2011年5月26日木曜日

藝祭委員長への要望

いけぽん、今日はおれが悪かったね。

反省。

俺は熱くてわがままな奴だから、自分の主張をすぐに押し通そうとするんだよね。人に迷惑をかけてまで。結果、後で反省する訳だが。まぁ、それも人生だ。

今日は代表者の親睦会だったから、俺は外されて当然だね。まぁ、俺が委員長だったらウェルカムだけど。いけぽんはいけぽんのエステティクスがあるから、まぁ、それはそれでウェルカム!人の不幸をいけぽんが望まない限りは、おれがいけぽんを嫌いになったりすることはないから安心しろ!


ただ一つ疑問に思ったのは、肩書のない人間が代表者会議を見ることができないってこと。これがどうも腑に落ちない。代表者会議は全体会議のような場だと会議が紛糾する可能性があるから、船頭多くして船、山に乗る、っていう事態を避けるために設けられるものだと思う。だから肩書の何もない藝祭委員が会議に出席することができないのも、まぁ、ぎりぎり納得できる感があるけれども、だが違和感がある。藝祭を誰よりもいいものにしたいという奴がいて、そいつにただ肩書がないからという理由で会議から締め出されるのはなんか違和感を感じる。俺だったらウェルカムだけどね。会議が秘匿するような内容を扱っているのか、それとも、単なる肩書のない藝祭委員は単なるコマとして忠実に上からの指示に従えばいいのか。でもそれってたんなる奴隷じゃないのか。とも大げさだが思ってしまった。動くんなら納得して動きたい。代表が選挙や、民主的なプロセスを経ていなくて、なぁなぁで決まってるってのも、俺は承知済み。だけど、今からそれを掘り返すつもりは毛頭ない。そこはもういい。俺はいけぽんを代表と認める拍手をした。日々ちゃんも、菊ちゃんにも拍手をした。結婚式の誓いと同じで、もう俺はそれには反対はしていない。むしろ、その御旗のもとでしっかりやって行こうと覚悟をしているわけね。藝祭委員はほかの学生とは違い、自分の貴重な時間を祭りに捧げているわけ、だから他の学生が外野から、これいいんじゃね、とか、これやってよ、というものにも耳を傾ける必要があるが、それ以上に藝祭委員は肩書がなくても、そのリスクを背負ってる分、他の学生よりも多くの権利を要する。藝祭委員は意見をいう場、少なくとも、どのようにして全体の流れが決まっていくのかの流れを知る権利があると思う。義務には責任が、責任には義務があるように。

これって、おれだけなのかな?俺だけが我がままで知りたい病を発揮しているだけなのかな?それはわからない。ただ、実際には空気を読んで言わないだけかもしれない。実際にきいてみればいい。誰もいないかもしれない。やっぱり、俺だけって結果は多分ある。だがもし俺が委員長だったらこういうな。

代表会議あります。会議の進行具合、見にきたい人は見に来てね。ただし、意見・要望がある人は代表に言わせてね。

とオープンなものにするかな。

なんか一部の人たちに中で決まってる気がしてならない。悪く言えば、藝祭の“私物化”。まぁ、いいんだよ。私物化しても、委員はリスクを背負ってるから。ただ、その私物化がなんだか、社会主義の政府を見てるみたいな印象がちょっとする。閉鎖的な感じ。

いけぽんの言っていた美術と音楽の融合。それはたぶん、もっと風通しのいいオープンな議論の場から作られると思う。実質、企画で夢が見られるのは、あと2週間くらい。それからは企画の実現に全力を注ぐだけになる。はやめ、はやめで先手を打っていかないと。


神輿課も初戦は敗退だと思う。もっと攻められたんじゃないかと思う。ただ、もう決まったら仕方ない。大事なのはその後の対応。過去は変えられない、ただ未来は変えられる。

神輿の資料が発見されて、それがぜんぜん共有されていない。神輿の歴史の資料出てきてるよ。いけぽん知ってた?昔は仮装行列で、火も使ってた。仮装に火が付き火だるまになった人が出たため、火の使用が禁止になった。昔は喧嘩神輿があった。その喧嘩神輿の最中にピアノ科の学生が音楽家生命を断たれたため、喧嘩神輿は中止になった。昔は神輿の大きさ無制限だった。徐々に縮小される神輿。昔はマルイや忍ばず池まで進出してたとかね。そういった資料はしっかり神輿課は読んでるのかな?連携を密にすると言ったけれども、本当にできてる?

俺は肩書もなにもない、たんなるコマの一藝祭委員だけど、藝祭委員の誰よりも藝祭の成功を祈ってる自信がある。そんな覚悟がなきゃあ、こんなことは恥ずかしくてかけないからね。新しいことをやりたいのなら、新しいことをやらなければいけない。いけぽん体制は新しいのかも知れないけれども、俺は前年を知らないからね、なんか新しい感が漂ってこない気がする。前年、例年踏襲感がしている。藝祭委員に前から、いた人がそんなに偉いのか?すくなくとも俺にはそこが理解できない。民主的信任を得ていれば納得するが。なぁなぁななかよしこよしクラブにしか見えないってのが外部の人間からみた印象。連携も多分できていないかも。グランドデザインは神輿のルートや開催時間などは藝祭委員全員に共有されるべきだと思う。俺がいいアイディアをいうかもしれないし、ほんと、もう超恥ずかしがりやな、ちいさな声でぼそぼそいう子が超グッドアイディアをもってるかもしれない。そういった声を俺は拾ってあげたいし、いけぽんに拾ってもらいたい。


簡単にまとめます。いけぽんはもっと広く意見を聴く。つまり風呂敷を広げること。そうして広げた風呂敷の中から何を選ぶかをピックアップすること。今は風呂敷すら広げられていない印象を受けた。


これって俺のエゴなんかなぁ。わかんね。ただこれが俺のエステティクスなのはたしか。こっちの方が俺は美しいと感じるのは確かなのはまちがいないはず。。。。たぶん。。。

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