iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考13]風呂敷を元に戻す。水は低きに流れ、"ヒトのココロ"もまた低きに流れる。動かすべき対象は"大衆"。この"大衆"を動かすには、かなりのエネルギーがいる。メタ認知の低さ、そのものが"大衆"の必須条件だからだ。人の振り見て、我が振り直せ…"大衆"にはこれができない。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考11]"ヒトのココロ"をデザインするということは、こんなにも難しいことなのか?それとも、今まで、そういった広告メディアに携わってきたデザイナーたちに力量がなかったのか?可士和や徳仁が手がければ、何とかなる問題なのだろうか?
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考10]デザインで、ヒトのココロを打ち、かつ、ヒトを動かすまでにいたるというのは、なかなか険しい道のりだ。今までにも、車内マナーの向上や、その他、諸々のマナー改善が重々さけばれてきたわけだが、その効果は極めて微小なものに過ぎなかったというのが現状だ。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考9]長期的視野に立脚し"ひとの心を"デザインすることを"教育"と呼び、短期的視野に立脚し"ヒトのココロ"をデザインすることを"誘導"という。マーケティングや、恋愛などにおいて、よく用いられるのが後者だ。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考8]この"ヒトのココロ"をデザインするということには、大きく分けて二つの視点を要する。一つ目は短期的視野に立脚する視点と、、もうひとつは長期的視野に立脚する視点とだ。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考6]この二つある解決方の内で、すぐに実現可能なのは、まず後者の方だ。前者は、ものすごく時間がかかる。日本の体質を考慮に入れれば、"まぁ、今でも、一応、機能しているわけだからねぇ、まぁ、まず、とりあえず、急いで変える必要などないでしょう"と、一蹴されることだろう。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[デザイン考1]満員電車を眺める度に思う。汗滴る、脂ぎった、漢たちの、熱い、熱い吐息に、人知れず、せっせと格闘している、扉近くの勝間和代がいて、また、その一方で、あたかも、午後のティータイムといったような顔で、涼しげに新聞をバッサ、バッサと広げて読む、つり革の下の勝間和代がいる。
iccchiiiiii 一ノ瀬 健太
[文体論29]漱石の文章はもはや、諳(そらん)じられるようにまでなった。血肉にするとはこういうことなのだ。額に汗し、鼻血を流し、そして、涙しながら、書き写した文章は、魂に刻まれる。苦労して学んだことは一生忘れない。模倣の果てには、真の理解があるから。
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