2011年2月19日土曜日

名曲について

 おっぱいよ~~~~~!!今日も元気にロケットダッシュ!鉄腕ダッシュ!33分からのスタートどぅぇ~~~っス!

  
 名曲は世間にごまんとある。懐メロ特集を見ればすべてが名曲である。名曲には名曲になる理由がある。それは何か?名曲が名曲になるにはヘーゲルの時代精神に見染められなければならない。時代精神をあまりに巧みに表現したものが名曲になるのである。その意味において名曲とはその同時代に生きたリスナーの存在が欠かせないものとなり、またさらにはリスナーの思いでの付添人という役割も果たさなければならない。

 例をあげよう。

 最近サザンがマイブームなのでコレを例にしてみよう。真夏の果実、つなみ、涙の海で抱かれたい、言わずと知れた名曲である。夏の曲である。これはそれ自体で名曲である。だがこういったものが本当の名曲になるためにはリスナーの“思い出”がもっとも重大なファクターになるのである。この曲を聴きながら海辺を大切な仲間と、恋人と海辺の潮風をオープンカー、でなくとも、安いオンボロのワゴンでもいい、そんなので感じながら海岸線を走ったら、その時に名曲は真の名曲になり、そしてそれが遂に神曲になるのである。これは何も歌に限ったことではないのかもしれない。絵画や彫刻、映画、演劇といった芸術全般にも当てはまる。ただ音楽はそれ自体、空気や水、、、といった触媒があれば聞きたくなくてもどこでも聞けるという利点があるから、他の藝術よりも常に身近にある。その身近感が常にリスナーに寄り添える。海でもスキー場でも、山でも川でもラジカセさえあればどこでも寄り添ってくれる。極端な話、人間自らが歌うこともできる。鼻歌でもいける。そして昔はラジオを捻ればその名曲たちがラジオからあふれ出てきた。潮騒の感じられる浜辺に車を止めたカップルが熱い抱擁と接吻を交わしているところにサザンが彩りを添える。天国と極楽が地上に出現する瞬間だ。こんなカップルがごまんといた、あの時代に名曲が作られたのはこう言う理由である。冬には広瀬香美、もちろん、ユーミンは忘れちゃだめっしょ!などなど、演歌も然り。名曲は常にリスナーの“想い出”が欠かせない。名曲に涙は欠かせない。

 もちろん、今も名曲は生まれている。きっと生まれている。時代が経って自分の青春時代を懐かしむ時に、名曲はそっと寄り添ってくれる。想い出、ベルグソンが言った魂の定義。


 名曲に涙する者には魂があるんです。もののあはれがわかる人というんです。

 
 万葉の時代から多くの歌がうたわれた。名曲に恋の歌が多いのも、誰しもがの想い出によって支えられているからだろう。恋愛はどんな人にとっても、いつの時代でも、もっとも人の心を、想い出をとらえる最大の関心ごとだから。それは洋の東西も問わず同じこと。その表現形式が違うだけ。言葉が違うだけ。感じていることはまったく同じもの。場末の居酒屋で焼酎を飲みながら名曲を聴くか、バーでバーボンを飲みながら聴くかの違いがあるだけである。ユーミンかABBAかの違いがあるだけである。サザンかカーペンターズかの違いがあるだけである。

 そして今の時代を生きる者にとっては、どちらも名曲にすることができる。想い出によって神曲になった名曲を聴くことができる。名曲が神曲になる瞬間は同時代的に味わうことはできなくとも、その曲を名曲、神曲へと育むことができる。

 


 寅子さん、こんなかんじでいいかしらん?


 本日の歳費;チャーハン素105、さんまかばやき105、たまご6こ105、あずきなまくりーむどらやき、しゅがーとーすと、めーぷるしゅがー165 計480円 也

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