2011年7月1日金曜日

おおあまのあまちゃん

人類は好きだけど、人間は嫌い。とさんざん公言していたが、実際その根底では人間も信頼していることを気付いた。人間は信頼できる。しっかりと話し合えば、対話すればわかってくれる。


ってんなことあるか!という事実に気付いてきた。人間はその70パーセントを水で占めるとよく言われているが、実際に人間の90パーセント以上は保身でできていいる。

保身よ!その甘美な眠りよ!日常の死よ!

言行一致の人は極めて少ない。言行一致の人は極めて珍しい。


三島は人間を信じすぎた。人間を信頼した三島は大のおおアマちゃんだった。俺以上にあの保身に走る、はしらざらない人間を信じた。大方の人間にとって自分の周りの人間以外なんてどうだっていいと思っているのが本当のところだろう。世界のどこかで人が死のうが、その日の晩飯のことの方が重要なのだ。それが人間だ。藝大に入っちゃえば、もう関係ない。自分の身さえよければそれでいい。そんなもんだ。高い志は面接か
そこらの時だけ着替えればいい。あとは藝大ブランドをつかってうまい汁を吸えちゃえばそれでいい。結局自分のことしか考えていないチンポマン、マンポウーマンの集まりに過ぎない。本気でアートをしようとすれば学校全体で潰しにかかる。そんな真実。不都合すぎる真実。そしてそんなネガティブなことだらけだと思っていると、そうでもなくて、やっぱしっかり考えてる人もいて、教授もいて、おとなたちの大半がクズで能なしな大人たちなんだが、なんともやっぱりいい大人たちもいる。これが真実。俺が感じた。俺自身、結局のところではもちろん、チンポマンだけれども、自分がちぽ万であることを自覚している点で他のチンポマンよりも優れているといってもいいと思う。おれが自分のことを顧みないで他人を顧みるようなことばかりやっていると思ったら大間違いだ。俺はものすごく穢い奴だ。自分の利益だけを考えて動く。俺はすべて自分の為に藝術をしている。自分の為に表現しているのだ。自分の為に自己を語っている。

今の人は人の為になし、古の人は己のためにす。とそういう訳である。

言行一致の人は珍しく、大物になればなるほど、言行一致しなくなる。言行一致の人は素晴らしい。俺も言行一致の人になりたい。

藝大生がノーブレス・オブリージュを放棄するのはタダ乗りだと思う。試験で頑張ったのはわかる。ただ落ちていったもの達のことも考えてやるべきだと思う。学割、藝大生の特権を十二分に使っておいて社会に還元しないのは藝術の外道だと思う。本人にその自覚がないのがもっと悲しい。

歴史を知らない奴は猿だが、ノーブレス・オブリージュを放棄する藝大生も猿だと思う。いや、それじゃぁ、猿に失礼だ。ノーブレス・オブリージュを放棄した藝大生はチンポマンである。害虫である。

自分の好きなことを感じたままにかけることのなんとしあわせなことか。あぁ、言論の自由にマジ感謝。

藝術家が世間と没交渉的、もしくは交渉べたなのは、空気が読めないからだ。おれは空気がちょっと読めてないことがちょっと分かった。というか、やっぱり人間は嫌いだ。俺もサン側の人間なんだ。自然と主に生きる。風と大地と森と共に生きる人間なんだ。アシタカのことは好きだ。だがやっぱり人間を許すことはできない。俺もそうだ。同感だよ。さん。俺も人のことが言えた身かどうかはわからんけれども、少なくとも俺はサンの側の人間だ。

人間は平気でうそをつく。自分の保身のために。平気で人を喰う。先進国で生まれた者たちは、そのアドヴァンテージについてどう対処する?タダ乗りって美しくないよな。そう思わないのか。

自分の美意識が強力な人間は妥協ができない。妥協できない、自分に嘘を付けない人間は実社会に適応することはできない。話が合わず、永遠のバカの壁。結果浮く。外される。


だから藝術家は自然に逃げる。還る。自然は裏切らないから。俺も唯一心を許せるものはただ自然のみだ。草や川や、鳥や獣だけがおれの真の友達だ。俺に友達はいない。メロスの友情なんてたった一人でも持てたらその人間はまじでしあわせだろうな。


はぁ、人間って信用できねぇ。まじで穢えぇよ、まじで。

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