五藝祭という国立藝術大学が一同に会する祭り的なものが毎年開催される。
それにわたしも出品することになった。
その祭りの委員にはわたしの友人たちが数多く参加している。
それゆえにわたしは大きな過ちをおかしてしまった。
自分の作品の展示くらい、きっと誰かが撮ってくれてういるだろう。デジカメだってきっと誰かが持って行ってくれているだろう。そんな甘い幻想を心の片隅に抱いていたんだろうと今となっては思っている。
しかし、今日、その祭りが最終日だということを思い出し、万が一もあるからと友人に一応念のため、俺の展示風景の写真を撮っておいてね。という以来のメールを送ったみたところ、既に展示は終了。すでに作品は梱包済みという旨の返信が送られてきた。
まじか!まぁ
あぁ、でも、でも、誰かがきっと撮っててくれたっしょ。と確認してみたところ、誰も撮っていないという。
ここでわたしは友人たちに怒りを覚えた。
は!なんで撮ってないんだよ!ありえないっしょ!まじ!ありえないわ!
と思ったその直後で、まぁ、わたしはマルクス・アウレリウス・アントニウスの系譜に属しているから、
あぁ、そうか、
俺の怒りはお門違いだな。と即座に思った。
まず友人たちも何らかの仕事に付いていた為、時間がなかったのかもしれない。やることがたくさんあった為、雑務に追われそんなことには気にもとめなかったのかもしれない。第一、はじめから、そんなこと頼まれてもいないわけだし。
そうなのだ。わたしは誰にもそのことを頼んでいない。頼んでいないものをやる奇特な人間はこの世には基本的に皆無であろう。そんなのは貧乏藝術家くらいなものだ。孔子が当時故郷では、有名になりつつあってもバカにされていたのと同じように、近くにいる人間にはその凄さがわからないらしい。俺のすごさが彼らにはもう当たり前のことになっていて、写真をとることにも、そんな価値のあるものとも思っていないのかもしれない。まぁ、いいや、単に孔子の話を思い出したから書いてみただけ。
俺自身、そこまで風景を撮っておいてもらいたい、と思ってなかったんだよ。うん。本当に撮りたかったら行く前から頼むし、自分で現地までいくはずだもん。俺にそこまでの気がなかった、それがこの問題の答えだ。
まぁ、いずれにせよ、わたしの友人に対する失望と怒りはお門違いの超甘えん坊のモンスター・クレイマーからうまれた幻想であった。傲慢人間の排せつ物から生じたものだった。
また、これで成長できる。また一つおきなことを学んだ。そして学んだことは忘れず、常に意識して生きていきたい。過ちて、改めざるこれ、すなわち過ちという。過ちては、即ち、改むるにはばかることなかれ。
多くを学んだ。
人を決して頼りにしてはならない。結局最後は自分次第なのだ。究極的には自分のみが信頼できる。
人を頼ってもいい。だが、それはけっして甘えであってはいけない。
いいたいことがあるなら、やりたいことがあるのなら、恥ずかしがらずに先手先手を打っていくべし!自分!人にべし!はつかわないけれども、自分にべし!は多用するべし!
自分のやりたいことぐらい、じぶんで守れ!ばかものよ!
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