地震の被災者の気持ちに思いを馳せ、その感情をおもんばかり、自主的に喪に服すことは尊いことである。共感を表わすことが救いにもなるのはゴータマの時代から変わらない。慈悲のサンスクリット語の語源は“共に涙することである”。であるから哀悼の意を表するのがもっともな救いになることを否定するつもりはさらさらない。。もちろん、たくさん食えて、安心な家に住めて、というように健康で文化的な最低限度の衣食住の生活を保障することも大事な救いとなるわけである。
しかし、もう“祭り”はいいだろう。これからは経済を回していかねばならないらしい。助けようにも金がなければ助けることができないではないか。家にこもって、経済を回せるのならばそれでもいいが、イベントや祭りなどの興行を行うことも大事であろう。それによって、お好み焼き屋さんや、射的屋さん、綿あめ屋さんなどが儲かって、その人たちが金をガンガン使って、巡り巡って税収が増えて、それが震災の復興費用に充てられるわけである。であるから、そろそろ自粛のムードは吹き飛ばして行こう。むしろ邪魔だ。これから前を向いて立ちあがろうとする者の足をひっぱることになるだけだ。まさに同情するなら金をくれだ。みんな家なき子。なんだから。援護射撃はがんがん金を使うことだよ。
それでもまだ、“祭り”を楽しみたくて、“不謹慎”なことをしている人を見つけては、棺を前に泣き崩れるピエタを見せて”自粛”を声高に叫び、“不謹慎”な人を黙らせる人は、本当は喪に服しているんじゃなくて、自らの全能感と優越感に浸りたいだけなんじゃないんですかねぇ。と思う。被災者は君のちんけな劣等感を満足させる為の存在じゃないんです。被災者を君は水戸黄門の“印聾”かなんかと勘違いしてるだけなんじゃないですか?といってやりたくなる。
花見が自粛されるなんてのはとんでもない話だ。行き過ぎだし。ここまで来ると病気にもなる。どこかで線引きしないと。それはいつ?阪神淡路の時にも自粛した?15年経つまで花見しないの?死者は生者にとっては永遠に死者だよ。永遠に癒えることはないよ。君が花見や何かを自粛したって。本人が本人自身が折り合いを付ける。死者の魂と心の中で対話して。それしかないんですよ。立ち直るのは本人次第なんです。僕たちはただ涙を流すことしかできないんです。ただそばに寄り添うことしかできないんです。
記憶とは魂です。死者が死んだら話せないというのは大嘘です。しっかりいるだろ、ここに。心の中に。これは陳腐な話でも何でもなく、それを日本の歴史的なアプローチでも、ベルグソンでも、小林秀雄でも、魂と呼ぶんです。もちろん、僕もその系譜に属しているから、僕もそれを魂と呼びますよ。ええ、当然じゃないか。魂、そんなのあるに決まってるじゃないですか!
散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき
It's because the cherry blossoms fall That they're beautiful in the eyes of all. Nothing is eternal in the world we live in.
これから江戸時代のライフスタイルになるんでしょうが。そんな時代になると覚悟して、酒や料理を持ちあって、日ごろの鬱憤を晴らすがごとく、どんちゃん騒ぎをしたっていいじゃないですかぁ、本来の江戸の庶民のように。それにだよ、花を愛でる心のある人がどうして人の痛みに鈍感なんてことがありますかぁ。 花見は花見でする。哀悼の意は哀悼を表す。共に涙し、共に笑う。それでいいじゃないですか。なぁ、そうだろ、諸君!
花を愛する心のある人はそれだけ、実は繊細なんです。だから彼らが一番、被災者に寄り添ってるんです。次に死すべき存在は自分だとぼんやりと確信してるんです。だから楽しむんです。いつ死ぬか分からないから。どうせ悲しい人の世ならばせめて楽しいふりをするんです。しなくちゃならないんです。どんちゃん騒ぎをしている彼らの目元をどうか見てください。
どんちゃん騒ぎの空涙かな
本日の歳費;ぼーるぺん3本252 たまごけーき、じゃむぱん、くりーむろーる、かるぼなーら、みっくすさらだ375 めんちかつ105 計732円 うち食費480円 目標達成。
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