見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。
———金子みすず
本レポートは以下の引用を付して本論を展開する。
・ 「最初の魅惑、最初の理念」、「最初のヴィジョン」・・・何らかの事物が美しく見える際の、見え方のこと。
・ ボナールは、部屋に入った一瞬に見えるものを描く、とも語っている。
・ その瞬間においては、対象が何であるかに重きを置く通常の知覚は行われていない。
・ しかし、そうした特別な見え方を維持できるのは限られた画家のみであり、ボナールにとってはそれは直ちに消え去ってしまう。
・ 薔薇のヴィジョンを出発点に描こうとしても、薔薇を目の前にして観察すれば、見えるのはその細部のみであり、ヴィジョンからは遠ざかってしまう。
——2011年11月29日 ボナール(1) ボナールとバゼーヌ P2より引用
ボナールは認識の一刹那のエッジを探求した画家であった。新世界に踏み込みフェルディナンドを見初めたミランダの感情を類い稀に絵画に表現した画家である。写真で絵画は終わったと囁かれていたかもしれぬ当時に彼は絵画にしかできないことを成し遂げたわけである。それはあたかも認識の木の実を齧ったその瞬間に、初めて人類が見た景色に近しいのかもしれない。彼の絵は人間が人間らしく楽しみを享受できる環境を生み出してくれる。
我々が決して認識することができない世界は数多ある。我々はヤーコプ・フォン・スキュルの環世界から脱することはできないから、我々は我々の認識の制約で世界を見る。小林秀雄はその制約を引き受けるからこそ美が生まれると語ったわけだが、今回私が取り上げる作品はその制約を美に変えた作品を紹介し、考察したい。
私が取り上げる作品、それは天体写真である。M51渦巻き銀河やオリオン大星雲M42などを撮った写真である。ここで自然は藝術作品ではないという考えもある。だが私は天体写真を藝術作品であると定義したい。藝術の本質である、人為と感動というファクターをこの天体写真は如実に内包しているからである。そもそも写真自体が藝術作品として今現在既に流通しているから説明は蛇足であるかもしれない。
本題に入る。これらの天体は通常、人間の眼では見ることができない。それは距離的な面からも見ることはできないと同時に、肉体の限界の環世界では見ることができない可視光線から逸脱したX線やγ線といった光を放つ天体だからである。つまり、見ることができない天体を我々が認識し、かつそれを美しいと思うのはそれが、おそらく科学者だろうが、によって色付けされているからである。人間の環世界からすれば何千、何億という時間のかかる超新星爆発も宇宙の歴史から見ればそれは人間がものを認識する瞬間と同様の一刹那にすぎない。
一刹那を描いた絵画なら五万とある。なにもボナールだけが一刹那を描いた画家ではない。フェルメールだって、ゴヤだって一瞬を描いた。私がここでボナールの絵画に天体を比したのは私の恣意性もさることながら、客観的なそれ相応の理由がある。それは、その一刹那の持つ情報量の混沌さ、である。ボナールが認識の瞬間を捉えた絵画にはすべてが混じり合ったカオティック何ものかがある。それはあたかも混沌、七竅に死す(出典『荘子』)といった曖昧ですべてがドロドロとした未分化な状態を醸し出している感が共通している。
我々は普段から意識してものを見て生活している。だが実はそう思っているだけで、実際私たちは何かに熱中しているときだったり、ぼーっとしたりしている時に何を見ているのか本当は覚えていないのかもしれない。無意識に見る世界と認識の瞬間の世界は似ている。いや、ともすると同じなのかもしれない。というのも無意識の世界を認識させられるのが意識が生じる瞬間だからである。それは陰陽と相通ずる。無意識があるからこそ、意識の世界があるということだからだ。意識の世界なくして、無意識の世界も情景も存在し得ない。
宇宙の始まりと認識の始まり、宇宙の終わりと認識の終わりは構造的にも造形的にも類似的な印象を拭えない。DNAとかたつむり、つむじ、鳴門海峡の渦巻き、台風、銀河といった渦巻き構造に見られるホロン型構造を私は真理だと思っている。ある種の宇宙の絶対的な秩序をば私はそこに垣間見てしまう。ボナールが描いた絵画はまさに宇宙の天体写真であるとすら言っても過言ではあるまい。
何度も繰り返しになるが人間は環世界から逃れることはできない。だからこそ、この環世界の混沌に我々は驚嘆し、ある時には美を見いだす。虫の世界も、死後の世界もは我々がこのように見えると推測できるまでだ。だがそれでも推測できる世界がある。神、天国、地獄、極楽、魂、11次元宇宙、無、禅といった認識の境地は汲めども尽きない。ボナールの絵画は天体写真のように我々が中間者であると覚醒させてくれる。ボナールのはしごを上れば、考える葦の前には今日も新世界が広がっている。
星とたんぽぽ
金子みすず
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
星のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬけれどもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだぁまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬけれどもあるんだよ。
金子みすず
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
星のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬけれどもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだぁまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬけれどもあるんだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