2011年3月24日木曜日

生誕100年岡本太郎展

 太郎展に行ってきた。

 全体としてなかなかのもので行ってよかったと思う。キャンパスメンバーだというので600円で入れたのには感動した。てっきり1200円ぐらいはとられるかと思ってたので。一日500円で生きる貧乏学生にとっては神の手にさえ見えた。

 中に入るとまずは太郎の縦に割れた顔の中で彫刻群が出迎えてくれる。その中の一番奥にある「ノン」という奴が手を開いて俺に触ってくれって言うから、そして太郎が私の彫刻は触ってもよいと常々いっていたから、両手をその彫刻の両手に合わせたら、マッハで注意された。だって太郎が触っていいって、、、そういういい子ちゃん的な傍観者的藝術鑑賞が卑しいんだ。と太郎を代弁して喝破してやろうと思ったが、俺を注意した係の女の子がなかなか、かわいかったから、面倒を起こすのもかわいそうだなと思ってやめにした。藝術よりも女の子をとってしまう自分、こんな自分もけっこう好きだぜ。
 
 次は絵画コーナー。太郎の絵、闘ってるねぇ。最近の絵画のどれだけ自分と戯れてるかのごとき絵画が多い中で、やはり太郎の絵は自分と闘っているなとおもった。やっぱり自分と闘ってない絵は見ていて迫ってきやしないねぇ。と小林秀雄もいってたなぁ。と述懐に浸った。パリに独り、人間の孤独、異国に独りの東洋人、そんな中で普遍と個別、具象と抽象の相対する矛盾を矛盾したままで調和させようと苦心する太郎の気概が見えた。

 一つ一つ意味付けして、すべての作品を回る。か、もしくはみたいと思った作品だけを長時間かけて”じっ”と見るというのが私の美術館鑑賞スタイルである。今回も後者タイプで回った。ぐっと来るものだけをじっと見る。贅沢な時間。

 デザインやマスプロダクションのコーナー、太陽の塔、日本再発見、テレビタレント文化人としての太郎、実に多才な人であった。個人的には日本再発見のコーナーをもっと広げてほしかった。日本47都道府県の神事、祭りを特集する展覧会を見てみたいなと思った。これ次狙い目です。なんなら総合プロデュースやってもいいですよ。オファー待ってます。

 その中でタモリと絡む岡本太郎の映像コーナーがあって「今夜も最高」という酒を飲みながらタモリがゲストと語るという最高に今とは天と地の差がある面白い番組が昔はあったんだと感動した。やっぱり今のテレビがつまらないのは変に慮るからなんだろうなと思った。悪しき宿瘂とモンスターペアレントはすべてがつながっているんだと確信した。

 このタモリと太郎のやり取りを見て、タモリが生ける伝説であること、そして自分のなりたいものが太郎とタモリを合わせたようなものだというのがぼんやりとわかった。

 最後に太郎のことばコーナーがあり、一人一枚持ち帰ることのできる太郎のことばのおみくじみたいなやつがあった。ちなみに俺が引いたのは“下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか”というものだった。いまいちだけど、まぁ、こんなもんか。帰り際にひもで背もたれ、お尻の部分が作られている椅子に座った。座り心地は!!!!!…ふつう、だった。でもたしかに他のふつうの椅子よりは座りやすかった。

 そうして俺のファンの子(!?)と皇居を散歩して、おにぎりを食べて、そのほかたくさんのお弁当を、うまうま(●^o^●)!食べて雨の中、相合傘で帰った。


 太郎的にいうなら今通ってる藝大は死んでいるといっても過言ではないかもしれない。受験生にビラを配るだけで呼び出して注意される大学なのだ。はぁ、いいね。やりがいあるね。ぶっ壊しがいがあるね。今に見てなよ。本物の藝術を見してあげるからさ。
 
 たった一人でも時代に逆らう人間がいないといけない。イージーな時代の流れに逆らって「ノー」といい、孤独の中に反時代精神を貫いて行く。それが正統な人間であり、藝術であり、アヴァンギャルドなのだ。やっぱり入試の日に正門でしたパフォーマンスは間違っていなかった。リスクをとれない過保護で媚びる臆病な大学にはやっぱり「ノー」といわなければならない。それが藝術の使命だから。

 それができないお嬢ちゃんはママのおっぱいでもしゃぶって寝ってな。


 本日の歳費;入館料600、ファミマ地震寄付3000円、しちゅー、きゃべつ、たねとっちゃいました、おれんじじゅーす420 計4020円 也

1 件のコメント:

  1. わたしってあなたのファンという位置づけなの?笑
    ふーん。

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