2011年5月2日月曜日

りある大学生

大学生になったはいいが、藝大は他大学に比べ、人数がすくないこともあってか、飲みや合コンが圧倒的にない。本当にない。

早稲田の高田馬場ではこの季節まで新歓がつきないというのに、藝大は入って、この一年もの間、合コンらしきものは何もなかった。自分がそういったコミュニティーに参加していないというのもあるかも知らんがそれにしてもなさすぎる。おかしい。いや、これが藝大なのだ。藝大にふつうの大学生活を期待してはいってきてはいけません。はい。

しかし、4月30日から、5月の1日にかけて、初めて大学生生活らしきものを体験した。


焼き肉パーティーを寮で開催したのだ。少人数規模のこじんまりとしたもの。顔見知り4人と、一人は新入生。一緒に焼き肉を食べながら歓談してかなり打ち解けた。


新入生は寝不足らしく、今日は風呂に入って寝たいと言うので早々に返してあげた。昨日は友達の家でかなり話し込んだらしい。

残された顔見知りのメンバーでとりあえず、やることがないから、トランプをしてみることになった。時刻はたしか12時くらいだったかな。それくらいからトランプを始めた。地方ルールがあるものの、とりあえず、皆がプラットホームを共有している大富豪をやることになった。10捨て、7渡し、8切り、スぺ3(ジョーカー返し)、イレブンバック、階段、縛り、などなどのルールを互いに共有して決めあった。実に人間とはホモ・ルーデンスだなと思った。遊ぶことこそ人間の本質だ。

すぐに終わるかと思いきや、やってみるとけっこう白熱するもので、なんだかんだで気づけば3時か、そこらになっていた。ビールを飲んだり、カクテルを飲んだり、あんず酒を飲んだり、チーズを食べたり、よっちゃんいかをつまんだりして、わいわい、楽しく仲良く、遊びに耽った。

続いて、ババ抜きをした。そして、皆の疲れがピークに達した頃、ダメ押しの神経衰弱をした。まったく覚えられない。頭が働かない中での神経衰弱はグダグダになって、だからこそそこが面白く、グダグダになってはいても、なんだかんだで、決める時はけっこう決めて、けっこうみんなしっかりと覚えていて、やっぱり負けず嫌いな訳で。俺は1位とその次は2位だったわけで。う~ん。ねむねむ。

みんな、明治時代の天心派閥の画家集団のような朦朧体のように朦朧とする意識の中で、薄れゆく意識の中で夜が明るみ始め、カラスがかぁかぁ鳴き出してくると、もうやめようにも止められず、誰かが寝るか、ギブアップするまでやろうということになった。男ふたりはプライドが許さないから、決してギブアップはしない。目は見えなくとも、じゃんけんはする。じゃんけん、なたはカード配布ができなくなった場合は負け。というルールがつくられた。そしてまた、大富豪。


みんな動きがスローモーションになっている。みんなおじいちゃん、おばあちゃん。


女の子の一人が遂に!ギブアップ宣言!をして、一同、泥のように眠り始めた。みんなもののけ姫のデイダラボッチのように、大きくぐおぉぉおーんと倒れた。


俺は鉄球を手首、足首に付けられたかのような中でも、彼らに風邪を引かぬように布団をかけてやった。そうして、俺も泥のように眠りに落ちた。たぶん、6時半かそこらだったとおもう。






気付いたのは10時半だった。女の子は部屋に戻っていた。男の一人はこれから取手へ行く、とのこと。ここは練馬区。ここから取手は茨城の方、常磐線の奥の方。まじでそいつはがんばるまんだ。そいつ曰く、俺の辞書に、疲れたはないとのこと。

よっ、痩せ我慢、日本一!


俺は寝起き早々、ナショナルジオグラフィックの地震の番組を見て、画面がやけに揺れる映像ばかりなのと、二日酔いとで気持ち悪くなってしまい、またまたダウン。結局12時ごろまで寝ていた。





いやぁ、実に、実におおいなる時間の無駄遣いであった。実に世の大学生はあんなことを毎日して過ごしているのかと思うとぞっとする。人生について何も考えていないのか?学問とは?人生とは?生きるとは?死とは?そんな真理の命題について議論しないのか?凡人には凡人の生き方があるとは言うが、もしあんな感じで、人生を考えず、一生を終えたら…、いや、まてよ、人生をあまりに知り過ぎているから、夜遊ぶのか?そうなのか、古人誠に夜遊ぶはまことに由あるなり。というわけなのか?いずれにせよ、こうだ。


         よく学び、よく遊べ!
 
 ということだな。うん 




実にいい勉強になった。これもまた人生。くだらないことにこそ意味もあるんだ。こういったことを経験しないで大人になるのは実にもったいなくもある。みんまこういう事をして大人になっていく。こういった体験が社会で共有されて、コモンズができるのだ。無用の用。一般人の、サリエリの気持ちを感じ入ることは大切なことだ。人間を知らずしてどうして素晴らしい表現ができようか?実際に体験しなければ見えないこともある。それが見えたのだ。あのくだらなく、最高に無意味な、素晴らしい時間に感謝!ありがとう!

かみさま、ありがとう!!!チュッ!チュッ!

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