料理を食べているのかと思うと羨ましい。となりの芝生は青く見えるのか?まぁ、いい。とにかく、確かにうまかった。料理のうまい人はけっこう見えないところまでしっかりとこだわっていて、適当に食べているとそのこだわりを見失ってしまう。料理を食べる人間はそのこだわりを見抜かなければならない。それを見抜ける人物を美食家という。食にかんしては今、自分が何を食べているのかを意識して食べることは義務だと思う。目で味わい、鼻で味わい、舌で味わう。味わいつくすことがその食とそれを作ったものに対しての礼儀である。さらに命を喰らっていると自覚して食す。感謝が自然と生まれる。食べられる命への感謝、料理を作ってくれた人への感謝、料理されるまでの、今食べられるに至るまでの、そこに至るまでのすべてに感謝していただく。いただきますをいう。そして、ごちそうさまをいう。

 今日、食べたのはアスパラ、ニンジン、チーズを肉で巻き、トマトソースかケチャップ?で味付けしたもの。これがまたうまいんだ。豆腐とジャガイモの味噌汁、味噌汁にはその家のすべてが詰まっているというのが私の持論である。そして、肉が食べた瞬間に溶けるまでじっくり煮込まれた、すべての野菜にしっかりと火が通っていた煮物、レンコンがその中でも歯ごたえを担当していた。ちりめんじゃこをかけたホウレンソウ。白と緑の対比に新緑と歯の生えたばかりの赤子をイメージさせられた。歌があった。詩があった。栄養と見た目、味、お仕舞いの緑茶、さらにはリンゴの紅茶まで、利休かと思わせるくらいのホスピタリティーの連続だった。すべてが計算された藝術作品といっていいだろう。やっぱり料理も藝術に間違いない。友人の母は感動を生みだす藝術家である。

 うまし!御馳走様でした。帰りには煮物やメロンパンをいただき本当に至れり尽くせりだった。

 ありがとう。ごちそうさまでした。

 本日の歳費;バス代210円、アルフォート、ホワイト105円 計315円也。

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