一日300ページ読まないと人間は堕落するとまでは言わないけれども俺は堕落する。
今日読んだ本 『残酷平和論』 鴨志田恵一
印象に残った文
夜の代わり目は学生の顔に出ます。
宗教は科学によってつきとめられる。神のない境地が理想の生き方。柳沢けい子
活動家や一般学生との接触を深めていくと彼らに共通するのは、抑えがたい反発と抵抗の気持ちです。その対象は権威と権力であり、旧世代であり、さまざまな制度そのもの、さらには、しきたり、掟、作法なっど胡散臭いと見えるものを否定し、ぶち壊したいという感情でした。
およそ人間が無知、無関心でいるのは恥である、何事も知り、関わっていく、参加する、という気概です。
戦争とは初め、やたら人間を高揚させ、一種の躁状態となって、闘うにしても、逃げるにしても、見物するにしてもアドレナリン全開状態にします。
イスラエルを支援する米国への憎しみを募らせたパレスチナの民衆が世界貿易センタービルが崩壊するのを躍り上がって喜ぶ映像。もう一つは米国の爆撃でアフガニスタンやイラクの子どもたちが死んだことに対し、ニューヨーク市民が「かわいそうだが仕方ない。」とインタビューに答えている映像だ。
一神教とは諸悪の根源だ。塩野七生
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「神」とは、それぞれの言語で呼び名は違うものの、時空を超えて、まったく同じもの、同じ概念であることを知った時、結局この三つの一神教による神は普遍性、すなわち、「理」というものを人間に教えたいが故に、それぞれの預言者に言語化をさせたのであろう。
絶対的静寂とは荒れ狂う大波が岸辺の岩を打ち、その波濤が砂浜をずっと先まで伸びきってていい死した瞬間だ・。
私たちのいう神、神様とは「理」のおとではないでしょうか。
ヤハウェとは「ある」を意味する。
人間は遺伝子が大事だとは言いますが、大事なのは人との出会いではないでしょうか。
フランス人は自分で見つけた価値観で生きている。
一眼二足三胆四力
時間、場所、あいさつ、話題のテーマなど、約束事を守るという姿勢です。
会話にユーモアも必要ですが、虚飾や欺瞞や誇張は努めて排除することです。我慢強く、辛抱強く、正直にありのままの自分を見せあえばお互いに補い合い、それが双方を高め、昇華へと向かうでしょう。
コミュニケーションとは目の前の相手とのやりとりだけではないのです。それをいつも第三者が見ていると思ってください。当事者にはその第三者が見えないかもしれませんが、そこで行われてるコミュニケーションが前向きで生産的であれば第三者も共感していくものです。
パネルディスカッションで、壇上の討論者が非常にうまく話を交わし、よい流れで進んでいくとき、会場の聴衆がその成り行きを興味深く聞きとっている空気が広がって行きます。それは壇上の和者にも跳ね返り、討論がさらに高揚し、化学変化で新しいものができるように、素晴らしい結論を生み出します。日常生活でのコミュニケーションは会場の聴衆がいなくても当事者が壇上のパネリストのような気持ちでやりとりすれば、真面目に楽しく進められるものです。
スフィンクス 道具あっての人間、こういうことを考えない者は人間の資格なし。として喰ってしまう。
親善美を超越的な存在と思うところに致命的な転倒がある。、あれらを自分とは別の所にあるとおもうから、面白くもない外材的道徳が生じる訳だが、あれらは我々の精神に明らかに存在しているものなのだから、そのことを自ら認識しさえすれば、人はおのずから倫理的になるのである。
フリージャーナリストは取材により時間をかけ、対象を広く深め、独自のスタイルで執筆、編集したものを自分の名前で出す。
偽装や欺瞞の筆はジャーナリストの死を意味します。
平和とは額縁に飾って見るものではない。自分の頭で考え、自分で創るのだ。
理業一致、理念はいつも具体的に言語化していないと、ただの空論であり、剣道はいつも研究しながら稽古していないとただの素振りなのです。
人間考えることに終わりなし。 池田晶子
理念とは言語化し、行動をともなうので、その行動には覚悟が要る。
宇宙とは生命体は一体であり、世は一元論である。柳沢けいこ
人間は必死になって何かを伝えようとする動物です。その何かとは、人間に元来内在している親善美を外在化させることです。これは人から伝えられて「そうか。なるほど」と思っても、またすぐわからなくなり、誰かに伝えようとするとき、またわかったような気がするという不思議な反復の中で次第に絞られ徐々に明らかになってくるものだと思います。直感一発で会得する人間もいるようですが。
汝自身を知れ。柳沢けいこ、南直哉、馬場研二、一元論の言語化、表現科の試みは脈々と続いてきたのです。
あああああ、しんど、まじぶtらいんfどらっちおぼえてえなxcscscs!!!!!!
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