2011年1月24日月曜日

横浜で見た生存競争の厳しさと現実と

 東京藝術大学先端藝術表現科(以下先端)の卒業制作展(以下卒制)を見に行った。始まり長いな。今日は読み易いブログ構成を狙ってみんとす。

場所は異国情緒を醸し出す歴史ある風景が居並ぶ横浜。みなとみらい線を馬車道で降りる。乗り過ごせば中華街だ。実はそれが真の目的であったりもする。せっかく近くに来たんだからおいしい中華を食べても罪にはならないだろう。いや、むしろ、食べねば罪になる。まぁ、よい、それは後にして卒展の話に戻るとしよう。

のっけから驚いた。取手アートパス事件以降、私は先端がすぐに日和る学科であり、先端は死んだと常々公言していて憚らなかったが、今日はその定説をひっくり返された。やっぱり卒制は違う。学び舎で学んだ全てを込めている。各人が入学から今までの、紆余曲折の4年間、はたまた5、6年間をそこに込めている。それは今までの自分への鎮魂歌であるとともに新たな自分への旅立ちの頌歌でもある。だから私は実に驚きを覚えた。私が考えていた先端はそこにはなかった。ただただ、青春の青臭い、ハチクロ的な汗と涙との結晶があっただけであった。今回の出品者には敬意を表す。そのクオリティーの高さには脱帽した。純粋に面白かった。中でも私のお勧めは笑関図であった。笑いを井上ひさしのように定義する。難しいことをやさしく、やさしいことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことをいっそう愉快に分析していた。笑いの分析を大真面目におかしく細かく分析する。病気の野球少年が野球選手とホームランを打ってくれる約束をしたが、その選手が補欠だった時の笑いや、下腹部に毛が生えていたことに気付いた時の笑いなど、事細かに繊細に観察の対象としていた。なかでもADSL(筋萎縮性側索硬化症)の難病と闘う夫婦に笑いとは何かを訊くところは圧巻である。奥さんは病の為に、既に目しか動かすことはできない。笑う為には頬の筋肉が必要である。だがそれは当然もう動かすことはできない。だがそれでも作家は笑いとは何かと問う。奥さんは笑っている。顔には出なくともこころで笑っているのだ。それも笑いの定義である。そこには愛があった。落語の世界の愛、生の、業の全肯定があった。ある種の日本版モンティ・パイソンであった。人間賛歌がその背後にBGMとして流れていた。いろいろな笑いがあることを我々は重々知っている。だがそれはぼんやりしている。そのぼんやりのベールをはぎとり、明確な輪郭線を作家は引いた。シルエットの中に迫り、冷徹な目で人間を見つめた。そんな真摯なまなざしが見ていて心持ちよかった。


しかし、その作家もまた今回の展示の一例に過ぎない。だいたいがこのぐらいのクオリティーを保持していた。これが今の現場か、というか、ほんとうのところはみんな食っていけるのではないか、そんなレベルなのではないかと正直思った。だが現実は甘くない。こんなすごい奴等がひしめいている中でも、本当に食っていける奴、ここではまぁ、売れっ子になるという意味であろう、は十年に一人か二人だという。それもこの先端だけではなく、油画や日本画、彫刻などの全ての分野を含めての話だ。実に藝の道は本当に厳しいものであると改めて痛感した。一気通貫した。清一でしかもドラも乗った。こんな凄い奴等が蠢く世界で、生き残ることは至難の業である。ここはグランドラインである。一億ベリー以上の首が所狭しと犇めく世界である。生き残ることそれ自体が才能である。続けること、それ自体が才能であると突き付けられた。

好きなことをして暮して行くことは、激しい生存競争の後に得た血塗られた安楽椅子である。その椅子の上には今にも切れそうな細い糸で吊られた剣がぶら下がっている。藝で食べていくことは、一国の宰相になるのと同じくらい難しいことである。ストレスも同じくらいかかる。そんな覚悟がなければ藝の道では食ってはいけない。心を鬼にした優しき鬼で、それでいて勇気を持つ鬼が生き残って行くのだろう。我もまたその心優しき鬼の一匹である。蠢く世界の住人である。その血塗られた安楽椅子を求めるものである。

さぁ、ゲームの始まりです。もちろん、この世界に酒鬼薔薇は要りません。バトルロワイヤルですが、バトルロワイヤルではありません。時に批判し、時に協力し、時に孤立し、高め合う者達の集団である。精神的向上心を持ち続けるものたちの烏合の衆である。


いのち短し 恋せよ 乙女 明日の 月日はないものを

明日のことはわからない。藝術は博打だ!ギャンブルだ!そして運も実力だ!

いざ、尋常に勝負と致そう。さ、さ、参る!後のことは神のみぞ知る!








あぁ~~!中華食べ放題、うまし(●^o^●)/!料理も藝術なり。

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