2011年4月25日月曜日

いたいやつら

 始まりは常にイタイ奴等から始まる。

 歌を詠んだ明治の人たちは短歌や俳句の会をつくった。

 今考えれば事実にいたい奴等の集まりだ。

  
 だが、今日、藝大の絵画棟5階に集まった奴等もまた本当にいたやつらだと思う。

 俺も含めてだが。

 最近、ガチで自分のやっていることを語ることがかっこ悪いという風潮がある。人いかに生きるべきか?藝術とはなにか?真理とは何か?などについて本気で議論している奴等を俺は周りで見たことがない。そう思っていたのは自分の世界が狭かったからで、実はガチで議論している奴らはごく少数だが生息している。今日はその集まり。

 俺を含め6人だけのラウンドテーブル、うち二人は顔みしりを連れて行ったわけで、時間通りに行ったら、俺を含めて4人しかおらず、早くも痛い雰囲気が漂い始めていた。

 とりあえず席に就き、世間話をするまでもなく、なぜこの会を開いたのかの説明を聞き、一気に本丸に突入した。

 途中から来た人が二人いて、感じてること思ってることを存分に語り合った。地震についてのこと、寛容論、炭鉱のカナリア、藝術の為の藝術はもはや、存在しえない。認識の木の身を食べたのなら。今現在の絵画の最高峰は放射性物質を用いた顔料で児童ポルノを描くということだと話した。油画がさいきんふつうになっていて、もっとばかであるべきだとも語った。

 つなみでみんなしんじゃった。びわこでふたりしんじゃった。など表現のエッジについて語り合った。

 むやみに優しい社会が今の社会の姿であるということを認識しあった。慮り過ぎて表現ができない。人を傷つけることを極度に恐れる社会。トゥナイトやめちゃイケのしりとり侍が強制終了になる社会。

 やっぱり表現は人を傷つける方が面白い。
 

 守破離、歴史は学ぶべき?学ばないべき?模倣の果てには真の理解がある。美は経験。毎日美に触れ続けることが大事。油画がつまんないは大間違いであった。しっかりと面白い奴がいる。


 今の美の、藝術の基準は誰が決める?とりあえずはニューヨークの金持ちギャラリストが目下の権威である。金が今の権威である。金が権威はいつの世も同じであるなぁ。


 などなど、今の最高の藝術は井上雄彦である。かれはドカベンから学んだ。学んでない人間はいないのかも、チンパンジーの画、象の画、藝術の軸について熱く語り合った。


 実に面白かった。今日来たやつらが明日の藝術界を担っていくのだなと思った。


 あそこにいた者たちが、俺たちが、俺が世界を背負っていくのだ。


 外野は黙ってな!耳ある者は聴け!でなくば去れ!


 これから定期的に開いていくらしいので、新婚さ~ん、いらっしゃ~い!


 今日の歳費;3342円 うち本代2035円也  新歓1000円 ちゃ、ぽかり

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