2011年4月9日土曜日

スタンド・アローン

ネット環境が復活した。だいたい10日間くらい、オフラインが続いた。学校や公共空間にあるネットを使ってはいたが、自分の部屋にネット環境がないのはやっぱり不便だ。

だが不便ではあるが得るのものもあった。このご時世、自分でオフライン化、スタンドアローン化するのは強固な意志がない限り難しい。一日に一回少なからず何らかの電子機器を使って連絡のやり取りを行っている。もしくはつぶやいている。このご時世にネットから離れることの何とも難しいことか。

だが俺はこの不便を経験してみて便に気付いた。

おもったこと、それは別にツイッターやフェースブックをしなくても基本的になんにも不自由しないことだ。やはり諸連絡などのメールは必須の感があるが、それすらも電話があれば事足りる訳である。いうなれば電話があればあとは何もいらない。

便利は不便。不便は便利。有用の無用。無用の有用。老子・荘子。車はめっちゃ便利だが、道が整備されていないと何も使えない。ほんのちょっと縁石に乗り上げただけで使えなくなる。結果、13000円を払ってレスキューを呼ぶことになることもある。あぁ、あんときはまじでもったいなかった。要らない出費だったなぁ。と経験から語る。ほんのちょっとの不注意、面倒がりが、事故につながる。はぁ、まぁ、人を轢かなかっただけ、もうけものだと自分に言い聞かせた。言い聞かせまくった。


大切なものは、結局、めっちゃ身近にあるんやよね。要らない情報が洪水の津波の中では有用な情報に見えてまうんだよね。自分で舞ってることに気付けないんだよね。てんてこ舞いになってるのは自分ではわからない。同時代のドグマに似ている。後から時が立ってみないと見得ないものなんだ。自分ではリテラシーあるぶってても、やっぱり一度スタンドアローンにならないと見得ないものがあるね。ほんと大切な、本当にいる情報って、必要な情報って、手の届く範囲にあるものなんだね。道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。論語、だね。


自分の半径3メートルに真理あり。半径0メートルにすべてがある。心臓の中にすべてはある。


ネット環境復活、されど振り回されぬようにしよう。ここに訓告として、戒めとして記す。

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