2011年1月16日日曜日

場末のホテルで考えたこと

NHKの視点・論点で坂村健がユビキタス社会の到来を告げてから早5年が経とうとしている。渋谷にほど近い場末のホテルのロビーで見た夢は五年の歳月を経て違う形で実現した。東京という、その甘美に響く魔性の言の葉は我が心の臓を鷲掴みにして一向に離すつもりがない。若者を誘い、そしてその墓標とせしめる苦き日本の中心よ。三四郎を読み憧れた三つの世界、田舎、に学問、そして女人の世界が大きな口を広げて待ち構えている。それは地獄の入口か、立て札にはこう書いてある。“汝らここに入りし者、一切の望みを断つべし”ダンテが独りつぶやく。東京で立身出世するというその憧れは日に日に増して大きなものとなり、それに伴い私の前を日に日に大きな大きな高い壁が立ちはだかる。東京大学というイェリコよりも高く堅い壁が。甘美な蜜を吸うためには受験という苦い経験を突破せねばならず、私は途方にくれた。東京で学問がしたい。そう本気で思っているものがいったいどれだけいるのだろうか。いつからだろうか、学問が人間の本能でなくなってしまったのは。漱石を読んだことのないものが、受かるのが東大である。漱石全集を読んだものが落ちるのが東大である。天心を知らぬものが受かるのが、藝大で、茶の本を読んだ者が落ちるのが藝大である。まぁいい、受験なんてそんなものさ。受験生の手記の時代から。金色夜叉はきんいろやまたになった。ただそれだけのことだ。だから、僕は、それが今でも記憶に鮮明に残っている。東大受験を翌日に控えた眠られぬ夜の、期待と不安の入り混じった独りの夜の、外はラブホテルだらけの、性欲のルサンチマンに包まれたあの夜の、ユビキタス社会の到来の夜のことを。そんな世の中が来るとは到底思えぬ、馬鹿なことを言うな、と坂村健を揶揄し、これもルサンチマンからきているのであろうが、当時の僕はそんなことなんか知ったこっちゃなかった。ルサンチマンなんて言葉も知らなかった。今だって、何も知らない。わかっているのは自分が何も知らないことだけ。なんてメタ認知は当時からできた。メタ認知の早さ、早熟さがひねくれと相関関係にある。自我の目覚めと鏡、だから女の子の方が自我の目覚めが早いのか。そのうちサイエンスで証明されるだろう。こころと鏡、童貞の僕はひとりぼっちであれをこすり、浅い眠りに就く。携帯はオンだから、何かなるのではと落ち着いて眠られぬ。夜に電話が鳴ったことなど一度もないのに、警戒している。明日は母さんに起こしてもらおう。だから携帯はオンで。もちろん自分でも起きよう。とりあえず射精だ。射精をすれば眠くなる。明日のことを考えれば、実に科学的手法に乗っ取った戦略である。遠くで大きな怒鳴り声がした。痴話げんかは犬も食わぬ。偏差値の低い君らはずっとそんな暮しでもしてな、と東大模試E判定の僕は言う。高い志とそれに伴わぬ実力の乖離が一層余を苦しめる。東大を目指しているから、人よりも優れている。なんの根拠もないマインドセットを当時は疑うすべもなく、ただ為すがままに過ごす。我を知るもの、それ天か!故郷を離れて、ひとり寂しく見る東京は、カオスな眠らぬ街である。そこで女人に囲まれ、東大に一ノ瀬ありと天下にその名を轟かせ、一生懸命に自己の研鑚に励み、努め学ぶ自身の姿を描きながら、まどろむ意識は意識できず、気づけば朝になっていた。疲れのとれぬ眠り。眠りのような死があるならば、歓迎しよう。のれんをくぐるような軽い感じで寅さんがくるように、スピノザが語ったように軽い感じで。死ねればいいのに。死ぬ勇気もなく、尊大な羞恥心が身に沁みる。山月記の李徴のように、気づけば虎になってるかもしれん。虎は虎でも、あっちの寅か、寅さんか。よっ、タコ、まだバカやってるか?

前置きはここまでにして、これから本題に入る。といっても上の文章もまた本題である。自己とこれからのユビキタス社会の関わりはもう逃げられない。逃げない。アナログの男と呼ばれる時代は、業は終わりを迎えた。これからはネットエリートとしてITの周辺機器を武蔵の様に融通無碍に使い、世界に躍り出ていかねばならぬ。古典は学んだ。あとは手段だ。一番大事な核を持ってるから、あとはかたちだ。ゲーテになりたい。レオナルドになりたい。もしその二人が今、この世にいたら?コンピューターを巧みに使っていたに違いない。アナログだけしかできないかっこよさもある。だが墨子悲糸、楊朱泣岐だ。自分を捨てろ!まずはブラインド・タッチを覚たい。いや覚える。覚えた。今年は電子書籍元年、文章の扱いならお手の物、まずはこれでひと山当ててやろうかしらん。上の文章はその為に書いたものである。これからもっとコンピュータを用いた藝術表現に関与していく。藝術情報センターをもっと活用すべし。今回のこの文章もパソコンで書いている。それまでは手書きだったが、昨年の10月からは変わった。世の中に不満があるのなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮せ!その言葉に従った。

高校の教科書の表紙で見た複素数を用いた幾何図形に、スーパーコンピューターを用いたアルゴリズム解析に、コンピューターと生物の融合に、カイコガとかね、アメリカかどこかで開発された、なんちゃらドッグとか、遺伝子とか、アイソト―プとか、無限の宇宙の記述方の方法論にすぎない科学に、“神”を見る。スーパー望遠鏡がとらえる銀河の煌めきに、自身の目が見つめる子どもの笑顔に、オイラーの公式に、私は同じ真理を見る。

坂村健の予言通りになった。おサイフケータイ、パスモ、監視カメラの顔認識ソフト、無人衛星からの偵察、お茶の間から、世界の裏まで、世界の一体化のさらなる一体化が始まり、それがどんどん加速している。今が始まりなのか、それとも最盛期なのか、それすらもわからぬのが現状だ。人間はその時代に生きるドグマから逃れることは絶対にできない。コンピューターの可能性とは何だ?ネットの普及、チュニジアでの革命、兵器格差、無人機対生身の自爆、今もイラクで、アフガンで、世界のどこかで悲鳴が聞こえる。そしてアサンジ氏率いるウィキリークス、世界は“あるべき形”に行き着くのか、そこにあるのは神の国か、目的の王国か、イーハトーブか、ダンテか。私は先進国のノーブレス・オブリージュを発揮したい。エリートとしてネットを学ぶ。ゆくゆくはMITやハーヴァードのネットエリートたちと対等に渡り合っていく。日本が好きとアメリカも好きは共存できる。フランスも、イタリアも、ヴェトナムも好きだ。億万長者になるのもいい。もちろん社会には還元する。私はネットエリートになって何らかのアクションをしていく。それがこれからのユビキタス社会との私の関わり方だ。私は言ったことにはすべて責任をとる。人任せではだめだ。当事者意識を持つ!軽い言葉ではいえない。聖人の言葉は重いのだ。人命よりも、地球よりも。麦を食って精進精進!

Be the change you wish to see in the world !
By Mahatma Gandhi

栄華の巷低く見て、魂を以って事に当るべし。たまには性欲にまみれても。

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