2012年1月14日土曜日

古美術研究旅行レポート感想文

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古美術研究旅行
学籍番号1110224 一ノ瀬健太

 法隆寺など燃えてしまってもけっこう!とかの岡本太郎は語ったが、まさしく私も智積院など燃えてもけっこう!だとそう思わずにはいられなかった。作品が無惨に貶められ、阿鼻叫喚しているのを見ることは美に使えるものとして身を引き裂かれる思いだった。
 かの智積院障壁画を見た時の私の衝撃を想像してもらいたい。展示室に入った瞬間から私は度肝を抜かれた。
 あぁ、、、こ、、これは!!!、、、、(なんてこった!あまりにひどすぎる!)。
 あの障壁画の展示の仕方は問答無用であった。鑑賞者を無視した配置、鑑賞するにも枠木が鑑賞者からのバリアとなり、全体はその枠木で遮られ見ることができず、作品本来の持つ安土桃山最大の特徴である巨木のダイナミズムなど微塵も感じ得ることはできなかった。もはやそこに信長や秀吉はいなかったのだ。明治の頃まではいたのかもしれない。いや、ともすると昭和の初め、はたまた実はつい最近まではいたのかもしれない。だがもう彼らの姿はそこにはなかった。現代の作品保護至上主義といった呪鎖に縛せられた楓の大樹はもはや朽ち果てていた。元の襖の位置から外された時に巨木はその根を切断され、生涯を終えていたのかもしれない。まさに楓は散り、そこには単なる古びて痩せこけた枯木があったまでであった。ともすれば水墨画のような境地で私はこの世の諸行無常を託して、この作品を眺めていた。哀悼と惜別と義憤の念を胸に抱いて。作品を照らす光の照明加減はただ単に煌煌と照らすのみで、さしたる藝もなく、ともすれば地方の箱モノ行政で作られた人気のない寂れた美術館のような下卑た印象を拭いきれなかった。等伯に罪はない。あるとすれば等伯というネームバリューにあぐらをかいてふんぞり返っている智積院であろう。等伯の慟哭が私には聴こえた。来年からは智積院は研究行程から外した方がいいだろう。行ったとて何ら見る価値はないだろう。あるとすれば哀れな美術品、見るも無惨な作家の魂の残響を聞き取ることができるくらいだ。以て他山の石となす。それのみだ。
 復元された障壁画がある部屋は池を有した庭に面している。その復元されたものもやや微妙であった。迫力はあるにはあったが、それは感動にまでは達しなかった。金メッキされ、多彩な文様を描かれた仏像がエジプト美術のように毒々しい“いやったらしさ”を以て私たちの前にたち現れるように、この障壁画も当時の美的センスが現代に理解されづらいということもあるのやもしれぬが、それでもやはり私にとってはパンチが足りなかった。ともすればNHKの大河ドラマで美術小道具として役者の背後に描かれている障壁画の方がクオリティーが高いように感じた。しかし、そう思わせるのはテレビの映り方からに起因するかもしれないから、本当のところはわからぬ。だがそれ以上に確実で私が驚愕し、あきれたのはその庭に面する部屋の照明であった。ちょうど良く庭の光が揺らめく池に反射して、揺らめくままに部屋の中に入ってきているというのに、部屋の中はなんと、まぁ、あきれたことであろうか、普通の蛍光灯がカッカと点いているではないか。おそらく作品がよく見ることができるようにといった寺側の配慮であろうが、それは要らぬお世話だ。本物の美は時を超えるから、要らぬ作為は迷惑なだけである。明日をも知れぬ安土桃山の武将達が一息ついたまさにその場で、私たちは“同じもの”を感じたいから其処にいるわけで、秀吉や家康と、そして自分と語らう為に其処にいるのだ。美を堪能する虚構の世界に蛍光灯は要らぬ。野に花のある如くに作品を展示してもらいたいものだ。頭を下げるのなら私が敢えて教えてやってもいいとつくづく思った。
 偉大なる人類の遺産は全くもって護らねばならぬものである。それは紛れもない事実である。ではあるが、もっとも護らねばならないのはその精神である。その作品が生々しく鑑賞者と対峙できない展示で作品が護られるのであるならばその作品は燃えてしまっていいのかもしれない。現代性をもって絶えず更新され続け、見るものを震え上がらせる美にこそ存在し得る、かつ保護され得る価値がある。そういった価値のあるものを私たちは後世に伝えていかねばならない。であるからして、京都のどこかの寺社のようにレプリカの襖絵ですら近づいて見ることができないというのはもはや異常としか言いようがない。何の為に公開するのか、寺社側はわかっっているのだろうか。寺社側の生臭坊主が祇園で遊びほうける為に公開してもいい。悪人正機だから、それが人間の業だからそれはそれでいい。だが一番大事なのは美といったものが広く人を豊かにさせ、そしてそれがゴータマが語った一切の生きとし生けるものの幸福に寄与する為である。それを忘れてなにが名勝であろうか!なにが由緒ある寺社であろうか。本末転倒である。脚下照顧せよ。精進なされい。
 また最後に、古美術研究を通じて考えたことは、寺社の非公開の公開制についてである。確かに私たち東京藝術大学の学生はエリートであるからして、そのノーブレスオブリージュを行使したる為に非公開の作品を鑑賞する権利があるのは当然である。だが、しかし、私はその非公開とされているものを一般にも広く公開すべきだと思う。ただし、それには条件を付けるべきである。それは入場時に靴を揃えることができたり、敷居を踏まないだとか、作品を鑑賞する際には貴金属などのアクセサリーを外すことや、呼吸器付近にハンカチーフ等を添える等といった一般常識といったものは当然のこととして、そこから更にその寺社の歴史、由緒、来歴に関する試験等を行い、それに合格したものがその寺社の有する非公開藝術作品を鑑賞する権利を有するといったものである。そうすれば遍く一般に公開することもできるし、なにより作品の保護といった観点からも十分に寺社側の保護と衆生の鑑賞とが両立できるのではないだろうかと思う。
 まとめとしては、古美術研究旅行は実に楽しかった。本当に楽しかった。アルティメットに楽しかった。なんといってもハーレムであった。この年になってハーレムに恵まれるとはまさか思っても見なかった。仏と謳われるM先生の御上で煩悩にまみれた若い男女が酒池肉林に耽る有様はまさに末法の世であった。その背徳感もまた乙なものであった。悪人正機南無妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。また是非行きたいと本当に思う。本学の歴史に残るであろう優秀な教員と、まぁ、助手さんも含めてあげましょうか、と実に贅沢な時間を過ごさせていただいた。私は作家を目指している人間である。実に類い稀なる汲めども尽きせぬインスピレーションの泉が我の中に湧いたのを確信した。
 いや、あっぱれ!実に美(たの)しい研究旅行だった。余は満足である。

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