至るところに100円ローソンや格安スーパーがあるのは貧乏学生としては大変心強く便利なことだ。だが本当にそうなのか?俺はずいぶん懐疑的になった。
100円ローソンに寄ってみたけれども、今日はとりあえずは大丈夫だと思って何も買わずに店を出て家路に着いた。出る前に食べたチャーハンの素を使って作った大盛りチャーハンが胃の中にあるからだろう。一気にどか喰いするよりも間をおいて食べると腹もちもいいし、胃に一気に負担がかからなくなるから健康的らしい。空腹という極上のスパイスは味わえなくなるが、その適度な満腹感もまた格別なものである。そんなことを思いながら帰る矢先のことであった。
千と千尋の神隠しを思わせるようなたたずまいのちいさな個人商店があった。あれ?こんなのここにあったかな?と思い素通りしようとしたが何か惹きつけられる。時刻は午後5時半ころか、いつもここをこんな時間に通ることはまずなかった。基本的にスーパーの弁当が半額になる時間にならねば外は出歩かないし、学校から帰ってくればだいたいそんな時間な訳である。だから夕飯時の、カレーののにおい薫る時間帯に外出するのはここに住んで一年が経つというのに初めてであった。いつでも行ける、は永遠に行かない。それが人間というものである。東京に住んでいるの人間は東京タワーに一生行かないのとおんなじように。そして自分の住む地域のことは暇にならなければまず知らないだろう。自分の住む地域の名の由来や成りたちを調べて知ることは普段のこころをなくすような忙しい状況下ではまず着手しないであろうことがらである。自らの住む地域のことを知っている人間は余ほどの暇人か、もの好き、はたまた知的好奇心に優れた賢者であろう。いずれにせよ、自分の住む地域を知ることはいいことだ。もっとも知るには閑がなければならぬわけだが。まぁ、いい、とにかくそこにちいさな個人商店があった。
引き込まれるように中に入る。周りはあまりに無造作に野菜、果物がぎっしりつまれているところもあれば、スカスカに置いてあるところもある。人はひとりもいない。通路の幅は人二人がやっと通れるくらいの幅だが、奥行きが長い、やけに長い。どうやら道一本隔てるように貫通しているらしい。陳列棚をさっと物色して見る。バナナも、トマトもちと高い。ニンジンもシイタケも若干割高な感じがする。すぐそばの、といっても真裏の格安スーパーと比べればやはり高い。これではかきこみ時だというのに、客がいないというのも納得できるなと思っていると、奥から元気な、いらっしゃい、という女の人の声がする。きょろきょろしながら、歩きながら、そちらを向くとちいさな背の低い老婆がニンジンを千切りしている。その向かいにはかっぷくのいい、だけど頭の毛は全体的にちょろっと生えている80歳以上と思われるおじいさんがレジ越しに座っている。おばあちゃんは割烹着を着ている。おじいちゃんは紺の擦り切れた、うちのじいさまが着るような安物のジャンパーを着ている。おそらく夫婦であろう。長年連れ添った感が漂うている。入口には野菜、果物が並べられ、奥に行くとお菓子やジュースのコーナーがある。こんばんわ、と軽く会釈する。そうして奥まで物色する。きょろきょろ物珍しそうにみるのは失礼かもしれないから、なにか探しているように物色する。全体的に滅びゆく田舎のスーパーのにおいがする。
お盆に帰る、俺の実家の田舎にはこんな店がよくある。大企業の安さと物流には勝てないと多くの店がシャッターを下ろした。一年ごとに徐々に個人商店が閉まっていくのを何とも言えない、平家物語の絵巻ものを見るように眺めていた。自分では何もすることができない。ただ傍観者として沈み行く太陽の中、車の窓を全開にして、田んぼのにおいを嗅ぎながら“かつて栄華を誇ったものたち”の残照を流れゆく景色の中で眺めていた。滅びゆくもの達、消えゆくもの達。かつてここにじいちゃんの、ばあちゃんの店があったと。誇らしく孫に、ひ孫に語ることだろう。店をはじめるにはずいぶん勇気のいることだったろう。周囲の反対もあったのかもしらん。それを妻と二人三脚ではじめたのかもしらん。店の危機も何度もあったことだろう。そのたびに妻とともにその苦難を乗り越えてきたのかもしらん。家族ができただろう。離婚の危機もあったかもしらん。たくさんのお客も、人も集まっただろう。店が地域の溜まり場、情報交換所になったことだろう。その店がなくては地域生活もままならなかっただろう。そこには店を潰してはならぬという、自分が地域を支えているんだという自負があったことだろう。売り上げも伸びて、バブルが来て、きっとたくさん儲かったことだろう。お金がザックザックとはいってきたことだろう。この世をば我が世とぞ思う、望月の、そんなきぶんだったのだろう。しこうして、栄華は続かぬもので気付けばバブルは崩壊し永遠の繁栄にも陰りが見え始めた。日本経済は長きに渡り停滞し、その余波もたぶんに味わったことだろう。そして昨今のリーマンショックがあった。近所の個人商店が次々とシャッターを閉める姿も見てきたことだろう。それを妻となんともいえぬ気分で明日は我が身と今のような薄れゆく夜の帳が下りるころに何度も何とも言えぬこの“あはれ”な気持ちを味わったことだろう。店はすべてを見ていた。この今となっては老夫婦の若かりし頃の思い出、家族が、店が繁栄していくすがた、そして衰退してすがた、そのすべてを見てきた。聴いてきた。感じてきた。店は名もなき老夫婦のかけがえのない数多の思い出を抱きしめている。今も、昔も、そしてこれからも。先祖の墓を目指しながら、流れる景色のなかでそんなことを思った。
そして今もまた、同じものを俺は見ている。自分もまたこの滅びゆくスーパーを滅ぼさんとしている者なのだ。その一員なのだ。だが安いものをやっぱり買ってしまう自分がいる。水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。我もまた同じ。低きに流れる。奥の方に行くと100円ローソンで売られているものが100円ローソンより高く売られている。それに気付いた瞬間、お兄ちゃん、なにかさがしものあったらゆうてな、とおばあちゃんが声をかけてくれた。もう、何も買わずしてはこの店を出ることはできない。奥の方にはきっと孫娘のものであろう。真っピンクの補助輪の二つ付いたプリキュアの自転車がある。なんて哀愁をそそるんだ。うぅうぅぅううぅぅ。泣ける。泣けてくる。あげものが目にとまった。メンチカツは100円、コロッケは60円だという。ではではとメンチカツを買った。支払いはおじいちゃんのレジ。500円をだしたらそのまま100円と打たれレシートが出てきた。はいっと渡され、、、えっ??俺今500円だしたよな!?と止まって思ってたら、んあ?ぁあ500いぇんか。と言って400円おつりをくれた。手はゴッホのジャガイモの人々以上にごつごつしていた。ところどころささくれができていた。ところどころ赤チンが塗られていた。あのおじいちゃんのごつごつに、あのおばあちゃんのしわしわの手におれは真理をみた。大切なものは目に見える時がある。“もののあはれ”とはこういうことです。
そうして家路に着いた。帰って冷えたメンチカツをほおばりながら、うちのじいさま、ばあさまは何してんだろか?元気やろか?と思いを馳せた。
すべてのほろびゆくものたちへ
ありがとう
本日の歳費;ちきんらいすもと105、おしるこのもと105、ぐれーぷふるーるじゅーす105、かっぷてんぷらそば105、きゃらめるぱいのみ105
計525円 也
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