2011年1月30日日曜日

大学受験で魂を売ったボク

 

 以下は平成二十二年度東京藝術大学美術学部藝術学科一次試験の再現答案である。

 世界史
 第一問 紀元前5,6世紀の古代ギリシャ文化と1世紀のローマ文化の比較

ドイツの実存主義者カールヤスパースが枢軸時代と名付けた紀元前6世紀頃には“ΓΝΩΘΙ ∑ΑΥΤΟΝ”と語ったタレスをはじめとするイオニア自然学派は従来のホメロスに見られる擬人的な神々における自然解釈から脱した理性を用いた明るく人間的で合理的な現象解釈を行うようになった。無知の知や客観的な真理、ただ生きるのではなく善く生きることを説いたソクラテスやその弟子でありイデアの存在を説いたプラトン等の哲学者が活躍した。また『アガメムノン』のアイスキュロス、『オイディプス王』のアイスキュロス、『メディア』のエウリピデスの三大悲劇詩人も活躍し、また建築の分野ではドーリア式のパルテノン神殿にフェイディアスの彫刻が並べられるなど、均整で調和のとれた理想像の追求がうかがわれる。
また1世紀頃のローマでは時の皇帝アウグストゥスの部下であるマエケナスが文学を支援、保護し、ラテン文学の黄金期を迎えた。『アエネイス』を記したヴェルギリウスは“omnia vincit Amore et nos cedamus Amori”と語り、『転身譜』、『アルス・アルマトリア』をオヴィディウスは記し、『詩集』のホラティウスはその中で、carpe diemと語った。“omnia mecum porto mea”と語ったキケロ等もいた。またローマ法やガール水道橋、アッピア街道、コロッセウム等の建築が整備されるなど実用的な文化の特色を持つ。
いずれの文化も現世肯定的で、享楽的な人間賛歌の面を持つが前者は理想に重きを置き、後者は現実的、実用に重きを置く文化である。


第二問、明代までの江南の商業と工業の歴史

  隋の時代になるまでには江南地方の産業的な意味での大規模な開発は行われてはいなかった。隋代になり大運河の開発がおこなわれると江南も都を中心とする商業圏に組み込まれ、それ以降江南地方は重要な産業の要衝となった。
 唐代には揚州、広州が多くの外国人が行き来する国際色豊かな貿易の街として繁栄したが、未だ政治的都市の性格を色濃く残していた。
宋代にも運河の改修は行われ、ヴェトナムから生育の困難な環境にも強い占城種がもたらされると江南地域は稲、麦の二毛作が行われるようになり、蘇湖熟すれば天下足るという諺からもわかるように長江下流の江南地方は一大穀倉地帯となった。また景徳鎮では青磁や白磁などが大量に作られ一大窯業地となった。商業的緩和政策がなされ政治的都市から商業都市へとその性格を強めた。
 元代には大運河がさらに整備され、ムスリム商人により大量の陶磁器が船舶を通じてイスラム圏、その他周辺地域にもたらされた。
大航海時代における進む世界の一体化、ウォーラ―スタイン曰くの近代世界システムの中で明代になると綿花栽培が広く行われ、それに伴い穀倉地帯は長江中流域に変わり糊広熟すれば天下足ると言われるまでになった。織機が発明されると工場制手工業的生産も行われ、生産された木綿は広く海外に輸出された。海外からもたらされた銀が興隆する貨幣経済を支え、山西、新安商人が活躍した。藍色の絵模様を焼き付ける染付や、五色(赤・青・黄・緑・黒)の釉薬で文様を描く赤絵も生産され、ヨーロッパのバロック、ロココにも影響を与えた。

