2011年1月9日日曜日

喰うことと、生きること 4

出版業社に魂を売った友人と話をしていてふと気付いた。この友人は余の近しい友である。メロスとセレヌンティウスばりの友情ではないにしろ、かなりの腐れ縁な友である。ホモではない。ゲイでもない。作家志望でその可能性を保留しつつ夢を追うズルイ奴である。彼が大手出版社に就職が決まったのは十中八九余が功績である。余の力がなければ、今頃彼はこの世にいなんだかも知らん。彼は都の性欲に通う学生であった。馬場に住んでいたことを鑑みれば、もし余の後知恵なかりせば新宿で中央線にヒデ並みにロケット・ダイブしていたことだろう。光速のオレンジが一瞬のスパーク!だったであろう。余はひとりの悩める魂を救った訳であり、彼の為に涙を飲んだ人もいるのであるから、余はその名も知らぬものを蹴落とすことに加担してしまった罪深いものであり、恨まれて当然かも知らん。

話を元に戻し、彼は就活に見事勝利を納めた。彼の就職が99パーセント余のおかげではあるものの、彼の実力がなかったかといえば嘘になる。彼は実に類稀なる目利きであった。現代の刀工並みの審美眼を持っていたことは紛れもない事実である。相談すべき相手は無数にいた。だが、その中において、いったい誰が血迷って、こんな六浪の男に相談するであろうか、いや、なんといたのだ。モノ好きな男がここに。彼は敏感な嗅覚で話を聞くに足る、価値ある男を嗅ぎ分けた。そこに彼のセンスがあり、彼は目に見えぬところでしっかりとリスクをとったのだ。ノーリスク・ハイリターンはこの世には存在しない。正負の法則という絶対的秩序ががんぜんとしてあるからだ。その成功体験のない周囲からは白い目で見られている獣に話を請うた、その点が彼の攻めの姿勢であり、コスプレプレイヤーが大晦日に勝利したのを見て、あまりに興奮したマサトが、やっぱりせめなきゃだめなんすよ!といった、まさにそのことを彼はしていたのである。彼の就職は実にその99%は余のおかげである。残りの1パーセントが彼のセンスである。その1パーセントの中には我の知らぬ彼の汗と涙と血と痴との結晶の努力がある。その1パーセントの彼の目利きが100パーセントの勝利をもたらしたのである。その1パーセントは紙一重の様でいて、じつに分厚い紙一重なのである。剣心と四乃森蒼紫のように分厚い紙一重が彼と他の就活生のなかにあったのである。

 その彼と最近話をして、ふと気付いた。余は喰う為に就活をするものだと思っていた。だが実際は、実に就活の本質は見栄、すなわち虚栄にあるということに気付いた。誰だって、電通やフジ、物産、商事と周りに吹聴するがために、要は、ぶっちゃけていってしまえば、その会社に入って合コンする時のアドヴァンテージの為だけに、死ぬ気で就活をしているのである。周りの人間がうらやましがる、経済的な一つの指標に基づいた価値を見せびらかし、かつ、そして劣等感に悩みたくないというのが真実なのである。やりたい仕事ではない。ただ合コンと優越感の為だけに貴重な大学生活を棒に振るわけである。友人は語った。有名大学に行ってない人が自分の大学をぼんやり秘匿するのと同じように、有名でない企業に就職した人間は飲み会の席でも隅っこのほうで芋焼酎を飲んでいると。商事に決まった大学時代のザコキャラ君が今では中小企業に就職した大学時代のキングに隅っこのほうで芋焼酎を飲ませている。この現実にみなが少しでもウォ―ラ―スタインの近代世界システムばりに周縁から中心へと行くために躍起になっているのだ。職など腐るほどある。就職氷河期などオレンジな嘘だ。

勝てば官軍とはまさにこのことであって、彼は今鼻高々で後輩に就活のアドヴァイスをしている。これぞ勝者の特権だ。そこに、惜しかっただの、というプロセスは存在しない。あるのは結果だけの世界が屹立としてある。逃れることも言い訳もできない。天地は仁ならずの世界。厳しい現実と虚構の交錯、赤とんぼは山田耕作。トゥナイトは杉田J作。その戦いを終えた彼は今もどこか誇らしげに語る。幾度の戦場をさも経験してきたかのような老兵のように。ただただ血肉にすらなってもいない空虚な言葉を。自信満々に、満面の頬笑みに乗せて。

人間ってなんだ?就活ってなんだ?

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