2011年2月15日火曜日

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

 先生が死んで100年経ちます。先生がおっしゃったとおりに日本はあのあと滅びました。ヒロシマとナガサキに原子爆弾という全人類を簡単に全滅させてしまうような、そんな本当に夢物語の兵器が使われて一瞬で人間が塵灰に蒸発してしまいました。そうして陛下のお言葉で滅びが終わり、復興が始まりました。先生もご存じの通り、この国はやると決めたらやりきる国です。敗戦のあとに日本はすぐに立ち直りました。高度経済成長という奇跡とまで言われるぐらいの成長を遂げました。滅びて復活する、それがこの国のお家芸なんですよね。先生の時代には維新がありましたね。外からは叩かれるし、中はガタガタだしで大変でしたね。司馬遼太郎という人の本んで一応先生の生きておられた明治の時代は勉強したつもりです。もちろん先生や鴎外先生、一葉、二葉亭さんとか坪内さんとか、いちおうチェックしております。ああ、そうそう、先生の弟子の芥川さんも、チェックしておりますよ。先生、彼は先生の死後、自殺してしまうんですよ。先生の弟子としてはあるまじきことですよね。まったく。最近の若者ときたらプンプン!

 二度の奇跡を起こしたこの国は、先生の時代の時と同じようにただ上を目指し今も走っています。先生は今の状況を嘆いておられるでしょうか。この国はともすると奇跡を起こそうとする時には旧世代の大切なものを切り捨ててしまう時があるんですよね。近代化にまきこまれればそれは必然かもしれませんが。先生はご存じないでしょうが、世界は今、めっちゃすごいですよ。ネットというものがあって瞬時に世界がつながるんです。先生はきっと想像もつかないことでしょう。簡単にいうなら先生が学んだロンドンに一瞬で手紙を届けることができるんですよ。世界を股にかける企業もたくさんあります。弥太郎や栄一の残した会社は今もバリバリの現役です。効率を求めるのは何も今に始まったことではないですね。明治の時代に電車に、もう、先生はこの経済効率の果てにある世界をみていましたね。だからこそ先生は草枕や門をかいたんですよね。人間の穢さをあまりに知りすぎていたんですよね。わかります。僕も漱石門下の末端に位置しますから。僕の師匠の師匠が先生の弟子なんですよ。ほんとイッツ・ア・スモール・ワールドですね。先生に言ってもわかりませんよね。
 
 近代化と奇跡を起こす代償にこの国から情味は消えてしまったんでしょうか?明治は遠くなりにけり。昭和も遠くなりにけり。です。そして明治以来、リリシズムは遠くなりにけり。です。もののあはれが消えました。まだありますが、この国ではそれが本当に少なくなりました。先生の時代には学問が本能でした。しかし、今はもはや学問は本能ではなくなりました。人間が人間から動物になってしまいました。ある意味退化しました。先生の時代にはまだあったあの文学臭はもう昭和の初めに消えてしまったんですよね。先生は安易なノスタルジアだとおっしゃいますでしょうが、今ほど古典を読まない時代はほかにないのではないでしょうか。今先生や、鴎外先生たちの本は古典になりましたが、それだってまったくよまれてないんですよ。わたしはそれがくやしくてくやしくてたまらんのです。失われゆく古典、大切なもの、抒情性、もののあはれは永遠だと思うんです。今の文学は全てゴミです。自分と戯れているだけです。戦ってないんです。自分と。芥川獲ったって、直木獲ったって、あっ、先生、自殺した芥川の名を冠した賞があるんですよ、んでそれが文筆家を目指すものの登竜門になってるんですよ。まぁ、その賞を獲るような小説もなんかいまいちなんですよね。小手先で書いてる、先生もそうお感じになりませんか?ええ、私が古い人間なのはわかっております。重々承知之合点承知の助です。はい。でも、先生、僕は先生の時代から昭和の初めごろまでの重い、自分と戦った残滓の小説がやっぱり小説だと思うんです。今の時代はなんか軽いんです。本気の匂いが伝わってこんのです。無頼派はいなくなったんですよね。あ、これも先生はごぞんじないですよね。坂口ってやつがいたんですよね。太宰ってやつも。こいつもなかなかのやつでしたね。まぁ、ここらが小説のピークですかね。ルネサンスみたいなもんですね。先生の時代がレオナルド、ミケランジェロ、その後がバロックとなってくわけです。あとは下るだけ、質の悪い酒が出回る。悪貨が良貨を駆逐するってわけです。ライトノベルも軽いっすね。薄めたカルピスのような村上春樹っていう奴の小説が今の時代を象徴しているんじゃないでしょうか?あ、カルピスというのは手淫の時に、、、いてっ!先生下ネタはお好きではないのですか?え、今はやめろと、不特定多数の人が見てるからと、へぇ、わかりやした。まぁ、カルピスというのは甘い牛乳を薄めたような飲み物です。先生の時代にもジュースはありゃんしたでしょう。そんなふんわりしたものが求められとるんです。先生の時代のものはたとえるならマッカラン、〆張、ロマネコンティ、等々ですね。重くてハリがある、そんな感じです。そして僕もそんなものを書いております。代次郎のような世紀の大論文を書いちょります。
 
 あぅ。と。先生、長々と話してしまいました。そうですよね。そうです。うんうん。わかってます。いつの時代も人間は変わらないですよね。そうです。もののあほれがなくなったと騒ぐのもばかばかしいですよね。なにももののあはれを感じているのは詩人や歌人だけではないですよね。八百屋も漁師のかんじてますよね。大学出も感じるし、農民もかんじてますよね。百姓も。言葉狩りには戦います。まぁ、とりあえず、先生、見ていてください。これから世間に本物の日本酒をぶっかけてやりますんで。先生の大親友であられた子規さんのように大きく世に出たいと思います。こんな感じでどうでしょうか?仰せの如く近来小説は一向に振い申さず御座候。ってな感じで行きたいと思います。もののあはれの復権をなんとか試みてみます。先生の意志はしっかりと私に引き継がれております。漱石門下の名に恥じぬように一層精進してまいります。先生と同じように私もまた文士です。日本の為にがんばります。日本を背負っています。日本のために、世界の為に、そしてなにより、自分の為にものを書いていきます。先生を超えることこそが一番の恩返しと考えております。すこしでも世間にゆとりある生き方を提示していきます。自由意志でお年寄りに席を譲る人を増やします。駆け込み乗車を減らします。音漏れシャカシャカウォークマン野郎を減らします。もののあはれをこの今のくそったれな日本の世間に根付かせたいと思います。長くなりました。先生、これからもお体に気を付けてください。これからの僕の活躍にどうぞ期待していてください。

 合掌 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



 今日行ったところ;雑司ヶ谷霊園、高田馬場のハンバーグ屋さん


 今日の歳費;

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