今日富んだ本、トブラインドタッチの練習。
白洲正子、能の見方。
行雲流水の心 松原哲郎 ノンブック
機になったことをメモしておく。
たらちねの うまれぬさきの つきあかり 中川そうえん
美は過去も未来もなく、ただ現在があるが故にいつも生きているのだ。諸君がぐずぐずしていて、頭を転じるともう美はない。朝顔は日の出ると共に目覚める。最初のその姿を愛でなければならぬ。ハスの花もそうである。こういうふうにして日本人は禅の教えから自然の愛し方を人間を含めた一切のものを貫く生命との接触の仕方を学んできた。 鈴木大拙 続 禅と文化
心が渇かないこと。
うらをみせ もてもみせて ちるもみじ 良寛
性を明らめ死を明むるは、仏家一大の因縁なり。 道元
衣の支度をしなさい 旅に出るぞ 山本玄峰
仏も昔は人なりき 我らも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけることあはれなれ
仏だに凡夫におわせしとき、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びたまいてこそ、仏ともなりたまい、衆生wもわたしたまえ
子の頃はもう昼夜とて苦痛煩悶のみにて、楽しき時間というもの少しも御座なく候。朝から晩まで、鳴いて喚いてたわ言など申して、ただ地獄にでも落ちたように苦しんでいるとは御先祖様はじめ、どなたも御存じあるマjく候。
おかしければ笑う。悲しければなく。しかし痛みの激しい時にはしようがないからうめくか、叫ぶか、泣くか、または黙ってこらえているかするかする。その中で黙ってこらえているのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛みが減ずる。
すべての楽しみ、すべての自由はことごtく余の身より奪い去られ、わずかに残る一つの楽しみと一つの自由はすなわち飯食の楽しみと執筆の自由だ。
子規
死に近き 母に添い寝のしんしんと 遠田のかわづ 天に聞こゆる
みちのくの 母の命を 一目見ん 一目見んとぞ ただにいそげる
母が目を 一目見んと 急ぎたる 我が額(ぬか)のへに 汗出でにけり
吾妻山に 雪輝けば みちのくの 我が母の国に 汽車入りにけり
寄り添える 我を見守りて いい給う なにかいいたまう 我は子なれば
死に近き 母が額をさすりつつ 涙流れて いたりけるかな
我が母よ 死に給いいく 我が母よ われをうまし 乳足(ちた)らいし母よ
のどあかき つばくらめふたつ はりにいて たらちねの母は しにたまうなり
灰の中に 母を拾えり 朝日子の 昇るが中に 母を拾えり
やまゆえに 笹たけのこを くいにけり 母そはの母よ 母そはの母よ
斎藤茂吉
なつかしき 我が故郷は いずこぞや かしこに我は 山林の児なりき
山頭火
お前はきりょうが悪いから愛きょうだけでもよくなさい。お前は体が弱いから、こころだけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。太宰治
レコードが割れてしまっても、美しいメロディーが残るように人間も美しいきおくだけを残さないのかしら。にわふみお
浄土も我がうち 地獄も我がうち 生方たつえ
わたしたちはいわば、二回生まれる。一回目は存在する為に。二回目は生きるために。るそー
今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。だんまぱだ
友と交わるには三分の侠気をおぶべし。人と作るには、一点の素心を存するをようす 洪自誠
人間の為といいましても、自分のすぐ隣にいる人から始めるよりほかに仕方がない。島崎藤村
行雲流水 自由に生きる
水音きょうもひとりたびゆく
枯れゆく草の美しさにすわる 山頭火
幾山川超え去りゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅行く
しらとりはかなしからずや空の青 海の青にもそまず漂う 若山牧水
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり 道元
いやぁ、やっぱ本を読むっていいねぇ。大学の講義の5兆倍人生の役に立つなぁ。
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