第三問 19世紀から20世紀初めまでの社会主義思想

時間がなくてあまり書けなかった。全体として箇条書きになってしまった。

パリ・コミューンがあった。とか

レーニンが『帝国主義論』を記した。とか


をなんか思いつく単語、出来事を5,6行書いた気がする。あまり覚えてない。





点数は200点中130点だった。





自分の中での出来としては第一問60点、第二問60点、第三問10点のように採点された気がする。正当な評価、公平無私な評価だとも思える。だが、しかし、しかしここは藝大なのである。藝大なのであるから、一問ぶっ飛んだやつがあったらそれで合格させてもいい気がする。それで200点くれればいいと思う。それで良いと思う。しかし、そんなことばかりをしていたら試験の意味がなくなってしまう。いい子ちゃんなんか藝大にはいらないという気もするが、いい子ちゃんの今までの努力もしっかりと評価されるべきだということも一理あると思う。もし母子家庭の子がいて、その子が母の為を思い、自己を滅し、予備校教育のいいなりになることで合格の果実を食べることができると信じ込んでいるのであったとして、“魂を売った”として、楽しいことから目を背け、ただその為だけに勉強をしてきたのであるとするなら、彼らの努力をシシューポスの神話だと笑うことができるのであろうか?狭い世界にしか生きられぬ、硬直化した固定観念の枠の中でしか生きられぬちいさな魂を持つ者に誰が救いのアンチテーゼを与えることができるのであろうか?世界は広い!ということはわかっててはいてもその枠の中でしか生きられない者に、それがどうして説得力を持ち得ようか?そのバカの壁を超えるものが超一流の藝である。であるがその話は置いておいて、彼らにも正当な評価を与えることが大切である。

試験には枠がある。制約がある。その制約の中で自己を表現するものである。論文の試験において絵をかいてもいいがそれはまったく評価されないのである。プラスにもならないし、マイナスにもならないのである。私の体験談からそう言える。実際に訊いた訳でもないが、訊いても教えてくれぬだろうが、私の皮膚感覚でそう思うのである。実際に試験答案に聖書の一節を英語で書いてみたり、ゲーテをドイツ語で引用した体験としてここに記しておく。解剖学図、少女の漫画を描いた経験としてここに記す。結果6浪したこともここに記す。こういったことを引用しても次の試験には進めるし、その成績開示をした結果も自分の達成感と相談してだした点数とほぼ同じであった。プラスにもマイナスにもならない。だからもしとりあえず、目先の合格に目が眩むのなら、試験の枠に沿って、内容に忠実に、まずはその場の問題に全力で当たった方がいい。そうして50回くらい見直しをしてそれでも時間が余っていたら絵とかを書いてみるのもいい。コワくてかけないとは思うけどね。

もし一流のアーティストになりたいんだったら、論文の試験でデッサンを書け!デッサンの試験で論文を書け!全ては自己に帰ってくる。自己の行いに責任を持て!良かれ悪しかれ全てを受け入れろ!そんな覚悟を持ってほしい。そんな覚悟で受けてほしい。

ここで一つ、試験とは守破離の守である。基本をしっかり学んでいるかの勝負である。型の勝負であるともいえる。サッカーの試験でバスケットボールをしていては勝負にはならない。野球でもダメなものはダメなのである。もし川島が相手のシュートを木製バットでではじき返し、直接、敵陣ゴールネットを揺らしたら、それはそれで世紀の超超スーパープレーではあるが、それがワールドカップ決勝の舞台であったのなら、その得点は認められる可能性はゼロではないが、極めて厳しいであろう。サッカーはサッカーでやり、ハットトリックをとった上で自陣のゴールの裏で木製のバットを振るのが得策である。あぁ、あいつ、あんなこともできるのかぁ、と思ってくれるわけである。実力も不確かなままでは、スゴいことを違う分野でしてみてもダメなものはダメなのである。ピカソたれ!極端な写実のあとに崩すから説得力を持つのである。試験はピカソを求めている。がっちがちの基本が見たいのである。その上でまぁ、発展も見てやろう、ということである。基本とは別にして。ということである。

昨年、私は全ての形式を守った。ある意味で遂に身を屈した。“魂”を売った。好きだからこそ、愛しているからこそ“売れる”魂もあるのである。それはあたかもボキャブラ天国で時間が短いながらも出続けたお笑い芸人が今、結局は残っているのと同じように、愛しているからこそ“売れる魂”があるのである。試験という制約を、枠をしっかりと守った。だが内容に関しては自己を表現するに決して躊躇わなかった。後悔することだけを恐れた。もし自己をありのままに表現してそれでだめなら仕方がないと“諦念”の境地で文を書いた。書いたそれがしっかりと評価された。採点者はしっかりと評価してくれる。採点者が公平無私であることを信じた。こんなこと書いたら落とされるんじゃないかという恐怖に打ち克った。藝術の女神を信じた結果がこれであった。


明日は藝大二次試験を公開する。




つまり結局、何が言いたいのかというと、思いっきりはじけろ!ということである。しっかりと形式に則り、その中で後悔しないことが一番大事なのである。


This above all,to thine ownself be true!


どんな時も自分自身に忠実であれ!  ―――――William Shakespeare

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