2011年7月20日水曜日

ふぁぶりけぇしょんってなに?

藝大のAMC主催のインタラクションデザインのファブリケーションの研究会が行われている。

近年まで木やガラス、食材などの多岐に渡るメディアにレーザーカッターという高出力な機械がみじかなお茶の間な世界で使われることはまずなかった。それは予算的なことかつ機材の整備的な事からもお金持ちでない限り個人所有は難しいものであった。

だが時代は変わった。技術革新の結果、安価なレーザーカッターや3Dカッターのような技術が手の届くような民間や大学にまでおかれるようになった。インターネットが始め軍用であったgs、それ以降あまねく世界に広がっていくように、高度な機材も世界に広がるようになってきたのだ。





ふぁぶりけーしょんとはファブリケーションのこと。

簡単に言って、今まで一握りの技術者、藝術家しか使えなかった最高機材が一般のお茶の間の人にも使えて、そういったお茶の間の人たちが自分で考えて自分でモノを作るようになるということだ。


ものづくり革命というほんがある。これはファブリケーションのバイブルとなっている。

必要は発明の母というがファブリケーションは"やりたいこと"を自分でとりあえずやってみるということから始まる。

カッコ良くなくていい。カッチョ良ければそれでいいのだ。

そこにファボラボが生まれる。ファボラボはインフラになる時代になる。今のWi-Fi設備の拡充、インターネットの光革命みたいなもだ。


すべてはつながっている。ファブラボは地産地消とつながる。一度死んだアーツ・クラフツ・運動を復活させる。労働と創造が不可分だったあの時代、ろうどうに疎外がなかったあの時代の、それはルソーの世界なのかもしれない、そんな原始共産主義社会へと繋がっているのかも知れない。





いずれにせよ、このファブリケーション、おもしろい!!!この世界、しばらく研究して見るなう。

公開講義を聞きながらこんなことを考えた。


スーパー三次元プリンターなるものがもし可能になったとして、金属もすべての原子レベルで再現プリント可能となったらそのときは、もし人間をプリントできたらばそのプリントされたものは、いったいなにがうまれるのか?もしきおくまでもが、生命として複製されたとしたら、クローン技術の比ではないくらい莫大なインパクトを与えることだろう。だって、だって、いうなればそれは、全く自分とおんなじ記憶を持った存在が突然現れるってことなんだから。驚異だね。まったく。


クローンなら時間記憶もきっと異なるから、成長過程においてね、それはただ自分と同んなじ遺伝子を持つってだけでまぁ、それもすごいことなんだけど今の世の中では、まぁ、それくらいの、今君が感じているインパクトとおんなじくらいなはず、ただこの三次元プリンタは意味合いが変わる。もしこれが実現可能になった時には、そのデータを違うところに送れて、かつ記憶までも完璧に複製された時には、違う場所にまったく同んなじ記憶を持った、記憶を魂と仮定すれば、まったく違う自分が生まれてくるわけで、オリジナルをどうにかして、消す、、、これって犯罪か。まぁ、いずれにせよ、なんらかの方法で消えたなら、その時にはどこでもドアの誕生だ。ただ別に移動する前のオリジナルを消す必要ないとは思うけれども。消さなかったら消さなかったで同じ人間が存在することになるからたいへんだし。うーん、人間の理性が科学に追いついていないぞ。頑張れ!人類の理性!自分!

消さなかったら、魂みたいなものがあって、本人のオリジナルの生命が停止しないと、移動先の魂の入れ物がうごかないなんてことになったら、魂は、簡単に言って霊魂みたいなものがあるんじゃないかってのなって、ただそれはやっぱり確実な真実ではなくて、永遠にアポリアなんかもしれんし、そんな気がするし。うん。

生ハムの白肉だけをレーザーで焼く。パンに刻印を押す。新たな料理の登場にも繋がる。

共進化する人と技術の竹馬が時にヒロシマに、時にナガサキに、時にチェルノブイリに、時にフクシマになることを忘れてはならないね。うん。


レオナルド・ダ・ヴィンチが現代にいたら何をしていただろうか、藝大にレオナルドがいたらAMCに入り浸っていたのでは?








そんなことないかな。やっぱ絵画か。しかし当時の絵画は最新技術だったわけだしな、遠近法、技法、精神、すべてが一流だったんだな。レオナルドになりたいなぁ。ゲーテになりたいなぁ。アナクロ人間は卒業しよう。うん。そうしよう。

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